《第445号あらまし》
 港湾年金訴訟で年金受給者勝訴判決
 トーヨーメタル不当労働行為事件
 JR福知山線脱線・転覆事故の現地視察に参加
 〔連載〕思いつくままにG
 労働トラブル110番(2005年6月4日)報告
 新入会員のご紹介〔アイピーアイ労働組合〕


港湾年金訴訟で年金受給者勝訴判決

弁護士 松山 秀樹


提訴の際に、本誌上でもご紹介させていただきました港湾年金の切り下げについてその無効を争って提訴した事件で、本年5月20日に神戸地方裁判所第6民事部は、年金受給者らの訴えを全面的に認め、原告勝訴の判決を出しました。港湾年金は産業別の年金制度という特徴を有し、この判決は、産業別年金の引き下げを無効としたわが国最初の画期的判決です。

前回は、地方公務員給与不利益遡及について、第6民事部が不当判決を出したと、判決をこき下ろす原稿を書きましたが、今回は、大英断の判決であると、裁判所に敬意を表する原稿を書きます。


1 訴訟の意義

原告らは、従来年額30万円の港湾年金を受給していました。ところが、組合と港湾事業者団体である日本港運協会間の協定で年金額が30万円から25万円に減額されました。港湾年金訴訟は、この一方的に減額された年額5万円について支払いを求めた裁判です。見方によってはわずか「5万円」と考える人がいるかもしれません。しかし、決してこの訴訟の重要性は、金額だけで決まるものではありません。港湾年金制度は、劣悪な港湾労働者の労働条件を改善すべき責任を港湾運送事業者と港湾利用者である荷主、船会社が一体となって負うべきことを明確にした、我が国でもいままでに例を見ない制度です。港湾労働者がこの制度を勝ち取るにあたっては、年金制度を産業別年金として創設するための長年の闘いがありました。そして、このような港湾産業全体の責任で港湾労働者の労働条件を改善すべきであるという理念を今後も守り発展させるためには、港湾労働者の闘いの成果として勝ち取った港湾年金の権利性を後退させてはなりません。

港湾年金訴訟は、まさに港湾年金の産業別年金としての法的性格、その受給権が権利として保障されるべきものであることを正面から問うた裁判です。この裁判を勝利することは、単に現時点で年金を受給している者だけに利益となるだけではなく、港湾で働く労働者全ての労働条件を港湾利用者を含めた港湾産業全体の責任で改善していくべきであるという理念を発展させることになると考えています。


2 港湾年金制度の画期的な意義

港湾年金制度は、港湾労働者の賃金が低く、退職金制度も無いか、極めて低額であるため、これを補完する制度として、1976年に日本港運協会と組合との合意によって設立されました。

この年金は、企業別の年金とは異なり、港湾事業によって利益を得ている荷主船主など港湾利用者からの拠出金をも財源として、港湾産業全体で港湾労働者の労働条件を保障するという産業別年金としての性格を有しています。そのため、年金支給の要件となる勤続年数の計算でも、他社へ移籍しても勤続期間を通算する扱いをするとか、事業者が倒産して年金を支給する財源を負担する能力が無くなっても受給資格者には年金を支給する(但しこの扱いを定めた規定は現在は廃止されている)など、企業別年金にはない特徴を有しています。

そして、このような産業別年金という特徴を最も明確に示しているのが、年金支給の財源のかなりの割合を、荷主、船会社から貨物取扱い料金に付加して徴収している拠出金によって賄っているということです。港湾労働者が雇用されている先の港湾運送事業者の中には零細な事業者も多く、港湾運送事業者のみの負担で港湾労働者の労働条件改善を求めていくことには限界もあります。他方で、荷主、船会社が港湾を利用するには、港湾運送事業者と港湾労働者の荷役作業が不可欠であって、港湾運送事業による利益を荷主、船会社が享受する関係にあります。事業者団体は、港湾年金制度が成立する最後まで、荷主、船会社からの拠出を求めて産業別の年金として設立するのには抵抗しましたが、当時の労働者の闘いによって、産業別年金として設立されたのです。確かに米国など諸外国で設立されている産業別年金である港湾年金と比較すると支給額などが極めて低い現状ですが、それでも産業別年金として設立された港湾年金は、これまでの企業別年金とは異なる画期的な意義ある年金として設立されたのです。


3 訴訟の争点と裁判所の判断

訴訟では、港湾年金の支給義務者、労使協定によって既に支給されている年金額の減額が可能かが中心の争点となりました。

(1) 港湾年金の支給義務者

港湾年金受給資格が得られれば、受給権者は、(財)港湾労働安定協会(以下「安定協会」といいます)に対して年金受給のための裁定請求を行い、裁定を受けて、この協会が作成した年金証書をこの協会から送付され、以降はこの協会から年金が送金されてきます。

そこで、年金受給権者は、安定協会に対して年金請求権を有しているとして、安定協会を被告として訴訟を提起しました。

これに対して、安定協会は、年金支給義務者は、各事業者であって安定協会ではないと反論してきました。

判決は、原告らの主張を認めて、安定協会と年金受給者との間に年金支給契約が成立しており、年金受給者は、安定協会に対して具体的な年金受給権を有していると判断しました。

すなわち、年金規程によれば、安定協会は、受給資格を有するものから年金受給の裁定請求があれば、受給権を有する旨の裁定を行い、受給者に対して年金証書を交付する義務を負っている。そして、年金受給資格を持っているものからの裁定請求は、本件規程に従った年金支給を受ける契約(年金支給契約)の申し込みであり、それに対して安定協会が裁定を行えば、それは年金支給契約の申し込みに対する承諾の意思表示であるから、そこで裁定時の年金額について年金を支給するという契約が成立し、年金受給者は、この裁定時の年金額について具体的な請求権を安定協会に対して有することになる、という判断です。

(2) 中央労使協定によって年金減額の合意をした場合に、その効力が既に年金を受給している原告ら年金受給権者に及ぶのか。

判決は、本件規程には年金支給額、支給日、支給期間(これは60歳の誕生日の翌月から満75歳の誕生日までで、年金証書に明記されている)、支給方法が特定して記載されており、受給権者の有する年金請求権はその内容が確定している具体的な権利であると認定しました。

その上で、年金受給権者の承諾なく、年金支給額の減額ができるかについて判決は検討をしています。

第1に、本件年金支給契約の内容が、中央労使間の合意によって年金額が変更された場合には、それにしたがって自動的に年金受給者の年金額も変更されるという内容である、という安定協会の主張について、判決は、本件規程には、中央労使団体の協定によって契約内容を変更する旨の規程が存在しないし、その他、そのような留保条項は設けられていないから安定協会の主張は理由がないとして退けています。最近の企業年金の協定には、経済情勢の大幅な変動など事情が変更した場合には将来年金額が変更され得るという趣旨の規程が設けられている場合が多々あります(先だって判決があり減額が肯定された松下電器の年金裁判においても、このような規定が設けられていました)。しかし、港湾年金規程には、そのような留保条項や将来の年金額の変更に関する規定は一切存在しません。

第2に、安定協会は、中央労使合意による本件年金制度の変更の効力は、労働協約や就業規則の不利益変更に関する労働判例法理が類推適用され、既に年金支給権を具体的に有する受給権者にも及ぶ、と主張していました。

これに対して、判決は、年金受給権者は、既に退職していて労働者ではなく、組合加入資格もないのであるから、本件年金制度の変更を行った中央労使合意における意思決定の過程に全く参加する機会が設けられていない、既に退職して労働組合を脱退している受給権者と、現に労使関係にある労働者とはその利益が共通する関係にあるとは言えず、その手続保障を組合が代わって行うという関係にもない、したがって労使合意は年金受給者には及ばない、と判断しました。

この事件の原告らが、最も問題としていることの一つに、自分たちが全く関与できない手続きで、自分たちが受給している年金額が不利益に変更されたという点でした。判決は、この原告らの指摘に真正面から答えを出し、原告らの主張を認めたものです。

そして、判決は、年金受給者の権利は、既に確定した具体的な権利であって、これを労使合意によって変更することはそもそも許されないから、年金減額の必要性や合理性を論じるまでもなく、減額は許されない、という非常に分かりやすい論理で原告ら年金受給者の請求を肯定しました。

(3) 途中で年金額が増額されている年金受給者について

本件で原告となった年金受給権者の中には、裁定時には低い額で年金支給の裁定を受け、その後に、年金額30万円に増額された原告もいます。裁定時に具体的に権利が発生するとすると、途中で裁定額から増額した年金受給者の権利の内容がどうなるか、という問題が発生します。この点について、判決は、年金額が増額された場合には、各年金受給者に対して増額の通知を行っている点を捉えて、この通知は、各受給者に対する安定協会からの年金契約の内容を変更する申し込みであると解釈し、年金受給者がこれを異議無く受給したことで、社会通念上は黙示に増額の承諾をしたと言えるから、ここに安定協会と個々の年金受給者との間に年金増額の合意が成立したと認めています。


4 舞台は控訴審へ

このように地裁の判決は、年金受給権の重要性を踏まえて、年金受給者が意思決定に関与できない場で年金制度を不利益に変更することは許されないという、当たり前の内容ですが、非常に画期的なすばらしい判決でした。

この判決に対して、安定協会は、直ちに大阪高裁に控訴した結果、今後は舞台を大阪高裁に移して審理が行われます。

既に述べましたが、原告らは、この訴訟は、決して現役労働者と退職した労働者の利益が対立する裁判ではないと理解しています。それは、港湾年金制度が、産業別労働組合の連帯と労働者の闘いによって勝ち取られた画期的な港湾産業の横断的な制度であるからこそ、港湾年金制度の内容を後退させることは、ひいては現役労働者の労働条件の悪化にもつながると考えているからです。

この訴訟での原告は9名ですが、その背後には、1万2000人の年金受給権者がいます。今回の地裁判決は、この多くの年金受給者のご支援、その他多くの労働者のご支援によって獲得できました。高裁判決で、この地裁判決が後退することがないよう今後とも原告、弁護団とも活動していく所存です。

なおこの事件の地裁での弁護団は、大阪から斉藤真行弁護士、國本依伸弁護士、神戸からは小泉伸夫弁護士です。

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トーヨーメタル不当労働行為事件
当事者組合だけで県労委への申立の始末記

JMIU兵庫地方本部 藤田 和夫


トーヨーメタル株式会社(本社:大阪府堺市、代表取締役加門健一郎、従業員約50名、ロウ材・電極棒、パイプ加工品製造販売)の兵庫工場(多可郡中町、従業員約27名)の労働者が労働組合を作りたいとJMIUに相談し、2004年10月3日に5名(後日1名加入して6名)で組合を非公然で結成した。

ところが、10月19日に中心になっていた2名の組合員が解雇予告(この段階で組合結成が会社に知られていたとは考えにくいので、組合結成と偶然タイミングがあった事件)を受け、急遽2名を公然化すると共に、解雇撤回闘争に取組んだ。翌日には2名の組合加入通知と解雇撤回の申入れをJMIU大阪地方本部や堺労連の支援も受けて行った。また、兵庫民法協の増田弁護士の力も借りながら、法的措置も辞さないと申入れた。すばやく断固とした取組みを行ったこともあって、会社は11月15日の交渉で解雇を撤回した。

ところが、会社は解雇撤回交渉が大詰めを迎える11月12日に、社長の妻の加門美智子監査役、製造部長、兵庫工場長、伊勢神宮関係者と称する東某の4人が手分けをして兵庫工場従業員宅を訪問し、「JMIUは共産党の組合である。近所づきあいもできなくなる。こどもの就職もできなくなる。再就職もできなくなる。共産党に入れられ、収入の10%を納めさせられる。組合で100万円とっても本人には5万円か10万円しか渡さない」などの罵詈雑言を並べ立てたので、家人の中には「何が起こっているのか」と恐怖に恐れおののく人もでる状況になる。小さなこどもの中には、その後他の人が訪問しても怯えるこどもすらでた。組合の抗議に対して、会社は謝罪どころか、言を左右に知らぬ存ぜんと口を拭う態度に終始した。

労働基準法違反項目については、時間外労働の賃金未払い、年次休暇取得を理由とする皆勤手当のカット、パート労働者の年次休暇取得などは、交渉と併せて労働基準監督署への申告も行ったので、実施させた。しかし、一部労働者への賃金の一方的カット、退職金制度の不利益変更などについては、労働基準監督署が判断できないということを理由に要求を拒否してきた。また、機械の故障を労働者の責任にして労働者が精神的に追い詰められて「うつ病」になったり、高熱の油を使う職場に「油過敏症」の労働者をわざと配置して「嘔吐、食欲不振」の症状をきたさせるなど、組合員への嫌がらせも続いた。

団体交渉は、本社のある堺市を就業後に指定し、月1回の交渉しか応ぜず、交渉内容はことごとく組合申入れを拒否する不誠実団交に終始した。

このような経過もあって、3月2日に県労委へ不当労働行為の救済を申立てた。

結成当初から、組合への誹謗中傷、不誠実団交が続いたので、県労委への申立のための書証の準備は綿密に行ってきた。会社側の攻撃もあからさまな不当労働行為であったので、代理人に弁護士を立てないで自分達だけで取組むことにした。書証の整理は、支部が自分達で行った。JMIU兵庫地本は法人格を持っていないので、傘下の4支部に組合資格申請をして貰った。補佐人には地本の役員が名前を連ね、元私教連の和田さんに顧問格の補佐人をお願いした。会社側も、費用を惜しんで代理人に弁護士をつけないのではと予想したが、木村一成弁護士(大阪、30才)という若い弁護士を代理人にたてた。組合の申立に対する答弁書は、組合の言い分を前面否認する内容だった。

県労委のメンバーは、公益委員は小嶌典明氏(大阪大学大学院法学研究科教授)、労働者側委員は井上一美氏(川崎重工労働組合明石支部元委員長)、使用者側委員は石崎恭二氏(住友チタニウム褐レ問)であった。2回の調査の結果、5月6日に和解を受け入れた。和解内容は、誹謗中傷に対する謝罪を含まないもので、労使の正常化の役に立つかどうか疑わしいものであったが、あえて和解に応じた。

不十分な和解に応じた理由は、支部が組織的に審問を維持することが出来ないと判断したことによる。県労委申立の段階で、2名が退職し組合員が4名になっていた。残る4名のうち、1名が「うつ病」、1名が「油過敏症」の状況だった。申立そのものを本来すべきでなかった状況だったが、支部組合員の強い要望もあり、やむを得ず申立を決断した。申立後は、組織維持がますます困難な状況になってきたので、申立の取り下げよりも和解の道を選んだ。

県労委の申立は、竜頭蛇尾に終わってしまったが、代理人に弁護士を依頼しなかったことがこのような結果を招いたわけではない。作成書類の煩雑さと申立書の作成には、少々うんざりしたが、今回のように不当労働行為が明確な場合には、当事者だけでもなんとかやれるのではないかと思った。しかし、審問を経験していないので、審問で相手の反論を適確に打ち破ることができるのかについては、次の機会を待つしかない。むしろ問題は、県労委での技術的な問題よりも、労働委員会も上手に活用しながら労働組合と労働者の権利をたたかいとる取組が不十分だったという点で今回の取組みを反省させられる。労働委員会の審問維持すら危うい状況の組合組織しか作れなかった点に問題がある。

今回の事件だけでなく一般論としても、労働組合が、職場や地域での本来的なたたかいに自信が持てなくて、裁判・労働委員会・労働基準監督署にもたれかかる事例を見るにつけ、日本の労働組合運動の弱さを感じる。

JMIUトーヨーメタル支部は、和解直後残りの労働者も職場を退職した。今のところ、JMIU地域支部としてがんばっている。一部の組合員は、会社の仕打ちが許せなくて、賃金カットや退職金規定の不利益変更の是正を求めて、裁判も辞さないと準備している。

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JR福知山線脱線・転覆事故の現地視察に参加

弁護士 阪田 健夫


5月15日、大阪の民法協が主催した事故現場の視察と国労組合員からの聴き取り調査に参加しました。兵庫県からは、私のほかに白子弁護士と津久井弁護士が来られていました。

緊急に呼びかけられたものであり、日曜日の午前10時という普通は人が集まりにくい時間帯でしたが、集合場所のJR尼崎駅には弁護士、学者、労働組合員など総勢50人以上が集まり、徒歩で事故現場へ向かいました。

南の方角から現場に近づきながら、対向する線路上で停止したままになっている特急北近畿の横を通り過ぎました。そこから脱線・転覆現場までは100メートル余りしかなく、的確な判断で2次衝突を防いだ北近畿の運転士に感謝したい気持ちになりました。

脱線・転覆現場に到着すると、参加者一同は民法協が用意した花を一輪ずつ受け取り、線路上に設けられた献花台で黙とうを捧げました。私は、マスコミで度々取り上げられている中村(旧姓藤崎)道子さんの御冥福を祈りました。中村さんは、92年から93年にかけて、大阪の淀屋橋綜合法律事務所に勤務され、私の事務を担当して下さった方でした。その後も、97年と02年に私が春秋会という会派の毎月のニュースづくりを担当した際、中村さんの「あらくさタイプ」に印刷をお願いしていた関係で、直接、たいへんお世話になりました。まじめで思いやりのある可憐な女性でした。川西市内での御通夜にも伺いましたが、実際に事故現場に来て、最も損傷の激しかった2両目で亡くなった中村さんがどれだけ苦しい思いをされたのか想像すると、あらためて悲しみがこみ上げて来ました。

その後現場では、線路脇の路上で国労組合員の現役運転士の方から事故について説明をしていただき、質疑応答がありましたが、50人もの参加者が取り囲んでいるため、後ろの方にいた私にはほとんど内容は聞き取れませんでした。

そうこうするうちに昼になり、大阪のJR天王寺駅近くにある国労南近畿会館に移動してさらに国労組合員の方々からの聴き取りを行うことになりました。

国労からは昨年12月まで運転士をしていて現在労組専従の井戸・大阪地本書記長のほか、現場で説明して下さった現役運転士の方、車両点検・補修担当の方、電力メンテナンス担当の方、線路補修担当の方、フロントサービス担当の方等8名の方々が出席されました。

私は、どの方も自分のことのように責任を痛感しておられる様子が印象的でした。お話しいただいた内容で共通していたのは、JR西日本全体が利益を上げるために血眼になっているということでした。その中で労働者は連帯感を持つことが出来ずに気持ちがバラバラになり、ミスに対して異常に神経質となっていること、会社が「稼ぐ」ために全社員に年間30万円〜40万円の「ノルマ」が課されており達成するためにJRの「山陰カニツアー」や「ゴルフツアー」に何度も行っているという笑えない現実があること、民営化後の人減らしにより運転士が不足しているために促成栽培的な運転士養成が行われていること、運転士志望の高卒新入社員は不利益を恐れて国労には加入しないこと、運転士の配置換えも多く、慣れない路線でも十分な引継ぎ期間もなく任されること、等々マスコミでは報道されていない内部情報を多く聞かせていただくことができました。

事故の再発防止と鉄道輸送の安全確保のために、JR労働者や労働側弁護士の立場から何をなすべきか、何ができるのか、今後の分析と行動が問われていると感じました。

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〔連載〕思いつくままにG

元民法協代表幹事 和田 邦夫(元兵庫県私立学校教職員組合連合)


民法協第33回総会(1995年度)議案書には、震災と雇用・労働条件・労災等について、発生以後約半年の状況の記述があります。バブル崩壊以後、雇用調整の名のもとに大企業での人員整理の嵐が吹き荒れることになりますが、特に関西では震災が後押しし、労働者中小業者・自営業者に襲いかかりました。くわえて日経連が発表した「新日本的経営システム等研究プロジェクト」中間報告の労働力政策は、その後の労働法制を方向付け、長期不況とも重なって、慢性的な高失業状態を作り出すことにもなりました。

1995年1月17日カの明け方のことでした。自宅周辺は、被災の大きかった市街地から一山越えた開発された住宅地にあり、地震後2時間余りのちには、電気もきていました。水も出ました。ガスも通っていました。食器棚から落ちた食器の破片をさけながら、簡単な食事を取り、息子やおふくろのうちに電話をかけましたがつながりません。その後電気が止まり、子どもが持っていた音声の出ない携帯ラジオの情報では、状況は今一つよく分かりませんでした。市街地のたいへんな状況は想像できなかったのです。電気がきてテレビの放映で、やっと災害のひどさが少しずつ分かりました。午前中かかって家の中をとりあえず整理し、午後、娘と車で書記局に出かけました。西神戸有料道路の料金所に人はなく、そのまま通り過ぎました。ところどころに亀裂が入っています。一般道に近付くにしたがって、屋根がずり落ちたり傾いた家屋が目につきました。道路は5センチほどの段差があるところもあり、通常なら30分程度のところ、約90分かかりました。

築後約10年の書記局ビルは、きちんと立っていました。道路を隔てた薬剤師会館ビルは、2階部分から折れるように道を隔てたガソリンスタンドに倒れ込んでいました。とにかく2階の書記局のドアを開けました。きしみもなく開きましたが、部屋の中は書類や署名用紙・ビラ等が10数センチの高さに散逸し、書架も折れ曲がっていました。壁に掛けた時計は、5時46分で止まっていました。後に分かったことですが、電池だけが飛び出していたのでした。電話は発信音が出ており通話可能の状態でした。FAXも電源の点検のみで使用可能の状態でした。室内の整理に手を付け出したら何時帰宅できるか不安でしたので、そのままにして帰路につきましたが、県庁前の教会も崩れ落ちていました。

18日早朝には、自宅に全国私教連委員長から連絡があり、全国教研(大阪で開催)初日の20日には開会行事を取り止め兵庫に入るがどうするかとのことでしたが、状況がつかめない、交通事情が麻痺している、とりあえず書記局は大丈夫だから、情報収集に全力を挙げたいと返答するに留めました。長男は阪神大石駅近くの勤務先スイミングスクールで、避難者とともに17日は過ごしたようですが、18日の深夜に約5時間かけて徒歩で帰ってきました。「悲惨や、人生観変わるで」と言っていました。

19日、書記局内の整理がおぼつかないので、次男(高校2年)を連れて徒歩で書記局に出ました。途中、中央区内の2校に立ち寄りましたが、どちらも事務室では電話のダイヤルを回し続けていました。S校では、外壁の落ちた体育館が避難所になっていました。夕刻、帰宅途中に元勤めていた同僚宅に立ち寄ってみました。「母家の屋根が落ち、母が一時生き埋めになったが、何とか救い出した。学校は無事で避難所になっている。被災程度の軽かった先生が、直後から学校に泊まり込んで、その世話と対応、生徒や先生の安否確認に取り組んでいる。幸い学校には地下水があったので、避難者のトイレは何とか確保できている」と話していました。

比較的被害の少ない地域に居住する組合員の自宅に電話を入れて、約30校の情報を入手し情報交換のセンターになるとともに、21日には全国私教連にも一報を入れました。

ほぼ2週間後の2月2日に、全国の私学教職員の方々に、状況報告しています。私立中高校生徒の死者29人、校舎倒壊等の被害の大きいもの9校。幸い教職員の死者はありませんでした。全貌は調査中ですが、各校で数人から10数人の住居全半壊・焼、建物は建っているが安全確認ができず、避難所生活や親戚・知人宅に身を寄せているものも多く、住居にほとんど被害がなくてもライフラインが復旧せず、食事や入浴に不自由な生活を強いられています。学校の正常な再開に向けては、避難所生活や疎開した生徒の学習をどう保障するのか、企業の再開がおぼつかなく父母の状況によっては、退学や入学辞退という生徒が出ることも予想されます。また、学校の施設設備の修復財源や学費収入減による財源不安をどうするのかなど、問題は山積しますと。

2月1日、県教委は県立高校の授業料等の向こう1年間の免除を発表しました。卒業を間近に控えた3年生担任教員からは、私学はどうなるのかの問い合わせが相次ぎました。県教育課にそのことを電話要請しましたが「国待ち」の返答に終始しました。2月8日、S校理事会は「罹災証明の発行が各自治体によって違いがある、全半壊・全半焼、学資負担者の死亡の生徒を対象に向こう1年間の授業料の免除と新入生の入学金免除を学校独自の判断で行う」ことを決定しました。即日「被災卒業予定者に学費免除の贈り物を!」の連絡文書を各単組に送り、各学園理事会との交渉で突破口を開いて、県にその財源保障を求める方針を取り、16日に教育課との直接交渉を行い、20日付けで「私立学校における入学料・保育料等の軽減に対する特別対策」を出させることに成功しました。

こうした運動の方向は、いち早く準備された「阪神淡路大震災復旧復興県民会議準備会」への参加で確信を持つことができました。また全国私教連からは、いち早く「激甚災害法」による復旧対策補助や国の動向の情報、緊急要請署名や救援カンパの取り組みなど、大きな励ましを受けました。

この大震災を期に兵庫の私学では、少子化・生徒減や教育「改革」、学園の将来構想ともからんで男女共学化や急激な路線転換が行われた学校も多く見られました。成徳学園高校は共学化を期に神戸龍谷高校に校名変更し(2002年)、今年から中学校も開校しました。塩原女子高校はスバルが丘学園神戸第一高校と校名変更(2000年)して共学化しました。神港高校は特進コースを共学にしました(2004年)。神戸学院女子高校は神戸学院大学付属高校に校名変更し男女共学になりました(2001年)。須磨女子高校は須磨学園高校に校名変更(1999年)して共学の特進コースを創設し、2002年からは全面共学となり、中学も開設しました。神戸女子商業高校は1997年に須磨区緑ケ丘に新築移転し、校名も神戸星城高校と変更して一部共学化しました。啓明女学院は2002年に中学を共学化し、2005年からは啓明学院高校と校名を変更しました。また三田にある湊川女子高校も2004年から三田松聖高校と校名変更し、男女共学になりました。

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労働トラブル110番(2005年6月4日)報告

弁護士 萩田  満


1 労働トラブル110番、実施される

2005年6月4日午前10時から午後4時まで、日本労働弁護団主催の全国一斉労働トラブル110番が実施された(全国23カ所)。兵庫県からは民法協所属弁護士7名が交代で対応した。

過去10年間、時代時代に応じて名称を変えつつ個別労働紛争の相談を受けていたが、今回は、今まで「リストラ・残業110番」として実施されてきたものを労働トラブル110番と改名して、全体的な相談に答えることにしたものである。


2 相談実績

兵庫県内の今回の相談件数は計33件であった。過去3回の相談実績が減少傾向にあったので、今回はどうなることかと心配したが、ふたを開けてみると、2年前頃の水準に戻っている。

不況を理由とする相談かどうかアンケートを試みたところ、33件のうち、不況を理由とするものは8件だけだった。にもかかわらず、解雇・退職9件、賃金不払い10件、いじめ6件、という深刻な相談が寄せられている。労働現場で、恒常的なトラブルが増加しているのではないだろうか。


3 相談の内訳


@ 相談内容
内 訳
解雇 7件
希望退職・退職強要・退職勧奨 2件
賃金不払い 10件
労働条件切り下げ 5件
労災 2件
いじめ・嫌がらせ・差別 6件
人事異動 1件
休業 0件
採用内定取り消し 0件
労働時間 1件
その他 6件

今回の相談では、賃金不払いが多かった。また、いじめ・嫌がらせが6件もあったというのも多い方ではないか。  今回は、出産休暇後に職場復帰できなかった、解雇されたという相談も2件あった。



A 相談者の構成

相談者の男女比はほぼ18:15、相談者の年齢は
10歳代 0名
20歳代 0名
30歳代 9名
40歳代 11名
50歳代 4名
60歳以上 2名

雇用形態は
正社員 16名
パート・アルバイト 6名
契約社員 2名
派遣 2名
その他 1名

今回の相談では、30代と40代の相談が多く、中高年?のリストラが深刻化していることが窺われる。  また、回を重ねるごとに、女性の相談の比率が増えている。  雇用形態では、次第に、パート、契約社員、派遣社員の相談が増えていることが気になる。今回派遣社員の相談は2件であった。労働条件切り下げの道具として、雇用形態の多様化が進んでいるのを改めて実感した次第である。

B 労働組合の有無

判明しているだけでも、労働組合の有無は8:19であった。  今回も、組合が残業問題に取り組んでいない、という厳しい声も少なからずあった。


4 特筆すべき相談


@ 160日間休みがなく、朝7時から、午前0時まで長時間勤務で、泊まりも恒常化している(病院、男性)
A 出産休暇を取って復帰しようとしたところ、代わりの人を入れたので戻ってくる必要ないといわれた(病院、30代女性)
B 成果主義が導入されたが、営業職ではなく、定型的な業務なので、評価が低い(銀行、40代男性)
C 派遣社員。募集の際に示された賃金と、実際に支払われている賃金の額が違う。会社に文句を言ってもいいのだろうか(派遣業、30代女性の父)
D 会社が倒産して、従業員全員解雇された。従業員も会社に資金を貸しているのに、貸付金も賃金も払ってもらえていない(販売、60代男性)
E 解雇になったが、離職票も出してくれないし、免許証等も返してくれない(建設業、50代男性)

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新入会員のご紹介〔アイピーアイ労働組合〕


組合員が勤務する、アイピーアイ株式会社は現在国内業界第4位のミルクカートン(牛乳パック)メーカーであり世界最大の製紙会社、米国インターナショナルペーパー社と石塚硝子株式会社の合弁会社として1976年に設立されました。当初、労働組合は無く外国人社長である上に設立当初の業績が思わしくなかった事も重なり、当時の従業員にとって日本の常識では考えられない不安定かつ厳しい雇用状態でありました。そういった状況を改善すべく1979年に従業員が結束しアイピーアイ労働組合が発足しました。

以来、組合員の団結と協力により会社側の業績も上向き、労働条件の向上と改善を図ると共に組合員の生活と権利を守る事を目的として活動を続けて参りました。

しかし近年、消費者の品質意識の向上に伴い、顧客からの品質要求が高まるにつれ、だんだんと品質維持の為の高コスト体質が目立ち始め、会社側から人件費削減に結び付くような要求が多く見られ始めました。1単独組合としてこれまで奮闘してまいりましたが、ここに至り、我々は自分たちの持つ権利を正しく理解し、違法な事を適切に指摘出来る十分な知識と情報交換が出来るパートナーを持つ場を得る事を目的として、兵庫県民主法律協会へ加入する事を決めました。


【2005年度4月1日現在の組合員の状況】
組合員数 124名
平均年齢 40.8歳
平均勤続年数 18年4か月

【2004−2005年度体制】
執行部 執行委員長 青木英也
副執行委員長 荒川俊晴
副執行委員長 広納幸雄
書記長 福水浩二
組織部長 花見憲明
文化体育部長 城谷典政
教育宣伝部長 村田和彦
会計監査 三條尚紀
代議委員 福崎工場10名 本社関係3名

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