2005年5月9日、神戸地裁姫路支部(松本哲泓裁判長)で、それぞれが同居の家族に要介護者を抱える従業員2名に対する遠隔地への配転命令をともに無効とする判決を得ましたので、ご報告します。
(1) ネスレジャパン(以下「ネスレ」といいます。)は、2003年5月9日、突然、姫路工場で行われているギフトボックス箱詰作業の廃止を発表し、ギフトボックス係に配属されている60名の従業員に、2003年6月23日までに茨城県稲敷市の霞ヶ浦工場へ転勤するか、あるいは特別退職金を受領して退職するかの二者択一を迫る業務命令(以下「本件転勤命令」といいます。)を発しました。
(2) ネスレは、長引く不況をよそに莫大な利益を獲得し続けており、ギフトボックス係の閉鎖とそれに伴う本件転勤命令は、経営危機とは全く無関係の、更なる利益を追求するための合理化措置に過ぎませんでしたが、多数の従業員を組織する第二組合(ネスレ日本労働組合)が会社方針に服従し、組合員に対して「会社決定に協力するように」との見解を示したため、配転命令を発せられた60名の従業員のうち、9名は配転命令に応じて霞ヶ浦工場へ転勤していき、48名は特別退職金を受領して会社を退職していきました。
(3) しかしながら、進学を控えた2人の子どもを抱えているだけでなく、妻が非定型精神病のためにその生活に援助を要する第一組合(ネッスル日本労働組合)所属のAさんと、Aさん同様、地元の学校への進学を希望している2人の子どもと自治体から要介護2の認定を受けている高齢の母親を抱えているKさんは、家族帯同で転勤すれば、妻や母の病状が悪化することが予測されるし、さりとて単身赴任すれば妻や母の生活の援助介護を担うものがいなくなるとして、転勤及び退職を会社に拒否する意思を明確にしました(Kさんは、第二組合に所属していましたが、この過程で第二組合を脱退して第一組合に加入しました)。
(4) しかし、会社が、「事情は誰でもあるもの。同居の家族に要介護者を抱えていることは決定に変更を与える事情ではない」との姿勢に終始したため、AさんとKさんは、第一組合の支援のもと、2003年6月13日、神戸地裁姫路支部に本件転勤命令の効力停止等を求める仮処分の申し立てをしたところ、同年11月14日、裁判所は、本件転勤命令は、Aさん、Kさん両名の関係で本件転勤命令の効力停止を命じる仮処分決定を下しました。
本判決は、この仮処分事件の本案として提起された訴訟についてのものです。
(1) 配転命令の効力の判断基準については、リーディング・ケースである東亜ペイント事件最高裁判決以降、配転命令を命じる業務上の必要性と労働者が蒙る不利益を比較衡量するという手法が確立しているところ、本判決も、仮処分決定同様、「本件配転命令は業務上の必要性に基づいてなされたものであるけれども、原告らに対し、通常甘受すべき程度を著しく越える不利益を負わせるという特段の事情が認められるから、本件配転命令によって原告らを霞ヶ浦工場へ転勤させることは、被告の配転命令権の濫用にあたる」と判断したもので、判断の基本的な枠組に目新しいものはなく、またAさん、Kさんの家族の状況に鑑みたとき、霞ヶ浦工場への転勤を強行した場合、家族が甚大な不利益を被ることは誰の目にも明らかというべきですから、その結論も当然といえば当然のことであり、画期的と騒ぎ立てるほどのものではありません。
ただ、判決は、事実認定も判断も極めて簡潔であった仮処分決定とは異なり、詳細な事実認定を行った上で、双方の主張についてかなり突っ込んだ判断をしているところ、個人的には、特につぎの2点については高い評価を加えるべきではないかと考えております。
(2) 第1点は、判決が、「具体的な配転については、これを全く避けることができないものであるならば、労働者の不利益が大きくても、その配転はやむを得ない。しかしながら、本件配転、特に転居を伴う遠隔地への配転は、労働者に多大な負担を与えるものであるから、その不利益について十分考慮して行なうとともに、適正な手続を経て、公平に行なわなければならない」と判示している点です。
転居を伴う遠隔地への配転それ自体が労働者に多大な負担を与えるものであることを正面から認め、遠隔地配転を行なう場合は労働者の不利益を十分考慮するだけでなく、人事の適正な手続、公平さが要求されることを明言した判例は、私の知る限りではこれまでに見たことがありません。判例がここまで、明言したのも、従前、単身赴任するか否か、家族的責任をどう果たすかという事柄は労働者が判断すべき私的事項に過ぎなかったところ、次第に単なる労働者の私的事項ではなく、単身赴任の解消、介護育児といった家族的責任の実行については、企業を含む社会全体で取り組んで行かなければならないという国民意識の変化を的確に反映したものといえると思います。
尚、適正手続の関係では、ネスレは本件転勤命令について、対象者の家族の事情を全く調査考慮しないで一律に転勤命令を発し、その後の個別面接で労働者が家族の問題を抱えていることを知っても、これを無視して本件転勤命令を維持するという目茶苦茶をしているところ、判決は、事前に家庭環境等に関する個別調査を行なっていない以上、事後であっても、「従業員から、転勤に関する事情の申告があれば、これを考慮の上で、配転命令を維持すべきか否かを検討しなければならない」として、転勤命令に従えない事情がある旨のAさん、Kさんからの申告を無視した会社の態度を厳しく批判しており、また、人事の「公平」との関係では、ネスレの、Aさん、Kさんを工場内配転する部署がないとの主張とも関連しますが、ネスレが廃止するギフトボックス係のみを対象に退職者を募ったことを問題にし、「姫路工場内には、多様な業務が存在し、原告らが就労することのできる業務もあり、霞ヶ浦工場における業務内容も姫路工場のギフトボックス係の者だけがなし得るというような特殊のものでないことからすれば、姫路工場全体から、霞ヶ浦工場へ配転する人材を選定することもできたはずであり,加えて、姫路工場のギフトボックス係の者に提示したような退職優遇制度の提案を行なえば、遠隔地へ転勤が困難な者若干名を姫路工場内の他の部署へ配転することができる余地も生じたはずであるということができる」と判示しています。特に、後者の判示については、業務上の必要性の問題とも関連しますが、整理解雇について、その必要性が低い場合には高度の整理解雇回避措置を講じることが要求されるとの考えを配転にも及ぼし、高度の遠隔地配転回避措置を課したものとして評価できるところです。
(3) 第2点は、本件転勤命令が、「事業主は、その雇用する労働者の変更で就業の場所の変更を伴うものをしようとする場合において、その就業の場所の変更により就業しつつその子の養育又は家族の介護を行うことが困難となることとなる労働者がいるときは、当該労働者の子の養育又は家族の介護の状況に配慮しなければならない」と規定する育児介護休業法26条に違反するとの主張について、「同条によって事業主に求められる配慮とは、必ずしも配置の変更をしないことまで求めるものではないし、介護等の負担を軽減するための積極的な措置を講ずることを事業主に求めるものでもない。しかし、法が、事業主に対し、配慮をしなければならないと規定する以上、事業主が全くなにもしないことは許されることではない」、「その配慮の有無程度は、配転命令権を受けた労働者の不利益が、通常甘受すべき程度を超えるか否か、配転命令権の行使が権利の濫用となるかどうかの判断に影響を与えるということはできる」とした上で、Kさんとの関係で、「要介護者の存在が明らかになった時点でもその実情を調査もしないまま、配転命令を維持したのは、改正育児介護休業法26条の求める配慮としては、十分なものであったとは言い難い」と判示した点です。
育児介護休業法26条を正面から取り上げ、同条の求める「配慮」を尽くした否かは、配転命令の効力を判断するに際して重要な考慮要素となる、即ち、使用者の配慮義務の懈怠が配転命令の効力を否定する方向で斟酌されることになる旨を明らかにした裁判例は、明治図書出版事件・東京地裁2002年12月27日決定に続いて2件目と思われ、本判決はこの点でも意義のある判決だと思われます。
>(4) もっとも、判決にもまったく問題がないわけではありません。判決は、「業務上の必要性」を、「企業の業績が良好であるとしても、経営上の生産や販売体制の変更が許されないということはなく、したがって、配転の必要性がないということはできない」と判示して、簡単にこれを認めてしまうのですが、本件転勤命令のように大儲けしている企業が更なる利益獲得を目指して行なう合理化措置の一環としての転勤命令についても「業務上の必要性」を肯定するのは、やはり行き過ぎではないでしょうか(これでは、「業務上の必要性」が否定されるケースというのはほとんど考えられないことになってしまいます)。ただ、判決が、労働者側の不利益性を十分に斟酌していることや全工場的に退職者募集を行なわなかったことを問題にしていることは前述したとおりで、判決が、業務上の必要性は認めたものの、その程度が低いことから、労働者側の不利益性の枠を拡げ、ネスレに格別の遠隔地配転回避義務を課したのだとすれば、判決は必ずしも無条件、無限低に「業務上の必要性」を肯定したものではないことになり、むしろ、そのような評価を下すべきなのかもしれません。
また、判決は、育児介護休業法26条を正面から取り上げ、要介護状態にある高齢の母親を抱えるKさんとの関係では同条を斟酌しており、この点を高く評価すべきことは前述したとおりですが、使用者が構ずべき「配慮」の具体的内容が今一つ明らかになっていない点と精神病に罹患しているAさんの妻は、身の回りのことが一人でできないというわけではなく、介護を要する者というよりは、援助を要するという者に過ぎないとの理由で同条の適用を否定した点は不十分と言わざるを得ません。特に後者の点について言えば、育児介護休業法は、「介護」と常時介護を要する「要介護状態」を明確に区別しているところ(同法2条2号、3号参照、同法26条は、家族の「介護」を行うことが困難となる労働者に対して使用者に配慮義務を課しているものであり、常時介護を要する、即ち、要介護状態にある家族を抱えている労働者に対して使用者に配慮義務を課しているわけではないのですから、生活に援助を要する者は、育児介護休業法上は「介護」を要する者と同視してよく、Aさんとの関係でも当然に育児介護休業法26条の適用があると考えるべきではないかと思われます(ただし、同条の適用を考えなくとも、本件転勤命令がAさんとの関係でも本人及びその家族に著しい不利益を及ぼすものであることは判決の認定するとおりです)。
本判決はマスコミにも大々的に報じられ、特に朝日新聞、神戸新聞、しんぶん赤旗は一面でAさん、Kさんの勝訴を報じました。神戸新聞は、本判決を「9日の神戸地裁姫路支部判決は、職場の変更をめぐって育児・介護休業法が定める事業者の配慮規定を厳格に適用し、高齢化社会の切実な現実をくみ取った判断となった。同様の事業を抱える家庭は多く、影響は大きい」、「介護問題に対しては、社会全体での取り組みが必要なのは言うまでもない。従業員家庭の実情を十分考慮することが会社側に求められる」と解説しておりますが、適切な解説です。
判決が下された2005年5月9日は、2003年5月9日に本件転勤命令が発せられてからちょうど2年目。裁判所の迅速な審理もあり、2年という比較的短い時間で内容的にも基本的に満足できるで仮処分決定、一審判決を得ることができたことを弁護団も喜んでいたのですが、それも束の間、ネスレは本判決を不服として即日控訴したようです。
闘いの舞台は大阪高裁に移ることになりますが、Aさん、Kさんが家族のもとから姫路工場へ通える日を迎えられるよう、そして労働者が家族的責任を果たすために転勤を断ることが当然のこととなるような社会が実現するよう、弁護団としては、Aさん、Kさん、そして第一組合とともに奮闘する決意です。
尚、一審弁護団は、姫路総合法律事務所の竹嶋健治、土居由佳、私、中神戸法律事務所の西田雅年です。
このページのトップへ尼崎交通事業振興株式会社(以下、単に「会社」という)は、2004(平成16)年3月に一般乗合旅客自動車運送業務の許可を受け、同年4月1日より、尼崎市交通局から委託・移譲を受けた路線の市バス運行業務を行うようになった。仮処分を申し立てた坂口幸三さんは2003(平成15)年1月、尼崎市交通局の嘱託運転手として採用され、会社の市バス運行事業の受託開始に伴い、他の嘱託運転手らとともに、2004(平成16)年4月1日に会社と雇用契約を締結し、前記委託路線の市バス運転手として引き続き運転業務に従事していた。実質的に見ても、交通局の「合理化」政策に基づく外郭企業への転籍強要であった。
ところが、坂口さんは同年9月26日、原動機付自転車との接触事故を起こし、直後の同月29日付で、「試用期間中における職務成績及び従業員としての適格性を慎重に審査した結果」「就業規則第8条第3項に基づき」「平成16年9月30日付をもって採用を取り消し」となった。坂口さんは、尼崎市交通局での1年3ヶ月の運転実績をもって会社に転籍したのであり、会社に雇用されるようになった経緯から見ても試用期間は存在せず、会社が行なった試用期間を理由にした採用取消は無効であることを主張し、従業員としての地位保全および賃金の仮払いを求めて「地位保全等仮処分申立書」を同年11月18日付で神戸地方裁判所に提出した。
これに対し、会社は坂口さんに対して、懲戒解雇や普通解雇は主張せず、同年4月1日から9月30日までは、解約権が留保された試用期間であるから留保解約権を行使して本採用を拒否したことは有効であることを、主張して争いになったものである。
2005(平成17)年4月27日付で神戸地方裁判所第6民事部田中澄夫裁判所は以下のように、申立をほぼ全面的に認める決定を行なった。
(1)債権者が債務者に対して、労働契約上の権利を有する地位にあることを仮に定める。
(2)債務者は、債権者に対し、平成17年3月1日以降本案の第1審判決言渡しに至るまで、毎月25日限り月額金25万7632円の割合による金員を仮に支払え。
このような仮処分決定が出たにもかかわらず、会社は賃金の仮払いは行なうものの、異議申し立てを行なうとの姿勢を示し、引き続き裁判で争う構えでいる。
(1)裁判所は,会社の就業規則は、坂口さんらのように尼崎市交通局嘱託自動車運転手から会社の甲社員に直接採用された者についても適用の対象としていることを検討の結果として説明している。検討の手順と説明を示すと、@坂口さんらは、就業規則の「第2章第1節に定める手続を経て採用された社員及び準社員」との文言の限りでは、直接当てはまらず、就業規則が一切適用されないと解すべきようにも見られるが、A就業規則の付則は、坂口さんらのように尼崎市公募嘱託自動車運転手から会社の甲社員として採用された者について、就業規則の適用があることを前提に、定年等に関して特則を定めていると解される。それは、B坂口さんらのように準社員を経ずに甲社員に採用されたものと準社員を経て甲社員に採用された者とで全面的に取扱いを異にする合理的理由がなく、坂口さんらを就業規則の適用対象から全面的に除外する趣旨であると解するのは相当でない。次に、C坂口さんと会社間の雇用契約書や労働条件通知書に、就業規則の適用が明記あるいは引用されていることが認められる。また、D就業規則2条第2項が、嘱託及び臨時に採用される者の就業に関する事項については、社長が別途定めると規定していることに照らすと、本件就業規則はそれらの者(嘱託及び臨時に採用される者)を適用除外する趣旨に過ぎない。そうでなければ、坂口さんらについてはその就業に関する規定が全く定められないことになってしまう。
(2)以上の理由から裁判所は坂口さんらのように、尼崎市公募嘱託自動車運転手から会社の甲社員に採用された者も、本件就業規則適用の対象であるとの判断を示した。
(1)裁判所は、試用期間に関する本件約定が、坂口さんと会社の間で雇用契約締結の際、労働条件として契約内容となったか否かについて以下のとおり検討結果を説明している。裁判所はまず「争いのない事実等」と「疎明及び審尋」の全趣旨から、次のような事実を認定した。@尼崎市交通局は平成15年10月24日付け文書により、平成15年度末(平成16年3月31日)現在で60歳未満の者につき、本人の希望により選考試験を行い、合格者を債務者の正社員の乗合自動車運転手として採用することを予定していること、会社の社員には正社員と準社員の採用形態があるが、公募嘱託自動車運転手については、最初から正社員として採用することを予定していることなどを通知した。しかし、坂口さんらが会社の社員として採用された場合に、試用期間が設けられるとの説明がなされたことはなかった。A平成16年3月中旬頃に会社が坂口さんら公募嘱託自動車運転手に対して行なった説明会でも、正社員として採用するとの説明のみで、試用期間についての説明はなかった。B坂口さんら公募嘱託自動車運転手のうち、希望者全員が平成16年4月1日付で会社の従業員(甲社員)として採用された。その際、坂口さんと会社間で作成された労働契約書には、就業規則や諸規程の規定内容が労働条件となる旨の記載がなされていたが、本件就業規則が坂口さんに対して交付されたことはなく、また坂口さんの尼崎市交通局における就労場所に掲示されたこともなく、坂口さんが会社と雇用契約を締結するまでに、本件就業規則の内容を閲覧したことはなかった。のみならず、C会社が坂口さんを採用するに当たり交付した労働条件通知書には、契約期間、就業場所、従事すべき業務の内容、始業、就業時間等、休日、休暇、賃金や退職に関する事項(定年、自己都合退職の手続、解雇の事由や手続などの労働条件)が、本件就業規則の規定を引用するなどして説明されているが、試用期間が設けられているとの説明は存せず、本件就業規則中の試用期間の規定の引用もなかった。Dそのため、坂口さんは、会社に採用されたことを、純然たる新規採用ではなく、転籍であると考え、当初から会社の従業員として本採用されたものと認識していた。
(2)上記の事実に照らし、会社は坂口さんを採用するにつき、試用期間について全く説明せず、労働基準法施行規則5条3項の書面として交付されたと認められる労働条件通知書にも記載していないことなどを考慮すると、当初から試用期間を設けずに甲社員として本採用したものと認めるのが相当である。なお、同条1項4号は、使用者が労働契約の締結に際し労働者に対して明示すべき労働条件の一つとして「退職に関する事項」を定めている。試用期間における留保解約権の行使による本採用拒否は法的に解雇であり、「退職に関する事項」に含まれるから、試用期間における解約権の留保は、明示すべき労働条件に当たる。しかるに、会社が坂口さんに同条3項の書面として交付した労働条件通知書に、これを明示しなかったことは、試用期間を設ける意思がなかったことの徴表であると見るのが相当である、と言うのが裁判所の判断である。
(1)裁判所はまた、本件就業規則中の試用期間に関する規定は、その文理上、甲社員として採用した者について例外なく試用期間を設ける趣旨に解されるが、就業規則のうち労働条件に関する部分は、当該事業場における最低限の基準を定めたものであり、個々の労働者との間で、就業規則の基準より高い労働条件で雇用契約を締結することは、他の労働者と異なる労働条件を設定することに合理性がある限り差し支えないとの立場を示している。この立場から、坂口さんは、従前会社の実質的に親会社である尼崎市交通局で同種の業務に従事していた実績があり、会社はその実績を踏まえ従業員として採用したものであり、尼崎市交通局の書面に「公募嘱託での前歴を考慮し正社員採用とする」との記載があることも示して、坂口さんに試用期間を設けないことは合理的理由が存在することを認めている。更に、会社が平成16年5月の坂口さんらの労働組合との団体交渉の場で、試用期間について協議がなされ、坂口さんも出席していたとの主張については、この場でのやり取りは、準社員の試用期間が実質2年6ヶ月になり、準社員の身分が不安定であるとの問題提起であり、坂口さんらについての試用期間の適用があるとの認識を示す発言は、会社からも労働組合のいずれの側からも出ていないことを断定している。当然のことではあるが、この団体交渉での協議状況から、坂口さんが平成16年5月時点で、試用期間が適用されることを知っていたと認めることはできないと会社の主張を明確に斥けている。
以上の理由により、就業規則による試用期間に関する定めが坂口さんと会社間の雇用契約の内容になっていることは肯認できないとの判断である。
会社が、坂口さんについて、平成16年9月30日までは試用期間であることを前提に、留保された解約権の行使として行なった本採用取消は、無効である。会社は坂口さんとの雇用関係の終了事由としては、留保解約権の行使のみを主張し、懲戒解雇や普通解雇を主張していないから、会社が上げているその余の点(事故等)については、判断するまでもなく、雇用関係の終了をいう会社の主張は理由がない、と言うのが裁判所の結論である。したがって、坂口さんが申し立てた「地位保全の必要性」と「賃金仮払いの必要性」についても裁判所はほぼ全面的に認める決定を行なったものである。
尼崎市交通局の第2次経営計画という「リストラ」によって、2004年4月1日から、労使共同出資(尼崎市70%、連合・尼交30%)の尼崎交通事業振興株式会社に市バスの運行委託が実施された。その前年(2003年)12月12日に、自らの賃金・労働条件を守るために、公募嘱託バス運転手有志が尼崎市交通局嘱託職員労働組合を結成した。交通局との粘り強い交渉によって、希望者全員採用を勝ち取り、会社へ転籍し、市バスの運行に引き続き従事するようになった。会社転籍により、組合名を尼崎交通事業振興(株)労組と改称、坂口さんは同労組の副委員長に就任した。過酷な勤務体系は運転手の健康を害し、乗客の安全を守れないと、2004年6月に5日間のストライキを労働組合として構えて勤務表の改善等を実現した。このように闘う労働組合の副委員長として奮闘する坂口さんを会社は2004年9月30日付で、「試用期間」を口実に解雇した。この解雇の不当性を仮処分とはいえ、裁判所が断罪した意義は大きいものがある。
JR福知山線の大事故が象徴しているように、公共輸送機関の収益第1主義が如何に乗務員を精神的に圧迫し、乗客の安全を脅かすものであるかが白日の下にさらけだされている。尼崎市バスにおいても、乗務員の賃金・労働条件を切り下げ、市民や乗客の安全を危険に陥れる労務政策が、労使癒着体質の下で推進されてきた。しかし、まともな労働組合の出現によって、「安全・安心」の市バス事業の発展と働く労働者の労働条件改善を結合して奮闘する労働組合の闘いの正当性は本裁判でも証明された。正しい運動方針と不屈にたたかう戦闘性の発揮は、労働者と家族の暮らしと市民の財産である市バス事業を守る力であることを、坂口さんの裁判闘争は教えている。
(裁判担当・山内康雄弁護士、白子雅人弁護士)
このページのトップへ兵庫県立学校に勤務する教職員と市立学校の教職員のうち兵庫県において給与を負担している教職員合計1,104名及び兵庫県一般職公務員並びに県立病院の職員ら合計169名、総数1,273名を原告として、兵庫県に対して、減額された2003年3月期一時金の減額分総額1億2,900万円余りの支払いを求めた訴訟の判決が、神戸地方裁判所第6民事部で本年4月22日にありました。
判決は、不当にも原告らの請求を全て棄却して、給与の遡及的な減額を容認するものでした。
人事院は、2002年8月に、国家公務員の給与等について、同年4月に遡って、月額給与で平均2.03%、一時金を0.05ヶ月分削減し、その減額分を、この年の12月に支給される期末手当から差し引くという勧告を出しました。
この年の10月には兵庫県人事委員会でも、次のように給与を減額する報告と勧告が出されました。すなわち、月額給与で1人平均2,001円(0.46%)民間給与を上回っている、この較差は、人事院勧告における較差より小さいが、これは兵庫県の場合、公務員の昇給が延伸されてきたからである(つまり給与の昇給が先延ばしにされてきたのである)、給与水準の減額については、遡及することなく実施する必要があり、人事院勧告が期末手当で行うこととされている減額措置は、国及び本県の実情を考慮し、必要な措置を講じることが適当である、という概要でした。すなわち、兵庫県人事委員会の報告と勧告が出た時点での、公務員給与と民間給与との較差は平均2,001円(0.46%)と国家公務員の較差より少なく、この分の減額は必要であるが、減額は遡及することなく実施する必要があり、しかもその年の4月に遡って減額分を計算して期末手当から差し引くという人事院で勧告した措置については、「本県の実情」を考慮して必要な措置を講じる必要がある、との報告及び勧告でした。
兵庫県は、2002年12月に給与条例を改定しましたが、その内容は人事委員会勧告での指摘も無視した内容でした。
この条例は、将来に向けた公務員給与等の減額だけではなく、遡って給与を減額しようというものです。つまり、条例で「特例措置」を設けて、支給済みのその年の4月にまで遡って、月額給与1人あたり平均2.01%の給与が減額されたものとして計算し、その減額分を翌03年3月に支給される3月期末手当等から差し引くというのです。
原告らは、将来に向かって公民較差があるとされる1人平均2,001円分(0.46%)について減額されるのであればまだしも、既に支給済みの給与を過去に遡って減額し、しかも減額分が公民較差を上回るというのは断じて認められないとして、今回この過去に遡って減額された給与分の支払いを求めて提訴したのです。
この事件では、大きく分けて2つの問題があります。一つは、給与を遡って減額されているという点、もう一つは、兵庫県では、昇給が先延ばしにされてきたため、民間との給与格差は平均で0.46%であったのに(これは人事委員会の報告でも認めています)、今回の特例措置では、この実態を無視して、実施されていない昇給分も含めて平均2.01%分が遡って減額されている点です。
第1に、給与を遡って減額しているという点は、単に公務員のみならず、民間の労働者にとっても大問題です。このような措置を認めるのであれば、支給済みの給与も将来いつ返還を求められるか分からないということになり、いわば給与は常に仮払いの状態にあるのと同じことになってしまいます。この点で民間労働者については、最高裁判例で、このような遡及した減額は許されないとしていますが、公務員の場合には、給与を法令で定めるとなっているため、法令で定めればどのような定めでも許されるのか、という民間労働者とは異なった法律上の論点があります。しかし、既に支給済みの労働者の給与について将来返還を求めることを認めることは、労働の対価としての給与の本質からして許されないことは、民間であると公務員であるとを問わず同じはずです。このようなことが許されるのであれば、労働者は安心して給与を生活費に支出することができなくなってしまいます。この点については、この裁判では、給与を遡って減額する条例の憲法違反や地方公務員法違反という、これまで殆ど議論されてこなかった法的な問題を争点として主張しました。
第2に、実態としての較差以上の減額をしている点です。この点は国家公務員にとられた遡及措置以上に大問題です。この点は、公民較差以上の給与の減額を遡及して行われることになり、公民給与の均衡という情勢適応の原則自体に反しています。人事委員会の報告でも、「本県の実情を考慮した」措置をとるよう求めているにもかかわらず、兵庫県は、人事委員会報告に反した措置をとったことになります。一方で公務員の労働基本権を制限しながら、他方でこのような人事委員会の報告や勧告を無視した措置が許されるというなら、労働基本権の制限自体が違憲であるということにもつながってきます。
兵庫県は、以上の2点の問題点について次のような主張を行いました。
(1)遡及的に減額したという点兵庫県の主張では、減額したのは条例が制定された後の2003年3月の期末手当であって、原告らの給与を遡って返還させるわけではないから、遡及的に減額したということにはならない、というのです。
しかし、これは明らかにおかしな主張です。3月期末手当から減額された給与の額は、前年02年4月から12月に支給された給与から減額された差額分です。民間給与と比較して多く支払いすぎていた分(格差分)を過去に遡って返還させる方法として、各自に対して返還請求をする代わりに、03年3月期末手当から差し引いたというのであって、給与を遡及的に減額していることには変わりありません。
(2)公民較差以上の減額をした点兵庫県は、今回の減額措置は、公民の格差以上の減額をしたものであることは認めました。その上で、兵庫県では行財政改革から昇給の延伸をしており、行財政改革の必要性がある場合には、公務員給与が民間給与を下回ることはやむを得ないのであり、これは情勢適応の原則には違反しない、というのです。
また、人事委員会報告も、「本県の実情を考慮」するよう求めてはいるが、行財政改革の要請にかんがみて、民間給与より低い水準となるように給与を減額することを求めている、というのが兵庫県の主張です。
この兵庫県の主張によれば、公務員給与が民間給与に準拠するという給与減額の最低限の歯止めも無くなり、行財政改革を理由とすれば、どのような減額を行っても情勢適応の原則に反しないということとなってしまいます。
判決は、本件特例措置は、法的には、将来の期末手当の額を決定するものだから、既に支給された給与を遡及して減額して返還させるものとは言えない、としたものの、その実質は、既に発生した賃金請求権を事後に変更したものと同一の経済的効果を有する、として、形式的には遡及ではないが、実質は遡及と同じだという判断をしました。この点は原告らの主張を認めた形です。
ところが、判決は、給与を遡及的に「見直し」たとしても、直ちには違法ではなく、a.給与の改定システムの運用上、遡及的に見直すことが必要かつやむを得ない事情があり、b.社会的相当性を有すると認められる場合、には違法ではない、としました。
この点で、原告らが主張していた給与を遡及して減額すること、つまり「不利益」に遡及することが憲法の「不利益遡及の禁止」の原理に反するという点についての判断を判決はしていません。ただ、根拠は明確に示していないものの、条例で定められる地方公務員の給与についても、遡及した見直しをするには一定の歯止めがあるという前提に立っている判断ではあります。
その上で、判決は、公務員の給与は、毎年4月時点での給与を基準に民間との比較を行うために、5から6月にかけて調査を行い、10月に人事委員会が勧告を出して、年度途中で既に支給済みの給与を含めて年間ベースで見直すという運用がされており、このような運用は必要やむを得ないとして社会的相当性を有する、と判断しています。
つまり、この判決は、遡及的な見直しには歯止めがあるかのような指摘はするものの、結局はその必要性相当性を慎重に吟味するのではなく、公務員の給与を民間と均衡させるための調査方法の特殊性と言う一般論から遡及を肯定しています。これでは、全く歯止めとしての意味はありません。
しかも、この必要性、相当性については、一審では殆ど当事者双方で議論になっていない点でした。被告兵庫県は、あくまで遡及ではないという主張に終始しており、当事者双方に対して、必要性相当性に関して、裁判所から説明を求めるということもなかったのです。これは審理のやり方として非常に不公正です。原告側とすれば、必要性相当性がないと言う点について充分な主張立証をする機会がなかったのです。裁判所は、原告側の証人申請、原告本人尋問の申請も採用しませんでしたが、裁判所が、遡及的な見直しに相当性があるのか否かを実態に即して検討するのであれば、当然証人や本人の尋問を聞いてしかるべきです。
この点で、裁判所の判断とともに審理の進め方にも大変不満が残る結果ですが、控訴審では、この必要性、相当性の内容について、実質的な審理をするよう求めていくつもりです。
(2) 人事委員会勧告と報告を無視しているとの主張について判決は、人事委員会報告が、「本県の実情を考慮」するように報告した内容としては、兵庫県の場合昇給延伸措置によって、公民較差が実際上は0.46%しかなくなっていること、つまり国家公務員より民間給与との較差が小さくなっていることを意味していると指摘しました。
しかし、人事委員会報告は、「本県の実情を考慮」としか報告せず、明確に実際の較差分だけを減額するようには指摘していないという理由で、どの程度遡及して減額するかは知事と県議会の判断に委ねたのであり、特例措置は人事委員会報告には反しない、としています。
これも、原告らは「本県の実情」という表現の意味を解明するために、この意味について人事委員会担当者から説明を聞いたものを証人申請しましたが、裁判所は採用せずに、いわば裁判官の頭の中だけでかってに解釈してこのような結論を下しており、極めて不公正な審理のやり方だと考えます。
(3) 特例措置が情勢適応の原則に反するとの主張について問題点で指摘したとおり、本件特例措置の結果、民間給与より、原告らの給与は下回った額となっており、これは被告兵庫県も認めています。 判決は、情勢適応の原則では、民間給与と均衡を図るというのは重要な要素ではあるが、唯一の基準ではなく、公務員の給与が民間給与を下回っても直ちに情勢適応の原則に反するとは言えない、と指摘しています。その上で、行財政改革の一環として公務員給与の見直しをして民間給与を下回るとすることも情勢適応の原則には反しない、としました。
しかし、これは重大な問題です。
まず、民間給与との均衡を図るというのが「重要な要素」であるというにもかかわらず、行財政改革を理由にすれば、民間給与より引き下げても構わないというなら、民間給与との均衡ということ自体は、「重要な要素」でも何でもなく単に考慮すべき一要素に過ぎなくなります。
そして、このような理由で減額ができるなら、行財政改革を理由にすれば、他の財政支出削減を放置して、職員給与をまず削減することも自由にできることになってしまう途を開くことになります。これでは、労働基本権が制限されている公務員にとって、給与の減額について民間給与との均衡という客観的な歯止めは無くなってしまうことを意味します。
以上の通り、判決の内容は、審理の方法、判断内容とも非常に不満が残るものであり、原告らは5月2日付で控訴を提起しました。控訴審では証人の採用など、実質的な審理をさせるような取り組みを強化していきたいと考えています。
給与の不利益な遡及減額や民間給与を下回る減額を肯定したという点では、単に公務員労働者の問題に止まらず、民間労働者も含めた大問題だと考えています。是非今後ともご支援をよろしくお願いします。
なお、弁護団は、前田修、松山、増田、西田、土居の各弁護士で引き続き控訴審を闘っていきます。
このページのトップへ「民法協40年の歩み」の91年の神戸森学園下川事件の一件があるのみです。神戸森学園というのは、神戸学院大学(神戸市西区)・神戸学院女子短期大学(神戸市長田区)・神戸学院女子高校(神戸市兵庫区、現在は神戸学院大学付属高校=共学)を持つ学校法人です。下川先生は神戸学院女子短期大学の助教授でしたが、学生の「単位を認定しないのはケシカラン」と一方的に解雇通告をしてきたものでした。このたたかいは、結局91年12月に神戸地裁で「解雇は撤回、92年3月31日を以て退職」という和解が成立し、終結しました。この和解には、神戸弘陵・浅野闘争の勝利が大きく作用しました。大学や短大教員の解雇撤回の闘いは、教員の独立性が強く、高校以下の学校での闘いとは異なった様相を呈します。私見を恐れずに言えば、研究業績と教育の両面が求められ、「名誉回復」が中心になるようです。八代学院大学・光岡先生の場合にも感じたことでした。
「40年のあゆみ」最後の年には、須磨学園依藤教諭解雇事件があります。この事件は、皆様方にはまだ記憶に新しいことでしょう。この解雇事件は、私がこれまでに経験をしたことのない「変な事件」でした。というのは「来年3月末で退職せよ、それまでは自宅待機し、新たな職を探せ。その間に給与は保障する」というものでしたから。従って最初の01年4月からは、「解雇予告の業務命令撤回」という要求での交渉でした。01年3月30日に依藤さんが相談にこられ、土日を挟んで4月2日に個人加盟の兵庫私学労組として、須磨学園に団体交渉を申し入れました。対応したのは3月21日の職員会議で、突然4月から校長に就任することになった理事長の実兄N氏でした。「なんでこんなものを受け取らないかんのか」ときわめて好戦的でしたが、労働組合としての申し入れであるから拒むことはできないなど、道理を尽くして説明しました。N氏は「ちょっと待ってくれ」と席を外し、その数分後に、その後の組合との直接の交渉担当となる学園理事にも就任していた弁護士K氏を伴って現れました。当日には全教職員への学内研修会が開かれていたようで、K氏はその講師として来校していたようでした。そして「なぜ、依藤さんに対してこんな業務命令が出されるのか、その撤回を求める」交渉が始まりました。進学路線への急激な転換をはかる須磨学園にとって、その中心教科である数学科の教員として依藤さんの「指導方法」は不用であるということが明らかになりました。これだけでは「解雇理由」として不充分だと考えた学園側は、その後さまざまな理由をこじつけて、付け加えてきました。一年後の02年3月末には、解雇が現実のものとなり裁判闘争に入らざるを得なくなりました。11月8日の「仮処分勝利決定」、03年3月24日の神戸地裁での「勝利判決」、03年7月29日に大阪高裁での「解雇撤回、円満退職和解」でこの闘いは終わりました。きわめて残念なことでしたが、この闘いの間に須磨学園内部に「核」となる組合員を作ることができず、03年度末、04年度末にも大量の解雇者が出ていますが、新たな撤回の闘いを組織することはできていません。
91年以後、02年の須磨学園依藤闘争まで事件がなかったというのではありません。甲子園学院では、短期大学のS先生(助教授)が87年4月から幼児教育科の講義をはずされ、就職相談室勤務を命じられました。ことの発端は、一応の管理責任室となっている教室(エレピアン室)の「電灯消し忘れ」を学院長が発見したことから始まりました。「20年勤続の助教授にあるまじきこと」と叱責され、「高校の教員として出直すか、短大の就職室の事務担当となるか」の選択を迫られ、とりあえず後者を取らざるを得なかったのです。さらに89年1月には、S先生と音楽科目の運営に協力しあってきた専任講師のI先生に「短大では余剰教員」として、次年度からの高校への配転が命じられようとしました(実際には、別の音楽担当教員の採用が決まっていた)。これを機に、甲子園学院に私学労組分会ができ学院に団体交渉を申し入れましたが、なかなか交渉に応じようとせず、地労委に「あっせん」を申請しました。労働組合として「表に出る」ことによって、SさんもIさんも短大教員としての身分を維持することができましたが、学院の体質を変えるまでには至らず、2005年3月、38年勤めたSさんが学院を退職し、甲子園学院の労働組合はなくなりました。しかし私学労組分会として、年2〜3回の団体交渉とその報告を中心とした「甲子園学院分会ニュース」の発行は、学院経営者一族による私物支配に「異を唱える」教職員の「一縷の光明」となったことは紛れもないことでした。99年には高校のKさんが、「2年契約の期間満了(労基法違反の雇用契約)」で解雇されようとしたとき、Sさんへの相談と私学労組への加入、基準局への是正勧告要請と交渉で、事実上雇用を継続させました。01年にはYさんが結婚したことを理由に「退職強要」を受けたことで交渉し撤回させました(妊娠・出産で02年3月に円満退職)。この間、組合員に対する徹底した嫌がらせ、仕事はずしなどがありました。このため学院内にSさんの後継者を作ることができずに、私学労組甲子園学院分会は05年3月をもって「立ち枯れ」たことは残念です。大学・短大・高校の約300人の教職員に毎号郵送した「分会ニュース」は、この15年間で73号を数え、最終号を4月に発行・郵送しましたが、私はそれに次の様な一文を書きました。
昨年3月、中・高の小池さんが、そして今年3月、短大の白井さんが相次いで退職され、公然と労働組合を名乗って学院経営者(久米一族)と対決してきた兵庫私学労働組合甲子園学院分会は、事実上なくなりました。久米一族にとっては「獅子身中の虫」を駆逐できたと喜んでいることでしょう。しかし、学院で働く教職員にとっては「泣く子と地頭には勝てぬ」との、一層の奴隷的支配のもとにさらされることにもつながりかねません。 甲子園学院経営者には、近代的雇用関係(労使関係)についての理解が決定的に不足しています。最近、「パワーハラスメント」という言葉をよく耳にするようになりました。横文字を使い、なんとなく新しいことのように思えますが、甲子園学院経営者の体質は、労働組合の組合員であると否とを問わず、一族に楯突くものに対するパワーハラスメントそのものではないでしょうか。
「天は自ら助くる者を助く」。労働組合は経営者による恣意的な支配服従関係を、法律にもとずいた実質的な対等平等な雇用契約関係にすることを、第一義的な目的とします。しかし法律は、自ら行動するものにとってこそ「力」をもちますが、行動しないものにとっては「絵に描いた餅」に過ぎません。私学の教育と経営、そして労使関係は、ますます厳しいものになりつつあります。個人でも加入できる兵庫私学労働組合や各学園教職員組合で組織する兵庫県私立学校教職員組合連合(兵庫私教連)は、「何とかしたい」「何とかしなければ…」と考えている私学教職員を支援し、ともに職場環境や働く条件を改善しながら、教育機関としての社会的責任を果たす(果たさせる)。そうした運動を基礎に、同じ私学、同じ教育、そして同じ働く仲間と連帯して世の中をよくするために運動をすすめています。甲子園学院にも新しい芽が芽吹くことを期待しつつ…。
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