全国的には超有名な有馬温泉。その中でも、関西ローカルで有名な、「有馬ヘルスセンター」が、「有馬ビューホテル」に名称変更していることは知ってました?このホテルが、今度リニューアルオープンして、「有馬温泉 太閤の湯」に変更となり、新しい温泉テーマパーク(なんじゃこれ?)に変わるらしい。
最近過労気味の方は、温泉にでもゆっくりと入って癒されたいですね。冒頭のタイトルは、この会社のホームページに載っているキャッチフレーズからの引用ですが、「芯まで休まる」どころか、芯から疲れてしまいそうな事件です。
このホテルには、こぢんまりとした労働組合があります。全労連・全国一般の有馬分会です。このホテルの従業員は正社員もいますが、契約社員やパートなども多くいます(従業員数約110名)。このホテルでもリストラが進行していて、正社員からパートに身分変更されたり、電話で解雇通告されたり(=明日から来んでええ)、パートには休憩時間が与えられていなかったりと、皆さん無権利状態におかれていました。これではいけないと、2001年11月に労働組合を立ち上げ、そのとき以来分会長のMさんは労働者の権利を守るため団体交渉で先頭に立って交渉し、また労基法違反については労基署に告発するなどの活動を精力的にしていました。その結果、労基署の調査が入り、パートの休憩時間についてはようやく取れるようになりましたが、今までの休憩時間分の賃金は支払を拒否しています。また、今回ホテルのリニューアルに伴い、業務委託の計画があるのではないか、オープン後の労働条件はどうなるのかということも労使間の大きな問題でした。
Mさんは1年契約のパートで6回も契約更新してきましたが、昨年12月会社から突然契約更新しないと通告され、雇い止め(=事実上の解雇)されました。
Mさんの仕事は、送迎バスの運転手です。有馬温泉はご存じの通り、坂が多く神鉄の駅からホテルまで相当の距離があるホテルはどこでも送迎バスをもっています。Mさんは、この仕事を6年間やってきて、一度も事故も無く、お客さんとのトラブルもありませんでした。
しかし、会社の雇い止めの理由は、年齢です。Mさんは今年65歳になります。会社はパートは65歳になれば更新しないことになっていると言います。その理由として、人員削減による固定コストの圧縮、労務構成の平準化、業務効率の向上と言っています。
本当にそうなのでしょうか。
Mさんが入社当初、職安での求人募集では、採用予定者の年齢が「55歳〜65歳」とされており、雇用期間1年となっていました。ですから、少なくとも66歳までの雇用が前提とされていたはずです。しかも、1年だけの雇用期間で毎年募集をかけるということはないので、少なくとも数年間通算して勤続することが予定されていたはずです。
また、Mさんと同じ職種の同僚は、一人は68歳で雇い止め(事実上の解雇)されていますし、またもう一人は72歳まで運転手をして、その後他の職種に配転された後に、退職された方もいます。会社にはもともと65歳以上でも契約更新していた実績があったのです。
さらに、65歳の根拠として、人員削減による固定コストの圧縮、労務構成の平準化、業務効率の向上を上げていますが、中身はなく、単に言葉を羅列しているだけです。逆に、送迎バスを廃止することは考えられず結局コストがかかることは同じですし、ベテラン運転手の方がお客さんにとっては安全です。
とすると、今回のMさんの雇い止めの真の狙いは何でしょうか?
会社は以前Mさんに対して、組合を脱退しないと契約更新しないと脅していた「前科」があります。そのような文書を書かせたこともあります。また、Mさん本人に対する嫌がらせだけでなく、Mさんの奥さん(同じホテルの従業員)を勤務中に呼び出すようなこともしていました。
会社は、とにかくリニューアルオープンに向けて、社内も「リニューアル」したいと考えて、うるさい分会を何とかしたいと考えたとかしか思えません。そのために、まずMさんの解雇をやってきたのでしょう。その証拠に、リニューアルオープン後の労働条件について分会に一切回答していないこと、リニューアルオープン後に業務委託するかどうかについての会社の回答が二転三転していること、分会長を年齢を理由に契約の更新を拒絶しているが年齢について何ら根拠が無いこと等があります。
今回地位保全の仮処分の申立をしましたが、なかなか予想通りにいかないのが、労働事件の常です。今後とも、ご支援よろしくお願いします。
このページのトップへ民法協の事件ではありませんが、2005年2月23日、神戸地裁(田中澄夫裁判官)において、就業規則の不利益変更をめぐる組合勝訴判決がでましたので、参考までにご報告します。
サンドビック株式会社は、スウェーデン資本の企業グループに属する日本法人(本社神戸市)で、従業員約400名規模の超硬工具等のメーカーです。サンドビック社は、従来から1日あたりの所定労働時間が7時間、年間1708時間という国内では比較的短い労働時間制をとってきました。
その会社が、2002年春闘の時に突然、労働時間延長(7時間→7時間30分)を提案し、その後労組、従業員の反対を押し切って、就業規則の変更という形で2003年7月に労働時間延長を強行したというものでした。
労働組合、従業員は、経営状況が良好であるにもかかわらずこうした不利益変更を強行した会社の対応を許すことができず、就業規則変更の直後に、神戸地裁に所定労働時間確認請求の裁判を提起しました。主任弁護士は、藤原精吾弁護士と私です。
この裁判は、「アフターファイブは会社のものでない」と位置づけて、組合員のほとんどが原告に名を連ねる集団訴訟という形をとりました。また、時間延長分の差額賃金を支払え、という形ではなく、会社による時間拘束を排除するという意味で、確認訴訟という形をとりました。
裁判闘争を支えるに当たって、組合は数次にわたって、原告、組合員に対して生活アンケートをとるなどして、裁判所に積極的に不利益を訴えてきました。また弁論、証拠調べのときにも組合執行部を中心に傍聴運動を展開してきました。原告本人尋問の際には、幼い子供の面倒がみれなくなって困っているお母さんの訴えに涙する場面もありました。こうした弁論、証拠調べを経て、裁判所の判決に至りました。
就業規則の不利益変更は、民法協学習会でも説明していますが、法律的には大変難しい論点です。この点について、神戸地裁判決は、従来の判例の到達点を確認しています。一般論として重要ですので、引用します。
「(1) 新たな就業規則の作成又は変更によって労働者の既得の権利を奪い、労働者に不利益な労働条件を一方的に課することは、原則として許されないが、労働条件の集合的処理、特にその統一的かつ画一的な決定を建前とする就業規則の性質からいって、当該規則条項が合理的なものである限り、個々の労働者において、これに同意しないことを理由として、その適用を拒むことは許されない。そして、当該規則条項が合理的なものであるとは、当該就業規則の作成又は変更が、その必要性及び内容の両面からみて、それによって労働者が被ることになる不利益の程度を考慮しても、なお当該労使関係における当該条項の法的規範性を是認することができるだけの合理性を有するものであることをいう。
(2) 特に、賃金、退職金など労働者にとって重要な権利、労働条件に関し実質的な不利益を及ぼす就業規則の作成又は変更については、当該条項が、そのような不利益を労働者に法的に受忍させることを許容することができるだけの高度の必要性に基づいた合理的な内容のものである場合において、その効力を生ずるものというべきである。
(3) 上記の合理性の有無は、具体的には、@就業規則の変更によって労働者が被る不利益の程度、A使用者側の変更の必要性の内容・程度、B変更後の就業規則の内容自体の相当性、C代償措置その他関連する他の労働条件の改善状況、D労働組合等との交渉の経緯、E他の労働組合又は他の従業員の対応、F同種事項に関する我が国社会における一般的状況等、を総合考慮して判断すべきである。
(4) 労働時間が賃金と並んで重要な労働条件であることは、いうまでもないところである」
つまり、所定労働時間の延長は、労働者にとって重要な労働条件なので、「不利益を労働者に法的に受忍させることを許容することができるだけの高度の必要性に基づいた合理的な内容のもの」でなければ認められない、というのが裁判所の枠組みです。
この中で、私が重視したのは、A使用者側の必要性をどうとらえるか、でした。なぜなら、労働時間の延長は、労働者にとって不利益であることは自明だからで、それを補うだけの理由=必要性、について裁判所が何というのか関心があったのです。
この点について、裁判所はこう指摘しています。「企業として、経営状況の如何を問わず、常にコスト削減に努め経営体質ないし競争力を強化しさらには顧客対応の向上を図るべき必要性があることはいうまでもないところ、その手段・方法が労働者の利益を害するものでなく、あるいは、労働者の任意の協力の下に実施する限りはこれを制約する理由はないが、労働者の労働条件を一方的に不利益に変更する場合には上記のような抽象的、一般的な経営体質ないし競争力強化等の必要性にとどまらず、具体的な経営上の必要性に基づかなければならないというべきである」。
最近、NTT西日本(藤田)裁判では、会社の言い分そのままの「競争力強化・経営体質強化の必要性」を理由にした京都地裁の不当判決(注、これは大阪高裁で取り消されています。)など、裁判所が会社の言い分について思考停止になっている例もあったので、こうした傍流に与せず、労働者の不利益を念頭におき、「一般的な経営体質ないし競争力強化の必要性」ではなく、「具体的な経営上の必要性」を要求した裁判所の判断には、当然ことながら胸をなで下ろした次第です(もっとも、裁判所のいう「具体的な経営上の必要性」の中身については、競争力強化・経営体質強化との関係等、今後、弁護士サイドとして深めていかなければならないと思います)。
会社の業績は良好で安定しており、従業員に不利益を課すようなコスト削減策を実施しなければ業績が悪化することが見込まれるような状況にはなかったと認定して、会社の経営上の必要性を否定しました。この点が、基本ですが決定的な認定でした。
この認定に基づけば、当然、就業規則変更が「不利益を労働者に法的に受忍させることを許容することができるだけの高度の必要性に基づいた合理的な内容のもの」であるはずはありません。こうして組合は勝訴したのです。
組合勝訴の判決が出たものの、今後の展開は予断を許しません。会社は控訴を検討しています。それ以上に、会社にたてついた従業員へのすさまじい仕打ちも行われています。証言台にたった原告を突然配転し、被告代理人の弁護士から注意を受けるほどでした。組合も、こうした不利益取り扱いに対しては断固抗議しています。こうした中で、どのように最終決着をはかっていくか、裁判所内外の運動が重要となっています。
このページのトップへ3月4日未明、古川渥巳さんが逝かれました。古川さんは、私の高校時代の先輩です。高教組委員長のとき、民法協の代表幹事をつとめていただきました。兵庫地労委第38期労働者委員選任訴訟は、3月18日に判決言い渡しになっていますが、私が初めて地労委の労働者委員選任にあたって、非連合エリアからの委員候補として推薦されたとき、古川さんは兵庫労連の初代議長で県春闘共闘の代表幹事でもあり、県労働部との交渉にも一緒に参加していただきました。謹んで哀悼の意を表させていただきます。
さて、兵庫私学の労働運動は、一方で大きな成果を得ながらも、きわめて幼稚であったのかもしれません。
マスコミは、労働組合のナショナルセンター別に、総評主流派=社会党系、総評反主流派=共産党系、同盟=民社党系と政党別に色分けして報道していました。社会党や民社党がなくなった現在も、全労連=共産党系との報道に接することもあります。労働組合は本来、労働者個々人の思想信条の違いを越えて「要求」で団結する組織です。そして政党との関係では、要求に基ずく協力・共同の関係で、政治に対する要求の実現をめざします。
1974年の第1次石油危機は、「狂乱物価」といわれるほどの物価上昇があり、生活防衛のために労働組合は、ストライキを含む大きな闘いで、この年の春闘では32.9%という大幅な賃金引き上げを獲得しました。また「インフレ阻止国民会議」の結成や4野党(社会・民社・公明・共産)共同での「最低賃金法案」の提出(1975年3月)などの統一した動きもありました。こうした労働者と一般市民との共同の闘いに危機感をもった財界・大企業は、本格的に賃金抑制の活動に乗り出し、他方、自民党政府は官公労のストライキに刑事弾圧で持って望み、小選挙区制導入の画策や刑法改悪など政治の反動化でこたえようとしました。大阪私学教組の賃金担当者は、人勧ぶら下がりの私学賃金決定について「シラミの温もり」と評しましたが、兵庫私学の大幅な賃金改善はまさにそれでした。ごく一部の限られた組合員をのぞいて、世間の運動の流れを横目でにらみながら、そこに自ら身を置いて共同するということがほとんど出来ませんでした。また協議会役員会もそうした提案を行えず、争議支援をのぞいては、個別学園労使の関係だけが重視されていました。こうした中で労働組合のナショナルセンターの、新たな再編への準備が成されていました。
私教連は「兵私教」発足(1960年)当時から、労組法の適用を受ける「連合体」にしてはという議論も強くあったようですが、連絡調整を主な仕事とする「協議会」として出発していました。私は職場を辞めて専従になって以後、労働組合の「いろは」を改めて学ぶことになりました。これまでの私学争議の中での他産業労働者・労働組合との繋がりや交流が、大きな支えとなりました。また、同じ建物には全日自労(現在は建交労に合併している)の事務所があり、その書記長からいろいろ教わることも多かったのです。また、日教組の私学組織の方針変更(私立学校部への直接加盟方式)もあり、1973年には兵庫私教協としても、日教組私学部にも加盟していましたので、他府県の私教連との交流も深まりました。当時、日教組私学部に加盟していた他の都道府県は、すべて連合体か単一の組織で、協議体は兵庫だけでした。7つの組合で組織された兵庫私教協は、20年近い運動の中で、教職員の身分保障の確立、賃金水準の改善、教育条件の改善、私学助成運動の前進、若手教職員の各学園への定着、そして中高29学園組合・1400名(当時県下の中高校は47校)、中高校の過半数学園を組織するまでに拡大させてきました。運動は発足当初から、解雇や処分という攻撃が繰り返される中で、否応なく統一した闘いを余儀なくされていました。しかし、協議体という組織の性格から、運動方針は「採択されるが実行できない」ジレンマに陥っていました。大きくなった組織と、今後起こるだろう様々な情勢の変化は、取り組み方針に一定の拘束力を持つ組織としての実態を伴うことや労働組合法の適用を受けられことも必要でした。
兵庫私教協の1978年総会は、1979年3月に「協議会」を「連合体」に移行することを提案し、討論を呼びかけました。このことに最も早く敏感に反応したのは、私学経営者でした。特に1970年代前半は、兵庫私教協での経験交流が、各学園での交渉におおいに生かされ、要求獲得に目覚ましい役割を果たしました。労働組合を嫌悪し、近代的な雇用契約関係について、きわめて不十分な理解しか持たない多くの経営者は、危機感をもちました。私たちは「協議体」から「連合体」への移行について、職場単位で論議を尽くし、全組合員投票による決定という方針を取りました。経営者団体は、兵庫私教協が発行する連合体への移行問題討議資料などをただちに入手し、法律顧問などと相談して研修会なども開いて、対策を考えていたようでした。こうしたことを各学園単組にも十分に留意するよう注意を換気しましたが、単組執行部の方針が否決されるという経験がほとんどなかったので、すこし甘く考えていた単組もあったようでした。1979年の年明けから3月の臨時大会にかけて、各学園での組合員投票が行われました。少数・部分型の組合は、なんなく「連合体」への加盟継続を決めましたが、特に全員型の単組では、僅差で「連合体」への加盟継続には反対または保留の意思決定がなされました。この裏には、反対もしくは保留するようにとの経営者からの組合員にたいする働きかけや、一時金交渉の中で「増額するから私教連から離れよ」との回答発言も、後日漏れ聞こえてきました。そして「連合体」は結成されましたが、19単組・640名の兵庫私教連としての出発を余儀なくされました。
1980年には「臨調」第1次答申が出され、1975年の私学振興助成法制定以来、右肩上がりでのびてきた私学助成は、「抑制・削減」方針に転換します。兵庫県では1982年に、県行財政懇話会(会長・石野神戸銀行頭取)が中間報告を出し、補助金削減を提言しました。私学助成では、義務教育段階の中学生・小学生への経常費補助金削減へとつながり、中高併設校を中心に学費の大幅な値上げを引き起こしました。同時に、第2次ベビーブーム(1989年がピーク)にむけての生徒急増期と重なり、教育・労働条件悪化も再来の兆しが見え、統一した取り組みの重要性は、組織の減少にもかかわらずますます明らかになりました。
民法協40年史では、つい先日(05年2月12日)、裁判闘争終結集会が行われた三菱難聴事件の訴訟が提起(1977年)され、1978年には川重・近藤さんの解雇事件やネッスル日本団交拒否事件(1979年)などの長期闘争が始まっています。これらのことは、労働組合の右傾化と密接に係わっているのではないでしょうか。1981年の総会では「職場暴力・職場支配との闘い」(ルポライター青木慧氏)、82年の総会では「職場支配の構造と組合民主々義」(長渕満男甲南大学教授・現代表幹事)が、記念講演のテーマとなっていました。
このページのトップへ1 昨今の小泉流社会保障『構造改革』により、社会保障に対する不安が急激に高まっています。そこで、今年の春闘学習会(2月17日)では、現在の社会保障改革の本質を学びこれからの生活設計を考えるべく、社会保障がご専門の大阪市立大学の木下秀雄教授を講師にお招きして、学習会を開きました。
以下ご報告します(なお、私の理解不足で誤解や正確な趣旨をお伝えできていないことがあるかもしれませんが、ご容赦下さい)。
2 木下先生は、まず、現在の小泉流社会保障『構造改革』の本質は、「給付の抑制、負担の増大」であることを指摘されました。例として、介護保険においてはトレーニング等をしなければ保険が利用できなくなることや、年金保険料が自動的にあがるようになったこと等多くの例を挙げて解説されました。
次に、このような国民にとって不利益となる小泉流社会保障『構造改革』を支持し又は仕方がないという方が、お持ちであろう根拠を一つ一つ想定して、いずれも根拠としては薄弱であることを解説されました。
まず、「財源が足らない以上仕方がないのではないか」という根拠について、大量のアメリカ国債の購入、自衛隊の費用等の無駄遣い、高額所得者の減税等による富の偏在化を指摘され、十分に社会保障に使われるべき財源はあるとの説明がなされました。つまりお金自体がないのではなく、アメリカや財界・富裕層のためにお金が使われ、弱者にしわ寄せをした使い方をしているにすぎないのです(「つまり」以下は私の解釈を含む、以下同じ)。
次に、「民営化した方がサービスが向上する」という根拠について、民営化するということは、生活に必要なサービスが支払った金銭の対価になることを意味し、対価である金銭を支払えない者は、人間らしく生きるために不可欠なサービスの提供が受けられず途方に暮れるしかなくなるとの指摘をされました。つまり、民営化は、人間らしく生きる権利を保障するという社会保障の実現手段としてはふさわしくないというのです。
また、「社会保障を充実させると、人間は甘えてしまうのではないか」という根拠については、「人間らしく生きるために必要なものは与えられるんだ」と安心できないと人間は逆にダメになり社会もすさむ、人間に対する見方をもっと豊かにして欲しいと指摘されました。つまり、そのような考えは、恵まれた境遇にいる者がたまたま他の助けを必要とする境遇に陥った者を「甘え」と切り捨てる見方(他の人間を尊重しない見方)であり、「誰もが不幸にも他の助けを必要となることがある、その時はお互いに支え合おう、そうすればみんなが安心して暮らせるではないか」という社会保障(社会保障制度のある社会の良さ)に対する理解を根本的に欠くというのです。
そして、木下先生は、小泉流社会保障『構造改革』の本当の理由は、@国が(他には使っても)社会保障には余りお金を使いたくないこと、A財界が企業の保険料負担の増加を抑制したいこと、B財界が社会保障とつなげて利益を得たいことにあると説明されました。Bの証左として、テレビCMで一番多いのが、民間の医療や生命保険が極端に増大していることを示されました。つまり、公的社会保障では全てはまかなえず、民間の保険を使わなければ不安な社会としようというのです。
3 木下先生は、「自民党・憲法改正草案大綱」で、9条を改憲する一方で他方で25条をプログラム規定化しようとされていることから、政府は社会の需要で豊かな社会をつくることを放棄し、軍需で財界が儲けそれにより国が支えられれば良いと考えているといえると指摘されました。そして、アメリカは全世界から富を剥奪しているからそれでもうまくいくが、日本ではそのようなやり方ではうまくいくはずがないとも指摘されました。
4 最後に木下先生は、社会保障の改悪がなされても現在国民から大きな怒りの声があがらないことについて、個人レベルでの切り詰め、家族単位での支えあいで何とかやっているか、絶望感にとらわれ何も声をあげることができないでいるのではないかとの分析を示されました。
そして、組合に、国民が怒りの声をあげる火付ァD21/け役になり、国民の先頭に立って社会保障問題に取り組んで欲しいと要望されました。年金や介護などの生活問題は個人のことではなく社会全体の問題であるから、組合としても正面から取り組むべき課題である、生活問題を課題と考えるべきではなく、そのリアルな認識を通じて組合活動のエネルギーにすべきだと指摘されました。組合が組合員への還元という視点だけでなく、広く「弱者の代弁者」として活動をし、そのことを積極的にアピールすれば、社会の共感を得られるはずである、と組合への期待を述べられました。
5 木下先生には、なかなか分かりにくい社会保障を、ウィットとユーモアを交えつつ、大変分かりやすく説明していただきました。そして、先生の社会保障に対する情熱を感じ、社会保障制度の重要な役割を「実感」できたことが大変な成果でした。
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