6月24日朝、2校時の授業中でした。中神戸法律事務所からの連絡が私の携帯に入りました。仮処分が出ましたからFAXしますという連絡です。債権者の甲事件の申立て却下となっていますとの説明で、理事会側の申立て却下、つまり私たちの勝利と分かりました。近くにいた何人かに勝ったと知らせ、事務室のFAXの前で待つこと10分。30頁を越す決定書面が送られてきました。被解雇者の藤田委員長、浅野先生、高橋さんらと完全勝利を確認、何人もの教職員が確認にやってきては、握手したりガッツポーズをしたりで喜びの声が広がりました。高橋さんが何部もコピー、早速職員室でまわし読みが始まり、私は紙に大きく仮処分全面勝利・地位保全・解雇無効などと書き組合掲示板に貼り出しました。負けることなどありえないと思いながら、かつての浅野事件でのまさかの一審敗訴の記憶もあり、前日から不安な思いでいたことなど、もうすっかり忘れていました。
私たち4名は昨年10月1日に不当な懲戒解雇処分を受け、立入り禁止の仮処分を申立てられ、遅れて地位保全の仮処分を申立てました。その4人が職場内で勝利決定を聞いたのです。一方で懲戒解雇の張本人の1人の校長は、2週間ほども前から不在の状態。こんな光景を9カ月前、理事長や校長は想像したでしょうか。
私たちは杜撰な学園経理のあり方を多くの教職員とともに問題にし、使途不明金を巡って理事長・管理職の責任を追及しました。その過程の中で、教職員組合に嫌悪感を抱いていた理事長や校長によって言わば狙い撃ちの格好で、職員会議の妨害等を理由として懲戒解雇されたのです。それが如何に不当で、彼らの学園経営が如何に出鱈目であるかは大多数の教職員の共通認識であり、当然の動きとして支援の体制ができ上がっていきました。毎朝の校門での出迎え行動は配置されたガードマンがいなくなった4月末まで続けられ、毎夕の職場集会は3カ月間続けられ、解雇不当を県教育課と理事会に訴える保護者の署名は在籍生徒数の8割近くが集められました。これに支えられた私たちは、3月まで解雇前と同じ職務を無給のまま遂行し、解雇の不当性を主張し続けてきました。他の私学の仲間から見ても、被解雇者がそのまま職務を続けているということは俄かに信じ難いことのようでした。
しかしそんな状況でも理事長、校長の姿勢は頑迷そのもので、職員会議等で批判的な意見を述べる教職員に対して譴責処分を乱発するなど、混乱を増幅し続けました。さらに年度替わりには、新年度の校務分掌について大多数の教職員の反対を押し切り、4名の職務外し、授業外しはもとより、何の必要性もない3人教頭の任命などを強行しました。
ところが体制固めという彼らの目論見は、彼ら自身の内部矛盾からか、ほどなく理事会の内紛としてさらに大きな混乱を生みだす結果を招くこととなりました。理事長の解任決議と校長への解雇処分という混乱は新聞でも報道されているとおりです。そういう状況の中での私たちの完全勝利の決定でした。
7月16日には、5名の教員への譴責処分の取り消しや損害賠償請求などを加えた本訴の第1回公判がもたれます。内紛状態にある理事会がどう対応してくるのか不確定な面が多分にあります。また、仮処分勝利を足がかりに、学園の混乱を収束させ、学園を教育の場にふさわしく如何に正常化していくのか、問題は山積していますが、教職員の団結を維持強化しつつ、保護者・生徒の信頼を勝ち取っていく中で一つ一つ解決していきたいと思っています。
地裁への各単組・団体からの団体署名のご協力を初めとするご支援に感謝しますとともに、今後のたたかいへのご支援も併せてお願いする次第です。
神戸弘陵学園高等学校をめぐる労使紛争、使使紛争(経営者内紛)は、既報の民法協ニュースや各種報道などでご存じかと思う。
大まかに言えば、2001年以降、同校では経理問題が続発したにも関わらず、学校理事会が真摯な反省をせず、のみならず、学校経理の正常化を求めた組合に対する敵視を強め、不当労働行為を繰り返した挙げ句、2002年10月、組合の中心的役割を担っていた藤田委員長、井上書記長、浅野執行委員、高橋組合員あわせて4名を懲戒解雇処分とし、それに基づく4名への立入禁止仮処分を申し立て、同時に、建造物侵入罪での刑事告訴などをおこなったというものである。
これに対して、組合は、@懲戒解雇処分は不当労働行為であり無効であるとして地位保全等の仮処分を申し立てるとともに、A立入禁止仮処分申立てについては争い、さらにB団交を拒否する理事会に対して地労委に救済命令申立をして、対抗してきた。(組合側の代理人弁護士は、本上、萩田である)
このうち、B地労委での不当労働行為救済申立ては、労使関係の正常化のために何をなすべきか地労委が理解しないために事実上空転を続け、もどかしく思っている(したがって、労働者委員だけでなく公益委員の適正な人選は、単に労働者・労働組合だけでなく、社会の要請である。)が、仮処分事件については、本年6月24日、神戸地裁が、@地位保全・賃金仮払いの仮処分決定を下すとともに、A立入禁止仮処分申立てについて却下決定をした。
仮処分事件の最大の争点は懲戒解雇処分の効力である。学校側の主張は、4名が職員会議の場などで事務処理上の些細なミスを管理責任問題に飛躍させて暴言を吐いたり、辞職を強要したというものであった。
決定は、4名の被解雇者について、理事会追及の先鋒に立っていた藤田委員長、井上書記長については「職員会議や職員朝礼での言動が、その表現・態様において不穏当・不適切な点や行き過ぎた点があったことは否めないが、その内容はおおむね正当なものであった」ことを認定したうえで「本件懲戒解雇は、経理問題を追及する(両名の)一連の行為を嫌悪したためになされた疑いが強い」と指摘し、就業規則所定の懲戒解雇事由があったとは認められないし、仮に懲戒解雇事由に該当する点があったとしても裁量権を濫用するもので、いずれにせよ本件懲戒解雇は無効である、と判断した。また、浅野さんについては職員会議での発言もきわめて少なく内容的にも暴言にあたるとは認めがたい、高橋さんについても違法不当な行為があったとは認められない、として懲戒解雇事由はないと判断した。ようするに決定は、そもそも解雇事由に当たるような行為とはいえない、としたものであり、本件の諸種の特殊事情をふまえつつ、一連の組合活動を正当づけたといってよい。
本件紛争は、そもそも学校理事会の学校経営のひどさに端を発しており、裁判になっても、学校側は、解雇を基礎づける証拠をほとんど揃えることができず、さらに裁判中に主張は変遷し、理事会に不都合な証拠を隠していることを指摘されても「学校側に必要な部分を提出しただけだ」と開き直る始末であった。こうした裁判経過からも、本決定は、当然の帰着であったともいえる。
ただ、担当弁護士としては、本件が不当労働行為であること、したがって憲法を直接適用して解雇が無効であると真正面から認めてもらいたかったし、これが認められれば、組合・教職員の完勝であったであろうから、残念である。
神戸地裁の決定自身は当然のことであるが、これによって紛争が解決し、学校が正常化したわけではない。
理事会側はこの決定と前後して、不当労働行為の中心を担っていた盛理事長らと、学校経理等諸問題の直接的責任者ともいえる楠田校長(理事)らとが分裂し、互いに、解任、解雇合戦を繰り返すという醜態を演じている。さらに、県の教育課は、この間の事態を十分承知しているにもかかわらず、まったく学校正常化に向けて対応策を講じていないうえ、上記のとおり、地労委は労使関係正常化機能を果たしていない。したがって、仮処分決定が即刻学校正常化に結びついてはいない。
この間、組合は、解雇無効を主張するとともにこの間の継続的な不当労働行為に対して損害賠償の本訴を提起した。
裁判闘争を含めてどのように学校正常化に向けた運動を作っていくのか、組合を中心とした教職員らの運動が鍵を握っているといえるであろう。
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テレビコマーシャルでお馴染み、民法協の会員の皆さんには各種事件でお馴染みの「ネスレ」が、非人間的な遠隔地配転を強要するという事件が発生しました。
事件の発端は、会社が、本年5月、姫路工場のギフトボックス係を廃止して完全外注化するという方針を公表し、同係で働く従業員60名に対して、6月23日までに茨城県の霞ヶ浦工場(稲敷郡桜川村)に転勤するか、転勤せずに退職金を受け取って退職するかの二者択一を迫ったことからなのです。
姫路から霞ヶ浦に転勤することは、各家庭の事情もありますが、常識的に考えると極めて難しいでしょうね(工場がどの辺にあるのかは一度地図でご確認下さい)。結局49名もの従業員が退職に追い込まれてしまいました。
しかし、今回提訴した、青田さんと上月さんは、家庭の事情からどうしても霞ヶ浦には行けないし、会社を辞めることもできないということで、会社の二者択一案を拒否しました。そもそも「辞めるか、行くか」しか選択肢がないというのがおかしいのです。まず、転勤希望者を募って、それでも「余剰人員」が出るのか、見極めることが必要ですし、また状況によっては希望退職を募るという方法もあり得たでしょう。さらには、工場内配転が可能かどうかを検討すべきでした。しかし、会社は事前に工場内配転を検討した形跡すらありません。なお、会社の島田工場でも同様の職場が廃止されたのですが、課長を含む8名が工場内配転されています。
今回廃止対象となったギフトボックス係は、お中元やお歳暮で贈答用の詰め合わせ商品を製造する部門です。このような職場ですから、贈答シーズンになれば忙しいが、普段はそうでもないというように季節による変動が激しいことは明らかです。そこで、常時何名かの正規従業員を配置しておくことは合理的ではないし、外注化してリストラを行うという必要性はあるでしょう。しかし、そんな事情はギフトボックス係を設けた当初から分かっていることですし、今年になってから分かったということではないですね。ですから、今回の廃止決定は、会社が自社製造を決めた責任を従業員に転嫁しているとしか考えられません。なお、ネスレジャパングループ全体はこの不況下にもかかわらず、順調に高収益を維持しています。
しかも、事前の会社の説明では配転先の霞ヶ浦工場では、どのような職場に行くのかという説明はありませんでした。受け入れ先の人員不足が明確になっているのであれば、どのような職場なのかという説明があって当然です。
また、会社は以前から姫路から霞ヶ浦への転勤は何度も行われてきたと主張しています。しかし、よくよく調査してみると、霞ヶ浦に転勤した人の中には、大卒者でいわゆる幹部候補であったり(その後課長などに昇進)、高卒者ではその後姫路に戻ってきている従業員もいたりという状況です。霞ヶ浦に人員不足があるなら、どうして姫路への再度の転勤があるのでしょうか。
さらに、姫路工場内の配転で、二人を吸収できないのでしょうか。会社は「余剰」であると主張していますが、実際にはそうではなく、残業のある職場もあります。
このようなことを考えていくと、今回の配転については、雇用確保のための配転ではなくて、実態は霞ヶ浦への配転を脅しに使った退職強要であると言わざるを得ません。そして、会社の思惑は49名の退職者を出すということでまんまと成功しました。
青田さんは、来年進学を控えた娘さん二人、高齢のお母さん、そして奥さんの5人暮らしです。特に奥さんは病気を抱えており現在も通院中です。そのため家事も青田さんが中心になってしています。このような事情から、家族全員の転居はもちろん、病気の奥さんを置いたままの単身赴任ということは考えられません。
上月さんは、中学生と小学生の息子さん二人、奥さんと、要介護状態のお母さんの5人暮らしです。お母さんの介護は、上月さんと奥さんが交代でしなければなりません。いくら介護サービスを受けられるといっても、1日中介護をしてくれる他人はいません。このような事情から、家族全員の転居はもちろん、介護が必要なお母さんを置いたままの(奥さん一人に介護をまかせる)単身赴任ということは考えられません。
このような二人の事情については、会社は事前に知っていたにもかかわらず、裁判になると、初めて聞いたと主張をしています。また、介護休業などの便宜措置を利用しなかったと非難しています。しかし、二人は奥さんやお母さんの状態が悪化したことから会社に対して、勤務時間の配慮を求めて上司に願い出ていましたし、会社の言う便宜措置は、もともと従業員に周知されていなかったし、仮に知っていても無給なので誰も利用しないという程度のものです。
しかも許せないのは、詳しい家庭の事情を知らないのに、会社はこうすれば介護ができるとか、単身赴任ができるとか、無責任に主張していることです。これこそ、ネスレの体質でしょう。
二人を姫路工場で働かせろという仮処分の裁判は始まったばかりです。配転命令の効力を巡って、裁判所の一般的な考え方は、会社側に有利な判断をしていますから、全く楽観はできません。
しかし、ネスレのこのような非人間的な横暴を許すわけにはいきません。困難な事情があっても、家族と共に姫路の職場で働き続けたいという二人の当たり前の要求が認められないということになれば、ますますネスレはやりたい放題のリストラを拡大していくでしょう。今回の裁判では、二人の雇用を確保することを会社に認めさせ、遠隔地への配転をやめさせることが必要です。
ネスレは、各地の裁判所や労働委員会で何度も断罪され続けていますが、全く反省することなく、各地で不当解雇や差別的取扱等を繰り返しています。日本の法律を守ろうという姿勢が全くありません。従って、今回の事件も長期間にわたる可能性があります。
早期解決を目指して、民法協の会員の皆さんのご支援をお願いします。
なお、弁護団は、姫路総合法律事務所の竹嶋、吉田、土居の各弁護士と西田の4名です。
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6月21日、午後1時20分より2003年度民法協実務研修会が、神戸産業振興センター9階会議室1で開催されました。今年の実務研修会は、これまでとは少し趣向を変えた内容で、事務局弁護士・幹事組合で任務分担を行い、労使に分かれ『模擬団交』を行っていくという内容のものでした。
はじめに、「オーナー社長でない他の役員が交渉に出てきた場合」と「派遣先会社との団交は許されるのか?」をテーマに、萩田弁護士の進行により模擬団交が行われました。「他の役員が交渉に出てきた場合」における論点は、「誠実交渉義務」の履行にありますが、大阪地裁において、「団体交渉応諾義務は、ただ単に団体交渉の場に出席し、組合の代表者に会えばよいとか、これと会話を交わせばよいというのではなく、当然に、誠意を持って、誠実に交渉を行うべき義務をその内容として包含するものと解するのが相当である。(1980.12/24 大阪地判 大阪特殊精密工業事件)」との判決が出ていることからも明らかなように、この設例については、労組法7条2号の「不当労働行為」を構成していることとなります。「派遣先会社との団交」についての論点は「使用者の概念・定義(雇用関係・支配関係)」にあります。この設例においては、「労働組合法7条にいう『使用者』の意義について検討するに、一般に使用者とは労働契約上の雇用主を言うものであるが、同条が団結権の侵害に当たる一定の行為を不当労働行為として排除、是正として正常な労使関係を回復することを目的としていることに鑑みると、雇用主以外の事業主であっても、雇用主から労働者の派遣を受けて自己の業務に従事させ、その労働者の基本的な労働条件等について、雇用主と部分的とは言え同視できる程度に現実的かつ具体的に支配、決定することができる地位にある場合には、その限りにおいて右事業主は同条の『使用者』に当たるものと解することが相当である。(1995.2/28 最高三小 朝日放送救済命令取消事件)」であることから、この場合においても「団交拒否」を行った場合には不当労働行為に相当します。
続いて「団体交渉のルール」をテーマに、増田弁護士を進行役に摸擬団交が行われました。このテーマの論点は、「A会社はB組合を従業員を代表する唯一の交渉団体と認める『唯一交渉団体約款』を理由にX組合との団交を拒否しうるか?」と「団交に応じる前提条件としての組合員名簿・組合規約提出の必要性」「会社側が予備折衝を求めてきた場合の対応」「上部団体役員の団交出席の是非」「団交ルール(開催場所・交渉時間・交渉人数)設定の必要性」等が挙げられますが、それぞれ「少数組合といえども労組法上の組合である以上、団交権を有していることから、使用者には団交応諾義務が生じるため、『唯一交渉団体約款』は法的には効力を有しない。」「解雇撤回の団交申し入れに対しては、被解雇者が組合員であることを明らかにすれば、他の組合員名簿等を提示する必要は無い。組合員名簿等の不提出を理由に団交を拒否した場合は、不当労働行為にあたる。(1969.2/28 東京地判 新星タクシー事件)」「正常な団交開催に必要な予備折衝の開催は適法。(1990.4/25 東京高判 博多南郵便局事件)」「交渉担当者=労働組合代表者及び労働組合の委任を受けた者であることから、上部団体役員の団交出席は適法。(労組法第6条)」「就業場所以外での団交開催については、正当な理由がある場合は適法(1987.11/30 大阪地判 四条畷カントリークラブ事件)。但し、交渉時間・交渉人数について必要以上の制限を課することは違法。(1987.9/8 東京高判 商大自動車教習所事件)」との見解が示されています。
その後、「人事異動・人事考課・査定制度・経営資料の開示」をテーマに、本上弁護士の進行で摸擬団交が行われました。まず、「人事異動」については「具体的な人事異動の必要性・期間・異動に伴う労働条件の改善・人事異動の手続き等について、組合から要求がなされた場合には、使用者は、人事異動の必要性・配転対象者として選択した理由等について十分な説明をし、組合が要求する労働条件の改善が不可能であるなら、その理由を具体的に説明して組合を説得する試みをなす義務を有する。(1997.9/22 東京地判 カール・ツアイス事件)」こととなります。また、「人事考課・査定制度」についても、「給与制度の公開・昇進・昇格の基準の明示に係る団体交渉の申し入れがあった場合は、各職位と職務等級との対応関係を明らかにすると共に、給与レンジ・職務業務別メリット昇給率表・昇給時期基準表及び人事考課表を提示し、十分説明するなど誠意を持って交渉に応じなければならない。(1994.4/19 東京地労委 日本IBM事件)」こととなります。同様に、「経営資料の開示」についても、「会社の経営状態に関する説明の正当性について多分に疑問の余地があった場合、会社側が団体交渉において経営実態を把握するための資料提供を行わなかったことは誠実に団交に応じなかったものであることから不当労働行為を構成するものである。(1989.12/19 青森地判 東北測量事件)」ことから資料開示義務が生じます。
最後に、「組合間差別」をテーマに、白子弁護士を進行役に摸擬団交が行われました。ここでは、多数組合が雇用確保を前提に「労使協調・合理化協力」を受け入れたのに対して、それを拒否した少数組合に対して「昇給停止」「一時金不支給」したことが、「不利益な差別取扱い」に当たるのかどうかが論点となっています。結論としては、使用者は複数労組に対して団結承認義務を負う(団結権平等の原則)。組合間の組織数に格差がある場合、多数組合との交渉を先に行うなどの行為がただちに不当労働行為となるとまでは言えないとしても、それが少数組合の弱体化を図る等の不当な動機目的で行われたと認められる場合には不当労働行為となる。従って、労働組合の独自性から言えば、少数組合であっても、その主張(交渉方針)は保護されるべきであることから、「不利益な差別扱い」をしたこととなります。
以上の内容をテーマに「摸擬団交」が行われましたが、臨場感溢れる?雰囲気に会場を埋め尽くした聴衆は真剣に聞き入っていました。時には、アドリブを効かせ過ぎて、「シナリオ」を大きく脱線する一幕もありましたが、午後3時過ぎに実務研修会は無事終了しました。
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兵庫民法協の40周年記念祝賀会が、6月21日、神戸産業振興センターで多数の出席のもと、華々しく開催されました。
第1部では、まず、羽柴弁護士が「労働弁護士28年間を振り返って」との演題で講演。弁護士4年目から民法協の事務局長に就任し、国労人括裁判、関電賃金差別事件、西神テトラ事件等々の重要事件における弁護団の中心としての奮闘振りが話されたのですが、「労弁は労働者になりきらなければ闘いは続かない」との言葉が印象的で、先生が、労働事件において資本に対する腹の底からの怒りのもとで労働者と一緒に闘ってこられたことがよく理解できました。
続いて、たった1回残業を拒否して解雇され、日立相手に33年間闘ってこられた田中秀幸さんが「NOと言える自由・アフター5の自由を掲げて33年」の演題で講演。講演に先立ち上映された、田中さんの闘いの軌跡をまとめたビデオ「あっぱれな親不幸・日立にNOといった男」が、日立と最高裁に一歩もひるむことなく闘い続けてきた田中さんの凄さがよくわかる秀逸なビデオで、その後の講演における自信にあふれた話ぶりも最後まで闘い抜いてきた人だからこそできる話であったと思います。
2部の懇親会でも、田中さんの美声や歴代事務局長、幹事の話でおおいに盛り上がりました。また、最後にこれまでの兵庫民法協の歴史を振り返るスライド上映がなされたのですが、神戸弘陵学園の浅野先生の事件の1審判決で野田弁護士の渋い表情が映し出されたとき、1審の思いもよらない敗訴判決の直後の写真で、このとき野田先生は「裁判は最後に勝てばよいのだ」とコメントしたとの声が会場から上がったのが印象的でした。ご存知のとおり、浅野先生の事件は最高裁で逆転の勝訴判決で終わっており、何事も諦めないで最後まで頑張ることの重要性を改めて教えられた次第です。
我々の代表を地労委の労働者委員に任命させる闘い、全日検の第2次訴訟、川重・新日鉄の賃金差別等々、兵庫県内では重要な労働事件がまだまだ山積みとなっておりますが、今後も弁護ァD21/士、学者、労働組合、労働者で組織された民法協のョ利点をフルに活かし、どの事件でもよい結果を獲得して、50周年ではまたいろいろと楽しい話ができるよう、お互いに元気で頑張りましょう。
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