宮永修氏は、高校卒業後、昭和32年11月に有機化学製品等製造・加工を業とする株式会社日本触媒に入社し、平成10年6月30日に定年退職するまでの間、姫路工場で主として化学製品製造の現場で働いてきた。その間、一貫して職場の労働環境の改善を求め、日本触媒支部執行委員・中央執行委員になるなど組合活動の中心的立場におり、例えば昭和39年ころから姫路工場で多数の労働者が、てんかん等による倒れる事態となったニトリル中毒事件の際にはこれを隠蔽・矮小化しようとする会社に対し、スト権を確立して安全確立を迫るなどした。その後も、労働者職場懇談会(組合の変質を受け、真の労働者のための労働環境・条件の改善を求めるべく結成された)組織の会長を務めたり、組合の中央執行委員正副委員長に立候補し落選するものの労働環境の改善を訴え続けた。
また、入社後から日本共産党を支持し、日本触媒日本共産党後援会の会長も務め、公職選挙の際にはその支持を求めた。
日本触媒は、ニトリル中毒事件後、労働組合の弱小化・変質を企図する一方、原告ら中心的活動家への差別を強化し始めた。会社労務係は、その名前で発行していた職制誌等で反共産主義宣伝と、これを信じる勢力の増加への「長期的な対策」の必要性を工場長名で訴えた。また、個別の職制に対してもスト罪悪視を教育する資料を配付していた。さらに係長・副主任の会である士会との蜜月を強化し、共産党系候補者をレッテル付けして、「良識派候補」を当選させるべく組合選挙に介入した。組合活動家の集会の際には、労務担当者等が監視を重ねた。労務担当課長が、活動家の実家を訪問したり親を呼び出す、隔離職場に活動家を集めるなどの思想攻撃もした。そして、職級制度を背景に、労働活動家・中間採用者・女性への差別を恒常化し上級職1級3号、2級3号に滞留させた。かかる差別は姫路工場だけでなく吹田工場などでも存した。吹田工場では「職級制度の運用・任用を考える会」が永らく差別是正を訴えている。
原告は同期同学歴入社者33名の中で昇級(退職時2級3号)についても賃金についても最下位の位置におかれた。また触媒充填作業などの過酷な作業のみに配転された。更に平成2年からは,同期入社のM主任のもとに配属されたが、恣意的・集中的に他部署の過酷な応援作業に配転され、その間の人事考課がなされないなどの仕打ちを受けたり、逆に大量の書類をワープロ打ちさせられ、ミーティングから村八分にするなど露骨な差別を受けた。宮永氏は、これまで再三賃金等差別の是正を会社や組合に訴えたが、取り入れられず、平成7年には差別是正の民事調停を姫路簡裁に申立をしていた(取り下げにて終了)。しかし差別は是正されることなく、平成10年6月末に定年退職した。
退職後、宮永氏は、自らが受け続けてきた差別の是正と今なお会社に存在する差別の是正を求めて法律相談を重ねていたようである。しかし、差別を直接法的手段で訴えようとしたのは原告1名だけであり、いわゆる大量観察的方法による違法差別の立証が困難であること、また運動論としても、たった1名の訴訟では会社を追いつめるに足りないこと、過去の会社における差別体質を伺わせる文書はあるものの決定的なものに残念ながら欠けること、原告の昇級・昇格差別は、いわゆる「離れ小島」ではなく、最下位ではあったが、同期他従業員の末尾に「付着」していたことから極めて困難な訴訟であることが予想された。宮永氏が神戸合同法律事務所を訪れた当初は、高橋敬弁護士と私も本件訴訟の遂行は困難であるとして柔らかにお断りせざるを得なかった。しかし、宮永氏の差別是正への思い・執念は凄まじいものがあり、数だけを言えば100を上回る書証をまとめられ、後に100頁に近い陳述書に結実する経過説明書を作成されてきた。また、種々の事情から訴訟には参加しないものの宮永氏を支える支援者や自らの差別について証言をしてくれる従業員証人も確保できる見込みついたこともあり、平成11年3月に神戸地方裁判所姫路支部に提訴した(平成11年(ワ)第212号)。請求金額は、同期の中間的昇進者と思われる某氏との提訴前3年間の賃金・賞与・退職金差額855万8893円を損害ととりあえず推計し、これと慰謝料500万円の支払いを求めた(代理人弁護士 高橋敬・辰巳裕規)。
提訴後、毎回数多くの支援者に宮永氏の裁判を傍聴いただいた。その中には吹田工場で差別を受けておられる方々や同一の裁判所に係属する新日鉄訴訟の原告の方などがおられた。訴訟の最初の壁は、同期従業員の昇級・昇格状況の証拠開示であった。被告会社は、組合員の情報は開示したものの、非組合員=管理職の給与に関する証拠開示は頑なに拒んだ。しかし同期入社者の過半数は管理職に昇進していたこと、その開示が単に損害額の立証のためだけではなく、差別の存在そのものの立証のためであることを賃金台帳の文書提出命令申立を通じて主張したが、裁判所は、被告会社から中間に位置する管理職の賃金等を釈明させることと引き替えに文書提出命令の必要性を認めなかった。その後、原告側従業員証人2名、被告会社労務担当者証人及び平成2年以降の上司であるM主任の証人尋問が行われた。その尋問の中で被告会社の公平性を装う職級制度においても恣意的運用は排せないこと、M主任の人事考課・配転が、規定を無視する恣意的なものであり、かつ宮永氏に不利なものであったことが浮き彫りになった。また被告会社からは、宮永氏の仕事ぶりをおとしめる多数の陳述書と低査定の人事考課表・M主任の証言がなされたが、同氏の働きぶりについては原告側従業員証人2名と原告本人の詳細な陳述書と裏付け書証そして原告本人尋問で対応した。もっとも、やはり原告1名だけの訴訟であり、「客観的」な思想差別の存在の立証が不十分であったことは否めず、決定力を持つ証拠にも乏しい状況で、訴訟外での会社との組織的交渉なども皆無であった本件では全面的敗訴も覚悟せざるを得ない状況であった。しかし宮永氏は、公正な裁判を求める署名を自ら大量に集めるなど最後まで精力的に取り組まれた。また裁判とは離れるが弁護士費用の敗訴者負担制度への反対署名を大量に集められた。
平成15年9月22日に神戸地裁姫路支部合議係(島田裁判長)にて判決が言い渡された。被告は、原告に対し、「金100万円」を支払えとの(ごく)一部勝訴(?)判決であった。裁判所の判決の構成の概略は下記のとおりである。 (1) まず被告会社の反共・組合活動家敵視の労務政策の有無については、「被告は、昭和41年当時及び昭和57年前後ないし昭和41年以後昭和57年前後にかけて、共産党員ないし組合活動家を敵視する意思を有していたことが認められる」として過去の差別体質を認定した。しかし、「それ以後の時期において、被告が同様の意思を有していたことや共産党員や組合活動家に対して処遇上の不利益を与える労務政策が採られていたという具体的な事実を認めるに足りる証拠はない。」として、過去の差別体質の継続性を否定した。被告会社では、過去の差別体質を精算する行為などなされていないのであるから、差別体質の改善など認められないはずである点で不服である。しかし昭和58年頃以降の会社の組織的差別を裏付ける有力な立証に欠いていたこと、実態としても、遺憾ながら日本触媒での組合介入・活動家攻撃が「功を奏し」その後の労働運動が少なくとも姫路工場では活発とは言えなくなったことを被告有利に解した事実認定であるとも言える。
(1) まず被告会社の反共・組合活動家敵視の労務政策の有無については、「被告は、昭和41年当時及び昭和57年前後ないし昭和41年以後昭和57年前後にかけて、共産党員ないし組合活動家を敵視する意思を有していたことが認められる」として過去の差別体質を認定した。しかし、「それ以後の時期において、被告が同様の意思を有していたことや共産党員や組合活動家に対して処遇上の不利益を与える労務政策が採られていたという具体的な事実を認めるに足りる証拠はない。」として、過去の差別体質の継続性を否定した。被告会社では、過去の差別体質を精算する行為などなされていないのであるから、差別体質の改善など認められないはずである点で不服である。しかし昭和58年頃以降の会社の組織的差別を裏付ける有力な立証に欠いていたこと、実態としても、遺憾ながら日本触媒での組合介入・活動家攻撃が「功を奏し」その後の労働運動が少なくとも姫路工場では活発とは言えなくなったことを被告有利に解した事実認定であるとも言える。
(2) 次に「被告による差別的行為の有無」については、過去の原告への過酷な職務への配転は「有機化学製品…の製造、加工等を業務内容とする被告の従業員としては…やむを得ない…他の従業員との比較において原告のみが過酷な業務に従事させられていたことを認めるに足りる証拠もない」として過去の差別的取扱を否定したが、M主任のもとに配属された平成2年9月1日以降については「不利益な処遇を受けていたと認めるべきである。」とした。また、原告1名の訴訟ではあるが、原告従業者証人の証言やこれまで多くの者が差別を訴えていることを背景に「大量観察的方法」による違法差別の認定を求めた点については、本件では他従業員の具体的な差別の立証がないとして採用を否定した。その上で本件のような原告1名を対象とする人事考課をめぐる訴訟について「人事考課による従業員の処遇決定には被告の裁量権がある」が「この裁量も全くの自由裁量ではなく…差別的な人事考課は、裁量権を濫用した違法な人事処遇というべきである。」とし、その立証責任について「かかる人事考課の正当性を裏付ける証拠が使用者の手中にあることに鑑みれば、労働者の側にそれが正当でなかったことの立証責任を一方的に負わせるのは相当とはいえず、労働者において指定された担当業務について通常程度の業務遂行能力を有しているにもかかわらず、相当に低い評価にとどまっているなど、人事考課の正当性を疑わせるに足りる程度の一応の立証がなされれば、使用者の側において、人事考課が正当に行われたことを個別具体的に立証すべき責任を負うもの」として、「その反証がなされなければ,その人事考課は、裁量権を濫用した違法な人事処遇に該当すると推認するのが相当である。」と規範定立した。そして、本件では、原告は「通常程度の業務遂行能力を有していたことが一応認められる。」「平成2年3月以後における原告に対する人事考課の方法には不適切な点が散見される。」と認め、「正当性を疑わせるに足りる程度の一応の立証がなされている」とし個別具体的な反証がない本件人事考課は「裁量権を濫用した違法な人事処遇に該当するものと推認することができる」とした。もっともこの違法な人事処遇が、被告会社の思想差別に基づくものであるとの立証はないとし、思想差別との切断がなされている。被告会社の過去の思想差別体質と「その後」の原告への不利益処遇を「切断」した裁判所の思考過程に不服がある。
(3) 損害及び消滅時効論について 昇格差別については、管理職・特別上級職への昇格に値する能力・適性を認められず、管理職を含む同期入社者との差額を損害とすることはできないとし、賃金差別についてもまた実際に支払われた賃金以上を得られた蓋然性を認めるに足りる証拠はないとして否定した。しかし、不利益な人事考課の結果として、昇格の有無はともかく、毎年の賃金がなんらかの割合で低査定されていることは明らかであり、また一般論としてではあるが過去の低査定による累積差額部分は低査定時ではなく各支払時期到来より時効が進行すると示しているのであるから、何らかの(例えば組合員における平均賃金あるいは下から2番目の同期入社者との差を基礎とする)差額賃金が損害として認められなければならないはずである。それを昇格差別の次元の問題と混同し共に否定した点で極めて不当である。そして損害としては不利益な人事処遇を受けたに対する慰謝料のみが認められるが、その慰謝料は各違法行為の存在時期より個別に進行すること、本件は労働契約上の債務不履行ではなく不法行為の問題であるとして、過去3年分のみの不利益処遇に対する慰謝料を100万円だけ認容した。適正な人事処遇を受けさせる義務も労働契約上の雇主としての義務であること、差別が一定の差別意思に基づいて継続的に行われていたことから不利益処遇全体について不利益処遇離脱時から消滅時効が進行すると解すべきであろう。
本件判決は以上に述べたとおり、組織的差別を認めながらもこれを「過去のもの」とし、それ以後の原告の不利益処遇と時的に切断していること、原判決を前提としても賃金差別が損害として認められるべきことなど承服しがたい点があり、控訴を検討したが、控訴審において更なる有力な立証方法が見当たらなかったこと、むしろ控訴審において会社から平成2年以後の原告の「働きぶり」への「反証活動」が予想されること、数少ない差別裏付け書証から細い糸で点を繋ぎ,不十分ではあるが「過去の差別体質」を認めた原判決の事実認定が控訴審において必ずしも維持できるものではないこと、支援体制の確立困難などから控訴は断念した。被告からの控訴も予想されたが控訴はなされないまま10月6日に上記判決は確定した。本判決の問題点の責任はひとえに弁護団が負うべきものであるが、たった一人で果敢に会社に挑み、会社の差別意思の認定と100万円の慰謝料を勝ち取った功績はひとえに宮永氏の努力によるものである。証拠上確実なもの以外は全てを排斥し、ミニマムな事実認定方法を採用した裁判所(証拠上確実なものまで排斥しなかった点では良心的な面はある。)をして慰謝料だけでも認めさせた主要因は、たった一人でもあきらめなかった原告の執念と毎回傍聴をしてくださった支援者の思いの結晶である。また、「限界事例」にこの上ない力量を発揮する高橋敬弁護士の職務姿勢には同事務所ながら頭が下がる。本件を「蟻の一穴」として、日本触媒における差別の是正に結びついていって欲しいと祈念する。
1 株式会社神戸マンナ低温サービス(以下会社といいます。)は、菓子類、生鮮食料品の受・発注業務の代行業、これらの貨物自動車による運送業を主たる業務とする、従業員数50名超の会社です。現在ある事業所は、須磨区弥栄台の本社だけです。
ただ会社には、京都府久世郡久御山町に本社を置くマンナ運輸株式会社という親会社があり、社長は同一人物です。
2 会社では、ドライバーは全て準社員もしくはパートで、構内作業の管理業務を中心業務とし、ドライバーの欠員補充もする正社員とに区分されています。
國賀由美子さん(昭和38年3月9日生)は、1995年4月に、準社員として会社に入社、当初は、トラックのドライバーとして稼動していましたが、1997年1月に正社員に登用され、構内管理業務にも従事していました。1998年1月には年間無事故2年間で、会社から表彰も受けています。
3 ところが國賀さんは、正義感の強い人で、管理職の理不尽な言動に毅然として抗議をしたことなどから次第に特定の管理職から嫌悪されるようになります。
更に、1999年6月には、年令給の取り扱いに男女差別があるとして、神戸西労働基準監督署に労基法違反の申告をし、調査、是正勧告がなされることになりました。このとき会社は、2年間遡及是正を求められたにもかかわらず、是正対象となる女子労働者である國賀さんほか1名に、遡及是正を放棄することを求めました。同時に誰が労基署に申告したのか探索をしました。1名は簡単に放棄しましたが、國賀さんは放棄に応じず、労基署に行ったかどうかの質問にも回答しませんでした。1999年10月、このため社長らから長時間にわたり、どなりあげられた挙句、遡及是正を放棄する書面にサインをさせられ、かつ正社員であるにもかかわらず構内管理業務をはずされてしまいました。
4 その後の会社の國賀さんに対する取り扱いは、酷いもので、深夜一人乗務の便に乗務させる、厳冬期に屋外での雑作業に長期間従事させるなど、國賀さんが意欲を失って自ら退職する道を選ぶようにしむけました。しかし、2001年4月、國賀さんは、自分一人で頑張るだけではなく、雇用保険、社会保険の打ち切りをされた準社員の権利問題にも関心を寄せ、ともに組合加入をして、闘う道を選びました。2001年5月に國賀さんは外2名の労働者とともに建交労兵庫合同支部に加入しました。ところが当時の建交労兵庫合同支部の担当者の不手際もあり、公然化しないで、支部の担当者が1度だけ準社員の雇用保険、社会保険打ち切り問題で、会社に交渉申入れをしたものの、組合作りがなされないうちに新たな攻撃を招いてしまいました。2002年8月1日、國賀さんは、深夜勤務の時間帯の業務に配置転換の命令を受けたのです。
これは改正均等法の施行にあわせて、女子の深夜業禁止を撤廃した労基法改悪に悪乗りしたものです。もともと入社時には、深夜業が禁止されていたのですから、國賀さんには深夜業に従事する義務がないのですから、國賀さんが、この配置転換を拒否したのは言うまでもありません。すると会社はすかさず懲戒解雇をしてきました。
5 2002年9月27日、國賀さんは、解雇無効・従業員地位確認の本訴を神戸地方裁判所に提起しました。会社は、深夜業への配置転換命令拒否による懲戒解雇だけでは勝てないと思ったのか、いろんな名目の非違行為を並べあげ、予備的に普通解雇まで主張しています。
これまでに会社申請により会社の社長、専務の尋問、國賀さん側申請の証人及び國賀さん本人の尋問が終わり、証拠調べ終了の予定でしたが、会社が、改めて数名の証人尋問を強硬に要求しました。裁判所もこれまでの了解事項に反するものと釘をさしましたが、会社の要求は強硬で、早期判決に水を差す動きとなっています。
激励先 建交労兵庫合同支部/國賀由美子
9月6日(土)、グリーンホテル明石において民法協第41回総会が行われ、のべ32組合・団体、44人(うち弁護士6名)が参加した。
大橋恭子弁護士(大阪・あべの総合法律事務所)から、設立から2年間の報告があった。
毎年、父の日に全国で「過労死110番」が行われているが、過労死した労働者の遺族からの深刻な相談に加えて「働き過ぎで、今にも死にそうだ」、「残業しても残業代が支払われない」という相談相談も多数寄せられる(兵庫でもそうである。)。何とか過労死をなくすためにも、現在進行している長時間労働を何とかできないかという問題提起があり発足した。「オンブズマン」は、長時間過密労働の温床となっている「サービス残業(ただ働き)」をなくすため、労基法違反について、労働者やその家族による労基署への告訴、告発、申告、通告という手続きに助言・協力するとともにその代理人として告訴、告発を行う市民団体として誕生した。2001年9月、7つの企業を大阪労働局に告訴、告発し「サービス残業(ただ働き)は犯罪」であることをアピールした。
「オンブズマン」は、ホームページ(http://www004.upp.so-net.ne.jp/rouki/)を立ち上げたところ、本年8月末で52000件のアクセスがある。掲示板を開いて様々な相談への対応を行い所属の弁護士が即座に対応している。またメールを通じての相談も増えており、相談も一気に全国に広がった。同8月末で、223通の相談が寄せられている。
業種、企業規模に関係なくあらゆる職場にサービス残業(ただ働き)が存在する。全く残業代が支払われない職場、残業代頭打ちの職場、「36協定」が存在しない職場も多い。
日本ペイントの労働者の妻から相談をうけ、出勤時間、帰宅時間を記録させ、それを根拠に労基署に告発し、「匿名性」を維持したままで当該職場の未払残業代を支払わせることにも成功した(ちなみに、夫である労働者も妻の告発を知らないとのこと)。
しかし、労基署が定期調査を装うなど予告なしに着手しないと、記録が改ざんされたケースもある。午後9時以降の社内メールが全て削除されたり、タイムカードの改ざんが行われたりしたケースもあった。
また、労働者本人が職場を変えていこうと意欲を持てない場合、少人数の職場で申告者が特定されてしまう場合に限界が生じている。
労働者が、「これはおかしい」といっていかに立ち上がるか、1人が立ち上がれば職場を変えることができる活動である。
現在、司法書士、社会保険労務士との合同学習会を行い、司法書士が主体となって、10月10日に「サービス残業代を返せ110番」がおこなわれるなど、活動の輪が広がりを見せている。
特に、労働基準法「改正」について、使用者の解雇自由を明記した政府原案を大きく修正し、権利を濫用した場合の解雇を無効とするものとなった点につき詳しく報告された。
*第18条の2 解雇は、客観的に合理的な理由を欠き、社会通念上相当であると認められない場合は、その権利を濫用したものとして、無効とする。
政府案では、解雇ルールに関して「法律で制限されている場合を除き、使用者側は労働者を解雇できる」と明記されていたが、これでは労働者保護法としての現行法の性格を抜本的に転換させるものであり、日弁連など法曹界も厳しく批判してきた。
成立した労基法「改正」法では、解雇ルールについて「解雇は、客観的かつ合理的な理由を欠き、社会通念上相当であると認められない場合は、その権利を濫用したものとして、無効とする」とし、原案の危険な要素を削りこれまでの判例を具体化したものとなっており、評価することができる。
さらに、参議院の附帯決議で、「整理解雇4要件に関するものを含む裁判例の内容の周知を図る」こととされたのは大きな成果である。
また、使用者によるルール無視の無謀なリストラが横行する中で、解雇規制が法律上明確化されたこと、解雇権濫用について衆議院の附帯決議で「解雇権濫用の評価の前提となる事実のうち圧倒的に多くのものについて使用者側に主張立証責任を負わせている現在の裁判上の実務を変更するものではないとの立法者の意思及び本法の精神の周知徹底に努めること」と使用者側に主張・立証責任を負わせていることの確認がなされたことは重要である。
@全日検:判決を無視した会社の就業規則再改悪に対して第2次裁判を提訴。
A宝塚映像の闘いの広がり。
B私教連:神戸弘陵、須磨学園での勝利的解決。
C建交労:西神戸レミコン運輸の全員解雇事件に対し、6万枚のビラ配布、のべ2000人の行動参加で勝利的解決。
D川崎重工争議団:10月24日、川重包囲、全日検との共同行動を予定。
去る10月24日に全労働の曽田さんから労働監督行政の現場における不払い残業とそれに対する厚労省の取り組みの実情などをお聞きした。
2003年に「改正」された労基法は平成16年1月1日に施行される。
財界は、労働時間と賃金との結びつきを解いて、時間ではなく成果で賃金を決めるシステムを浸透させるため、労働時間規制の緩和を着々と進行させている。2003年「改正」でも企画業務型裁量労働制の要件が緩和されたが、この間、裁量労働制、変形労働時間制など労働時間の原則(1日8時間、週40時間制)が崩されつつある。
財界はさらに管理職に対する労働時間規制の廃止をもくろみ、アメリカで実施されているホワイトカラーイグゼンプションの導入を検討している。
このような労働時間規制の緩和は、労働者間の競争を激化せしめ、団結の基礎が掘り崩されるおそれがある。
(1) 不払い残業は労基法37条違反として罰則(6月以下の懲役又は30万円以下の罰金)の適用がある。
(2) 厚労省は平成13年4月「労働時間の適正な把握のために使用者が講ずべき措置に関する基準について」という通達を出して、不払い残業をなくす前提として、労働時間を適正に管理し、使用者が労働者の実労働時間を正確に把握する(確認し記録する)ことを求めた。
(3) 平成15年5月には「賃金不払い残業の解消を図るために講ずべき措置等に関する指針」を出し、不払い残業をなくすための具体的な労使の取り組みについての指針を与えた。
(4) このように、厚労省も不払い残業に対する社会的な非難に対して、具体的な対策をとらざるをえなくなっている。
平成13年12月に「過労死」の認定基準が改められ(発症前6月の勤務の過重性を評価対象にする)、従前よりも過労死認定の要件が緩和された。
平成14年2月には厚労省は過重労働対策として、「過重労働による健康障害防止のための総合対策について」を出して、使用者に対して、労働時間管理を適正に行うことと健康管理の徹底を求めている。その通達では、月45時間を超えると「過労死」の危険が高まること、月100時間を超えると「過労死」の危険がきわめて高くなることを指摘している。
「過労死」認定基準の改正により、平成14年度の脳心疾患に関する労災申請819件の内317件が業務上認定された。その内、脳心疾患で死亡したケースについては160件が認定された。前年度と比較して申請自体は129件増加し、認定件数は174件増加し、死亡のケースについては102件の認定増があった。
不払い残業があったとして労基署の指導により1社で100万円以上支払ったケースをまとめると、
2001年4月〜2002年9月(1.5年)41社 18億2600万円
2002年10月〜2003年3月(0.5年)25社 1億4800万円
に達している。指導の対象となったのは、割増賃金の定額制とか、自己申告制で正しい申告をさせないというケースであるが、大半は何らかの内部情報を得て、監督指導を行ったものである。
内部の詳しい情報がないと指導がしにくいというのが実情であるが、不払い残業の防止は労働局の最重点施策と位置づけられているので、詳細な情報があれば必ず調査をすることになっている。
たとえば、労働時間管理の方法、不払い残業の実態等についての情報があれば、夜間、不払い残業の現場に調査に出向く(夜間臨検)ということも行う。
(1) 残業をさせるためには36協定が必要であり、一応1月45時間、年360時間の限度時間が設けられているものの、労使で特別条項を作れば、限度時間を超えて残業させることが可能になってしまい、限度時間を設けた意味がなくなってしまう。
そこで、厚労省は平成16年4月から「特別条項を設けることができる期間を年間6ヶ月以内にする」という特別条項を規制する通達を出すべく準備している。
(2) 規制を守らせる立場の労働省職員がリストラで減らされており、2003年度は兵庫県下の労働省職員が8名減員となった。神戸市内の監督官は17、8名しかいない。監督行政を十分発動させるためには監督署の充実が必要である。
(1) タイムカードの記録が正しくない、ICカードの場合はコンピューターの操作で時間を調整している等、形式上時間管理がなされていてもその正確性に疑問がある場合がある。
←この場合は,不正確であることをどのようにして裏付けるかがポイント
(2) 管理職は帰ってよいと言うのに、タイムカードを押した上で自分から残業をしているケース←形式上残業命令がないとしても黙示的な残業の指示がある(期日が決められ残業しないと片づかない業務を命じられた場合は黙示的な残業といえる)か否かがポイントになる。
(3) 今後、成果主義賃金のもとで不払い残業をしてでも成果を上げた方がいいという労働者が出現するのではないか。
←平成15年5月厚労省の通達では残業規制に従わない労働者を使用者が評価をしないことを求めている。
(4) 中間管理職を含む管理職は管理監督者であるとして残業割増賃金を支払わないし、管理職の時間管理をしようとしない。
←残業規制の及ばない管理監督者(労基法41)とは、部長、工場長など労働条件の決定をする立場にある者で「管理職」とは異なる。
但し、法改正をして管理職について広く労働時間規制の適用対象からはずそうという動きがあるので今後注意を要する。
(5) 管理監督者ではないのに管理職には残業規制は適用されないとの誤った(?)理解のもとに36協定の対象人員の中に管理職の数を含めていないことが多い。
←36協定の届出の際に窓口ではその点を確認していないのが実情。
(6) 監督官の立ち入り調査の際に積極的に労働組合から事情聴取をするという姿勢がない。
←実務上は労働組合からの事情聴取をすることにはなっていない。
(7) 平成15年5月厚労省の通達では労働組合の協力が求められているが、そのことを使用者が逆手に取って、36協定違反の過重な残業をしている部署について労働組合に是正を求めるケースがある。
組合員の中には残業割増賃金を当てにして生活している労働者もおり、使用者が労働組合に責任転嫁する口実にされておそれがある。
(8) 自己申告制はやむを得ない場合に限るとされているが、それはどういう場合か。
←明確な基準はない。
労働時間に関しては労働組合がいろんな問題に直面していることがわかって大変参考になった。
成果が強調される中で、労働者の意識も変化し、業績を上げるためにサービス残業をいとわずに行う労働者が出現していることなど労働組合運動がますます困難になっているという実情も垣間見ることができた。
困難は多々あれども、今なら,厚労省も労働時間管理や不払い残業については、積極的に指導監督してくれる。チャンスを生かして具体的な改善を勝ち取ろう。
この度、民主法律協会に入会させていただいた、弁護士の瀬川嘉章と申します。
この10月から神戸あじさい法律事務所にて勤務しております。
小学校までを大阪で、高校までを石川県金沢市ですごし、その後、東京大学に入学し、卒業後バイトをしながら、平成14年に司法修習生となり、この10月に弁護士登録しました。現在33歳です。
@ 人として目指すところ
人のお話をうかがうときは、経験していない者として、虚心坦懐に聴き、まずはできるだけ共感してみるよう努めたいと思います。そして、どのような思いを抱いたにせよ、誠実に接しようと思います。そして、結果的に、人として信頼されればありがたいと思います。
A 弁護士としての方向性
自分は、確固とした価値観が定まっていないと思います。一方の当事者の話をきいても、反対の当事者の利益にも共感してしまうことが多いです。しかし、迷いながらも、以下のとおり、市民の立場で仕事をしたいと考えるに至りました。すなわち、私は、人は、生まれ育った境遇、環境、その人の個性の方向性と社会で重視される価値とのめぐり合わせ等から、結果的に特定の立場に立っているだけであり、どの立場にも良いとか悪いなく、立場によって人間の本質が変わるわけではない、だからどの立場の人間も対等に尊重されなければならず、また異なる立場の人を互いに思い遣らなければならない、しかし、現実には、やはり強い者は放っておいても尊重され、また弱い者を虐げていると、考えています。そのような思いの中で自分が進むべき方向性を考えたときに、弱い立場にある者が尊重されるべく仕事をしよう、自分は弱い立場の者に共感するところが他人よりも大きいのだから、と考えるに至りました。
B 興味のある分野
今は、少年の非行問題、労働問題、福祉問題に、特に興味をもっています。
ともかく、これからは責任がある立場となり、その責任を果たすためには勉強の毎日になると思っています。早く能力を身につけ、多くの人の力になれればと思います。
ご指導ご鞭撻の程を、よろしくお願い致します。