すくすく保育園(神戸市東灘区)は、西日本初の株式会社経営の認可保育園で、営利を目的とする株式会社が福祉分野に進出したことで注目されました。
同園では、保育の充実よりも利益が優先され、保育に必要な設備、備品が不十分であったり、給食の量が制限されるなどしていました。また保育士は全員期間雇用で、継続的保育による園児との安定した関係の構築が保障されていませんでした。このような園の惨状を改善しようと立ち上がったのが、原告の高橋さんと宮田さんらでした。
ところが、高橋さんらが組合結成を保育園側に通知公表した平成15年7月以降、園は、支配介入、団体交渉拒否等の不当労働行為及び組合員個人に関する人格攻撃を繰り返しました。この中には、「組合は赤旗をもってやってきて保育の邪魔をする」などの、あからさまな発言もありました。そして、ついには雇用継続を希望する組合員4名中3名を平成16年3月をもって「雇い止め」にしました。その後、園は、同年6月には復職を認めましたが、あろうことかその後も激しい組合攻撃を続けました。
平成16年4月に地位保全、賃金仮払いの仮処分を申し立て、続けて、同年6月1日に組合も原告となって地位保全、賃金支払い、損害賠償の本訴を提起しましたが、その後園が同年6月16日からの復職を認めたため、地位保全、賃金仮払いを取り下げ損害賠償請求のみが係属することとなりました。
組合攻撃の中心人物であるオーナー兼園長が園側の人証として証言台に立ちましたが、同園長は、徐々に組合嫌悪の情を露わにし始め、組合嫌悪の情に基づき数々の不当労働行為を行ったことを全面的に認めるに至りました。あまりにあっけない尋問でした。高橋さん、宮田さんの証言は、園児への優しい気持ち、保育への情熱及び保育の改善を求めたにもかかわらず理不尽な攻撃を受けたことへの悔しさが伝わってくるすばらしいものでした。
判決では、原告らが主張する事実がほぼ全面的に認定された上、原告である高橋さん、宮田さんに、それぞれ77万円、組合に44万円の賠償が命ぜられました。原告らが受けた損害を補うには到底足りない額ですが、組合を含めてそれなりの賠償が認められたことから、相当程度の成果は得られたといえるでしょう。
裁判中には、この事件のほか、園では補助金の不正流用が新聞で取りざたされるなど、会社が保育園経営に進出することの問題点が浮き彫りになりました。
判決後しばらくして、園は、平成18年3月末日をもって、閉園することを通告してきました。園児らは、別の園へ引き継ぐが、職員の雇用までは保障しないとのことでした。どこまでも、無責任な姿勢です。
組合は、職員の雇用確保という新たに課された課題に向けて、新たな闘いに立ちあがりました。
(弁護団は、本上博丈(中神戸法律事務所)、増田正幸(神戸あじさい法律事務所)、瀬川嘉章(同))
このページのトップへ私たちは、保育環境の改善、職員の安定雇用を目指して、組合を結成しました。
しかし、平成15年7月に組合を結成してからは、園長にいじめられ、ひどい扱いをされる日々が続きました。その当時、分会長だった私はいじめの一番の標的にされました。子どもへの言葉掛けひとつひとつに文句をつけられたり、挙げ句の果てには「保育士に向いてないんじゃない。あなたみたいな人格に育つのは親の愛情を受けていない」とも言われました。園長の私に対する態度を察して泣く子もいました。
そんな日々を組合のメンバーと励ましあい、協力し合って乗り越えてきました。団体交渉も何度も行いました。
しかし、平成16年3月末に不当な雇い止めをされました。理不尽にも子どもから離されることが、何より辛かったです。園児には事情は話せませんでしたので、ただ、「先生は明日からいないの」と涙ながらに話をしました。
4月からは子どもに会えず、また収入も途絶え不安な毎日でした。
裁判を起こすことにも、正直悩みました。裁判を決意したのは、園児のためを思って活動している私たちに対して数々のいじめを行う園長を許せないという気持ち、また、子どもを守りたいという気持ちがあったからです。でも、最後に踏み切れたのは、組合の仲間がいたから。笑い合いともに泣ける仲間がいたからだと思います。
裁判を提起後しばらくして職場に復帰できました。しかし、一番辛かったのはそれからです。復帰したものの、4月から入園した当時の副園長が、園長と同じく、毎日のように執拗に私たちの人格を否定したのです。そして、保育にもつかせてもらえず、保育室にも入れてもらえず、ひたすら箱作りばかりさせられました。園長から私たちの悪口を吹き込まれているのか、私たちの代りに園に入った職員からは、冷たい目で見られました。園児の前で必死に笑顔を作っていたけど、心の中で泣いていた日々でした。
でも、そこから1年かけて今では他の職員とも仲良くなり、裁判も勝訴で幕を閉じ保育も楽しくできるようになりました。
そうしたところ、今度は、園長から「経営難のため来年3月末で廃園になります」と一方的に告げられました。子ども達は近くにできる新園に全員行くことが可能ですが、職員の雇用は守られていません。職員は戸惑い悩んでいます。保護者も、やっと落ち着いてきた矢先だったのにと、園に対して怒りをあらわしています。
今は保護者が子ども達だけでなく保育士もともに行けるよう署名活動を始めていただいています。保護者の方々のいつも暖かい言葉には励まされ感謝をしています。私たちの願いは子ども達と一緒にいること。
職員もともに新園に行けるよう、保護者と手をとりあい運動を進めていきたいと思います。
このページのトップへ1.すくすく保育園の高橋さん、宮田さん、そして全国福祉保育労働組合兵庫地方本部の3者が原告となり、株式会社ウィッシュ神戸と矢寺社長の2者を訴えた地位確認等請求訴訟は、10月12日、神戸地裁で判決が言い渡され、組合側の勝訴となりました。弁護団の皆さんに改めて感謝申し上げます。
2.この間の小泉「改革」の影響を受け、福祉の職場にも規制緩和の嵐が吹き荒れ、不安定雇用の労働者が急増しています。認可保育園の運営主体への企業参入を国が進め、神戸市がすくすく保育園を西日本で始めて認可し、それを運営するウィッシュ神戸が不安定雇用を逆手にとって労働組合潰しに狂奔したという構図でした。2003年7月15日に分会を公然化し、2004年3月末日で組合員3名が雇い止めされ、6月1日に2名と組合が提訴し、16日には3名が職場復帰を果たすという速い展開でしたが、前後の組合員いじめの不当労働行為に泣き寝入りすることなく、毅然と立ち上がった若い保育士の勇気と忍耐が周囲を励まし、今回の勝利につながりました。神戸市では認可保育園の職員に不安定雇用を実質認めない制度まで生み出しました。
3.しかし、すくすく保育園に新たな問題が持ち上がりました。判決の2日後の10月14日、ウィッシュ神戸がすくすく保育園の来年3月末での廃園届けを神戸市に提出し、それを神戸市が受理していたことが24日になって明らかになりました。運営に安定性が求められる認可保育園に不安定な企業をいち早く参入させ認可した神戸市が、補助金の不正流用問題を引き起こした企業に詰め腹を切らせた今回の廃園騒動で、一番迷惑をこうむるのは園児と保護者、そして職員です。認可した神戸市の責任は重大ですが、園児は近隣の新設園に転園させ、職員には転職の情報提供だけで、責任問題には頬かむりです。
労働組合としては、保護者、保育団体などと連絡を取り合い、園児と職員が一緒に来春を迎えることができるように、神戸市の責任と雇用保障を追及します。
このページのトップへ労働安全衛生法、時短促進法、労災保険法及び労働保険徴収法の4法改正が、05年10月26日、参議院本会議において、日本共産党以外の各党の賛成で可決、成立した。施行は、06年4月。
これら改正は、単身赴任者の増加に配慮して、赴任先と自宅との行き来を通勤災害の補償範囲に加えた労災保険法改正など評価できる点もあるものの、ここ数年、厚労省が比較的熱心に取り組んできた賃金不払い残業の摘発や過労死予防を大きく逆行させるもので、重大な問題をはらんでいる。
改正法により、1か月の残業時間が100時間を超える場合に、労働者が申し出をすれば、使用者は、産業医による面接指導を受けさせなければならないということになった。
確かにこれまでは産業医による面接指導を法律上義務づける条項は、なかった。しかし、平成14年2月の厚労省通達「過重労働による健康障害防止のための総合対策について」では、1か月の残業時間が100時間を超えるか、2か月間〜6か月間の1か月平均の残業時間が80時間を超える労働者に対しては、産業医による面接指導を受けさせることとしていた。この通達と比べると、第1に「2か月間〜6か月間の1か月平均の残業時間が80時間を超える」場合を除外している点、第2に産業医による面接指導が義務づけられるのは労働者の申し出がある場合に限られている点で、通達からは大きく後退している。
(2) 重大な問題点今回の改正は、もともとは、1年間に労災事故で怪我をしたり死亡したりする人が50万人以上いること、過労死・過労自殺も高水準で推移していること、派遣・業務請負など雇用形態の複雑化に伴って事業者の責任や現場での安全管理が曖昧になりがちであることなどから、厚労省の04年8月「今後の労働安全衛生対策の在り方に係る検討会報告書」が安全衛生管理組織の強化など、より強い規制を課していくことを求めていた。ところが、改正案作成段階で、財界の横やりが入り大幅に後退した内容になってしまった。
第1の問題点に関して言えば、現在の過労死認定基準では、労働者が倒れる前1か月の残業時間が100時間を超えるか、その前2か月間〜6か月間の1か月平均の残業時間が80時間を超えていた場合は、原則として労災と認められることになっている。つまり、それら残業時間は、いつ過労死しても不思議ではないと科学的に認められている程度の長時間労働なのであって、そんな状況にまでなってから初めて産業医の面接指導を受けさせるというのでは、遅すぎる。予防は危険な状態になってからではなく、なる前に施さなければ、意味がない。
第2の問題点は、義務づけの意味をほとんど無力にしてしまっていると言わざるを得ない。産業医の面接指導の申し出ができる=自分の命と健康を自分で守ろうとする労働者は、そもそも100時間を超えるような残業をしないでしょう。「労働者の申し出」要件は、100時間超の残業は確かにあったが「労働者の申し出」がなかったから、使用者として、健康状態の悪化があるとは認識できなかったし、残業制限等の措置を講じる機会もなかったという、使用者の免責=労働者の自己責任論に悪用されることは必至。
(3) 労働組合の出番以上のように、改正労安法によっては、働き過ぎから労働者の命と健康を守ることはできない。しかし、法律はあくまでも最低限のルールにすぎないから、労働組合が意味のあるルールにするように職場で使用者に要求し、労働協約という名の職場のルールにすればよい。具体的には、前述の厚労省通達「過重労働による健康障害防止のための総合対策について」の中の長時間労働対策を協約化していく。
すなわち、@月45時間を超える残業があった場合は、その労働者の作業環境、労働時間、深夜業の回数及び時間数、過去の健康診断の結果等に関する情報を産業医に提供して、使用者として健康管理について注意すべき事項について助言指導を受けるとともに、翌月の残業時間を削減することとする、A1か月の残業時間が100時間を超えるか、2か月間〜6か月間の1か月平均の残業時間が80時間を超えた場合は、上記@の措置に加えて、産業医に上記情報提供の後、その労働者に面接による保健指導を受けさせ、さらに産業医が必要と認める場合は、健康診断を受診させる、B上記@Aの産業医への情報提供及び面接指導は、労働者の申し出の有無にかかわらず行うこととする、という内容の協約を締結し、さらに組合として、その履行状況を定期的にチェックすべきである。
1992年、国際公約でもある年間総労働時間1800時間という労働時間短縮の目標を推進するために、時短促進法は臨時措置法として制定された。
この法律に基づいて、国は、繰り返し時短促進計画を閣議決定してきたが、ついぞ目標は達成されず、正社員の年間総労働時間は01年度の1990時間が04年度には2015時間に増加し、また厚労省が過労死の危険があるとする週60時間以上働く労働者は、93年度の540万人(全労働者の10.6%)が04年度には639万人(同12.2%)に増加している。
ところが今回の改正は、そもそも法律名を時短促進から「労働時間等の設定の改善に関する特別措置法」に変え、時短目標は掲げず、労使の自主的な努力に委ねるというもので、国の責任を放棄して、「労使自治」という名の使用者天国を容認するものに他ならない。
以上のように、労働時間等に関する規制の大幅な緩和が進んでいる。ここ数年、厚労省が労働時間管理、賃金不払い残業、過労死予防等について立て続けに通達を出して指導を強化していたことと全く逆行する動きだ。
その背景に、日本経団連など財界の規制緩和要求があることは疑いない。日本経団連幹部が経営するトヨタ、東京電力などで立て続けに、賃金不払い残業について数十億円単位の是正指導がなされたこととも無関係ではあるまい。
さらに日本経団連は、05年6月「ホワイトカラーエグゼンプションに関する提言」で、年収400万円以上のホワイトカラーには労基法の労働時間規制を取り外すよう要求し、この要求が、本来は無関係なはずの労働契約法制検討の中で改正対象として検討されている。
法律による労働時間規制の全面的骨抜きが、間近に迫っている。
このページのトップへ