《第543号あらまし》
 東急ハンズ過労死事件が神戸地裁判決を経て和解解決
 随想 定年退職労働法学者の憤慨(第6回)
     労働者はアベノミクスを歓迎せず!


東急ハンズ過労死事件が神戸地裁判決を経て和解解決

弁護士 本上 博丈


1.はじめに

2013年3月13日の神戸地裁での勝利判決が大きく報道された東急ハンズ過労死事件が,双方控訴によって大阪高裁係属中に裁判外和解で解決した。有名小売店の若い販売員の過労死事件であり,地裁判決によって,東急ハンズは2013年ブラック企業大賞の候補8社の一つにノミネートされた。

本上にとっては,04年11月20日の過労死110番(勤労感謝の日にちなんで過労死弁護団全国連絡会議が行ったもの)で偶然相談を受けて以来,06年2月労災請求,07年11月業務上認定,10年3月神戸地裁への損害賠償請求訴訟提起と8年以上にわたってずっと被災者の妻と二人三脚で取り組んできた,大変思い入れの深い事件である。


2.事案の概要

2004(平成16)年3月26日早朝,自宅で就寝中に,東急ハンズ心斎橋店の販売員である男性正社員(1973年生。当時30歳)が心臓性突然死した(行政解剖をした兵庫県監察医の所見。基礎疾患なし)。月30~50時間程度の賃金不払い残業を含めて,時間外が月80~100時間あった。

被災者は,97年3月大学卒業後,株式会社東急ハンズに入社し,当初は三宮店,99年3月の心斎橋店オープン時から死亡まで,同店の販売員として勤務していた。

原告は被災者の妻(1974年生)と長男(2003年10月生(被災者の死亡時,生後5か月半))。99年10月に結婚し,神戸市内で親子3人で暮らしていた。30歳代になったばかり,結婚5年目で長男をもうけ,人生と家庭生活での幸せが花開いていく,まさにその時の突然死だった。


3.業務内容等

(1) 04年当時の東急ハンズ心斎橋店における販売員の体制

正社員1名とアシスタント社員(有期契約社員)2~3名との合計3~4名で一つのチームとされ,チームごとに数種の担当商品が決められていた。被災者の場合,3名のアシスタント社員とともに2階キッチン売り場のうち,①鍋などの調理道具,②調理家電,へらなどの調理器具等を担当していた。

東急ハンズでは,個人商店の店主が仕入から販売までの全てを自分一人でするように,仕入れる商品の選択,発注,レイアウトから販売までを社員各人が自分の判断で行うショップマスター制度(仕入販売員制度)が採用されていた。そのため,その業務内容は,店頭での接客及び販売のほか,問屋やメーカーなどの仕入取引先との連絡・商談,仕入に関する事務作業,値付け,商品の陳列(品出し),レイアウト変更,フェイス整理,ポップシートの制作依頼・掲出,クレーム対応,不良品や売れ残り品の返品,特集(イベント)の企画など,多岐にわたっていた。売上目標は当然あり,チームリーダーである正社員は「店主」として重い責任感を自然に感じる仕組みになっていた。

(2) 残業時間管理

正社員の場合,1か月15時間の「残業予算」と呼ばれていた残業時間枠が予め設定され,上司である主任が,毎日のように朝礼や夕礼などで「残業は計画的に」という話をするなどして,日常的に残業予算遵守を繰り返し指導していた。

(3) 長時間の賃金不払い残業の事実と要因

① 心斎橋店全体の問題だったこと

心斎橋店ではもともと残業予算の遵守が不可能な業務量が与えられていたにもかかわらず,主任など上司から残業予算の遵守が毎日のように執拗に指導されていたことから,自分の「店」の担当業務をやり終えるために,残業予算の消化とはカウントされない賃金不払い残業が構造的に行われるようになっていた。中でも被災者は特に,2階の正社員5人の中では最も熟練度が低かったのに,売上の点で責任が重く,仕事量も多くなりがちな品番を担当していたうえに,接客優先の会社方針を誰よりも遵守していたために接客・販売以外の業務を行う時間に不足を生じ,さらにマネージャーら上司から雑用を押し付けられることも多かったことから,日常的に長時間の賃金不払い残業を余儀なくされていた。

賃金不払い残業の具体的方法として,主には以下の3つの方法があった。

(ⅰ) 所定終業時刻を経過した後に一旦退勤打刻をし,その後再び担当フロアに戻るなどして仕事をする(退勤打刻後残業)。

(ⅱ) シフト上の休日の朝早く出勤してタイムカードを打刻しないまま,その日の出勤予定者の多くが出勤してきて業務が本格化する午前9時30分ころまでの数時間の間仕事をする(休日無打刻残業)。

(ⅲ) シフト上の所定始業時刻前の時間は労働時間管理システム上残業時間とはカウントされていなかったことを利用する方法として,その所定始業時刻の数時間前に出勤して仕事をする(早出残業)。

② 会社は知りながら適切な対応をしなかったこと

03年12月,別フロアーの社員が上記(ⅰ)退勤打刻後残業をした帰りに事故に遭ったところ,退勤打刻時刻と事故発生時刻との間にかなり時間差があったことから,通勤災害の適用に関して,中断が疑われ退勤途中の事故かが問題になる事件が起こった。

この事故に関連して心斎橋店全フロアーを対象にした調査が行われた結果,どのフロアーでも多かれ少なかれ退勤打刻後の居残り残業が行われていたことが分かった。

この事件をきっかけにして退勤打刻後の賃金不払い残業が心斎橋店全体に蔓延していることが顕在化したのだから,管理部門としては,本来であれば,その時に社員がなぜ賃金不払い残業をしているのかという原因を合理的に究明して,スタッフ増や業務範囲の明確化,事務配分の適正化など正社員のそもそもの業務負担を軽減する方向で是正すべきであった。しかし,会社はそのような原因究明も負担軽減も一切しないまま,単に退勤打刻後の居残り残業監視を厳しくするという取り締まり強化だけを行った。その結果は,それまでの居残り残業のほかに早朝早出残業が常態化するというように賃金不払い残業を一層潜行させただけに終わった。

③ 本件における労働時間認定の困難さと被災者の実情

このように本件では,残業予算の大幅な超過を避けるために,あえて時間記録を残さない賃金不払い残業が長時間にわたって行われていたことから,実態に即した時間外労働時間の認定が極めて困難だった。

被災者は午前7時ころに家を出て(通勤時間約1時間),午前8時ころ始業し,午後11時前後に終業して,深夜0時前後に帰宅していた。

なお会社は,原告長男が03年10月生まれで当時は新生児だったから,その夜泣きが被災者の睡眠不足の原因であったかのように反論した。しかし,仮に当時原告長男が夜泣きをしていたとしても新生児であった以上自然なことで,何ら非難されるべき事情にはならない。新生児が夜泣きをすれば,それだけで父親が極度の睡眠不足に陥るほど私生活の生活時間が圧迫されていることが問題なのであり,その圧迫を強いていたのは会社における長時間労働にほかならない。したがって,会社の反論は,自らの責任を棚に上げた全くのすり替えであり,倫理的にも到底許されないものだった。


4.神戸地裁2013年3月13日判決

主な争点は,①死因(行政解剖所見の心臓性突然死に対し,会社は当初はぽっくり病,その後「吐物吸引による窒息死の可能性が大」であると主張)のほか,②実労働時間,③勤務先に長時間滞在していたことの業務性(会社は労基法上の労働時間に当たらない,労働を命じておらずむしろ賃金不払い残業を禁止していたなどと主張),④安全配慮義務違反の有無(隠れて賃金不払い残業をすることまで予見不可能など)。

判決は,原告の主張を全面的に認めて,合計約7850万円を認容した(請求9100万円)。主な認定・判断は以下のとおり。なお被告は直ちに控訴し,原告らも子についての弁 護士費用認容を脱落させていたので控訴した。

① 死因は,被告主張の誤嚥窒息の可能性を否定し,行政解剖どおり,心臓性突然死と認定し,ぽっくり病の可能性は否定 できないが,それが心臓性突然死であることを否定するものではない,とした。

② 被告における残業予算の設定は過少なうえにコスト面からアシスタントより正社員が少なく設定されるなど不合理なものだったのに,上司からその遵守が毎日のように執拗に指導されていたことから,賃金不払い残業が構造的に行われるようになった。

③ 実始業時刻は,シフトに関係なく午前8時ころには出勤しており遅くとも午前9時をすぎることはなく,出勤打刻の約1時間前には出勤していたと考えられるから,出勤打刻時刻と鍵受渡表記載時刻との早い方とし,出勤打刻時刻が9時以降となっている日はその打刻時刻の1時間前とする(労基署認定と同じ)。

実終業時刻は,退勤打刻後残業が問題になった通勤災害A事件以降は,庶務課のチェックが厳しくなったものの,バックヤードなど見回りのない場所で少なくとも午後10時30分までは退勤打刻後残業をしていたから,退勤打刻時刻が午後10時30分以前となっている日は午後10時30分とする(退勤打刻時刻のとおりとした労基署認定より前進)。

以上により実時間外労働時間数は,発症前1か月目が89時間04分(労基署認定は76時間24分),発症前2か月目が92時間07分(同80時間43分)となる。

④ フロアマネージャーから大きな声で怒鳴られるなどたびたび強い叱責を受け,精神的ストレスを抱えていたことなどが少なくとも被災者本人にとって身体的,精神的負荷になっていた。

⑤ 会社が賃金不払い残業について指示命令も黙示的な承認も認識もしていなかったと反論する点については,本来の業務に密接に関連する業務を行っている限りは労働時間と認めるのが相当で,早出残業は業務と密接に関連する業務が行われているものとして労働時間に含めるべきだとした。また退勤打刻後残業はA事件以降は十分認識していたものといえるとした。

⑥ 退勤打刻後残業が恒常的に行われていたことはA事件によって明らかとなったにもかかわらず,会社は,賃金不払い残業の原因について解明して,過重になっていた業務を軽減して適正化するなどの対策を執ることなく,賃金不払い残業の規制を強化しただけであったから,業務遂行に伴う疲労や心理的負荷等が過度に蓄積して労働者の心身の健康を損なうことがないよう注意する義務に反していたものといえる。

⑦ 被災者の仕事のスタイルが長時間労働に寄与していた,子どもの夜泣きのために寝不足になっていたとの過失相殺の主張については,前者は人事評価は平均的で通常の個性の範囲内と言えるし,後者は子どもの夜泣きが寝不足の原因とは認められないとして,否定した。


5.高裁係属後の裁判外和解

控訴審での第1回期日後の13年8月裁判外の和解が成立し,1審原告・被告の双方が控訴を取り下げたことから,法的には神戸地裁判決が確定した形になった。内容等詳細は守秘条項があるため報告できないが,報道によれば,会社はこの和解について,「会社として重く受け止め,今後も従業員の安全管理に配慮したい。」とコメントしたとのことだから,コンセプトはご理解いただけるだろう。私自身も,遺族に対する必要な償いと再発防止のための一定の措置は得られたものと考えている。

調印の席上で,被災者の妻は,「夫は子どもの時から東急ハンズを遊び場にするほど好きで,就職難の時期にもかかわらず,子どもの時から憧れていた東急ハンズに就職できたということで大変喜んでいたし,最期までそんな気持で働いていたと思う。会社には,従業員のそういう思いを分かってほしいし,そういう従業員を苦しめないでほしい。」と会社担当者に訴えていた。私は初めて聞いた話だったが,これまで扱ってきた過労死事件の被災者の方々を思い起こし,今,社会問題になっているブラック企業の犠牲になっている若者を含めて,確かにそういう人が多いのだろうなと心にしみた。

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随想 定年退職労働法学者の憤慨(第6回)
労働者はアベノミクスを歓迎せず!

元民法協代表幹事 長淵 満男


1、社会民主主義勢力(具体的には民主、社民党)の「ていたらく」にハズミを得た安倍政権は、大株主等の富裕層と数10社の多国籍・大企業の利益回復を主軸とした財政政策を加速させている。10兆円を超える巨額を日銀まで巻き込んで財界にばらまき、造り出した円安と結果としての株価回復に、商業紙は冷静な分析と批判の力を失いつつあるかに見える。

しかし、事実をみれば、ばらまき効果の受益者は、金融不動産・建設・自動車・IT関連・観光等の各上位=数10社に過ぎず、まさに大企業支援という指摘がピッタリである。

それと同時に、業界全体が幼稚にハシャイでいる金融証券・不動産については、特別の注意が必要であろう。というのは、健全な融資先がみつからず苦闘してきたこの業界は、かってのバブル経済時代の金銭感覚で、企業への融資や株式その他の金融派生商品=デリバティブへの投資を通じて、投資をマネーゲーム化しかねない危険を胚胎しているからである。ほんの一時期景気が上昇してもゲームに敗北した金融機関と、その大きな影響下にある企業は「事実上の倒産」に見舞われ、財政破綻と国民生活の窮乏化が進むという事態さえあり得ないわけではない。表現はやや過激かもしれないが、バブル崩壊後のこの業界の動きから「銀行は強盗、外資はハイエナ」と非難したビル・トッテン(同名の書=小学館文庫2002年刊、なお、同氏は日本でソフト販売会社を創立、大手企業に育成)の認識は、今日でも共有されるべきである。しかも、金をばらまいて物やサービスの供給能力を高めても、消費不況の現実の前には受益者は限られており、国民の消費力の向上につながらないだけでなく、かってイギリスやアメリカが苦しんだスタッグフレーション(経済低迷下の物価高=インフレと低賃金の同時進行)に陥るおそれさえあるというのが重要である。

2、金融その他の大企業への実質的優遇策と反対に、労働市場からハジキ飛ばされた国民、その他の社会的弱者に対する政策は冷酷である。失業者や高齢者、母子・父子家庭、障害者、生活保護受給者そして非正規雇用労働者等への劣悪な処遇の放置と切り下げがその例証であるが、これに税制の改悪が上乗せされようとしている。

正規の労働者として働く者への影響も今や甚大である。今日ではメディアを通じて明らかとなったブラック企業の恐るべき実態は、許されるものではない。一刻も早くかかる事態を絶滅させる必要がある。実態の詳細は、メディア、とくに文春新書「ブラック企業」(今野晴貴著2012年刊)にゆだねるが、労基法や安衛法はその性格として強行法規であり、その違反は多くが犯罪である。それなのに、「ブラック企業」に限らず多数の企業にとって労基法や安衛法の無視・違反は朝メシまえ、それでいて犯罪性が問われる(刑事訴追)のは、ほんの数%にすぎない(推定)から、これは犯罪の野放し以外の何物でもない。

しかし、当該企業はもとより、国民や労働者の側でも、例えば賃金不払いの残業を行わせることが「犯罪」であるという感覚は皆無!?、といってよい。その主要な原因が、是正勧告中心の労働監督と不透明な司法処分にあるにあることは過去にも述べた。繰り返しになるが、この手続きの欠点は、違反発見→是正勧告→点検→書類送検=司法処分→刑事訴追の流れにおいて、是正勧告の無力さ(点検時に勧告が履行されておれば、短時日のうちに再調査されることは殆ほとんど無いため、また違反を繰り返す)と、監督署が「悪質な違反」とみる件数自体が少ないほか、「悪質な違反」とみて書類送検しても、検察が公訴を行うケースが極端に少ない事実にある。そもそも、検察はどんな基準で公訴の提起、不提起を決定しているのか不詳であり、説明責任を果たしていない。今日では、むしろ職務怠慢との非難が適切である。

国民や労働者の言論・表現の自由その他の権利行使には、警察は、軽犯罪法みたいなものまで活用してこれを取り締まろうとし、検察は警察の行為を追認=公訴提起するのが普通であるのに、労働法規違反に関しては権力行使を自制する。これは今に始まったことではないけれども、許されない。ブラック企業のオーナーが自民党の議員として存在するという現実を直視するとき、当該企業や監督行政、司法に対し、国民的批判を強める必要は甚大である。

3、労働新聞9月9日号によれば、東京労働局管内の「過重労働による健康障害」を発生させた事業場に対する臨検監督の結果、70%超の事業場で違法な長時間労働が行われ、何らかの法令違反が発覚した事業場は90%に達するという。

調査対象が過重労働により「脳・心臓疾患や精神疾患」を発生させ、平成23〜24年頃に労災請求を行なった労働者のいる事業場であるから、その殆どが当時是正勧告等の監督・指導等を受けているはずである。それにもかかわらず、三六協定に定める「協定時間をこえる時間外・休日労働」など、違法な時間外労働をさせている事業場が70%を超えるのである。しかも、過労死ラインとされる1カ月の時間外労働100時間、2〜3カ月平均80時間に及ぶ事業場が全体の54%を占めるというのだから唖然とする。これ程までに是正勧告は無視されているのに、東京労働局はあいも変わらず、『監督指導を強化する』という聞き飽きた方針の宣言を繰り返すだけである。企業が世界一活動しやすい日本にすると言い切った安倍総理のもとで、東京労働局に多くを期待できないことは明白だが、労組や市民団体、議員をも動員して労働局を「働かせる」のも大切であろう。

もう一つの問題は三六協定に関するものである。この調査結果のまとめは「三六協定の締結は形骸化している企業が多い」と重大視しているという。それというのも、三六協定を締結せず、締結しても届け出ず(21.2%)、協定上の延長限度を超える休日・時間外労働をさせ(26.5%)、特別の事情が生じたときだけに認められる延長で、年6回の上限を上回って休日・時間外労働をさせていた事業場(28%)、その他協定を適切に運用していない事業場など、あわせると72%にも達するからである。これらの法違反は、刑罰規定(117〜121条)に直接の定めをみないが、理論的に労基法82条違反が成立すると解釈されてきた。免罰効果が無い場合の超過労働だから8(40)時間労働制の原則に反するのである。

私はこの問題で一つの訴訟に注意を向けてきた。夫を過労死で失った妻が、労災認定を得たものの、時間外・休日労働への会社、労組、国家の対応に納得できず、この三者を相手に損害賠償請求訴訟を提起した「新興プランテック」事件である。現在も事件が継続しているか不明であるが、判決はまだ知らない。企業倫理を喪失して過重な残業を迫る会社、過労死を産み出すほど過長な残業を許す協定を結んだ労組(過半数代表)、かかる状況に対して責任ある監督を怠る国家、それぞれが断罪されるべきである。

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