《第453号あらまし》
 地方公務員の給与遡及減額措置違憲訴訟
 いよいよ始まる労働審判制(その1)
 労働法実戦講座(第5回)レポート
 春闘学習会のご報告
     危険な「労働契約法」(その1)
     危険な「労働契約法」(その2)
     危険な「労働契約法」(その3)
 大阪民法協権利討論集会報告(西谷敏先生の講演)


地方公務員の給与遡及減額措置違憲訴訟

大阪高裁判決(2006年2月10日判決言渡)

弁護士 松山 秀樹


1 はじめに

本件は昨年4月22日に判決があった事件の控訴審判決です。結論においては、神戸地裁判決を覆すにはいたりませんでしたが、今後の遡及減額に対する歯止めとなる一定の前進を勝ち取った判決だと思います。すなわち、後述しますように、高裁判決は、地方公務員の給与に関する立法においても、不利益遡及適用禁止の原則は適用されることを憲法の規定などを根拠として認め、特段の合理的理由がなく遡及的に給与を減額する措置を行った場合には、そのような条例は、違法と評価される、と明確に認めました。また、今回問題となった措置も給与を遡及して減額するものであると、判決で認定されました。

今回の判決でも、この度の遡及減額を違法と判断しておらず、この点で不当なものです。しかし、兵庫県当局が、今回の減額措置は、単に将来の給与額を条例で定めたものであり、遡及して給与を減額としたものではない、と一貫して主張して、脱法的な方法で法の規制を免れようとしたことに対しては、この主張を明確に退けて、今回兵庫県が行った減額措置が違法となる場合があることを認めた判決です。このことは、今後、行財政改革を理由として公務員の給与を無限定に減額しようとする県側の意図に歯止めをかける意義を有するものと評価できます。


2 事件の概要

本件については、神戸地裁判決の段階で、民法協ニュース444号でもご紹介していますが、簡単に事案をご紹介します。兵庫県立学校に勤務する教職員と市立学校の教職員のうち兵庫県において給与を負担している教職員及び兵庫県一般職公務員並びに県立病院の職員総数1,272名(但し控訴したのは1055名)を原告として、兵庫県に対して、減額された2003年3月期一時金の減額分総額1億2900万円余りの支払いを求めた事件です。

この3月一時金を減額すると条例で定めた措置(特例措置といいます)とは、前年(2002年)12月に制定した条例で「特例措置」を設けて、支給済みの2002年4月の給与にまで遡って、月額給与1人あたり平均2.01%の給与が減額されていたものとして計算し、それと既に支給された給与との差額分(これが減額分)を03年3月に支給される3月期末手当等から差し引くというのです。

単純に計算式で表せば、

(支給済みの4月以降12月までの給与)−(平均2.01%減額した場合の同期間の給与)=2003年3月期末手当から減額される給与

となります。この計算式は、兵庫県教育長が、今回の減額の特例措置を説明するために配布した資料に書かれているものを単純化したものですが、これを見れば、過去の支給済みの給与を減額して返還させるために、個々人から返還させる手間を省くのに将来の一時金の額を減らしたと見るのが普通の解釈だと思います。しかし、兵庫県は、これは2003年3月の期末手当を2002年12月の条例で定めて、将来の期末手当を減額したのだから、遡及した減額ではない、と主張して、このような減額を強行したのです。

兵庫県がこのような特例措置を実施したのは、県側の主張では、兵庫県人事委員会の報告と勧告に基づいている、というので、簡単に人事委員会の報告と勧告の内容を紹介します。


3 兵庫県人事委員会の報告と勧告の内容

2002年8月に人事院が、国家公務員の給与等について、同年4月に遡って、月額給与で平均2.03%、一時金を0.05ヶ月分削減し、その減額分を、この年の12月に支給される期末手当から差し引くという勧告を出しました。

そして、同じ年の10月には兵庫県人事委員会でも、次のように給与を減額する報告と勧告を出しました。

すなわち、月額給与で1人平均2,001円(0.46%)民間給与を上回っている(公民較差はこれだけ)、この較差は、人事院勧告における較差より小さいが、これは兵庫県の場合、公務員の昇給が延伸されてきたからである(つまり給与の昇給が先延ばしにされてきたのである)、給与水準の減額については、遡及することなく実施する必要があり、人事院勧告が期末手当で行うこととされている減額措置は、「国及び本県の実情を考慮し」、必要な措置を講じることが適当である、という概要でした。


4 特例措置と人事委員会報告と勧告は食い違う

特例措置では、前に計算式で見たように、給与の減額を遡及して実施しており、この点で、そもそも人事委員会報告と勧告に違反します。

また、減額の程度ですが、人事委員会の報告では、較差は2,001円(0.46%)となっています。ところが、実際の減額の程度は、月額給与1人あたり平均2.01%です。つまり実際の民間給与と公務員給与の較差を超えて減額を行い、しかも遡及して減額を実施しているのです。


5 争点

このように本件では、ク本件特例措置は給与を遡って減額しているのか、遡って減額することが違法となるのか、ケ兵庫県では、昇給が先延ばしにされてきたため、民間との給与格差は平均で0.46%であったのに、今回の特例措置では、この実態を無視して、平均2.01%分が遡って減額されているのが情勢適応の原則に違反しないか、という点です。

第1に、給与を遡って減額しているという点は、単に公務員のみならず、民間の労働者にとっても大問題です。このような措置を認めるのであれば、支給済みの給与も将来いつ返還を求められるか分からないということになり、いわば給与は常に仮払いの状態にあるのと同じことになってしまいます。この点で民間労働者については、最高裁判例で、このような遡及した減額は許されないとしていますが、公務員の場合には、給与を法令で定めるとなっているため、法令で定めればどのような定めでも許されるのか、という民間労働者とは異なった法律上の論点があります。しかし、既に支給済みの労働者の給与について将来返還を求めることを認めることは、労働の対価としての給与の本質からして許されないことは、民間であると公務員であるとを問わず同じはずです。このようなことが許されるのであれば、労働者は安心して給与を生活費に支出することができなくなってしまします。この点について、本件特例措置は、脱法的な措置であって、遡及的な減額に該当すること、また、遡及した減額措置は、不利益遡及禁止という憲法の要請や憲法で保障された財産権侵害になると主張しました。この主張を裏付けるために控訴審では名古屋大学教授である和田肇先生の意見書を証拠で提出しました。

第2に、実態としての較差以上の減額をしている点です。この点は特に兵庫県特有の大問題です。この点は、公民較差以上の給与の減額を遡及して行われることになり、公民給与の均衡という情勢適応の原則自体に反しています。人事委員会の報告でも、「本県の実情を考慮した」措置をとるよう求めているにもかかわらず、兵庫県は、人事委員会報告に反した措置をとったことになります。一方で公務員の労働基本権を制限しながら、他方でこのような人事委員会の報告や勧告を無視した措置が許されるというなら、労働基本権の制限自体が違憲であるということにもつながってきます。


6 特例措置が違憲となる途を開いた高裁判決

高裁判決は、本件特例措置が遡及的に給与を減額したと明確に認めて、兵庫県の主張を排斥し、このような脱法的な減額は一定の場合には違法となることを指摘しています。

(1) 遡及的に減額したといえるかという点

この点、高裁判決は、「過去に遡って給与の額を見直し(減額)した上、その減額分を本件期末手当等の額から控除することによって調整するものと見ることができるから、実質的には、本件改正条例により、既に発生した賃金請求権を事後に不利益に変更したものと評価することができる」と判示していて、本件特例措置が、不利益遡及に該当すると明確に判断しています。

そして、それに続けて「本件調整措置(特例措置のこと、筆者注)等のような調整措置が不利益の遡及ではないと評価されることになれば、将来発生する賃金債権を減額するという方式を採りさえすれば、いくらでも実質的に過去に遡って支給済みの賃金を取り戻すことが可能となり、容易に不利益遡及適用禁止の原則を脱法する結果となるから、本件特例措置等のような調整措置も実質的に不利益を遡及させるものとしてその適法性を審査する必要がある」と判示しています。つまり、兵庫県が特例措置で公務員の給与を減額するのは遡及的な減額ではないという脱法的な論法で条例で定めさえすれば減額が可能であるというような主張は認められないとして、このようなやり方での減額にも法の規制を及ぼさなければならないとしているのです。

(2) 不利益遡及適用禁止の原則は公務員の労働関係にも適用される

高裁判決は、地方公務員の労働関係にも不利益遡及適用禁止の原則が適用されると判示しています。

すなわち、判決では、憲法39条(刑事罰の不利益遡及禁止の規定)を引用して法的安定性を図るために不利益遡及禁止の原則は一般的な法理として広く認められるべきであること、最高裁判決でも、民間企業に関する事案ではあっても具体的に発生した賃金請求権を事後に締結された労働協約や事後に変更された就業規則の遡及適用によって減額することが許されないと判示していること、を根拠としてあげて、地方公務員の給与に関係する立法(条例の制定のこと)においても、不利益遡及適用禁止の原則は適用される、と明確に判断しました。

そして、このように考えるべき実質的な理由としては、法律や条例であれば、無制限に不利益を遡及適用できると解すると、公務員の給与は、常に仮払いの状態になって、著しく不安定な地位に置かれることになり妥当ではない、と判決は述べています。正に、本件を提訴するにあたって、本件特例措置の不当性として原告らが訴えていたところを正面から認めて判断している部分です。

しかも、憲法や民間労働者に関する最高裁判決まで引用して、ここまで踏み込んで公務員の労働関係に不利益遡及禁止の原則が適用される(趣旨を尊重ではなく、適用と判断している点が重要)、と判断した初めての判決ではないかと思います。

(3) 特例措置が違法となる途を開く判断

このように公務員の労働関係にも不利益遡及禁止の原則が適用されると判断した上で、高裁判決は、「特段の合理的理由ないし公共の福祉を実現するための必要性がある場合は、その必要性の程度、侵害される権利の内容、侵害の程度を総合的に考慮して、不利益の遡及適用が許される場合もあり得るが、そのような事情が認められない場合には、立法権の逸脱・濫用として、その立法は違法と評価されるものと解するのが相当である」として、本件のような特例措置が違法となる場合があることを指摘してます。

これまで、県当局は、本件特例措置が、給与を遡及して減額するものではないと頑なに主張し、将来確定する給与を減額することは給与条例主義から当然に認められると主張してきました。また、公務員の労働関係は民間と異なるから上記最高裁判決の法理が公務員に適用されることもないとしてきました。

今回の判決は、このような県当局の主張を明確に否定したもので、今後遡及的な減額をした場合には、その減額の程度や減額の方法によっては、違法となりうることを明記した判決として評価できますし、本件特例措置のような減額の手法にも一定の歯止めをかけるものです。

(4) 本件特例措置の違法性を認めず、また民間給与との実際の較差以上の減額を肯定した高裁判決の不当性

このように高裁判決は、兵庫県の主張を一般論では排斥して、今後の歯止めとなる判決ではありますが、本件特例措置の違法性を認めず、また民間給与との較差以上の減額を認めた点は、不当な判決です。

(本件特例措置を違法としなかった点)

遡及して減額する必要性について、高裁判決は、公務員の給与は、民間給与との均衡のために一定期間の手続(実際には4月時点の公民較差を調査し、人事委員会の報告勧告が10月に行われ、12月議会で条例制定)が必要とされ、このような給与改正システムを前提とすれば、支払済みの給与も含めて年間ベースで公民給与の均衡を図るために遡及して減額することもやむを得ないと判断しています(遡及して増額した場合もあるから減額だけだめというのでは衡平を失する)。また、侵害される権利の内容や程度については、本件では期末手当からの減額で、公務員の日々の暮らしに直結する職務給である月例給と比較すれば、公務員側も柔軟に対応しやすいし、減額の割合も月例給の比率で見れば職員1人あたり1.99%に過ぎない、と判断しています。

しかし、これまで年間ベースでの給与増額も必ずしも毎年人事委員会勧告通りに実施されてきた訳ではありません。また、今回の減額の対象となったのは期末手当ですが、これは月例給の減額分を期末手当から控除したのであって、実際に減額されたのは月例給なのです。そして、住宅ローンの返済など月例給ではまかなえない支出を補充するという期末手当の重要性を考えれば、高裁判決のこの部分の判断には大いに異論があるところです。

(民間給与との較差以上の減額の点)

この点では、情勢適応の原則からすれば民間給与と公務員給与が均衡することが必要であり、民間給与より減額することを認めることは、公務員給与の減額への歯止めがなくなることにつながると主張しましたが、高裁でもこの点の主張は認められませんでした。

高裁判決でも、民間給与との均衡を図るというのが「重要な要素」ではあるが、唯一の基準ではないとして、本件では「給与水準が民間の給与水準を若干下回った」だけなので直ちに情勢適応の原則に反するとはいえないとしています。

この判断は問題ですが、ただ、高裁判決は、ここでも減額の程度を問題としているのであって、県当局が行財政改革を理由にすれば、他の財政支出削減を放置して、職員給与をまず削減することも自由にできるとか、無制限の減額を認めるという判決ではないことは確認しておく必要があります。


7 上告はせず

大阪高裁判決に対しては、上述の通り、評価できる部分と結論として違法性を認めず、情勢適応の原則の解釈も不充分で不当な部分があります。しかし、現在の最高裁の動向から考えれば、今回の大阪高裁判決の到達点を更に前進させるような判断は期待できませんので、上告する意義はないと考え、上告をしないこととしました。

一定の前進した判決を得られたのも、多くのご支援を頂いた結果だと思います。この紙面をお借りして感謝申し上げます。

なお、この事件の弁護団は、前田修、増田正幸、西田雅年、土居由佳、松山秀樹、の各弁護士でした。

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いよいよ始まる労働審判制(その1)
制度の概要

弁護士 本上 博丈


1、いよいよ06年4月1日から労働審判制がスタートする

労働審判制というのは、@個別労働関係民事紛争について、A裁判官と労使の専門委員で構成される労働審判委員会が、B事件の審理(争点整理や証拠調べ等)を行うとともに、C調停(話し合いによる紛争解決)を試み、D調停が成立しない場合には労働審判委員会が労働審判(判決のようなもの)を出す裁判制度。

イメージとしては、場所は地方裁判所(兵庫県の場合は、当面は神戸地方裁判所本庁のみ)で、組織は労働委員会のような感じ。でも、日本のこれまでの司法制度からすれば、画期的な点がいくつかある。


2、裁判官と法律の素人(労使の専門委員)が一緒に事件の審理や判断を行う

裁判官は法律のプロだが、労使関係や労働現場の実情等には疎いので、個別労使紛争の実情に即した適正妥当な解決を図るには、労使関係の実情等に十分な知識や経験を有する人を審理に参加させた方がよいという考え方。理屈だけではなく、現場感覚を交えて事件の審理をし、判断をしようというもの。この点は労働委員会と似ているが、労使の審判員も判断権限がある(評議は単純過半数決議)点で労働委員会より権限も責任もはるかに重い。

労使の専門委員は、現状では、労については連合、全労連等のナショナルセンターの、使については日本経団連の、それぞれ推薦に基づいて任命されている(労働委員会の労働者委員とは異なり、労については組織人員比率でナショナルセンター間の人数配分がなされており、兵庫県でも連合独占ではない)。

裁判官と素人が一緒に事件を審理判断する制度は、日本の司法制度では初めての試みである。


3、原則として3回以内の期日で審理終結

日程の期間制限はないが、期日の回数制限がなされており、申立から概ね3〜4か月で審判まで終わることが予定されている。そもそも裁判制度で期日の回数制限や期間制限が法律上なされていたことはなかったから、ここまで迅速解決が制度上強制されているのは、異例中の異例。ましてや労使の主張対立が先鋭化しがちな労使紛争についてのことだから、本当にすごい。現状では仮処分でも決定まで半年ぐらいはかかっているから、仮処分よりも早く結論が出ることになる。

このことから、例えば賃金差別など個別紛争でも複雑な事件は労働審判には適さないということになろうが、そうでなければ、3〜4か月でとりあえずの結論が出るという見通しがはっきりしているので、労働者としては随分争いやすくなると思う。

短期間の審理で優位を確保するには、紛争が始まった時点からその場その場での証拠の確保や整理を意識しておく必要がある。


4、話し合いと審判の2段構え

調停では当事者の合意による紛争解決を図ることになるから、実情に即した柔軟な解決を得やすいが、単なる話し合い(調停)だけでは高をくくられたり、引き延ばしをされたりして、不合理が横行することも少なくない。しかし労働審判の場合、調停が成立しなければ審判が出されるから、調停案に納得できない当事者といえども単に拒絶だけしていれば良いということにはならない。審判で白黒の判断が示されるのと、一定の妥協的な調停案を受け入れるのとどちらを選ぶかという選択を迫ることができる。

さらには、審判では原告の請求に拘束される訴訟の場合と違って、当事者間の権利関係を踏まえつつ事案の実情に即した解決をするために相当と認める事項を定めることができるとされているから、配転や解雇などの事件でも柔軟な解決案を審判という形で示すことができるようになる。例えば、解雇無効地位確認という訴訟請求であればゼロか否かの厳しい深刻な判断をしなければならなくなるが、申立労働者が、解雇無効の主張はするが金銭解決でも構わないという意向を示した場合には、労働審判委員会が解雇無効を確信できる割合や労使双方の落ち度を勘案して金銭支払いを命じることも可能になる。

筆者の予想では、労働審判では、おそらく労働者の100%満足に近いような大きな解決を得ることは難しくなるだろうが、これまでなら訴訟等の煩わしさを嫌って全くの泣き寝入りをしていたようなケースでも、とにかく申立をして自己の正当性の主張をすれば、一定の救済は図られるという事例が増えるのではないかと思う。


5、いくつかの留意点

(1) 対象労働者や紛争内容の種類に特に制限はないが、個別・民事紛争でなければならない。労働組合が当事者となる事件は対象外。正社員はもちろん、パート、アルバイト、派遣等の身分は問わないが、公務員の任用関係等公法上の法律関係は対象外。

(2) 審判の効力は限定的である。審判が出されてから2週間以内に当事者のいずれかから異議が出なければ裁判上の和解と同じ効力を持つことになるが、その異議が出されれば審判は失効してしまい、通常訴訟に移行する。

もっとも、審判の判断に不合理がなければ訴訟においても同様の結論が維持される可能性が高いから、早い段階で労働審判が出るということは、労使いずれに対しても事件の見通しを早くつけさせ、紛争の早期解決を促す効果があると思われる。

(3) 以上のように労働審判は、労働組合の援助を受けた団体交渉の中で個別紛争を解決するという手段を持たない労働者にとって、大変有用と思う。これが本人申立であっても、裁判所が手厚いフォローをしてくれるというのであれば、なおさら利用価値は高まるだろう。しかし、労働審判という制度はこれまでにない仕組みとして誕生するので、手探りしながら慣れていくという面があることは否定できないし、しかも超スピーディな手続なので何かともたもたしていては困るということで、当面は弁護士を代理人として付けることが原則として予定されている。そうすると、費用や弁護士へのアクセスという点で問題は残るとは思うが、06年10月にスタートする日本司法支援センターの民事法律扶助制度を利用すれば一定の解決は図られるものと思う。民法協の弁護士は、もちろん、積極的に対応します。

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労働法実戦講座(第5回)レポート

兵庫県医療労働組合連合会書記長 佐野  旦


「組合つぶし」の講座に参加しました。講義の内容は「不当労働行為」の内容を中心に進められました。不当労働行為に対しては、機敏な抗議を行い、書面で残すことが大切、また、正当な組合活動であることを組合員の確信にすること、又非組合員や社会的にも広げることが大切であること、また、労働組合の団結力の強さが不当労働行為をさせない上でも大切であることが強調されていました。

質疑では、経営者も露骨な不当労働行為は少なく、団交は応じるが要求については頑なに拒否をする対応が「不誠実団交」にあたると思うがなかなか突破できないでいる等の実践での難しさも出されていました。

講座の内容については、実践ですぐに役に立つことが多く、職場の役員が参加すると日常の活動に生かされると思いました。単組・支部での取り組みが大切と思いました。

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春闘学習会のご報告
危険な「労働契約法」(その1)

弁護士 増田 正幸


根本先生の講演から

2006年2月16日恒例の春闘学習会が行われた。本年度は神戸大学の根本到助教授をお迎えして「労働契約法制に係る法的諸問題について」と題して、現在検討されている労働契約法の内容と問題点について学習した。以下に、根本先生のお話を紹介する。

2003年の労基法改正の際に国会の付帯決議で労働契約法の検討が提示され、本格的な検討が始まり、本年から来年にかけて立法作業が行われる予定である。

異例の速度で検討が重ねられ、2005年9月に検討会の「報告書」が出され、現在は労働政策審議会における検討が始まっているが、労使双方の利害がするどく対立し、双方の評判が悪く、法案化されるまでに紆余曲折があるものと思われる。


労基法は罰則と行政による監督により労働者を保護するものであるが、それだけでなく違反した場合に裁判で効力を否定できる(無効にできる)規制(私法的強行法)が必要である。たとえば、性別に基づく賃金以外の差別禁止規定は労基法にはない。ところが、違反すると刑罰を課せられる労基法の規定は厳格に解釈しなければならず、類推適用するなどしてみだりに適用範囲を拡大することはできないから、労基法の差別禁止規定を他の労働条件に関する差別に類推適用できないことになる。それゆえ差別を無効とする規制が必要である。逆に、労基法の規定中には罰則による制裁にふさわしくない規定(たとえば、有給休暇の規定)がある。

このように労基法を補う労働契約法の必要性は否定できないが、その必要論に乗じて労働者の権利が後退させられることのないよう警戒を要する。

3 「報告書」の見方

労働法がもともと労使の力関係の差異、労働者の従属性を前提とした規制であるのに対して、報告書の特徴は、労働契約法制については労使自治を強調していることである。たとえば、使用者の命令の適法性については裁判で事後的に争うことが可能であるが、それが使用者の命令ではなく労使合意の結果であると認定されると争いようがなくなる。あるいは、有期契約の更新拒絶の可否が問題となる場合でも、契約書に「次期には更新しない」という文章が入っているだけで労使合意があったとされると争えなくなる。すなわち、労使合意を優先させることになると、事実上合意を強制された場合は後に合意があることを理由に争えなくなってしまう。


4 就業規則

(1) 「報告書」の内容

労基法上、就業規則は過半数代表者(過半数組合)の意見を聴取し、職場に周知し、労基署に届け出ればよいことになっており、就業規則の変更については規定がない。判例は合理的な内容であれば例外的に変更が許されるとして、不利益性の程度、変更の必要性を柱として、経過措置・代償措置、職場の多数者の意見等様々な要素を考慮して合理的か否かを判断しているが、最近、合理性を否定する判例も少なくない。

「報告書」は就業規則の変更が合理的な場合には、労働条件は変更された就業規則に従うとの労使の合意を推定するという考え方と使用者に就業規則の変更権限を付与して労働者はそれに拘束されることを明文で定めるという考え方の二つを提案している。

いずれの場合も労使の間にその労働条件は変更しない旨の労使の別段の合意があれば、当該労働条件を就業規則によっても変更できないことを認めるが、そのような労使合意の形成は実際には困難であることや合意の存在に労働者側に大きな立証負担を課す点で問題がある。

(2) 就業規則に関する判例法理の維持、強化は妥当か?

就業規則の内容が労働契約の内容になるという判例の考え方にもとづき、就業規則は会社の従業員に対する支配の道具として機能してきた。そして、労働条件の変更を就業規則の変更により行うという形で就業規則に労働条件の変更法理を委ねすぎていたことが問題である。判例法理の建前は「労働条件の集合的処理」の必要性を論拠にしてきたが、労働条件は個別化(労働時間、賃金)しつつある。

フランスでは懲戒と安全衛生以外は就業規則に規定させない法政策を取っているが、上記のように判例法理の建前は崩れてきており、就業規則に何でも規定するという方策は限界を迎えている。

(3) 「就業規則論」からの脱却こそ必要

労働者の個別合意に委ねる範囲を拡げる必要があり、重要な労働条件については個別合意に委ねるべきである。ただし、個別合意に委ねることは逆に合意の成立しないことを理由とする解雇の余地を認めることになる。

「集団的労働条件」は就業規則の適用対象とせざるをえないが、「集団的労働条件」とは何かを解明することが一つの鍵となる。


5 雇用継続型契約変更制度

(1) 勤務地限定の合意がある場合

かりに就業規則上配転することが明記されていてもその合意が優先する。その場合に、勤務地変更の必要が生じた場合に、勤務地変更の合意が成立しないと使用者はどの労働者を解雇せざるをえなくなる。すなわち、個別合意は就業規則で変更できないから、その変更の必要が生じた場合に新たな合意が成立しない場合に解雇しか方法がなくなるのである。

「報告書」は、このような場合の解決として、二つの選択肢を提案している。一つは、「変更解約告知」であり、もう一つは「変更権付与方式」である。

(2) 変更解約告知制度の内容と問題点

「変更解約告知」とは、ドイツで行われている制度で、労働条件の変更申込とともに(承諾しない場合に備えて)解雇を告知する方法である。

労働者は、異議を留保して承諾することが可能で、使用者はそれを応諾しなければならない。その結果、雇用を継続させながら、労働条件変更の妥当性のみを争うことが可能となる。しかし、民法528条は条件付き承諾に承諾としての効力を認めていないので、このような異議の留保付き承諾を有効とするためには新たな立法が必要である。労働者に争う途を認めるという点で異議を留保して承諾できるという制度自体は有意義だと思うし、労働条件の変更をできるだけ個別合意に委ねるとすると、個別的な労働条件変更制度は必要である。しかし、変更解約告知制度は労働者の負担(留保付き承諾制度を認めても、それを訴訟で争い、かつ訴訟期間中変更を甘受しなければならない)において運用されることとされていることは軽視できない(たとえば、逆の制度も可能なはず)。

また、ドイツの議論をみる限り、「変更解約告知」の本質は「変更」ではなく「解雇」であり、解雇の必要性を正当化事由として要求すべきである。

注意すべきは、変更解約告知は契約内容が特定されており、個別合意をしないと就業規則の変更により労働条件の変更ができないという場合にだけ使える制度であるということであり、どんな労働条件の変更の場合でも使える制度ではない。

さらに、雇用継続型契約変更の制度は解雇の金銭解決制度とは矛盾するものだから、使用者の労働条件変更申し込みと金銭解決の制度を併せて提案することは認められない。

「報告書」もあらゆる解雇について金銭解決制度を適用するとは考えていないはずである。濫用の度合いが強い解雇については金銭解決は認めないと言う規制が必要である。

(3) 変更権付与方式の問題点

使用者に変更権を与え、権利の濫用の場合にはその効力を否定するという方法である。かりに労使の合意があっても使用者には変更権が認められ、変更権の行使について労働者は事後的に裁判で争うことになる。変更の権限を使用者に法律で与えてしまうのであるから、その行使について十分な規制を行わなければバランスを欠くことになり、法政策的には問題が大きい。

(4) 労働条件変更法理の必要性

しかし、雇用を維持したまま、労働条件変更を争う制度は何らかのかたちで必要。

留保付き承諾など、制度を整備することを条件に、変更解約告知を認めることも一つの方法である。


6 労使委員会の活用

(1)

現在は、企画業務型裁量労働制の導入要件として設置され、その他にも労使委員会の決議に労使協定代替効を認めているが、「報告書」は、労使委員会の活用を提案している。

労働組合がない職場が多数あるから、そのような職場では労使委員会には公正な労働条件を保障する歯止めとしての意義が全くないわけではない。民主的な選出制度のもとに不利益取扱を禁止すればある程度期待できる。ただし、スト権や団交拒否の不当労働行為は認められないから組合と同視はできない。

(2) 労働者委員の労働者代表としての正統性

労働者委員の選出手続についての規制がなく、過半数代表者が指名できることになっているので、労働者の代表としての正統性を欠いている。

(3) 労働組合の規制との関係が不明

たとえば、賃金などの交渉は本来は労組がすべきことであろうが、就業規則の賃金規定の変更ということで、労組との交渉をせずに労使委員会に諮られた場合どうなるのか。すなわち、労働組合が現に規制している、あるいは規制することが予定されている労働条件は対象とできないと考えるべきである。諸外国でも労働組合による規制を優先している。

(4) 労働者の意思との優先関係が不明である。

たとえば、勤務場所の変更については当該労働者の意思を無視すべきではなく、労使委員会の決議をもって、労働者に対する義務づけや使用者の命令権は根拠づけることはできないというべきである。


7 解雇の金銭解決制度

(1) 問題の所在

経営者団体はこの制度の実現を強く望んでいる。

現在の制度では、解雇が無効とされると理論上は「復職」が前提となるのに対して、金銭解決制度を導入すると、解雇が違法無効とされても労働者あるいは使用者が望めば、金銭の授受によって復職を免れることになり、かりに労働者が復職を望んでいても、使用者が復職を望まなければ、金銭を支払うことで、違法な解雇による労働関係の解消が正当化されてしまうことになる。報告書は労使委員会で金額を予め定めることを認めている。

(2) 国際的状況

例えば、ドイツでは契約の継続が期待しがたいと裁判官が判断した場合に限って金銭解決を認めている。その場合の金額算定にドイツでよく用いられる算定式は、

月収×勤続年数×1/2

であり、しかも訴訟期間中の賃金は支払われない(退職の効力は解雇時に遡る)とされている。

(3) 問題点

解雇規制があることで機能している労働法理や労使自治を空洞化させるおそれがある。


8 その他の論点

(1) 試行雇用契約の提案

神戸弘陵事件で否定された試用のための有期雇用を認めるもので、有期契約を脱法的に使わせないという判例法理を崩すものである。

(2) 「労働者」概念

労働者と自営業者の中間的な存在や有償ボランティアに労働者としての保護を与えるべきか否かが問題となっている。

(3) ホワイトカラーイグゼンプション制

一定の収入をもらっている労働者については労働時間規制を適用しないという制度。財界などは平均年収以下の場合に労働時間規制をはずそうと意図している。成果主義により時間と賃金が連動しなくなりつつあるが、成果主義を徹底しようとすれば時間を完全に切り離す必要がある。他方、労働時間規制は労働者の健康や余暇の保障のためのもので、割増賃金を支払わせないのであれば、それに代えて労働時間貯金制(多く働いた分を休ませる)など労働時間が不当に長くならないようにする規制が不可欠である。


9 最後に

労働契約法は1、2年で議論ができるようなものではない。ドイツでは80年以上議論しているが、慎重を期して、いまだに制定されていない。それはいったん作ってしまうと法律によって労使の利害関係を固定化してしまうことになり、非常に大きな影響を及ぼすからである。議論にあたっては「労使自治」に委ねることの危険性と意義の両面を把握する必要性がある。納得して合意できる状況抜きに合意を語ることは危険であるし、個人の個別の意思が尊重されるべき労働条件があることも忘れられてはならない。

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春闘学習会のご報告
危険な「労働契約法」(その2)

日東物流労働組合中央執行委員 島本 直樹


去る2月16日、18時より神戸勤労会館にて行なわれた春闘学習会(主催:兵庫県民主法律協会)に参加し、「労働契約法制に係る法的諸問題」についての講義を受けました。

以下、労働契約法(仮)について、当日のレジメ、講師の先生のコメント、後日ネット等で調べたものを基に簡単に紹介します。

昭和22年に制定された労働基準法ではバブル崩壊以降の多様化・個別化・複雑化した労働契約関係に対応しきれなくなっており、労働契約をめぐる争議が多発していることから、厚生労働省の研究会によって急ピッチで準備が進められている、労働者の採用から雇用終了までの労働契約全般にわたる新たな法律が労働契約法(仮)です。

その進捗状況は、すでに2005年4月「中間とりまとめ」、9月に「最終報告」(以下報告書)がまとめられています。今後、政労使による労働政策審議会を経た上、2007年の通常国会に法案として提出される見通しになっています。

労働者の採用から雇用終了までの労働契約全般にわたるルールの法制化ということで、労働基準法のような罰則や行政による監督指導は設けずに、「労使の自治に委ねる」ことに重きを置いたものになっています。その内容にはわれわれの労働環境に大きな(悪)影響を及ぼすものが数々含まれています。

注目すべき主なポイント
『雇用継続型契約変更制度』

契約で合意した内容を変更する際、本人が合意しない場合、二つの選択肢を提起している。

変更権付与方式:使用者が労働条件の変更を労働者に申し入れ、労働者がそれに従わない場合、解雇できるというもの。

変更解約告知:労働者は異議を一旦保留して契約の変更に応じ、使用者はそれを応諾しなければならない。結果、雇用を継続させながら妥当性を争うことが出来る。

『解雇の金銭解決制度』

現在の制度では解雇が無効になれば理論上は復職が前提となる。

金銭解決制度が導入されれば、解雇が無効になった場合、労働者あるいは使用者が望めば、違法・無効な解雇であっても金銭を支払うことで復職を免れる。違法な解雇が正当化されてしまう可能性がある。

『労使委員会の活用』

会社に労働組合がない場合でも、労働者が使用者と対等な立場で交渉を行うことを可能にする為に労働者の過半数を代表するものとして「常設的な労使委員会」を設置するもの。

労使委員会の設置は「企画業務型裁量労働制」の導入要件にもなっている。

問題は、労働者代表としての正当性(選出手続きの問題)。少数組合がある場合の両者の関係などである。

『ホワイトカラーイグゼンプション制導入の示唆』

ホワイトカラーイグゼプションとは、現行の管理監督者に加え、仕事の専門性と時間管理について自己裁量の高いホワイトカラーを、労働時間規制の適用外とするもの。

「報告書」では労働時間法制の見直しを提起しており、それがホワイトカラーイグゼンプション制の導入につながると考えられる。

*ただし「報告書」では検討はなされておらず、この労働契約法の成否にかかわらず別に導入される可能性はあるということです。

『就業規則に関して』

就業規則を合理的なものであると推定する。

『試行雇用契約の提案』

試行雇用契約の法律上の位置付けを明確化する動き。

『労働者の概念について』

労働者の範囲を拡げる動きがある。一定の請負労働者や委託労働者を労働者に含める方向。


感想

後日この原稿のためにいろいろ調べていくうちに、個別労働紛争が増加している現状からも何らかの法整備が必要だというのは理解できました。半面、「『労使の自治』に委ねることの危険性と意義の両面を把握する必要があります。」と講師の先生も言っておられましたが、「労使の自治」「労使の対等な」といった一見きれいな言葉の裏側に待ち受けている実態について考えたとき、弁護士や労働組合も指摘しているように労働者が公正な労働条件を確保するのはますます難しくなるのではと容易に想像できます。

また労働組合の意義が大きいものだという認識も新たに出来ましたし、その組合ですら組織率の低下が叫ばれている今日ではわれわれ労働者がおかれている立場の危うさは推して量るべきです。

講師の先生は労働契約法の制定は本来慎重を期すべきで1年や2年で出来るものではないとおっしゃっていましたが実際には国会に法案として提出されてしまえば、あっという間に決まってしまうのではないでしょうか?この法制に関してのみならずですが、われわれも事前に勉強し、知識をつけて準備・対応していく必要があると思います。

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春闘学習会のご報告
危険な「労働契約法」(その3)

東熱労働組合書記長 鈴木 義一


今回の春闘学習会は、労働契約法に係る法的諸問題がテーマで、「中間とりまとめ」については民法協の幹事会を取りやめて緊急学習会を開き弁護士先生に教えて頂いたのですがそのときは理解度が低く漠然といやだなと感じていて、今回の学習会での根本先生の話を聞いて、労働基準法を補う部分があり、雇用契約変更制度では異議留保付き承諾は法律に無いので必要などすこし違った見方ができるようになった。就業規則を合理的と認めて異議があれば労働者側が立証するとなった場合、就業規則の表現は、「時差出勤を命じることがある」などあいまいな部分が多く合理的とは言えず、労使合意があれば変更できなくしても労組の無いところは合意を勝ち取れないし、労組の代わりに労使委員会で決めるとしても労使委員会は過半数代表の決め方や権限、労組とのすみわけに問題があり労働者の利益や権利は守れないように思う。労組の組織率の低下により労使委員会が必要なことや、異議留保付の承諾は制度として必要なのは理解できるのですが、この労働契約法は解雇できたり使用者側に有利にできていてとても労働者側が納得できるような内容ではない。一番問題なのは、ドイツで80年かかっても作れない労働契約法を労働審判に必要だということを理由に議論不足で使用者側に傾いた不完全なものを法制化しようとしているのは断固反対すべきで、もっと時間をかけて議論すべきだと思う。

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大阪民法協権利討論集会報告(西谷敏先生の講演)

弁護士 瀬川 嘉章


平成18年2月18日に開催された「2006年 大阪民法協権利討論集会」において、大阪市立大学の西谷敏先生より、「労働法の危機にいかに立ち向かうか−労働契約法制とホワイトカラー労働時間問題を中心として−」と題する講演がなされました。以下、講演録スタイルで報告いたします。

第1 労働と労働法の現段階

1 失われた15年

ここ15年間、新自由主義思想に基づく政策転換がなされ、様々な規制緩和等がなされてきた。この15年間は、労働問題にとどまらず、人権保障、教育、平和、そして民主主義のあり方そのものについて、明治維新以後の大きな変革がなされてきたといえる。

その結果は何であったか。自殺者が3万人を超える状況、尼崎の電車事故、アスベスト問題、耐震強度偽装問題、BSE牛肉問題、ライブドア事件、タクシー運転手の低賃金問題等はこの15年間の政策の結果だといえる。雇用問題でいえば、不安定雇用が増大し低賃金の者が増え、格差社会となった。

格差社会については、高級なものが売れる一方で生活保護世帯が100万世帯を突破し、就学援助を受ける世帯が12.8%、貯蓄の無い世帯が23.8%に達したなどと報道されているところである。


2 日本の労働者状態

@ 失われた15年間

バブル崩壊直後の1991年に、半年間ドイツに留学し、その成果の一部を、1992年に「ゆとり社会の条件」という本にまとめた。本の中で当時の日本とドイツの労働条件の比較をしたが、その一部を紹介すると、1年の労働時間について日本の平均は2159時間であるのに対しドイツの平均1638時間であることや、配転等についてドイツでは日本と異なり、強い法規制、産別組合協約による制約、従業員代表の同意、本人の同意の4つのレベルで労働者は守られていることなどが記載されている。ドイツの経営者の「日本は天国みたい」とのコメントも掲載されている。当時、ソニーの盛田会長は、日本企業は欧米と整合性のあるルールのもとでフェアな競争をしなければならない、労働時間短縮や真の豊かさを実感できる賃金が必要であると述べ、国も、1992年に自己実現ができる十分な時間が必要であると謳う「生活大国5ヵ年計画」を閣議決定している。つまり、当時は、財界や国も、日本の異常な労働時間を何とかしなければならないと考えられていたのである。私は、日本の緩い規制が厳しくなってヨーロッパに近づいていくことはあっても、規制が緩くなることなどあり得ないと考えていた。

しかし、その後長期の不況を経るにつれて、企業の「生き残り」だけが優先され、労働者の権利を守ろうという姿勢は、国や財界からは完全になくなってしまった。具体的には、有期雇用の拡大、労働時間規制の弾力化、労働者派遣法の改悪、労働時間短縮促進法の改悪(=国の目標ではなく労使の問題とした)などが行われた。

A 現在の日本の労働者状態

ア 非正規社員

その結果、日本では、パート、アルバイト、業務請負、個人請負、派遣労働などの非正規採用の労働者が大幅に増加し(20%→35%)、若年労働者に至っては半数近くが非正規雇用という有様となっている。派遣労働市場は最近5年間で2倍に拡大し、現在、3分の1の企業が派遣労働者を使用している状況である。また、業務請負の形態をとった違法派遣労働、個人請負の形態をとった労働者派遣法の潜脱などが横行している。これらの非正規労働者は、低賃金という共通の特徴(正社員の3分の1、133万円とか150万円という調査結果が報じられている)を有する。

イ 正規社員

他方で、正規雇用の労働者はさらなる長時間過密労を強いられるようになってきている。週50時間以上働く労働者は28.2%にも達し(ヨーロッパで最も労働時間が長いイギリスの15.5%、オランダに至っては1.4%にすぎない)、若年正社員はさらにこきつかわれている。20歳台後半から30歳台にいたっては60%弱が週49時間以上働き、約3分の1が週60時間以上働いている。正社員は、能力主義、成果主義で競争に追いまくられ、そのストレスも深刻な問題となっている(半数の企業がメンタルヘルス問題が非常に深刻と回答している)。

ウ 公務員

そして今は、公務員も安心していられない。国は国家公務員を5年間で5%削減するとし、大阪市は5年で職員を20%削減するとしている。また、指定管理者制度の導入のほか、市場化テスト法案が提出されるに至り、刑務所、ハローワーク、社会保険料徴収、市町村の窓口業務などが安上がりな方に担当させることがもくろまれている。民間企業は非正規雇用者で占められており、公務員が競争に勝とうとすれば賃金を大幅に減らさざるを得ない。

なお、この背景には、国家財政の問題のほか、企業のビジネスチャンス(50兆円の市場ともいわれる)拡大の要求がある。


3 労働組合の機能低下

この15年間、労働組合は抵抗できなかった。組合組織率は、18.7%にすぎない。しかも、多くはユニオンショップ制で組織化されており、この場合組合の必要性を認めて結集しているわけではないから、力量が低い。これに対し、フランスでは、組合組織率は8%程度にすぎないが、組合の必要性を感じて結集しているから、日本の組合の100倍の力量をもっている。

実は、ドイツでも、グローバル化の圧力により解雇制限の緩和、労働時間延長などの提案がなされてきた。しかし、これに対し、組合は、大規模なストライキによる闘争を展開し抵抗した。国の側から受けている規制緩和の圧力は同じであるが、対抗勢力の力が大きく異なった結果、異なる結果となっているのである。

日本の組合はこのことをどう受け止めるか、この点は今日私が強調したい点の一つである。


4 格差社会論について

熊沢誠著「若者が働くとき」(ミネルバ書房)には、「働きすぎて、疲れた。あとは非正規。非正規のあとはニート、フリーター」「非正規は、疲れすぎて生気のない正社員をみて正社員になりたがらない」とある。つまり、非正規雇用の働き方と正規雇用の働き方とは相互に深く結びついているものであり、また正社員と非正規社員を単純に勝組負組でとらえることはできない。そして、非正規雇用の賃金の不安定さ、賃金の低さから、正社員の長時間労働、過密労働や、公務員への攻撃を許容してはならないということに注意する必要がある。また、労働組合が正社員の既得権だけを守る存在(守旧派)として攻撃される対象となっているが、現にそうであってはならないし、そのような攻撃を許してはならない。


5 労働法の機能低下

非正規雇用への効果的対策がなく、最低賃金が不十分であり、NTTなどにみられるように企業組織の再編に伴う労働条件引き下げが容易であるなど、労働法の内容自体に大きな問題がある。

従来日本では、法律と現実問題とは別という意識があった。近時は、残業代の支払いについては法律を守れという流れになってきてはいるが、違法派遣、違法残業(長時間働かせること自体の問題)など、未だに労働法規が遵守されていない状況は続いている。そればかりか、今は労働法規が遵守しなければ、現実に合わせて法律をかえてしまおうという流れがある。労働基準法は、1947年の制定以来1987年まで40年もの間実質的な改正がなされなかったが、1987年改正後、立て続けに改正がなされ、またなされようとしている。例えば、派遣法違反の事態を踏まえ労働者派遣法が改正され、不払い残業が横行する実態を踏まえホワイトカラーエグゼンプションを導入しようとしている。与党が大きい結果、法律が軽くなり、違法な実態に合わせて法律が改正される有様である。


6 基本的課題

このような状況から労働者の危機を救うためには、@法律の強化、紛争解決機関の強化、A労働組合の強化、B個人個人の決断の3つをしっかり組み合わせ必要がある。

現在、15年間の反省材料が徐々に出てきている。従来の方向へ戻る方向で転換するチャンスである。労働者、労働組合が主体的になってとりくんでいく必要がある。


第2 ホワイトカラーの労働時間問題

1 ホワイトカラーイグゼンプション制度とは

財界の主張としては、日本では工場労働者の生産性が高い一方でホワイトカラーの生産性は低いことから、ホワイトカラーの生産性をあげたい、そのためには時間外手当を支払わないシステムを導入したい、とのことである。経団連は、年収400万円以上であれば適用対象とできるよう要望している。

なお、アメリカでは、@5割増しの割増賃金を支払えば超過労働は許される(金を払えば働かせることができる)、A年収と業務上の裁量性を要件に割増賃金の適用を受けないことができる、という制度設計となっている。


2 厚生労働省研究会報告(2006年1月25日)の内容

@職務態様要件(職務遂行や労働時間の配分について裁量があること、成果賃金であること)、A本人要件(一定水準の年収と本人の同意)、B健康確保措置(健康チェック、休日取得等)、C労使協議に基づく合意、の各要件を満たす場合に、労働時間規制の適用が除外されるというものである。

しかし、上記4要件により導入を認めることには疑問がある。

@についていえば、細かな裁量は多くの労働者に認められるので対象となる労働者は広範となり得る。Aについては、企業から同意を迫られて拒否しきれる労働者が果たしてどれだけいるのか、そもそも本人が同意すればそれでよいのかという問題がある。労働者が体を壊せば周囲の人間を不幸にするということを忘れてはいけない。Bについていえば、健康だけを確保できれば良いのかというそもそもの問題がある。そもそも労働時間規制は健康という観点から始まったが健康だけの問題ではない。8時間寝て8時間働いて8時間休むという人間らしい生活を守ろうというもの。なぜ最初に戻ろとうとするのか理解できない。Cは実質的に機能するか疑問である。


3 「報告」の位置づけ等

ホワイトカラーエグゼンプションではないとうたっているものの、実質はアメリカと同じ発想である。

民間開放推進会議がトップダウンですすめてきたが、厚生労働省が4つの要件を課してせめてもの抵抗をした。しかし、法案化の段階で、4つの要件が残る保障はない。

仮に、残ったとしても、施行後に要件が緩和されるおそれもある。初めは、おずおずと始まって、徐々にあつかましくなるのがこれまでのやり方。有期雇用、派遣労働はそうであった。


第3 労働契約法制…簡単に

1 意義

これまでは、労働基準法で労働条件の最低限を定め、破れば罰則が適用されたり、行政指導が行われるという方法で、是正が行われるにすぎなかった。

使用者と労働者との間の労働関係を定める法律を制定し、労働関係に関するトラブルを労働審判により解決しようというのが、この法律である。

私は、このような法律は本来必要であると考えるが、現在提案されている内容は、労働者の権利を後退させる内容であるから反対である。


2 問題点

@ 解雇の金銭解決制度

実際に裁判になっても多くの人が解決金でやめているではないかということを根拠とし、労働法学にもこれを肯定する議論がある。

しかし、この制度が導入されれば、企業にとって解雇は単に経費の問題となってしまう。制度運用に伴い、これまでの長期雇用慣行のもと培われてきた「解雇は慎重に」という社会意識が低下し、「金さえ積んだら追い出せる」という風潮が拡大する。また、「金さえ積まれれば解雇され得る」という立場におかれることで、労働関係存続中の労働者の地位が非常に弱まる。

A 労使委員会制度の問題

労使委員会の5分の4の賛成で就業規則の不利益変更の合理性推定なされるとする。しかし、裁判所がこれまで合理性をチェックしてきたものを、労使委員会のチェックで足りるものとすることはできない。労使委員会には労働組合のような独立性はなく、また、労使委員会の半数は会社代表であるので、5分の4の賛成を得るのは容易である(例えば、委員会構成が使用者委員5名対労働者委員5名の場合、3人の労働者委員(つまり過半数の労働者委員)が同意すれば足りる)。


3 立法の展望

労働者団体は反対している。経団連も、部分的な規制強化部分があることから反対している。

現在、労働政策審議会で審議継続中であり、報告はひとつの参考程度にしようということになっている。


第4 非正規労働者・格差社会の問題

1 法規制の課題

@ 期間の定めのある労働契約が許されないことを原則とする規制がなされることが必要である。労働契約法制では有期契約の規制こそを設けるべきである。ヨーロッパでは、合理的理由のない有期契約は認められないというのが常識。例えば、日本で有期契約が当たり前のスーパーのレジは絶対有期契約は認められない。

A また、非正規労働者の低賃金は異常である。ヨーロッパでは、正社員と均等待遇をするとの規制がある。なお、均等待遇は、「同一価値労働同一賃金」ということをひとつの根拠とするが、実はこれは、年功賃金をいかに考えるのかという問題ともかかわってくる。組合も、均等待遇実現をスローガンと掲げるのみではなく、大変ではあるが、きちんと取り組んでいくべきである。

B 最低賃金の大幅な引き上げが必要である。生活保護が最低賃金より高いと批判されるが、生活保護が悪いのではなく最低賃金が低すぎるのである。

C ワークシェアリングの議論がやんでいるが、本格的に議論すべき問題である。賃金格差、格差社会への対処として必要な制度である。ドイツの自動車製造所では、若者は採用後20時間から始まり徐々に労働時間を増加し、高齢者は徐々に減っていくという方法で、労働時間の配分をしている。


2 非正規労働者の組織化の問題

連合系ではパート4万人が組織化されたとの報告があるが、殆どユニオンショップ制度の適用であって、労働組合が、会社と話をつけたもの、労働者を説得したわけではない。組合のこのような取組みで、本当にパートの人たちのためになるのか。組合もパートの人のために頑張るというが本当にそのようにいえるか。ユニオンショップのもと組織化のしんどい努力をせず、チェックオフで組合費とって安住してきたのが組合の堕落の原因である。

他方、全労連が3万8856人の非正規労働者を組織したとの報告があるそうであるが、これはすばらしい成果である。個人個人を説得して組織化したと思われる。


第5 「労働政策」でなく「労働者政策」を

格差社会について、経団連の会長御手洗氏は、格差は事実だがそれは景気が悪かったからであるという。確かに、景気が好転すれば労働力不足を補填するために正規社員の採用が一時増え、現在の問題は、部分的には解決したような様相を呈すると思う。しかし、政策と景気の回復によって問題が見えにくくなっても、それで問題が解決したというわけではない。根本は何も変わっていない。景気が悪くなれば、再びもとに戻る。

景気が回復するとともに、これから経営者側から、女性労働者、外国人労働者、ニートなどを活用するための政策が出てくると思われる。しかし、経営者側から提案される政策は、すべて労働力不足へ対応する政策であって、決して労働者のためのものではないことに注意しなければならない。

人間らしい労働条件(労働時間、賃金等)、安定した職業(期間の定めのない雇用)といった働く人の一人ひとりの尊厳という観点から、運動をしていくことが必要。これには、「勝ち組」とか「負け組」という発想を克服して、ともに連帯して格差社会を克服する運動が必要である。現在は、政策により格差を生ぜしめられ、労働者が分断されている。連帯しづらい深刻な状況である。運動は直接的な利益から始まるものであるが、今は、正規社員もいつ非正規社員となるか分からないように、直接的な利益にとどまっていては、逆に直接的利益すら守れない状況である。視野が狭い運動体となってはいけない。違う形の悩みをもっていても、立場が異なる人への想像力をもって、深い共通性を認識した連帯感が必要である。よくあるのが、集会で人の話をきかずにおのおの自分の訴えばかりを一生懸命している姿(笑)。

労働者の連帯は自然にできあがるべきではない。自分の頭で考えて連帯が必要であるということを認識し、実行しなければならない。前回の選挙も、国民が考えて投票したら違った結果となってはずである。

日本の労働者は、なぜストライキをしなくなったのか。野球選手に刺激されてストライキが盛り上がるのではないかという期待もあったが、期待外れであった。2004年の統計は、173件、5万5000人にすぎない。フランスでは、解雇を容易にする法案に対して、学生22万人のデモがあった。日本の労働者ももっと元気になって欲しい。

日本経団連からは、「使用者よ、正しく強く」とのメッセージが出されている。私からは労働者の皆さんに対し、「労働者よ、少しだけ強くなって、連帯してもっと強くなれ」と申し上げたい。

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