画期的な勝利和解を勝ちとりましたがこの勝利を勝ちとった闘いについて報告します。
広畑製鉄所は、1939(昭和14)年10月15日操業を開始しました。
当時の政府は、富国強兵のため大量の鋼材必要とし、これまでの産炭地型の製鉄所に代わり消費地に近い臨海製鉄所として広大で廉価な土地と多量な水が確保出来る広畑に建設しました。そのため、夢前川・汐入川を大きく東西に付け替え、二束三文に近い価格での農地の取り上げで用地確保をおこない、憲兵も出動して地域住民の犠牲の上で建設され、広畑製鉄所は国家的使命を担って誕生しました。
さらに、1946(昭和21)年8月第2次世界大戦の賠償工場に指定され設備がアメリカへ持っていかれようとしましたが、地域住民とともの運動でこれを阻止しました。
高炉休止反対のたたかい、市民と労働者の団結で生産体制をまもりました。
1985(昭和60)年秋、アメリカ・レーガン大統領の要求によって「プラザ合意」がなされ、日本の経済施策は一変させられ、鉄鋼などの過剰な設備の廃棄攻撃にさらされました。
新日鉄は、1987(昭和62)年、5高炉休止と19,000人の人減らしを強行し、広畑製鉄所でも第4高炉休止が強行されました。
労働者人減らしや地域経済に大きな犠牲を及ぼすこの計画は、市民ぐるみの反対運動に発展し、高炉は休止されたものの生産体制を堅持させました。
このように、地域住民と共に広畑製鉄所は発展してきました。
1993(平成5)年5月、広畑製鉄所従業員の加藤雅巳さんが「隔離職場」への配転は「不当労働行為」だとして兵庫県地方労働委員会へ救済を求めました。さらに「隔離職場」第4クラフトに配転されていた10数名の仲間たちも名前の呼び捨てや人権侵害に反撃する闘いのノロシをあげました。
「隔離職場」第4クラフトは、加藤さんの地労委への告発と、それと呼応した仲間たちの闘いによって閉鎖させました。
兵庫県地方労働委員会のたたかいで、単なる配転反対闘争とせずに、財界のトップ企業である新日鉄が日本の労働運動を主導的に右傾化させてきた歴史から陳述しました。
(2) 鉄鋼資本が、戦後高揚した労働運動への本格的な介入を開始広畑製鉄所では、1950(昭和25)年7名をレッドパージに指定しました。その後、1959(昭和34)年の富士鉄・日本鋼管両労組の49日ストにたいし「長期ストは決して労使双方に利益をもたらすものでなく大きな傷あとをのみ残すものだ」(広畑製鉄30年史)として職制機構や広畑労働組合主義研究会などのインフォーマル組織を育成強化し、労働組合の役員選挙に乱暴に介入し、会社の進める労働者犠牲の諸施策に全面的に賛成する執行部に変質させました。
(3) 新日鉄の攻撃に対する反撃@ 会社は、各種の企業ぐるみ選挙を押しつけてきましたが、これに反撃して、日本共産党公認の姫路市議2名、赤穂市議1名を長期にわたって確保しています。
A 広幅厚板、大形、電気炉等を休止する労働者犠牲の「合理化」攻撃に労働者と共に時期を逸せず反撃しました。
B 労働者の団結を分断する資格制度の導入や勤務制度の改訂、賃金制度改悪に政策を提起し反撃する闘いを構築しました。
(4) 会社側証人の出廷拒否に対するたたかい地労委は、第4クラフトの設置と解体した、それぞれのセンター長を証人喚問しましたが、両人は出廷を拒否しました。地域宣伝やマスコミを通じ不当性を訴えました。
(5) 隔離職場・第4クラフトの閉鎖―地労委の申立取り下げ1997(平成9)年6月、広畑製鉄所が第4クラフトを閉鎖したため、同年12月加藤さんは、地労委の申立を取り下げました。
新日本製鐵では、広畑製鉄の裁判以外に八幡製鉄所での強制出向無効裁判や堺製鉄所の賃金昇格差別是正裁判、八幡から千葉県の富津中央研究所への単身赴任反対裁判を抱えていました。この4者によって四争議共闘会議を2001(平成13)年10月に結成しました。
新日鉄を相手に闘う四つの争議団は、堺争議団を軸に、相互に情報の交換や署名の応援、裁判所や本社への要請行動等で連携して活動を進めていましたが、争議の一括解決をめざして共闘会議を結成し、結束を強めて諸行動に取り組むことになりました。これによって取組みが多彩になり、本社への要請行動や株主総会への取組みも強化されました。
(2) 金属反合に2002(平成14)年7月に加盟運動の中で、特に本社への要請行動を強めるために、東京では動員力ナンバーワンと言われる、金属機械反合闘争委員会に加盟。本社要請行動が質・量共に飛躍しました。
本社要請行動回数は、2001年−2回、2002年−5回、2003年−8回、2004年−7回、2005年−8回と合計30回の行動が新日鉄を追い込みました。
(3) 全国行動を展開地裁での勝利判決を契機に、早期解決をめざして全国の新日鉄の仲間と全労連・地方組織の全面的なバックアップで全国行動を実施しました。
* 第一回新日鉄全国総行動(2003年3月31日〜4月1日)本社と八製鉄所でビラ宣伝。
* 第二回新日鉄全国総行動(2004年5月24日)本社と八製鉄所でのビラ宣伝と要請。所によって労働組合や行政機関にも要請。
* 第三回新日鉄全国総行動(2005年5月25日〜6月13日)金属反合委員会の争議団と統一して、本社と9製鉄所、さらに7支店でビラ宣伝と要請を行い新日鉄に和解解決を決意させるインパクトを与えました。同時に裁判長にも影響を与え、原告有利な和解文作成につなげました。
(4) 新日鉄の争議を勝たせる会を2004年2月結成全社・全製鉄所から174名が広畑の裁判の早期解決を求め社長に要請を行いました。この行動が勝利を大きく呼び込みました。
社長要請書要約 | |
新日鉄が思想、信条を理由に人権侵害や賃金差別を行ったのは不当だとして、広畑製鉄所の5人の社員が是正を求めていた裁判で、2004年3月29日、神戸地裁姫路支部は新日鉄の反共労務政策を断罪した。 判決では新日鉄が「昭和40年頃より、作業長会、工長会などの組織を通じて共産党員を組合役員から排除するための施策を行ってきたこと」「原告らに対し、懇親会からの排除、仕事に関わる免許取得の機会を与えないなどの差別、隔離職場への配転など差別的な取り扱いをしたこと」「原告らの賃金を最低レベルの処遇にしたこと」を明確に認め、原告全員の救済のために慰謝料1540万円の支払を命じた。 また、判決は一連の差別と人権侵害が広畑製鉄所での特異な問題ではなく、新日鉄の労務管理の中心をなしていた事実を認めている。 差別は広畑製鉄所の原告だけでなく、私も差別を受け、賃金、資格などにおいて他の社員との格差は目に余るものがあり、定年退職者は定年後の年金にまで大きな陰を落とす結果となっている。 新日鉄広畑人権侵害・賃金差別裁判で敗訴の判決を受け、新日鉄はこれを不服として控訴した。しかし、この裁判は6年の歳月をかけ、明確な証拠と証言をもとに審理され、しかる後に判決が下されたものである。“過ちを改めるに憚ることなかれ”今こそ業界のトップにふさわしい自浄能力を発揮し、進んで解決に乗り出される事を切望する。 人間が等しく社会の成員として生き、働き、暮す、この基本的人権は人類が幾多の苦難と犠牲によってかち得た普遍の原理、原則である。この不可侵の道理を守り通すことも又企業の社会的責任であると信じる。広畑をはじめ五つの争議を速やかに全面的に解決し、社員一人一人の自由で豊かな個性が発揮される環境をつくることこそ企業の揺るぎない発展に寄与するものと確信する。 社長のご英断を心より願うものである。 |
国連人権委員会(スイス・ジュネーブ)への要請へ2003年7月に告発レポート提出し、2004年7月に原告・加藤雅巳氏が2005年7月に原告・新改勲氏を代表派遣しました。
さらに、原水禁世界大会で2004年、2005年に宣伝し、2004年11月には、新たに就任した国連人権高等弁務官ルイーズ・アルブールさんが訪日した際に訴え、「ビッグ企業がその国の法律や人権を守る事が大切」との発言をえました。2005年1月18日〜1月22日神戸で開催された国連防災展はインド洋地震により国際的に注目され、宣伝に多くの海外からの参加者から質問を受けました。
新日鉄が和解での当事者交渉を打ち切り裁判所に斡旋をゆだねる中で、全労連熊谷金道議長はじめ中央単産代表や地方組織の代表が連名で「1審判決を尊重し、さらに原告の主張を充分尊重するように裁判所として配慮されることを望みます」趣旨の上申書を提出しました。さらに、担当弁護士からも原告の主張を判りやすくまとめた上申書を提出しました。
この行動が原告有利の和解文に反映しました。これより、先に裁判所への団体署名の提出は、合計5,560団体(個人署名22,805筆)を提出しました。
このページのトップへ長い間ご支援ありがとうございました。
テトラパック日本グループ日本テトラパック株式会社および西神テトラパック株式会社と全日本金属情報機器労働組合(JMIU)は、テトラパック日本グループの工場統合における西神テトラパック株式会社解散に伴う西神工場閉鎖問題に付いて、2005年12月20日付けで合意書を締結しました。
1、紙容器リサイクル事業化に関する協議窓口は、日本テトラパック株式会社人事総務本部労政部に置く。
2、将来、事業環境の変化により工場建設を計画する場合には、関西地区(現西神工場通勤圏)に工場を建設することを積極的に検討しそれが実現した場合には、できる限り、現従業員を優先的に雇用すること。
3、「(処遇条件に関する)協定書」および「統合についての運用細則」に合意すること。
合意書は、上記3項目の内容です。
JMIU西神テトラパック支部組合員は、2006年1月25日現在で23名(1名は日本テトラパック所属、1名は御殿場転籍で21名が2005年12月末で解雇)が残っており、そのうち再就職できたのは6名に過ぎません。
就職先のほとんどの所に労働組合が無く、労働条件の悪さは、目に余るものがあります。労働基準法すら守られていません。いったん再就職しても、すぐに退職してしまうという例が数多く出ています。
私たちの闘いは、終結することになりましたが、今の私たちを取り巻く状況は、「憲法が守られていると言えるのか」と思います。
第二十二条 何人も、公共の福祉に反しない限り、居住、移転及び職業選択の自由を有する。私たちの「ここで働き続けたい」「利益を上げている企業で整理解雇が許されない」という労働者の素朴な思いは今日の日本では通用せず、工場(企業)閉鎖は法的制限を基本的に受けず、工場設備の撤去・移転などの差し止めは難しく、仮に勝訴しても「損害賠償」の結論にしかならず、大企業は金を払って終わり。社会的に意義があるとしても、組合員にとって犠牲が大きすぎ、訴訟という手法をとることができませんでした。
第二十五条 すべて国民は、健康で文化的な最低限度の生活を営む権利を有する。再就職の場面では、労働基準法すら守られていない実情を目の当たりにしています。
大企業では、CSRやコンプライアンスなど表向きは体裁を整えていますが、下請け・中小企業には、単価切り下げなどの無理な要求を押し付け労働基準法すら守る体力を与えていないのではないでしょうか。
国は、労働基準法を守らせないと憲法違反でしょう。
私たちは、組合員の再就職支援、新規事業の研究などをとおして、これからも憲法を守り・守らせる闘いが続けられないかと考えています。憲法を守らせることで、私たちの暮らしの安心安全が保障されるはずです。憲法が変えられてしまうと私たちの安全はどうなるのでしょうか。
憲法を守ることが第一歩であり、すべてでもあると実感しています。
これからもご支援よろしくお願いします。
このページのトップへ1月20日午前10時、神戸地裁216号法廷で、第1回弁論が行われました。形どおりに訴状と答弁書の陳述が行われた後、原告の鳥居さんと原告代理人の羽柴弁護士による「意見陳述」が行われました(別掲)。その後裁判長は、被告の兵庫県に対し、答弁書では選任の条件についていろいろ述べているが、この答弁では、どうしてこの7人に絞られたのか判断できない、改めて事実認定について主張せよと指摘しました。
答弁書では、
ア、候補者の年齢、学歴、職歴、勤務先
イ、候補者の公職
ウ、候補者の労働組合における役職歴
エ、候補者が所属する労働組合の規模
オ、候補者が所属する労働組合の産業分野
等を総合的に判断して、7名を任命したとしています。
しかし、それぞれの項目について簡単なコメントの末尾に「考慮した」とか「考えた」などの記述があるだけで、選任された7名と原告鳥居さんとの違いは、まったく明らかにされていません。裁判長は「このままでは判断できない」と、被告兵庫県の答弁の不十分さを指摘したものです。
第1次(第37期)訴訟で、任命権者の貝原元知事の証人調べを行い、「総合的判断」の根拠についてやや具体的に、上記ア〜オの具体的条件を明らかにしました。しかし第1次、第2次訴訟とも、任命された委員と任命されなかった候補者との違いにまで踏み込むことはありませんでした。今回の第3次訴訟で被告兵庫県が、裁判長の指摘にきちんと応えて主張できるのか、特に第39期では、選任後わずか3ケ月で新しく選任された委員が辞任し、補充選任が行われることになっています。こうした「失態」もあり、きわめて興味深いところです。
次回の弁論期日は、3月24日サ午後1時15分から、216号法廷で開かれます。
多数の方々の傍聴をお願いします。
平成17年(行ウ)第65号 労働者委員任命処分取消等請求事件 原 告 鳥居成吉 他9名 被 告 兵庫県 |
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意 見 書 | |
神戸地方裁判所 第6民事部 御中 |
2006年1月20日 原告ら訴訟代理人 弁護士 羽 柴 修 |
記 | |
1 本件で原告らは、本件裁判を地労委労働者委員任命取消第3次訴訟と呼称しています。被告兵庫県は答弁書で、本件訴訟は蒸し返しと主張していますが、労働者委員の選任手続きは各期で推薦された労働者委員候補者も異なり、審査手続きも審査の対象となる資料も違う訳ですから蒸し返しという主張が理由のないことは明確です。しかも原告鳥居は2度に渡り選任されなかった訳ですが、納得できる理由を示されたことは一度もありません。しかも第2次訴訟で明らかになった「選任枠」が存在するのですから、このことの真相を本訴で引き続き究明する必要があります。さらに被告兵庫県は労働委員会制度と制度利用の実態を理解されていないと言わざるを得ません。地労委への新規申立件数が年間10件にも満たないのは、連合推薦候補者しか選任されず、非連合の労働組合が労働委員会を利用することを躊躇するからです。原告らが本件訴訟を三度に渡り提起する理由を、是非裁判所にも理解して頂きたいのです。労働者委員の恣意的ないし不公正な任命が行なわれた場合、原告らが推薦した労働者委員が任命されなかったという事実によって組織拡大など団結権に重大な否定的影響を受ける他,自分達の組合運動方針や労使関係の実情を十分理解して必要な助言・援助を施してくれる労働者委員がおらず、少なくともそのような信頼感を持てないことから、本来は労働者・労働組合の救済制度であるはずの労働委員会制度を十分に活用できないという,極めて重大な不利益を蒙ることになるからです。これは原告らにとって極めて深刻な問題であり、「労働者一般の正しい利益」論を援用した、こうした不利益はないという被告兵庫県の主張や2次訴訟高裁判決は承服することができません。
2 39期労働者委員の任命は平成17年7月28日に行われましたが、原告らがこれまで指摘し、第2次訴訟神戸地裁判決でも認定された「任命枠」中、「造船重機枠」からの選任枠からではなく、三洋電機(電機労連)労組加西支部執行委員長が任命されました。これは本件訴訟でも問題とされ、かつ恣意的任命が推認される任命枠からの選任を避けたと判断されます。ところが同委員は、選任後僅か4カ月で辞任され、欠員が生じて昨年12月2日、補欠委員を任命するための公告がされました。辞任された理由は定かではありませんが「任命枠」を意識して無理な任命が行われたのか、そうでなくても選任手続における情報不足や審査手続の瑕疵を否定できません。この事情も本訴では明らかにする必要があります。 3 最後に、改正行訴法による原告適格の問題があります。本件については平成17年4月1日から施行されている改正行訴法(平成16年法律第84号)が適用されます。周知のとおり、改正行訴法により原告適格の拡大が図られたところであります。原告らは改正行訴法9条2項にいう「処分又は裁決の相手方以外の者」ですから、「法律上の利益の有無」を判断するにあたり、同条項に規定される「当該法令の趣旨・目的」や「当該処分において考慮されるべき利益の内容及び性質」などが問題となります。この点についても原告らに保証されるべき手続的権利、労組法における労働組合の当事者性についても的確かつ公正な審理と判断を求める次第です。 |
冒 頭 陳 述 | |
鳥 居 成 吉 | |
私は、1968年に港湾運送事業会社に入社し、37年間一貫して港湾産業の労働者として働いてきました。
組合の執行委員、執行委員長となり、現在、「全日本港湾労働組合関西地本阪神支部」の副委員長に選任されており、また、産別組織である「全日本港湾労働組合関西地本」の執行委員も兼任しています。 地労委に救済を求めている圧倒的多数の労組は「小さな組合」です。「小さな組合」は使用者と対等な関係に立って交渉することがかなわないことが少なくないからです。 私自身、地労委に対する不当労働行為救済申立に何度も携わってきました。私以外の労働者委員候補者で、自身が地労委への申立を体験した人はどれだけいるのでしょうか。 私は、このように、職場に根ざした「小さな組合」の活動と、4千数百名の多数の組合員を擁する「産業別組合」の役員としての活動を経験してきました。 地労委の労働者委員を勤めるにあたって、救済を求める労働者、労働組合の目線に立って事件を見ることができるかどうかは、地労委に期待される機能を果たす上で不可欠なものです。 兵庫県における港湾産業の位置は極めて大きいものがあります。同時に、震災を経て港湾産業やそこで働く労働者が厳しい環境におかれていることは言うまでもありません。「港湾」という要素は、兵庫県の労働組合や労働問題を見る場合に極めて大きな意味を持つものではないでしょうか。 私は、現実問題として、労働運動にさまざまな潮流がある以上、それが労働者委員の構成に反映され、そのことによって、委員自身が活性化することにつながると思います。事件の見方に多面的なアプローチがあることを知ることは、ひいては「連合」傘下の労組出身の労働者委員の活動にとってもプラスになるはずです。 日本の産業は「二重構造」といわれるように大半が中小企業が担っています。 そして、地労委に救済等を求めるのは大半が中小企業の労働組合です。そのような労組にとって、中小企業出身の労働者委員がいることは、地労委に対する期待と信頼を高めることになると確信します。 この4月から労働審判制度が開始されますが、審判員の任命に当たっては、最高裁は、事実上系統を反映させた任命を行っており、このような扱いが合理性を有することは明かです。 兵庫県知事が、一貫して「連合」傘下の労組出身の候補者だけを労働者委員に任命してきましたが、今や改められなければなりません。 裁判所におかれては、公正な判断をしていただきますようお願いいたします。 |
2005年12月3日午前10時から午後4時まで、日本労働弁護団主催の全国一斉労働トラブル110番が実施された(全国25カ所)。兵庫からは民法協所属弁護士9名が交代で対応した。今回は、事前に予定されたいたテレビ報道がなされず、相談件数は少ないものでした。
2005年6月4日 全国613件 兵庫33件
2005年12月3日 全国186件 兵庫19件
内 訳 | |
●解雇 |
3件 |
●希望退職・退職強要・退職勧奨 |
1件 |
●賃金不払い |
14件 |
●労働条件切り下げ |
1件 |
●労災 |
1件 |
●いじめ・嫌がらせ・差別 |
1件 |
●人事異動 |
1件 |
●休業 |
0件 |
●採用内定取り消し |
0件 |
●労働時間 |
0件 |
●その他 |
1件 |
今回の相談では賃金不払いが多かった
10歳代 | 0名 |
20歳代 | 3名 |
30歳代 | 3名 |
40歳代 | 5名 |
50歳代 | 4名 |
60歳以上 | 3名 |
正社員 | 10名 |
パート・アルバイト | 8名 |
契約社員 | 0名 |
派遣 | 0名 |
その他 | 1名 |
@ | 20年間勤務していた現場職から事務職への配転。仕事の出来が悪い等を理由にあからさまに嫌がらせをされ耐えきれず退職。(市の外部団体、50代女性) |
A | 5カ月分の給料を分割で支払うと言いながら全く支払ってくれない。(リフォーム業、30代男性) |
B | 月給制という職安の広告で入社したが、実際は700円の時給扱いであった。(広告業、女性) |
C | 寝具店のセールスマンで週6日、祭日なし、1日12時間勤務。売り上げを伸ばすよう圧力をかけられていた。脳動脈瘤で意識不明。(寝具店、50代男性の母) |
私達が働くタクシー産業は、2002年2月1日施行された「改正道路」運送法=規制緩和までは、国の認可事業として需給調整(人口に対しての台数割合)・同一地域同一運賃(同じ地域で同じ運賃)がきっちりと整備がされていました。しかし、同法施行後は「認可制から許可制」へと変わり、国が定めた許可用件を満たしておれば行政側(陸運局)は何でもかんでも許可(増車)する。又、運賃についても下限運賃(現行運賃の10%以内)を設けて、その枠内であればすぐにでも許可される状況となっています。こうしたことから、タクシー産業で働く労働者の賃金システムは、成果配分(出来高払い=水揚げに対して歩合給)が主流を占めていることから、デフレ不況による利用者ばなれや規制緩和政策(新規参入・運賃の多様化)の影響でそこで働く労働者の労働条件(賃金含む)は劣悪な状況となっています。小泉内閣が推し進める「構造改革路線」のなかで「市場経済万能主義施策」は、官から民へ移行することによって「市場経済が活性化する」と主張していますが「04年4月のJR尼崎脱線事故・航空機の整備不良」等、規制緩和による弊害が如実に現れてきています。交通運輸産業界で働く我々の仲間は「安全・安心・快適」をモットーに仕事に従事してきた経験から、規制緩和は「国の間違った施策である」と言わざるを得ません。
労働組合の組織率が全国的に低下したことで、政府が推し進める「社会保障制度・労働諸法制」の改悪が次々と進められています。「今こそ労働組合の真価が問われるとき。更に学習を」と民法協の「労働法実戦講座第3回目(賃下げ・増田正幸弁護士)」に参加。学習した内容を更に「実践で生かす」とした取り組みをして行かねばならないと痛切に感じています。
このページのトップへ第4回目のテーマは、団交拒否で萩田弁護士が担当されました。今回は、本上先生と同じく質問形式で、質問形式にすると緊張感があり、理解度が高まる気がします。最初に団体交渉についてのいくつかの説明があり、団体交渉権は法的に保護され争議も出来る。団体交渉は、労働条件の引き上げに重要で、向かい合って話をする交渉。団体交渉の申込書は、証拠を残すために必ず文章で出し、配達証明なども利用すべき。団交事項は明確にしておくことが重要で不明確なものは団交拒否の口実になる。団体交渉では資料を集めて、議事は必ず残す。ということが団体交渉の場合基本的な部分であり重要です。
テキストに入り団体交渉を拒否された場合どうするのかと言う設問で、まず組合の対応方針をよく検討し、対応としては
・争議行動などの組合の正当な権利行使
・労働委員会への斡旋申請
・労働委員会への不当労働行為救済申し立て
・労働委員会への不当労働行為救済申し立て
・裁判所への仮処分申し立て
・本来の要求実現のための別の手続き
と言った対応が考えられるということですが、労働委員会への救済申し立ては時間もかかり申し立ての受理も消極的で期待出来ないので、まずは、斡旋申請これだと県の職員が、対応してくれるので早いが強制力が少ない。裁判の場合も時間がかかり、団体交渉請求権には否定的で、仮処分だと肯定的で半年ぐらい。団体交渉を拒否された組合の方はいますか、の質問にだれもいないようでしたが、労働委員会がこんな対応だと組合が小さく弱ければ団交拒否をしたら勝ちでテキストのようにずっと拒否されっぱなしになり、そこには労働者の地位向上もなくただ働かされるだけ。不利益取扱などで慰謝料請求できても金額が少ない、組合の正当な権利行使が効果があると思いますが、これも経験などがないと難しい面があり、テキストの最後でパート社員が地域労組に加入しますが、一緒に闘う仲間をふやして力をつけて闘うことが大切で、組合としての闘う力量が一番大切という気がしました。
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