《第413号あらまし》
 労働者委員選任処分取消等請求事件意見書
 2002年春闘学習会報告


労働者委員選任処分取消等請求事件意見書


3月11日第2回「労働者委員専任処分取消し請求事件」裁判が開かれました。そこで陳述されました原告和田邦夫氏、原告ら訴訟代理人羽柴修弁護士の意見書を掲載致します。


平成13年(行ウ)第27号
労働者委員選任処分取消等請求事件

神戸地方裁判所民事第5部 御中
平成14年3月11日


原告 和田 邦夫
意 見 書
 この度の提訴に当り、原告を代表して意見を申し述べます。

 兵庫県知事は、2001年(平成13年)7月9日、第37期兵庫県地方労働委員会労働者委員の選任に当り、県内労働界の実態を無視して、定数7名全員を「兵庫連合」系に属する被推薦者のみを任命しました。こうした任命は、1989年に、労働組合のナショナル・ローカルセンターが再編されて以後、第31期から継続しています。

 申すまでもなく、労働委員会制度は、労使対等の立場を実質的に保障するための労働者救済機関として設けられました。救済を申し立てた労働者・労働組合にとっては、労働者の状態や心情を理解する労働者委員に大きな期待を寄せています。労使紛争の解決や労使関係の改善にあたって、労働者委員は単なる中立的立場ではなく、労働者・労働組合の要求や主張をよく聞き、積極的にその立場にたって解決・救済にあたることが要請されています。

 労働委員会に救済を申し立てる多くの労働者・労働組合は、申し立てに際して、労働者委員に相談したり、審問中の証拠調べを踏まえて進行について協議したり、また、審問終結後、申立組合や労働者と意見を交換し、自らが公益委員会議でどのような意見陳述を行うのかの協議も必要です。しかし残念ながら、審問の場での参与労働者委員の発言もほとんどなく、こうした労働者委員の役割が果たされていないのが実情です。現に、兵庫地方労働委員会に係争中であった賃金差別事件で、参与した労働者委員は、申し立て労働者からの協議申し入れに対し、自分の職場でも同様の差別事件が起こっていることを認め、今後、会って話をすることは断る旨の発言をしています。これでは、異なる潮流に属する労働者・労働組合が、労働者委員への信頼を寄せることはできず、従って、制度が予定している労働者委員の助言や援助を受けることができないのは当然です。

 私は、1975年4月から県下の私立学校教職員組合運動のセンター、兵庫県私立学校教職員組合連合・略称「兵庫私教連」(当時は兵庫私教協)の専従として組合運動に携わり、現在に至っています。私の所属組合は、兵庫のどのローカルセンターにも属さず、しかし、一致する要求課題で兵庫労連との共同のとりくみを進めてきました。

 ローカルセンターが再編されて以後の、第32期兵庫県地方労働委員会の委員選任にあたって、国民春闘兵庫県共闘委員会および兵庫労連のグループでは、2名の労働者委員候補を推薦しました。そのうち1名は本件訴訟原告の和田でした。1993年5月31日に任命された労働者委員7名は、前31期同様、いずれも「兵庫連合」系に属する労組出身者によって占められました。同年7月5日には、兵庫県労働部と「なぜ選任されなかったのか、その選任基準はどうなっているのか」等について交渉しましたが、「総合的に勘案して」の一言のみで、選任の具体的基準等については、一切、明らかにされませんでした。

 労働組合のナショナル・ローカルセンター再編以後に、労働委員会を舞台に争われた事件は、非「連合」系労組や「連合」系労組内の少数派に対する差別問題などが多く、しばしば労働者委員に対する「不信」の声が聞かれました。以来、私は、第32期補欠委員選任を含め、第36期までの6度推薦されましたが、この間、すべて「兵庫連合」系の労組出身者が任命され、私はいうまでもなく、非「連合」系からの任命は、皆無でした。


 第37期委員選任に向けて、2000年3月、兵庫県民主法律協会を中心に「労働者委員の公正な選任を実現する兵庫県連絡会議」を結成しました。2001年3月には、県当局に対し、連絡会議の代表者2名と12労組・団体が連名で、「労働者委員の公正な選任を求める申し入れ」を行いました。そして会の候補者として、原告4労組が私を共同推薦し、6月20日には、県下の労働組合・争議団など108団体の賛同署名を添えて、「公正な選任」を求め要請しました。私が県下の非「連合」系労組の支持を得た候補者であったことは、被告県知事も承知していたはずです。ところが結果は、冒頭に申し述べたとおりで、事後の8月6日に行った県労政福祉課との面談でも、「総合的に勘案した結果」と述べるのみで、私は「選考の対象にさえ入っていなかったのではないか」との思いを抱きました。憤りさえ感じるところです。

 労働団体が分かれている実態を 顧みず、特定の潮流からだけ労働者委員が任命される事態が続けば、労働委員会に対する労働者の信頼はなくなり、その機能・役割を実質的に失うことにさえなりかねません。労働委員会が、あらゆる労働者・労働組合から信頼を寄せられ、労働者の救済機関としての本来の役割を果たすためにも、一刻も早く、労働者委員が兵庫県労働界の実態に即して、公正に任命されるべきことを申し述べ、原告としての意見といたします。


平成13年(行ウ)第27号
労働者委員選任処分取消等請求事件

神戸地方裁判所民事第5部 御中
地方労働者委員の公正な選任について
平成14年3月11日


原告ら訴訟代理人 弁護士  羽柴 修
意 見 書
 1 労働委員会制度と労働者委員の役割

 日本に於ける労働委員会制度は、1946年3月、使用者の所謂不当労働行為から、労働者・労働組合を救済する独立行政委員会として創設されました。1949年6月に現行「労組法」が制定され、現在の「原状回復主義」制度になり、それから半世紀以上を経過したことになります。98年までの50年間に全国の労働委員会に申し立てられた不当労働行為事件は2万6695件に上り、交付された初審命令は5066件、和解等で解決し取り下げられた事件は2万303件になっています。我が国で不当労働行為制度が定着し、労働運動や労使紛争解決に欠かすことのできない制度になっていることは否定できません。そして労働委員会制度が機能してきたのは、公益委員、労働者委員、使用者委員の三者構成としたことであり、この点は裁判所と決定的に異なっています。三者構成の特徴は、公益を代表する「公益委員」と区別して、労使双方の利益を代表し、かつ、その実状に詳しい労使委員を関与させることにより、自主的解決を促進することにあります。勿論、不当労働行為審査事件についても後述する審問での関与や命令に先立つ意見陳述等の労使委員の役割は重大ですが、何よりも大切なことは労働者委員と申し立てた労働者・労働者組合との間の信頼関係が確立していることです。即ち,不当労働行為制度は労働者・労働組合しか救済申立てをすることができない制度であり、労働者や組合は申立ての当初から労働者委員の指導と援助を受けてその準備をします。従って、使用者委員と比較してその権限と役割は極めて重大であって、担当する労働者委員との信頼関係がなければ申立てはおろか、調査段階の主張の整理や証人尋問、最終陳述等、救済命令を勝ち取る手だてを講じることは到底できません。

 2 1989年以降,兵庫地労委で何が起きているか

 1989年、「連合」が結成される前、即ち総評や同盟というナショナルセンターが存在した時は、地労委に不当労働行為救済申立てをする場合、殆どの組合は何れかの組織に所属していましたから、予め例えば総評推薦労働者委員を選任して相談していました。申立て後の調査や審問についても十分な打ち合わせをし、証人尋問では労働者委員からの補充尋問の内容についても協議し、審問の後はその日の証拠調べの問題点について意見交換をしていました。最終陳述段階になると、公益委員会議で述べる労働者委員の意見陳述の内容についても打ち合わせをし、労働者委員は意見書の草稿を申立組合に示し、組合の意見を労働者委員の意見書に反映させることもできました。ところが、「連合」結成後は、考え方の違いで「連合」に参加しなかった労働組合、「全労連」に所属する労働組合は申立て段階から指導と助力を受ける労働者委員がおらず、「連合」の推薦を受けて選任された労働者委員の関与のもとに手続きを進めざるをえませんでした。組合間差別事件では、「連合」所属の組合が事実上一方当事者ですから、相談することができないのは当然であり、全国の地労委で「連合」推薦の労働者委員の審問関与を拒否するという異常事態が多発したのです。兵庫地労委では「連合」推薦の労働者委員の関与拒否という事態は起きませんでしたが、89年以降、私たちが関与した審査事件で、労働者委員が証人尋問で労働側の証人であれ、使用者側の証人であれ、質問されるのを審問の場で殆ど見かけたことがありません。最終陳述後の労働者委員の意見書は担当労働者委員から交付を受けたことすらないのです。それどころか昨年解決した神戸製鋼賃金差別事件では、申立人らが最終陳述後労働者委員の意見を聞くため面会を求めたところ、その時は面会に応じたものの、再度意見陳述の内容等について協議するため打ち合わせの機会を設けてほしいと要請したところ、自分の意見は述べたので、これ以降会って話すことはないと、会うことすら拒絶するという事態が発生したのです。「連合」推薦の労働者委員独占が続く限りこうした事態は避けられないのであり、労働委員会制度は連合以外の労働組合にとって、不当労働行為救済機関として機能不全の深刻な症状を呈しています。

 3 1949年、所謂54号通牒と選任基準について

 本訴で原告らが主張している、労働者委員の唯一の選任基準と言ってよい「54号通牒」は、「委員の選考にあたっては、産別、総同盟、中立等系統別の組合数及び組合員数に比例させるとともに貴官下の産業分野、場合によっては地域別等を充分考慮すること」としています。つまり労働省は、一貫して、労働組合の内部に対立、潮流の違いがあることを認識し、それを踏まえて、「労働者を代表する者」を選任するよう基準を定めているのです。被告兵庫県知事は、労働委員会の権限の行使に際し、労働者の利益が反映されることを所期しているとはいえ、その利益とは、「労働者一般の正しい利益」であって、特定の労働組合の利益ではなく、労働委員会が労働者及び使用者の正しい利益を踏まえて公平適正にその権限を行使することを期待している、と主張しています。しかし、「労働者一般の正しい利益」とは何でしょうか。被告が引用する判例も好んで同種主張をしていますが、このような主張が通用するのは裁判所位であり、このような観念的利益は現実には存在しません。労働組合運動の間に労働者の利益のあり方や、その代表の仕方を巡って激しい対立がある以上、現実には、特定の系統の労働組合によって推薦された労働者委員が、他の系統の労働者や労働組合の利益を公平・公正に代表すること等できません。このことは前述した複数間差別に関する不当労働行為事件を考えれば明白であり、兵庫地労委の現状が証明しています。「連合」の労働者委員独占は54号通牒を無視するものであり、被告兵庫県が37期労働者委員について「連合」推薦委員のみを選任したことは制度の根幹と現実を見誤ったものと言わざるを得ません。

 4 司法の新しい流れに期待

 本件と同種の訴訟は、大阪、千葉、長野、宮城、愛知、の各県で起こされ判決が言い渡されています。その流れを一覧してみますと以下のとおりです。


 @1983(昭和53)年2月24日 大阪地裁判決 〔判時1076号、144p〕

 A1983(昭和53)年10月27日 大阪高裁判決 〔判時1108号、133p〕

 B1996(平成8)年12月25日 千葉地裁判決 〔労判710号、28p〕

 C1997(平成9)年5月15日 東京地裁判決 〔労判717号、149p〕

 D1997(平成9)年12月25日 長野地裁判決

 E1998(平成10)年1月29日 東京地裁判決 〔判時1631号、146p〕

 F1998(平成10)年9月24日 千葉地裁判決

 G1998(平成10)年9月29日 東京高裁判決 〔労判753号、46p〕

 H1999(平成11)年2月12日 長野地裁判決 〔乙第1号証〕

 I1999(平成11)年4月13日 仙台地裁判決

 K1999(平成11)年5月12日 名古屋地裁判決〔判タ1029号、189p〕〔労判763号、86p〕

 L1999(平成11)年6月30日 東京高裁判決 〔労判777号、86p〕

 M1999(平成11)年9月1日 東京高裁判決 〔乙2号証〕

 N2000(平成12)年2月4日 長野地裁判決

 O2000(平成12)年9月7日 東京高裁判決 以上の判決では、被告が指摘する判決もありますが、多くの裁判所で、知事の裁量権を認めながらも、54号通牒は尊重されるべきであること、特定潮流の組合が労働者委員を独占していることで地労委の運営に支障が生じていることが明らかとなり、裁判所も改善を求めていることなどが、判決中で明記されています。何よりも本件訴訟を含め、全国で同種訴訟が提起され続けていることに思いを至すべきと考える次第であります。千葉地労委第一事件の東京高裁判決(1999年6月30日)は、「・・知事が、労働組合から推薦された者を全く審査の対象にしなかった場合には,労働者委員の推薦の趣旨を没却するものとして、裁量権の逸脱があると言うべきであるが、形式的には審査の対象としながらも、実質的には被推薦者について全く審査をせず、あるいは、積極的にある系統に属する組合の推薦する候補者を労働者委員から排除することを意図して、その系統に属する組合の推薦にかかる候補者であるということだけで選任しないとすることも、右推薦制度の趣旨に反するものとして裁量権の逸脱にあたると言うべきである」と判示しています。今、道路公害裁判で当庁が健康権に基づき四半世紀ぶりの差し止め判決を下し、名古屋地裁で同様の判決が続き、最近では東京地裁で、小田急電鉄復線化都市計画取消裁判で認可取消判決が下される等、従来の行政追随型司法は克服されつつあります。当裁判所におかれても、地労委の現状と実態を踏まえた、国民・労働者の納得する公正な審理と裁判をされるよう強く訴える次第であります。
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2002年春闘学習会報告

弁護士 増田 正幸


2月13日に、恒例の春闘学習会が三宮勤労会館で行われた。今年は、神戸商科大学教授(経済政策)で兵庫労働総研常任理事をしておられる北野正一先生に「小泉構造改革と労働者の生活」と題して講演をしていただいた。81名という例年を超える多数の参加を得て盛況に行われた。そして、最後に、建交労の生コン支部から生コンの品質を守るための運動の紹介と請願署名の要請が行われた。

講演の要旨は以下のとおりである。


1.小泉路線とは

(1) 昨年のアメリカに対するアフガンテロの後、アメリカはアフガンのみならずアメリカに敵対する諸国(イラン、イラク、北朝鮮)を「悪の枢軸」として、軍事的圧力を強めている。カーター政権後のレーガン政権が「ソ連は悪の帝国」であるとしてソ連に対するミサイル包囲網を構築しようとしたことが思い起こされる。

レーガン政権は一方で国内的には緊縮財政をしき、他方でアフガン戦争等を理由に軍備を増強したが、小泉政権と非常によく似ている。

ブッシュ現政権は、景気後退の中で登場したが、グローバルスタンダードのもとに経済を市場原理に委ねて自由競争を徹底することと「強いアメリカ」を志向している。

(2) 戦後日本の保守政治を振り返ると、次の3つの勢力が自民党内で勢力争いが続けられた。

@ 敗戦後、吉田茂路線が主流となり、これを宏池会が継承した(対米協調、軽武装、経済重視を特徴とする)。

A 鳩山、岸、佐藤、福田、安部等の親台湾の反共ナショナリスト路線

B 公共投資を重視し、親中国の田中角栄、竹下路線

(3) 21世紀になって、経済成長がむずかしくなり、公共投資の維持も困難であることやアメリカが日本の武力増強を望んでいるという情勢のもとでは@とBの路線は採り得ず、Aを代表する小泉が政権を担うことになった。

小泉政権は、市場原理主義とナショナリズムを特徴とするが、国民に明るい展望を持たせることができなくなれば、ナショナリズムを煽って軍備を増強するという路線である。


2.雪印問題

売上さえ上がればよいという企業のあり方が明るみに出た。そして、従業員と酪農業者に犠牲が転嫁されようとしている。

市場経済を単に利潤を追求するための手段とみれば、売上を上げるためには手段を選ばずということになるかもしれないが、本来、市場経済は財貨を交換するシステムであって、社会の構成員がそれぞれの社会的役割を果たすことに対して報酬を受け取るというシステムである。したがって、企業には社会的責任がある。

その企業の社会的責任を最も追及できるのは、従業員と消費者と関連業者のはずである。


3.展望

(1) 2002年2月のG7蔵相会議で、わが国の不良債権の処理が進まず、景気がどんどん悪化していることを懸念する欧米に対して、塩川財務相は、その対応策としてデフレ対策を取ることを約束した。デフレ対策すなわち、インフレ政策である。

しかし、政府は「デフレ」というが、2001年はたった0.6%しか物価は低下しておらず、この程度の物価下落で「デフレ」とはいえない。国民の不安を煽り、インフレ政策を取るための口実として「デフレ」と称しているにすぎない。

具体的には、倒産のおそれのある大手企業の短期社債を日銀が買い取ることによって企業を直接救済すること、株式や土地を税金で購入することを可能にしてこれらの価格を釣り上げること、外国の国際を購入することによって円安にすることなどが考えられている。

円安になれば、輸入品の価格が上がるから、購入意欲が刺激されて市民が競って「安い間に買っておこう」ということになるというのである。しかし、これでは決して市民生活が向上することにはならない。

(2) 現在の不況の原因は、需要減少、供給過多であるから、不況を克服しようと思えば、需要を喚起することが必要である。そして、最大の需要喚起は消費の拡大である。

消費を拡大するためには賃金を上げなければならないが、各企業の業績が悪化していることから賃上げの原資が乏しく、直ちに賃上げによる消費の拡大というのは困難である。そこで、考えられるべき需要喚起の政策というのは、中小自営業者、街づくり、市民生活や環境に金を使う(投資する)ことである。

大企業は過大な設備を抱えており、投資をする意味がないが、中小企業には資金の需要がある。しかも中小自営業者に資金をつぎ込めば、その業者の存在する地域の需要を呼び起こし雇用の確保にもつながる。あるいは、震災の経験を踏まえて全国の住宅の対震性を向上させるための住宅の修復に公的資金を投入すれば、経済の活性化につながることは間違いない。女性が結婚後も安心して働き続けることができない、住居費をはじめ生活費が高騰している、子どもの教育や老人の介護に多額の費用がかかったり、女性の負担が大きいことなどから、結婚したがらない女性が増え、少子化傾向が強くなっているが、女性が安心して結婚し、子育てをしながら働き続けることのできる社会を実現すれば、それは安定した需要の確保に繋がる。

(3) このように、私たちの身近な地域を活性化するために公金を投入してこそ不況が克服されるのであり、小泉構造改革には展望がないことは明らかである。

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