須磨区弥栄台に本社を置く株式会社神戸マンナ低温サービス(菓子類、生鮮食料品の受・発注業務の代行業、これらの貨物自動車による運送業を主たる業務とする。2003年10月3日に京都府久世郡久御山町に本社を置く親会社マンナ運輸株式会社に吸収合併される。以下単に会社という。)は、従業員数50名余りで、運転業務や構内作業を主に担当する準社員もしくはパート社員、構内作業の管理業務を主に担当する正社員とに区分し、一部の従業員を深夜時間帯の運送業務及び構内作業に従事させていた。
須磨区弥栄台に本社を置く株式会社神戸マンナ低温サービス(菓子類、生鮮食料品の受・発注業務の代行業、これらの貨物自動車による運送業を主たる業務とする。2003年10月3日に京都府久世郡久御山町に本社を置く親会社マンナ運輸株式会社に吸収合併される。以下単に会社という。)は、従業員数50名余りで、運転業務や構内作業を主に担当する準社員もしくはパート社員、構内作業の管理業務を主に担当する正社員とに区分し、一部の従業員を深夜時間帯の運送業務及び構内作業に従事させていた。
國賀由美子さん(1963年3月9日生)は、1995年4月に、準社員として会社に入社、当初は、トラック運転業務についていたが、1997年1月に正社員に登用され、主に構内作業の管理業務につくようになった。國賀さんは、1999年6月、年令給の取り扱いに男女差別があるとして、神戸西労働基準監督署に労基法違反の申告をし、調査、是正勧告がなされることになった。
同年10月、会社は、國賀さんを、正社員であるにもかかわらず構内作業の管理業務からはずし、構内作業や欠員補充の運転業務に専ら従事させるようになった。会社の國賀さんに対する取り扱いは、深夜一人乗務の便に乗務させる、厳冬期に屋外での雑作業に長期間従事させるなど國賀さんが耐え切れなくなって自ら退職の道を選ばせようというものであった。それでも退職をしないため、会社は、2002年8月1日、國賀さんが拒否することを見越して、深夜勤務の時間帯の構内作業を担当する係(マンナセンター1係。以下この名称を用いる。)に配転を命じ、國賀さんがこれを拒否したことを受けて、同月3日付で予告期間を付して懲戒解雇とした。
國賀さんは、2002年9月27日、解雇無効・従業員地位確認の本訴を神戸地方裁判所に提起した。会社は、訴訟において、マンナセンター1係への配転命令を拒否したことだけの理由では勝てないと思ったのか、職務怠慢、勤務態度不良、作業上のミスや不注意による事故が多い、他の従業員との協調性を欠く、言葉遣いが悪い、得意先からのクレームが多い等々いろんな名目の非違行為を並べあげて解雇理由の補強を図ってきたが、裁判所(神戸地方裁判所第6民事部19係)は、2004年2月27日、会社の主張を悉く排斥し、國賀さんの全面勝訴の判決を言渡した。
(1) 本件配転命令の効力については次のように判断した。
本件労働契約上一般的に配転命令権自体は認められるが、@本件労働契約締結時には女子深夜業は禁止されていたのであるから深夜勤務時間帯には勤務させないとの勤務時間限定の合意が成立していたと認められること、A就業規則上女子も深夜業に従事させることとなった後も単に女子深夜業禁止が解除されたに過ぎず、上記勤務時間限定の合意が変更されているわけではないことから原告をマンナセンター1係に異動させる本件配転命令は効力を有しない。
また仮に深夜勤務に従事させることができるとしても、原告をあえて深夜勤務となるマンナセンター1係に異動させなければならない必要性は認められず、労働基準監督署への申告やその他何かにつけ権利主張をする原告を疎ましく感じ、制裁ないし排除の意図をもってしたことは否定しがたく、不当な動機・目的による人事であり、かつ夜間勤務が女性従業員の健康及び生活に過大な負担を強いる可能性があり、その不利益性は社会通念上甘受すべき程度を超えるから、本件配転命令は無効である。
(2) その他被告があげる懲戒解雇事由は、本件配転命令前の事由であるが、被告がこれらにより懲戒解雇をしないで本件配転命令をしたのは、それらの事由だけでは懲戒解雇が相当ではないことを自認していると見ることができる。その点はさておいても、実際に、被告があげるその他の事由は、原告の職務怠慢、勤務態度不良、作業上のミスや不注意による事故多発、他の従業員との協調性の欠如その他の非違行為と言えるかどうか疑問であり、到底、懲戒解雇事由となり得るものではない。
(3) また上記の被告のあげる事由は、普通解雇の理由にもならない。
(4) よって本件解雇は無効である。
本件判ではもともと就業規則でも配転命令に関する規定がなく、また会社の代表者らの尋問で、被告会社では本人の同意を得て配転を実施しているとの証言があったのであるから、一般的に配転命令権がないとして簡単に結論に至ることもできたと思われるが、判決は、その点での結論を避け、敢えて本件配転命令の必要性、不当な動機・目的及び不利益性を逐一検討し、全てにわたって原告の主張を認めた。その意味で、原告の完勝、被告の完敗であった。
被告は、もはやこれ以上争うことは不可能と見て、いち早く控訴を断念し、賃金を支払っただけではなく、原告を差別が始まる前の構内作業の管理業務に戻すことを表明し、原告も本日(3月16日)から元気に出勤をしている。更に会社は組合との間で、労働条件などの変更の場合には事前協議・同意の上実施するとの協定書をとりかわした。
これまでのところ、ほぼ完勝と言っていいだろう。
このページのトップへ1 先日東京都立川市で自衛隊のイラク派兵に反対するビラを防衛庁官舎の郵便受けに配布した市民3名が住居侵入容疑で立川署に逮捕され、市民が所属していた自衛隊監視テント事務所や関係者の自宅が捜索されて名簿や手帳などが押収されました(朝日新聞3月5日付朝刊社説参照)。昨年7月には伊丹市で平和大行進の案内ポスターを貼っていた女性が屋外広告物条例違反で現行犯逮捕される事態も発生しています。いずれの事件にも共通しているのは、問題とされた宣伝物が平和を訴えるものであったこと、問題とされた宣伝物以外の事業用のチラシなどは摘発されていないことです。私たちが有事法制を検討する上で常に考えなければならないことは、権力者が、このような憲法の平和主義の理念に基づいた市民の言論を、市民の基本的人権の行使として尊重するのではなく、これを排除し禁止したがっているというわが国の人権を巡る状況です。
2 昨年6月に武力攻撃事態法など有事3法が成立しました。この法律は、日本が米国と一体となって戦争をできる国に作り替えるための大枠を決める法律であって、憲法の平和主義や基本的人権を侵害する恐れが極めて強い憲法違反の法律です。そのため、その成立には日本弁護士連合会や全国の多くの弁護士会も反対しました。しかし、日本が武力攻撃された場合に備える必要がある、「備えあれば憂いなし」という理由で法案は成立してしまいました。そして今年の通常国会に提出されようとしている国民「保護」法案を含む7法案は、有事法で定められた大枠にしたがって、自衛隊が米軍と一体となって円滑に軍事行動を行うための制度を整えようとするものです。すなわち、武力攻撃事態法だけでは、どのように軍事行動を行うかという具体的な規定が定められていないので、「有事」の際の自衛隊の行動、米軍の行動、国民の「保護」のための措置などを定めようとするのが今回の7法案です。
それでは、有事法や国民「保護」法案は、本当に市民(国民のみではなく我が国に生活している一切の市民)を違法な武力攻撃から守るためのものでしょうか。
この有事法のねらいは、米軍が行おうとする軍事行動に日本が自治体や民間企業、更に一般国民を挙げて協力させる体制を整備することにあります。この有事法の実際の目的や機能を理解するには、これまでの有事法制の検討の歴史を振り返る必要があります。
3 有事法制の日本における研究の歴史は、昭和30年代に遡り、そして常に米国からの要請に応えるという形で進んできました。有事法制の研究が行われていることが明らかとなったのは、1963年(昭和38年)の統合防衛図上演習いわゆる三矢研究からです。その後公然と有事法制研究が開始されたのが1978年からで、ブラウン米国国防長官と金丸防衛庁長官の会談で米国から有事立法策定の要求が出され、当時の福田首相が「有事立法」の検討を指示しました。その後、日米防衛協力のためのガイドラインをうけて、日米共同作戦の強化が行われ、1997年には日米防衛協力のためのガイドライン見直し(いわゆる新ガイドラインの策定)がされ、日本への武力攻撃がない場合でも、米国が海外で引き起こす軍事行動に対して日本が協力するための指針が決められました。
この新ガイドラインを受けて成立したのが周辺事態法です。この法律は、わが国周辺地域においてわが国の平和や安全に重要な影響を与える事態が発生した場合に、米軍の軍事行動に対して日本が後方支援を行うとする法律です。すなわち「周辺事態」が発生した場合に、自衛隊が米軍に対して燃料、食料、機材等の物品の提供や武器、弾薬を含む機材の輸送、装備の整備等の役務の提供を行うとされています。同法では、地方自治体の長や民間に対しても協力を求めることができると規定していましたが、強制力はなく、協力を拒否された場合の代替措置は決めることができませんでした。米国からすれば、軍事行動を起こした場合に自治体が管理する港湾の利用が拒否されたり、必要な協力が得られないということでは作戦遂行に支障が生じます。また、自衛隊の協力が後方支援だけでは不充分であって米軍と一体となった軍事行動をとるための法整備をしておかないとなりません。そこで、周辺事態を取り込む形で「有事」が発生した場合に、米軍と自衛隊が一体となって武力行使ができるようにし、また地方自治体や民間事業者更に国民も戦争に協力させる、任意に協力しない場合には、政府が代わって必要な措置を執行でき、自治体、民間事業者や団体に対しても法律上の責務(したがって任意の協力依頼ではない)として米軍や自衛隊への支援や必要な措置への協力を求め、場合によっては罰則で強制するという法体制が必要となります。これが武力攻撃事態法などの有事法制であり、国民「保護」法案などのねらいです。
4 国民「保護」法案は市民を「保護」するか。
武力攻撃事態法と国民「保護」法案の概要、政府が作成したQ&Aは首相官邸のホームページで入手できますのでご参照下さい。(アドレスはhttp://www.kantei.go.jp/jp/singi/hogohousei/index.htmlです)
武力攻撃事態法では、武力攻撃事態と武力攻撃予測事態という事態が発生した場合の対処の大枠を定めています。この武力攻撃事態の内容が曖昧であることが国会の審議で大問題となりましたが、結局成立した武力攻撃事態法でも曖昧なままで、公海上や他国の領域内にある自衛隊艦船が攻撃された場合や外国にある大使館領事館への攻撃も武力攻撃事態に含まれるというのが政府の答弁です。つまり、イラクへ派遣された自衛隊艦船が攻撃された場合を武力攻撃事態と認定することも法文上は可能です。更に予測事態も含みますので、外国において兵員に非常招集をかけたり、軍事施設を構築するという事態も予測事態になります。そして、武力攻撃事態や予測事態の発生を認定する手続ですが、これは内閣総理大臣が作成して閣議決定する「対処基本方針」の中で認定します。しかし、実際に認定するための他国の軍事情報は米軍と自衛隊から提供されるしかありませんし、この情報の正確性の保障はありません。このような情報の危うさは、イラク攻撃の根拠となったイラク国内に大量破壊兵器が存在するという情報の信憑性を考えれば明らかです。しかも、この対処基本方針については国会の事前承認を受けるということになっていませんので民主的統制という点からも非常に問題です。
米国の先制攻撃主義とリンクさせて考えれば、米国が他国に対して先制攻撃を仕掛けようと考え、その国が反撃として日本国内の米軍基地への武力攻撃の準備をしているという情報が米国から日本に示された場合には、予測事態として有事法制が発動され、対処措置として、自治体や民間事業者、団体への必要な協力の要請、国民「保護」のための措置が行われることになります。
それでは、国民「保護」法案では有事の際の措置としてどのようなことが決められるのでしょうか。(1) | 関係機関の責務が定められています。この関係機関には指定地方公共機関が含められていますが、この指定地方公共機関には、地方のマスメディア、交通機関や運送事業者、医療機関などが含まれると思われます。マスメディアには警報などの政府が指定した情報の報道義務が課せられ、運送事業者には緊急物資の輸送や避難者の輸送が求められます。国民は協力を要請されたら必要な協力をするように努力する義務が課され、武力攻撃の兆候を発見した者には遅滞なく通報する義務が課されます。先に述べたように非常に曖昧で恣意的に判断される危険がある武力攻撃事態や予測事態という認定によって、正に自治体、事業者、国民あげて戦争に協力する態勢を作ろうというのが国民「保護」法案の本質です。 |
(2) | 危険な措置は自治体、特に市町村職員に任されます。国民保護のための措置が武力攻撃事態への対処の措置の一部として位置づけられているため、政府→都道府県→市町村というように上意下達のシステムとなっていて、国民の避難誘導など危険な任務は市町村の消防や一般職員が中心となって行うこととなります。自衛隊は、軍事作戦が主任務ですから、住民の避難や救護のための活動は後回しです。 |
(3) | 避難誘導として想定されている内容は実現困難な内容です。戦争による被害は、敵味方の戦闘によって時々刻々と変化します。そのため有効な避難をするには戦闘に関する正確な情報が迅速に提供されなければなりません。しかし、他方で軍事作戦は高度の秘密事項に属するものですから実際にどこまで情報が提供されるのか疑問です。しかも実際の避難のシュミレーションを見てもとても実現が可能であるとは思えません。鳥取県では既に避難誘導のシュミレーションを検討していますが、その内容は、例えば鳥取県東部の3町村住民26,000人がバスで陸路兵庫県に避難するというもので、それに要するのが11日間ということです。全県民が避難するとなると想像を絶する事態でしょう。米軍と自衛隊基地が集中している沖縄が武力攻撃の対象となったとしたらどこにどうやって逃げるのでしょうか。結局武力によってはひとり一人の個々の市民の命を守ることはできないことを国民「保護」法制が如実に物語っており、それにもかかわらず国民「保護」法を制定しようというのは、国民の「保護」にその主眼があるのではなく、国民を戦争に「動員」することにこそ目的があるのです。 |
(4) | マスコミは指定公共機関、指定地方公共機関として警報の発令やその他の情報の報道が義務づけられます。マスコミの使命として本当に武力攻撃事態が発生すれば当然警報などの放送をするでしょう。それにもかかわらず法律で一定の情報の報道を義務づけようとするところに問題があります。他国が日本に対して武力行使を準備しているという情報に疑問を感じても、対処措置として報道を指示された場合には、報道が義務づけられます。戦争が始まるという報道を義務づけられて、一方でマスコミ独自の取材に基づき戦争の危険はないなどと報道できるでしょうか。実際には報道規制につながるのは明らかです。 |
(5) | 国民「保護」法案では平時からの備えについても定められます。平時から自治体には「国民保護協議会」が設けられ自衛隊関係者がそこに参加します。自治体が平時から作成する国民保護計画は、ここで審議され、この保護計画に従って町内会や消防団、自主防災組織は平素から避難訓練を実施することとなり、訓練の際には自衛隊も参加することとなるでしょう。避難訓練は学校や各職場でも実施されることになります。いざという時に避難誘導を迅速にするには、どこに1人で動けない病人、老人がいるとか、障害者がいるなどの個人情報も自治体が収集しておかないとならないはずです。正に戦争に備えて平素から全ての市民挙げて準備を進めることが求められるのです。これへの協力について法案では強制力は定めていませんが、実際に拒否できるかは大いに疑問です。 |
(6) | そして、このような軍事優先の法案であることをカムフラージュしようとするように、国民「保護」法制では、戦争による被害を「災害」であると定めて、自然災害と戦争という最大の人災を同視しているのです。 平素から有事体制を組み上げ、自治体、事業者、民間団体、市民1人1人を軍事作戦を前提とした計画に動員するという体制を法律で定めるということは結果としてどのような効果を及ぼすでしょうか。特定の国に対する非現実的な脅威が誇張して繰り返し報道され、他方で軍事作戦に組み込まれた避難訓練を繰り返し行い、民間事業者もいざという時に備えて準備をする。そのような社会では、国際紛争を解決する手段として武力行使を選択することへの人々の心理的なハードルは非常に低くなるでしょう。武力行使に異論を唱える人は地域社会から孤立させられてしまうことも充分に考えられます。かっての「非国民」という言葉が思い出されます。そして、このような社会が「平和をする諸国民の公正と信義に信頼して、我らの安全と生存を保持しようと決意」し、日本国民だけではなく、全世界の国民が平和のうちに生存する権利を有するとうたった憲法が予定している社会でないことは明らかです。 |
5 このように、私たちは、日本を戦争できる国にするのか否かの選択を求められています。有事法制が整備されていない現在においてすら、市民の平和を訴える言論への弾圧が行われているのは冒頭に紹介した事件のとおりです。今後有事体制が完成した場合に、平和を訴える言論が封殺されてしまうと考えるのは杞憂でしょうか。
開戦にあたっての大量破壊兵器が存在するという情報操作、大義なきイラクに対する米国の武力行使、その後の占領政策の失敗、という最近1年の動きからも、武力によって平和が創れないことは明らかであり、それにもかかわらず、国家はどのような大義でもつくり出して武力行使を正当化しようとすることを私たちは目の当たりにしてきました。現在日本で進行している有事体制の完成と仕上げとしての憲法改悪の企てを阻止しなければ将来に大きな禍根を残すでしょう。人々が殺し殺される社会にしないために今こそ、全力を尽くしましょう。
このページのトップへ先般、兵庫県地労委の小嶌典明公益委員が証人採否について大変問題のある発言を行い、地労委事務局もこれを肯定しました。これに対して当協会としては放置するわけにはいかないと考え以下の質問書を送付しました。
兵庫県地方労働委員会 御中 |
2004年3月12日 神戸市中央区相生町1−2−1 東成ビル3階 (中神戸法律事務所内) 兵庫県民主法律協会 事務局長弁護士 増田 正幸 |
質問書 | |
兵庫県民主法律協会は、県下の労働組合、労働法研究者、弁護士等で組織する団体であり、会員組合は労使関係の調整や紛争の解決のためにしばしば貴委員会を利用してまいりました。 去る2月20日、貴委員会に係属している「みのり農協事件」(平成15年(不)第6号)の調査期日において、小嶌典明審査委員長から同事件の立証計画を明らかにするよう求められたのに対して、申立人みのり農協労働組合の代理人であり当協会会員である西田雅年弁護士及び白子雅人弁護士が、「申立人労働組合の関係者1名、使用者側から2名の証人申請を考えている」旨回答したところ、小嶌審査委員長は「兵庫県地労委では、労働組合側からの敵性証人の申請は採用しないことになっている」旨発言しました。 さらに、貴委員会事務局からも、兵庫県地労委では過去に労働組合側からの敵性証人の申請を認めた例はない旨の発言がありました。 これに対し申立人代理人弁護士が「具体的に申請書も出しておらず、申請の必要性も主張していない現段階から、前もって敵性証人だから採用しないという結論を持って臨むのはおかしいのではないか」と指摘したところ、小嶌審査委員長は「労働委員会への救済申立は労働者側からしかできない制度であることとの均衡からそのように扱っている」旨発言し、兵庫県地労委においては労働者・労働組合の側からの使用者側証人の申請を認めないという方針がとられている旨の発言がありました。 ところで、労働委員会規則は、「審査においては、会長は、当事者の申出又は職権により、事実の認定に必要な証拠を取り調べることができる」(第33条5項)と定め、「当事者が証人の尋問を申し出るときは、証人の氏名、住所及び証言すべき事項を明らかにしなければならない」(40条7項)と規定して、当事者に証人尋問の申請権を付与しています。他方、同規則によれば、証人の採否については審査委員長の審問指揮に委ねられており、申請された証人が立証事項との関連で必要性が認められない場合には審査委員長が却下決定することを認めています。 このように証人の採否は、本来、立証事項との関連性及び必要性によって判断されるべきことであって、申請者との関係で敵性であるとの一事をもって当然に不採用とするのは、当事者の証拠申出権を不当に制限することとになるばかりか、そもそも労働委員会の不当労働行為救済機能を自ら限縮するものと言わざるを得ません。 不当労働行為救済申立てはその性質上当然に労働者・労働組合側しかできないことになっていますが、なにゆえそのことが救済申立てをした労働者・労働組合の証人尋問申請権の制約の根拠となりうるのでしょうか。また職権証拠調べが認められていることとの整合性をどのように説明されるのでしょうか。 現に兵庫県地労委でも従前、サンドビック・ジャパン事件(日本法人社長)、神戸弘陵学園事件(理事長)、西神テトラパック事件(工場長)、新日鐵広畑事件(クラフトセンター長)、神戸市水道公社事件(総務課長。但し後に使用者側も申請したため双方申請になった)などにおいて敵性証人の申請がなされ、その必要性が認められて証人として採用(各事件の括弧内)されており、これまで敵性証人であることを理由に不採用とされたことはありませんでした。したがって、上記調査期日における貴委員会事務局の発言は明らかに事実に反します。 上記調査期日において貴委員会が明らかにされた「方針」は、今後、労働者・労働組合の貴委員会における立証活動に大きな制約を課すもので、不当労働行為審査手続に重大な影響を及ぼすものです。しかも、かような「方針」が十分な合理的根拠もなく採られているならば、労働委員会の任務放棄にも等しい由々しき事態と言わざるを得ません。 そこで、以下のとおり、質問をさせていただきます。今後の労働委員会における主張立証のあり方に重大な影響を与える事柄ですから、14日以内に必ずお答えいただきますようお願いいたします。 |
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1.貴委員会において、申立人側からの敵性証人の申請を認めない若しくは採用しないという方針や基準が存在するのか否か。 2.もし存在するということであれば、いつからそのような方針、基準が採られるようになったのか。また、その理由及び法文上の根拠は何か。 | |
去る2月14日、本年度の春闘学習会が開かれた。今回は神戸大学の根本到先生に「労働法における平等取扱原則の意義」と題して、主として正規労働者とパート労働者の格差の是正についてのどのような課題があるのかについて講演をしていただいた。
以下に、学習会の内容を簡単に報告する。
そして、性・組合所属の有無・人種・国籍などによる差別が許されないことについては争いがない。ところが、雇用形態に基づく差別、年齢による差別、障害の有無による差別など、従来の差別禁止類型に含まれていなかった問題についてはあまり論じられなかった。また、これまでパートの平等取扱については、男性中心の労働組合が取り上げることは少なかった。
ところが、パートの賃金は正規の60%程度であり、国際比較では最低水準にある。
経営側もパートを雇う理由の多くは人件費が安いことである。
たとえば、昨年の労基法改正でも有期契約の上限の延長が実現したが、その際、国会では主として期間途中の退職の自由が問題とされ、常用雇用の代替であることの問題性は論じられなかった。また、昨年の雇用保険法の改正により、失業給付の受給期間を残して就業した場合の助成について、従来は正規雇用だけを対象としていたのを非正規雇用に就いた場合にも適用範囲を拡大した。
また、所定外労働時間の削減をすれば、現在約4.9%となっている失業率は2.4%に減る。すなわち、ワークシェアリングを勧めれば失業率は減少させることができるが、その場合にはパート労働が必要になる可能性は否定できない。
したがって、もはやパートを法政策上否定することはできない。
日本では年齢、勤続年数、職務、学歴、企業貢献度など賃金の決定要素が多様であり、格差があるのか否かの比較自体が難しいが、今後、正規・非正規の格差にとどまらず、正規の内部あるいは非正規の内部でも処遇の細分化がどんどん進展している中で、この時期を逃すと平等を論じる現実的基盤がなくなる。
丸子警報機事件判決はパートとフルタイムの平等取扱を「公序」と認めた点で画期的であるが、この事件は正規労働者と労働時間もほとんど変わらない擬似パートをを対象としており、労使自治・契約自由を強調する学説は、この判決の適用範囲が非常に限定されるという評価をしている。
確かに、丸子警報機事件の場合は所定労働時間がわずかしか異ならない擬似パートを対象としていること、2割以上の格差を違法とした具体的な根拠がないことなど判決を一般化するのが難しく、所定労働時間の短いパートに同じ法理を適用できるかは疑問がある。
また、丸子警報機事件判決後も労使自治に委ねるべきことを理由にパートの賃金格差についての法的救済を否定した判決も出ている(日本郵便逓送事件・労判830号P22)。
他方、平等取扱の原則が民法の「公序」を構成していると解し、パートが正社員と同一労働を提供していれば合理的理由のない賃金差別は公序良俗違反として違法であるという学説もある。
わが国では賃金決定の要素が非常に多く、同一価値労働か否かを決することが難しい。
最近有力に主張されているのは、労働の量だけではなく企業からの拘束の程度、あるいは労働の質も同じ場合に合理的理由のない賃金格差は許されないとする考え方である。たとえば、同じ時間働いても、残業、転勤などに応じている正社員が好待遇を受けること自体はやむを得ないという考え方を前提としており、厚労省のパート研の報告にも影響を与えている。
いずれにしても平等取扱を直接義務づける規定がないことが支障になっている。そこで、たとえば就業規則や労働協約で差別取扱の禁止を定めた条項があれば非常に大きな武器になる。
2003年7月にパート指針が改訂された。
所定労働時間だけでなく残業や休日出勤、転勤の有無などを考慮した上で同一の労働といえる場合には正規労働者とパートと労働者との均衡の確保を努力義務として掲げている。
「努力義務」とは結局、均衡の基準作りを労使自治に委ねるということであるが、労使自治は現実には機能していない。
平等の問題は労使自治に委ねるような問題ではなく国家が基準を作るべきものであるのに、国家の責任放棄である。
残業や休日労働をしていること、配転に応じることを企業貢献度が高いものとして高く評価するという立場をとることによって所定外労働や単身赴任を奨励することは、ILO家族的責任に関する条約に違反するものである。
また、何を均衡にすべきなのか、賃金、退職金、年休、教育訓練、昇進のいずれを均衡にすればよいのかが不明確である。
さらに、格差容認の程度が不明確である。完全比例平等であればわかりやすいが、所定労働時間だけではなく仕事の質や責任の度合いによる格差が否定できないとすればどの程度の格差までを正当視するのかの基準が問題になる。
また、パートからフルタイムへの転換制度の設計が具体的になされていないことも問題である。
社会権規約7条を日本は留保しているが、パートの均等待遇については、世界的にはルール化を推進している。とくにEUでは、「パート及び有期雇用の平等取扱に関するEU指令」が出され、EU各国が平等取扱の国内法の制定を進めている。
ドイツではパートとフルタイムの転換のシステムを構築しているが、注目されるのは、労働者に労働時間の短縮請求権・延長請求権を認めていることである。労働者が3ヵ月前にパートからフルタイムへの転換ないしその逆を請求した場合、使用者は経営上の理由(事業所内の組織、作業の流れ、安全、過度の費用)がなければ拒否できないとするものである。
パートとフルタイムの均衡処遇は規範として国際的な普遍性が認められているにもかかわらず、何のルールも定めていない日本は特殊である。
比較の対象は同一職場におけるパートとフルタイムであるが、同一職場での比較が困難な場合は同一事業所、さらには同一産業で比較をすれば足りる。
同一労働の決定要素として、所定外労働時間は考慮すべきではない(割増手当が付与される)が、転勤に応じていることを企業貢献度が高いものとして考慮することは否定しがたい。
均衡にすべき労働条件としては、賃金や有休は比例的に付与されるべきであるし、産休、育休、福利厚生は完全平等、教育訓練や昇進昇格はケースバイケースで考えるしかない。
労働の量のみならず質の違いも無視できないから、量が同じでも質の違いが処遇に反映して処遇差が生じることは否定できない。その場合にどの程度の処遇差が許容されるのかが問題になる。
いずれにしても格差の立証を労働者がすれば、その格差が許容される合理的な理由の立証責任は使用者にあると考える。
パートとフルタイムの均衡処遇の問題は理論的にもむずかしい面があるし、既存の労働組合の取り組みも弱い。
しかし、格差構造が正規労働者の労働条件を下げる役割を果たしていることも事実である。
運動の当面の課題としては、擬似パートと正規労働者の格差の縮小・撤廃や著しい格差の是正である。
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