神戸弘陵学園で2002年から続いた不当労働行為事件は、本年5月9日に大阪高裁の控訴審判決がなされ、裁判としてはほぼ決着を見た(被告らが上告受理申立をしたようだが…)ので、今回の控訴審判決の評価とともに、一連の裁判闘争の到達点を弁護団の一員として考えてみたい。
当該事件は、続発する経理問題を追及した組合を理事会が極度に嫌悪し、組合活動に対する支配介入を繰り返したあげく、組合中心者の4名をねらい打ちにして懲戒解雇処分を強行したというものであった。
これに対して理事会側は、校内の正常化など何も考えず、裁判所への立入禁止仮処分の申請、刑事告訴や警備員雇入れなどを利用して、組合活動家(原告ら)を学校から排除しようという異様な行動に出た。
仮処分事件において、2003年6月、神戸地裁が組合の完全勝利(学校の立入禁止申請を排斥し、被解雇職員の地位保全決定)し、時を同じくして、理事会側がなした刑事告訴も不起訴処分で終了し、理事会側のもくろみは完全にはずれた。
仮処分事件で勝利をもたらしたのは、組合が日々の活動を詳細に記録化して事件の概要・組合の正当性を裁判所に伝えることができたこと、生徒保護者らと連帯しつつ組合活動を続けたこと、各種要請や裁判所への請願署名など、大衆的な団結によって裁判闘争を圧倒的に優位な立場を築いたことが大きい。
仮処分事件と並行して、組合は不当労働行為救済の申立を兵庫県労働委員会に行ったが、不当労働行為であることが明らかな団交拒否の救済申立であるにもかかわらず、遅々として進まなかった。その最大の要因は、労働委員会のメンバーの適性であった。
神戸地裁に提起した本案訴訟審理の過程で、学校混乱の中で選任された仮理事会が懲戒解雇処分の撤回を行い、学園正常化への道が開かれた。
その後の最終的な事件処理として、ここまで学園を混乱させた理事らに賠償責任を果たさせることが訴訟の最大の目標とされた。1審判決は、既報のとおり、懲戒解雇処分を受けた組合員の損害賠償請求を認め、かつ理事長・校長の共同責任を認めたものの、その他の理事の責任を認めず、また組合の損害賠償請求を認めなかった。
1審判決の問題点を是正すべく控訴していた事件の判決が今回の大阪高裁判決になるが、結果としては組合側が勝利したものの、この控訴審判決は、裁判所・裁判官の党派性が明らかになった問題のある判決だと言わざるをえない。
そこで控訴審判決の積極面・消極面を指摘したい。
(1) 組合の損害賠償請求を認容したこと1審判決が認めなかった組合の請求を認容した点は積極的に評価される。
1審判決は組合には損害がないとの理由で組合の請求を認めなかったがここまで異様な不当労働行為を受けた組合の請求が認められないのはおかしい。控訴審では、過去の裁判例では組合員個人に対する不利益取り扱いが組合に対する関係でも不法行為が成立することを認めていることを論証することにつとめたが、その結果、控訴審は、団交拒否、組合員への不利益取扱い等の不当労働行為によって、組合が経済的な損害や無形な損害を被ったことを認定し、組合の請求を認容した。こうして、裁判の本流に背く1審判決の是正をはかれたことは1つの積極面である。
(2) 懲戒解雇処分を受けた組合員の請求を認容したこと、不当労働行為の中心人物である理事長、校長の責任を認めたこと1審判決でも勝訴していた部分であり詳細は省くが、改めて高裁が認定した意味は重要である。
(3) 学校自身の責任を認めたこと1審判決では学校自身の不法行為責任(民法709条)は認めなかったが、控訴審判決がこれを認容した点も積極的に評価できる。
学校という組織体として団交拒否、懲戒処分を行ったにもかかわらず、法人の自己責任を認めたなかった1審判決は法的におかしいと考え、過去の例も引きながら控訴審では積極的に論証したが、その結果、控訴審が学校法人自身の法的責任を認めた意味は大きい。法律論としても運動論としても重要である。
(4) 高裁判決の問題点こうした積極面を持ちながらも、大阪高裁の控訴審判決の問題点は2つある。
1つ目は、1審判決と同じく、理事長、校長以外のその他の理事の責任を認めなかったことである。
2つ目は、1審判決よりも後退した点であり、損害賠償額をかなり減額したことである。
こうした控訴審判決を導いたものは何だったのかと考えると、一方では裁判所が証拠に基づいた事実認定をしていないからであり、他方で裁判所の思考が理事会側に好意的で組合側に敵意を持っているのではないかと思われるほど偏見に満ちていたことにあるのではないか。
控訴審判決の理屈を引用すると、「組合の幹部として労働条件の維持、改善その他経済的地位の向上という組合活動に努めるべきであるのに、その本分を超え、法人の人事にまで介入した」とか、組合員が職員会議を糾弾集会の場に変容させていたなどという下りが何度か登場する。組合活動は労働条件を改善するためのものであるが時と場合によっては役員人事に対して発言することも許されている(たとえば、大浜炭鉱事件最高裁判決)ので、大阪高裁は労働組合についての正確な理解がなく、むしろ組合に対して偏見を持っていると言わざるをえない。その反面、大阪高裁は、ここまで不当労働行為を繰り返した理事会であるにもかかわらず、仮にも理事なのだから言っていることは間違っていないだろうとか、そういった思いこみがあったのではないか。実際、裁判所は証拠に基づいて事実認定をしていないようだ。校長や理事長は、組合が暴徒であるかのような準備書面を繰り返し提出していたが、こうした書面を詳細に読んでいくと、実際には校内にいなかった人間がつるし上げに加わっていたなどと、客観的事実と矛盾する異様な主張がたくさん登場しており、学校側の主張はまったく信用できないものだったが、こうした主張が無条件に判決で採用されていたのだから驚きである。裁判官の労働組合に対する理解はいまだに成熟していないことを改めて思い知らされた判決である。
こうした問題点の多い大阪高裁であるが、こんな裁判所でも組合側が基本的には勝訴したことは大いに誇れることであり、同時に、4年間にわたって仮処分、地労委、刑事告訴、本案訴訟といった大がかりな裁判闘争を闘い抜いた組合の基本的勝利であったと思う。
このページのトップへ2002年10月1日盛理事長・楠田校長(いずれも当時)らの理事会によって不当な懲戒解雇処分(処分そのものは仮処分後撤回)を受けた私たち教職員4名と、この処分を初めとする不当労働行為を受けた教職員組合による損害賠償請求訴訟の控訴審判決は、一応の勝利判決とは言うものの、前進と後退ない混ぜのものでした。控訴審で私たちは、一審判決で認められなかった盛理事長と楠田校長を除く理事個人の不法行為責任と、組合に対する損害賠償を求めたのですが、組合に対する損害賠償は認められたものの、理事個人の責任は認められませんでした。組合への損害賠償の認定は当然のこととは言え、私たちも評価しています。しかし、校長らの学内の状況報告を鵜呑みにして懲戒解雇という最も過酷な処分の決定に賛同し、さらに不当な刑事告発(大多数の教職員の支持と支援を受け、解雇後も職務を遂行し続けた4名の原告を建造物侵入で告発した)という不法行為にも異を唱えることなく、その後の学園の混乱に結果的に加担した理事長,校長以外の理事の責任が認定されなかったことは納得のいくものではありません。その上原告4名に対する賠償額は減額され、事務職員の原告高橋と、教員の原告3名との間で賠償額に差をつけたものでした。
確かに、原告高橋に対する懲戒解雇処分は他の3人に比べてもその異常さが際だっており、当初から学内でもそのことは問題となっていました。本判決の判断理由の一端がここに見て取れると思います。高橋は2002年の6月に組合に加入しました。この時期は懲戒解雇事件の要因となった、杜撰な経理処理について校長・事務長の責任が学内で問題となり始めていた時期です。対して他の3名は教職員組合結成当時からの組合の中心メンバーで、特に藤田委員長(当時)と井上(当時書記長)は、経理処理問題についての責任追及を中心的に担っていました。判決の中に、原告3名に対する懲戒解雇処分や刑事告発が副次的ながら学校運営の秩序を回復する意図の下になされた側面もあるとの判断があります。言い換えれば、理事長は学校運営の秩序を乱した組合の中心メンバーを処分して秩序回復を図ろうとしたということになります。だから、中心メンバーでない高橋に対する処分は重すぎるということなのでしょう。だとすれば一審段階でも明らかなように、藤田・井上と浅野とでは職員会議等での発言回数や理事長・校長との直接的なやりとりには大きな差があったことについてはどう判断したのでしょうか。これでは組合の中心メンバーであったかなかったかが問題ということになってしまいます。一方で組合に対する理事長・校長の不法行為責任を認め、損害賠償を認めながら、組合の弱体化を意図した不法行為について一部その妥当性を認めるかのような判断には首を傾げたくなります。
もう一つは理事長・校長以外の理事の責任についてです。これについての判断は教職員の立場からすれば、極めていい加減で無責任な判断しかできない理事が学校法人の理事であっていいと裁判所は認めるのかと言いたくもなるようなものです。その本分を超えて、被告法人の経理問題を必要以上に激しく攻撃し法人の人事にまで介入した組合にも学校運営混乱の原因があり、顧問弁護士(仮処分後辞任)との相談の上理事長らの説明を真に受けて処分に同意したのはやむを得ないという判断なのです。数年前の公金使い込み事件の後も杜撰な経理処理が改善されず、その責任を問題にすらしない理事の社会的責任と、それを追及した教職員の“追及の仕方”を同列に扱い、理事長らの辞任を教職員として求めることを本分を超えた行為だと言うのであれば、当時の理事長らのような頑迷で経営能力を疑われるような経営者の下でも、その責任を追及したり退陣を求めたりすることは組合としては本分を超えているということになってしまいます。
以上のように判断内容については多くの不満が残りますが、一部前進もした一応の勝訴判決であり、私たちは上告しませんでした。被告学園も上告せず、これで4名の教職員及び組合と学園との間の係争関係はなくなりました。被告盛元理事長と楠田元校長は最高裁に上告受理申立をしましたが、私たちにとっては終わったも同然です。
一審提訴を前後して楠田校長らが盛理事長を解任、楠田校長が理事長兼務となり外部から学校ブローカーと目される人物を理事に入れようとしたことから理事会内紛と学園の大混乱が始まり、本訴訟の進展にも大きな影響が出ました。さらに県からの経常費補助金の交付が留保され新聞沙汰となり、学園混乱の責任を問われて県から理事長職の辞任と理事会の刷新を迫られた楠田らは、2004月3月末から6月にかけて今度は理事長職の二重譲渡というとんでもない行為を行い、学園はさらなる混乱に陥りました。この状況は本訴訟の被告らのどのような人物であったのかを如実に物語っています。その楠田もその年の6月には理事を辞任、退職しました。今被告の中で理事として留まっているのは1名のみですし、理事会運営を左右できる力もありません。 現在は県知事が選任した弁護士や会計士を含む4名の仮理事を含む理事会で法人運営がなされており、学園は正常に運営されています。原告の藤田と井上は法人評議員会の職員選出の評議員となりました。また、事件当時の理事会に批判的であった卒業生評議員を任期切れの時期に楠田校長らが差し替えたため、理事会の混乱にも評議員会は理事会のチェック機関として全く機能しなかったのですが、その後楠田らが選任した卒業生評議員は次々と辞任、現在はその役割を十分に果たせるまでになっています。このことは無責任な理事の存在を認めないという強固な学内世論の形成と相まって、今後の法人運営を正常なものとしていく足掛かりとなっています。
しかし、この数年の理事会紛争により学園の社会的信頼は損なわれたことで生徒数は激減し、学園は危機的な財政難に陥っています。そのため月別賃金・一時金の大幅カットが続き、昨年度は希望退職の募集に踏み切らざるをえませんでした。この困難な状況の下、私たちは学園再建のための教育活動活性化と生徒募集についての様々な取り組みを中心課題に据え、兵庫私教連にとっても本校の再建支援は大きな課題となっています。また理事会に対しては、学園混乱の張本人である楠田元理事長・校長らに対する責任追及を求めています。この裁判を初めとするこの数年の経験を今後の組合活動にどう生かしていくか、教職員組合の存在意義が強く問われています。
これまで多くのご支援を下さった各団体・各単組の皆様にお礼申し上げますとともに、今後の私たちの取り組みへのご理解ご支援をお願い申し上げます。
このページのトップへ兵庫県弁護士9条の会の松本と申します。
本日は、とくに共謀罪法案について、6月1日以降の国会情勢の急展開を受けて、弁護士9条の会として発言を、とのご要請を受けましたので、参りました。
まず、共謀罪法案の中身のおさらいと、激動の国会情勢について、かい摘んでご説明します。今通常国会に、「共謀罪」という新しい犯罪類型を盛り込んだ法案が提出されています。
その立法「目的」は何でしょうか。
マフィアなど国際的組織犯罪集団の取締を、世界各国の協力により実施しようという「越境的組織的犯罪防止条約」が国連にて締結されており、日本も署名し国会の承認も受けています。あとは同条約を批准する行為が残っているのですが、そのための前提条件を整えるため国内法整備として共謀罪法の立法が必要なのだ、と説明されています。
そして政府は、かかる立法「目的」を達成するために、「長期4年以上の刑を定める犯罪」について、「団体の活動として」「当該行為を実行するための組織により行われるもの」の「遂行を共謀した者」を、5年以下の懲役または禁固もしくは、2年以下の懲役または禁固に処する、との「手段」を用意しようとしています。「長期4年以上の刑を定める犯罪」というのは、裁判で4年以上の刑を言い渡すことが可能な犯罪を言い、殺人・強盗などに限らず、窃盗・詐欺や傷害などほとんどの主要犯罪を含み、その数600以上と言われています。
あとで触れるように、与党は、その後の世論の批判と要件を絞った民主党案を考慮して、団体性要件と顕示行為要件に多少の修正を加えましたが、法案の基本的な性格を変えていません。
要するに、共謀罪は、犯罪の実行に着手するどころか、準備行為もせず、単なる犯罪の話し合い、合意を処罰するものです。犯罪行為を実際には行わなくても、処罰できることになります。話し合ったことだけで処罰するような法律、今まであったかというと、刑法の内乱罪、爆発物取締罰則違反など8つの重大犯罪に限って陰謀罪が定められていました。ところが、共謀罪法案が成立すると、一挙に600以上もの犯罪について、陰謀(共謀)罪が定められることになります。
なぜそんなに取締対象を拡げねばならないか、政府は国連条約を批准する必要があるからというのみで、国内法的には緊急の必要性があるとは説明できていません。しかも、国連条約の要請を受けてといいながら、法案では、「団体の活動として」「当該行為を実行するための組織により行われるもの」という要件を付するのみで、国連条約が求めている国際的な組織的犯罪集団を取締対象にするとの限定は付されていません。結局、2人以上の者が合意しただけで検挙対象にされる可能性を拭えません。したがって、一般の政党、NPOなどの市民団体、労働組合、企業等の活動も処罰されるおそれがあります。
よく指摘されているように、市民団体がマンションの建設に反対して着工現場で座り込みをしたり、労働組合が、妥結するまで徹夜も辞さずに団体交渉を続けようと決めるだけで、組織的威力業務妨害罪や組織的監禁罪の共謀罪とされかねません。つまり、法案が用意した取締「手段」は、国連条約の「目的」を大きく逸脱するものであることは明らかです。ただ、一方で、犯罪の共謀はいけないことではないか、治安の悪化もあるし早い時期に取り締まって欲しい、との意見もあるかも知れません。
確かに犯罪の相談は悪いことですが、悪いことを考えたとしても実行しない人は多いはずです。冗談のつもりだった、ということも多いでしょう。それに何が犯罪の相談に当たるか、必ずしもはっきりしない場合があります。人を殺してやろうとか大怪我をさせてやろうとかの相談ならともかく、さきほどのマンション建設に反対する市民団体や労働組合の相談は、言論表現の自由や労働基本権の行使において、日常的にもあり得る普通のお話の延長線に過ぎません。外にも、たとえば、迫害と劣悪な生活環境に苦しむパレスチナ難民を支援するためカンパを集めようと相談・合意すれば、「公衆等脅迫目的の犯罪行為のための資金の提供等の処罰に関する法律違反」の「共謀罪」に該当するおそれがあります。あるいは、平和のために自衛隊や米軍の兵器など要らない、軍隊の動きを調査して公表しようと相談・合意すれば、「自衛隊法、日本国とアメリカ合衆国との間の相互協力及び安全保障条約第6条に基づく施設及び区域並びに日本国における合衆国軍隊の地位に関する協定の実施に伴う刑事特別法違反」の「共謀罪」に該当する恐れがあります。かかる相談や合意は、犯罪の共謀に当たるから悪いことだと非難されるに値するでしょうか。常識的には到底そうは思えません。むしろこのような議論さえ許されないのならば、そのような社会は到底、健全な民主社会とは言えないこと明白であります。
理念的にいえば、そもそも国家権力が人民に刑罰という重い人権侵害を加えることが許されるのは、たとえば人殺しのような、ナイフを振り回す犯罪行為があって、それによって人の死亡という結果が生じたような場合に限定されるのが近代刑法の原則です。そのような危険で具体的な加害行為と被害の発生があってこそ国家が人を処罰することが正当化されるのです。話しただけで逮捕できる権限を国家・警察に認めるなどということは、国家権力の濫用から市民の自由を保障した近代刑法の大原則に真っ向から反するものであります。また、国家・警察による狙い打ち、あの市民団体は政府に楯をついて問題だからガツンとやってやろう、あの政治家は気に入らん言動をするうるさい奴だからあげてやろう、という恣意や選別を許すものであり、人民の自由なる言論や市民活動、政治活動に対し徹底的な打撃を与えうる劇薬の威力をもつものと言えます。
さらに、日頃の私達の生活への影響を考えると、共謀罪は、人と人との言葉のやりとりを処罰するものですから、日常生活の中での電話やメール、立ち話、会社などでの会議が捜査の対象になってしまいます。電話やメールが盗聴されることを考えてみてください。あなたの電話やメールの相手は、実はおとり捜査官かもしれません。これでは監視社会というほかありません。
6月2日(先週金曜日)に未決拘禁法が成立しました。この法律によって、警察留置場、いわゆる代用監獄が今後も存続する方向で法的に根拠付けられました。わたしたちはひとたび犯罪の嫌疑を受けて逮捕されると、警察留置場に入れられて24時間警察の監視下で23日間取調を受ける、という現状が追認されたのです。
共謀罪が成立しますと、警察留置場での自白強要が強まるでしょう。誰それは、徹夜の団交を話し合ったことを認めているぞ、だからお前も逃れられないぞ、とか、密告があったから自白しろ、と言った自白強要が今以上に頻発することが容易に予測されます。
人殺しならば、遺体の状況はどうか、凶器とされるナイフの入手経路はどうか、指紋は一致しているか、犯行現場の目撃証言は信用できるか等々、具体的な審理対象が明確ですが、共謀罪の場合、ひとたび自白調書が取られると、そのような相談はなかったという刑事弁護は極めて困難を来すことも、弁護士ならば容易に予測されます。ないことの証明は大変困難だからです。密告によって捜査が始まった場合、その氏名は開示されないでしょうから、その者に真偽を問いただす弁護もできません。刑事法廷で密告内容を検証しようにも証人出頭も求められないということになります。刑事弁護は死ぬと言っても過言ではありません。
そして、これは他人事ではありません。人は犯罪を犯さないことはできても、犯罪の嫌疑を受けないことはできない、と従来から言われてきました。多くの再審無罪判決を見ても、最近の痴漢冤罪を見ても、人は誰でも自ら犯罪を犯さないよう自制することはできても、犯人と疑われてしまう恐れがあることは否定できません。しかし、共謀罪ができると、犯罪を犯さないことは自分でできる、ということさえ、怪しくなります。何が「犯罪」となるか、600以上もあって予想もつかないからです。
とすれば来るべきものは、明白です。見ざる、言わざる、聞かざる」、の世界です。とくに、政府や大きな組織に逆らう言動は危ない、何で引っかけられるか分からないから、黙っていよう、ということになることは必定です。迂闊な批判や、反対運動は危ない、本日のような集会に参加するなどとんでもないことだ、ということになるでしょう。そのような積み重ねの中で、人民の声がなくなっていくと、国家権力がどのような動きをするか、戦前の例をみても容易に予想がつくことです。
戦前戦中の外交評論家、清沢洌の「暗黒日記」という本が岩波文庫から出ています。その昭和19年4月30日の項に、彼は、次にように記しています。
「日本はこの興亡の大戦争を始むるのに幾人が知り、指導し、考え、交渉に当ったのだろう。おそらく数十人を出でまい。秘密主義、官僚主義、指導者原理というようなものがいかに危険であるかがこれでも分る。来るべき組織においては言論の自由は絶対に確保しなくてはならない。」
また、彼は、戦時中、自由主義的な文化人の集まりでも、複数人で会えば政府批判は一切聞かれない、外交に関しても相手国の立場に立った解説等は一切タブー視されている、これは適切な外交評論にとっては決定的な致命傷だ、皆、特高に密告されないよう、みずからの身を守るために本当にことを言わない、新聞ラジオも政府公報に堕し、自由な言説が聞かれない、と日記の中で嘆いています。
戦前日本の暗黒の時代は、目と口と耳を覆わざるをえない状況に追い込まれ、マスコミが政府公報に堕する中で何も知らされなかった国民に対し、敗戦による暗黒をもたらしたのであります。
これは昔物語でしょうか。
現下のイラクには危険ということでNHK記者のみ入国が許されており、民放記者やフリージャーナリストの入国は拒否されています。本年3月19日に兵庫県下の9条の会が力を合わせて開催した市民集会で、ゲスト高遠菜穂子さんは「報道の壁」と表現していましたが、報道機関に対する壁が設けられマスコミの目の届かない中で女性、子どもを初め多数の住民が米軍に殺害され、米軍はテロリストの掃討に成功したとのみアナウンスする、そのような報道の壁の向こうで米軍は国際的に禁止されている化学兵器を使用した可能性がある等の生の事実を報告なさいました。今後、共謀罪が成立し、国民の目と耳と口が覆われ、報道の壁がそびえていけば、将来、わが国の内外で同じような悲惨な人権侵害が生じることはかなりの確度をもって予測可能ではないでしょうか。
共謀罪法案は、かかる危険な性格をもつものであるため、2003年より国会で審議されていますが、過去に2度も廃案になっています。しかし政府は、昨年05年9月の郵政改革衆院選挙の大勝をうけて10月の特別国会に再度、提出し、わずか2週間の審議で成立を図ろうとしました。兵庫県弁護士会は、日本弁護士連合会及び全国の都道府県の弁護士会とともに、思想・言論の自由に重大な脅威を与える人権侵害法案と判断し、直ちに強く反対する旨の会長声明を出し、元町商店街で150人規模のデモ行進を行い、さらに個々の弁護士が衆院法務委員会の議員に対しメールで意見表明を行いました。兵弁9条の会もその活動を支援しました。
弁護士会という組織は、弁護士として仕事をしようとする者はすべて加入しなければならない強制加入団体であり、与党自民党や公明党支持の弁護士も多数を占めています。法律家の団体として政治課題に慎重な、一見鈍重とも思える、いわば保守的体質も持っています。しかし、そのような鈍重な弁護士会でさえ共謀罪法案に関しては、会をあげて断固たる反対運動を展開いたしました。それは、話しただけ、合意しただけで逮捕、処罰可能な共謀罪だけは黙っておられない、ということで見解が一致したからであります。
しかし去年10月当時は、まだマスコミの扱いも小さく、世間の人々の反応もビビットではなかったので大変憂慮しましたが、何とか成立が阻止され継続審議になりました。廃案ではなく継続審議になった以上、次の国会である今通常国会にて改めて審議されることは予想されていましたが、政府与党は、4月21日に修正案を提示して審議入りを決定し、今度はわずか1週間の審議で、連休前の4月28日に駆け込み的に強行採決をしようとしました。連休前に強行採決する意図は、連休により国会も世間もバカンス期間に入ってしまうので、その前に多少手荒なことをしてもほとぼりが冷めやすいという効果を狙った姑息な手段であります。
修正の中身は、第一に、適用対象の団体を「その共同の目的が罪を実行することにある団体である場合に限る」とする、第二に、「行為」を「犯罪の実行のために資する行為」として、単なる「共謀」に加えて何らかの準備行為を要件として加える、とされています。
しかしながら、第一の点については、ここにいう「団体」は、元々犯罪目的で結成された恒常的な組織のみを意味するわけでなく、一時的に形成された複数人の集まりをも含むと解される余地もあります。従って、国連条約が取締りを求めるマフィアなど組織的な犯罪集団に限定されず、依然として、市民団体にも座り込みを協議した時点から犯罪目的の団体になったものとして、共謀罪が適用されることになる可能性が残っています。
また、第二の点については、何らかの準備行為を加えるとしても、共謀のための何らかの行為でよいのでメモ用紙を買うとか、携帯メールを送るとかの行為も含まれてしまう可能性があり、それでは共謀の成立を立証するために証拠が必要だという当然の理を述べたにすぎず、何ら、共謀罪の成立範囲を限定したことにはなりません。
このように、修正案も、共謀罪を限定したものとは到底言えません。
そのため、兵庫県弁護士会は、4月20日、急遽、会長声明を出し、この法案に関しては通算3度目ですが、強く反対する意思を表明し、まさに大急ぎで準備をして4月26日に、2度目の元町商店街デモ行進を実施しました。やはり150人以上の長い隊列を実現することができました。同じ日に、東京では日弁連が民主党の管直人さんなどを呼んで、共謀罪反対の大市民集会を開催し、大阪弁護士会は翌27日にデモ行進を行いました。今度は、マスコミの扱いも大きく、報道ステーション等も取り上げて世論の批判も厳しくなりました。
このように弁護士会、市民団体、マスコミあげての厳しい世論の批判はあったものの、政府与党は、すでに審議を尽くした、欧米との連帯の中で国際的組織犯罪対策は必要だと強弁し、与党圧倒的多数の政治情勢の中で、何度も今日は強行採決か、との噂が飛び交う中、5月19日、河野洋平衆院議長が動き、同日予定されていた強行採決は先送りとなりました。
国会の会期末が1か月後に迫っていることと相俟って、この時点で共謀罪法案の今国会での成立は事実上見送られることとなったとの観測が確定的となり、市民運動にとって久々の一つの勝利か、と判断されました。しかし、6月1日になって、政府与党は共謀罪に関して民主党案を丸飲みで賛成する意向を明らかにし、翌2日の法務委員会において、与党修正案を撤回し、民主党の修正案に賛成して、法案を成立させる意向を明らかにし、一挙に今国会での成立の危険性が再浮上しました。
民主党案は、犯罪の越境的性質を要件とすること、対象犯罪を長期5年以上300あまりに大幅に限定すること、犯罪の予備的行為を必要とすること、自首減軽の規定を原則として削除する、共謀の定義を明確化することなどを含んでおり、政府・与党は、従前からそれでは国連条約に適合せず批准ができないと批判していたものでした。それを、ここに来て何故、受け入れるのか疑義がありました。
6月1日の朝日新聞によると、今国会で民主党案を受け入れて修正法案をとにかく通過させてしまい、次期国会にて条約に適合するよう修正する、という与党幹部の発言が紹介されました。次期国会において、越境性要件の削除、長期4年以上の600余の対象犯罪に再修正しようと意図するものと推測されました。つまり、民主党案は「当て馬」的に扱われるおそれがあると判断されたため、弁護士、市民からの与党に対する抗議、民主党に対する意見メールが殺到する中で、民主党が採決に応じないことを決め、強行採決は再び阻止されました。
またも市民運動の中で何とか押し返したわけですが、会期延長論が未だくすぶる中で、今後もどう展開するか一寸先はまさに闇というのが国会の様相です。反対運動をさらに粘り強く継続することが肝要と思われます。.....
教育基本法改正法案について一言言えば、学級崩壊、校内暴力、いじめ、不登校、少年犯罪世の大人は自信をなくし困惑している、憲法と教育基本法を悪者にしてここらで変えてムード発言。「愛国心」と「日本国の伝統」を教える教育方針にすれば、上記病理にどのような効果があるか、証明なし。国民の閉塞感、現状に対する不満を利用、何か変えたい。目的に対し、常に手段のすり替えがある表面で謳っている綺麗な目的と、かけ離れた手段が取られようとしている真実狙っているものは別にあると見るほかない。国民、市民は、疑い深くあらねばならない。先日の憲法集会の記念講演で佐高信さんの言葉「法律家、ものごとの適法性、社会的に相当かどうかの判断は、目的の正当性及び手段の相当性、相関的に検討する、政府ないし与党議員提案の改正法も同様の手法を適用すべき表面で謳っている目的自体が全く正当性を持たないことは稀、ではその目的達成のため手段の相当性を有しているか、その法案の内容で当該目的は達成可能か、ないし目的に照らし不相当に広汎な規制がなされようとしていないか、不相当に広汎な権限を警察なり国家に与えようとしていないか、もし不相当な手段が用意されている場合は、真の目的なり狙いは別にあると疑う必要はないか。教育基本法改正法案もまさに同様に検証していく必要がある、冷静に一歩引いて考える。表面で謳っている目的自体も賛否別れるところである。愛するものは本来自分で決める力を持つ若者を育てるのが本来の教育である。それはおくとしても、手段の相当性はどうか。愛国心と国の伝統なるものの教え込み、教育の「目標」とされているので、査定、処分、強制、東京都の都教委の実例、国による教育内容の介入、強制がますます強まる。」
終戦直後、日本国憲法が施行された翌年1948年、昭和23年に文部省が発行した高校用教科書「民主主義」という本があります。全体に新憲法に対するみずみずしい感激が読み取れる内容ですが、次のような一節があります。
「これまでの日本の教育は上から教え込む教育であった。…そのうえに、もっと悪いことには、政府の指図によって動かされるところが多かった。だから、自由な考え方で、自主独立の人物を作るための教育をしようとする学校や先生があっても、そういう教育方針を実現することはきわめて困難であった。しかも政府はこのような教育を通じて、特に誤った歴史教育を通じて生徒に日本を神国であると思いこませようとし、はては、学校に軍事教練を取り入れることを強制した。…このようにして、政治によってゆがめられた教育を通じて、太平洋戦争を頂点とする日本の悲劇が着々と用意されていったのである。」かかる歴史の教訓に学び、同じ過ちを繰り返さないよう努力しようではありませんか。
同じく高校生用教科書「民主主義」に次の一節があります。これを紹介してわたしのスピーチを終わらせて頂きます。
「独裁は、貪欲な、傲慢な動機を露骨に示さないで、それを道徳だの、国家の名誉だの、民族の繁栄だのという、よそ行きの着物で飾るほうが、いっそう都合がよいし、効果も上げるということを発見した。帝国の光栄を守るという美名の下に、人々は服従し、馬車馬のように働き、一命を投げ出して戦った。…そういうふうにして日本は無謀きわまる戦争を始め、その戦争は最も悲惨な敗北に終わり、国民の全てが独裁政治によってもたらされた塗炭の苦しみを骨身にしみて味わった。これからの日本では、そういうことは二度と再び起こらないと思うかもしれない。しかし、そう言って安心していることはできない。独裁主義は、民主化されたはずの今後の日本にも、いつ、どこから忍び込んで来るか分からないのである。…今度は、誰もが反対できない民主主義という一番美しい名前を借りて、こうするのがみんなのためだと言って、人々を操ろうとするだろう。…そういう野望を打ち破る方法は、ただ一つである。それは、国民のみんなが政治的に賢明になることである。人に言われてその通りに動くのではなく、自分の判断で、正しいものと正しくないものとをかみ分けることができるようになることである。」
うわべの華やかさやムードに惑わされず、真の民主主義の実現を目指し、真の主権者国民としての意思を、自分の判断で示しましょう。国際協調という美名に惑わされず。疑い深く。
このページのトップへ(1) 原告は、鉄道車両用のブレーキ装置、自動扉装置等の製造、販売等を業としている株式会社ナブコ(後にナブテスコに吸収合併)の完全子会社であるナブコ産業株式会社(従業員70名)の従業員であった。
(2) ナブコ産業は損害保険の代理業やナブコが委託する経理事務、福利厚生事務の処理などを業としていたが、同時に、従業員をナブコ西神工場に派遣して組み立て業務などに従事させていた。ただし、ナブコ産業は、労働者派遣事業の許可や届出をしていなかった。
(3) ナブコ産業の取締役はナブコの従業員か元従業員であり、2名を除くと大半の従業員はナブコからの出向者か出向後定年となってナブコ産業に直傭されている者であった。
(4) ナブコ産業の本社はナブコの神戸事務所内に置かれていた。
(5) 原告は、平成2003年2月、ナブコ産業の求人広告(勤務地:ナブコ西神工場、職種:組立作業等)に応募し、ナブコ従業員立ち会いのもとで実技試験と面接を受けて、平成15年2月21日ナブコ産業と有期雇用契約を締結した。
(6) 原告は、ナブコから作業服の貸与を受けて、ナブコの従業員に混じってナブコの班長の指揮命令を受けて、ナブコ従業員と全く同一の作業に従事した。残業はナブコの班長の指示で行われ、有給休暇の取得についてはナブコの従業員が使用している申請用紙を用いてナブコの班長に提出していた。出勤簿はナブコが管理していた。
(7) 原告とナブコ産業との間の雇用契約書には「契約満了時に社員充足状態、本人の能力、健康状態その他の業務の都合を勘案して更新の可否を決する」との記載してあったが、平成15年9月末日には特段の面接等もなく新たな契約書を作成するだけで雇用契約は更新された。
(8) ところが、平成2004年2月、ナブコ産業は同年3月末日付けで原告を雇止めすることを通告したため、原告は親会社であるナブコとの間の雇用契約の成立と更新拒絶に合理的な理由がないことを主張して雇止めの効力を争った。
(1) 社外労働者と受入企業間に黙示の労働契約が成立すると認められるためには、
@ 社外労働者が受入企業の事業場において同企業から作業上の指揮命令を受けて労務に従事していること
A 実質的にみて派遣企業ではなく受入企業が社外労働者に賃金を支払い、社外労働者の労務提供の相手方が派遣企業ではなく受入企業であること が必要である。
(2) 形式的には有期雇用である場合でも、労働者が継続雇用を期待する合理性の程度と、雇止めの理由の不合理性の程度の相関関係によって雇止めをすることは許されない場合があり、使用者による雇止めの理由の不合理性の程度が大きい場合には、雇止めの効力が否定される。
(3) 本件雇止めの実質的な理由は、ナブコの要員調整の必要性というよりは、適正な業務処理請負を実現するにはコストの問題をクリアできないという専らナブコ産業の経済的なものであり(ナブコ産業が一般労働者派遣業の許可を受けていないためナブコ産業から適法に人材派遣を受け入れることはできないが、かといってナブコ産業に適正に業務請負をさせるためには、ナブコ産業の現場担当者を配置して当該現場担当者がナブコ産業の労働者を指揮命令するようにする必要があり、現場担当者を配置のためのコストが増える)、著しく不合理であって無効。
(1) 2004年3月に製造業務への労働者派遣(雇用期間1年)(2007年3月から雇用期間の上限は3年に延長される)が解禁されたが、本件当時は派遣は認められていなかった上に、ナブコ産業は一般労働者派遣業の許可を受けていなかったため、労働者派遣という形でナブコの業務に従事させることはできなかった。このように原告に対する雇止めはナブコ及びナブコ産業が違法な派遣である旨の指導を受けたことが契機となっており、判決はその点に着目して雇止めの効力を否定した。
(2) ところで、本件判決で注目すべきは、その前提として原告と親会社ナブコとの間の労働契約の成立を認めたことである。
判決は、
@ 勤務開始当初から、原告は、ナブコ西神工場において、ナブコ社員である班長の指揮命令を受けて各自の担当作業を行っており、労働契約上の使用者であるはずのナブコ産業による指揮命令を受けていなかったこと
A ナブコからナブコ産業に支払われていた原告の派遣料は原告が残業した場合でも増額されず、増額分はナブコ産業が負担していたが、このことは、ナブコ産業が本件派遣契約において採算を度外視していたことを意味するのであるから、ナブコ産業がナブコから経済的に独立して派遣業を行っていなかったと評価されること
B ナブコ産業は、それ自体としては、ナブコとは独立の事業を行い、法人格も形骸化しているとはいえないが、ナブコ産業は専ら、完全親会社であるナブコの工場に対する労働力の供給しか行っていなかったこと
C そうすると、採用面接や実技試験においてナブコ産業の従業員が立ち会っていたとしても、ナブコ産業による原告らの採用は、完全親会社であるナブコの採用を代行していたにすぎないといえること
D 原告は、他の複数のナブコの正社員と同一の作業を渾然一体となって行っていたこと、原告の出勤簿はナブコが管理し、残業についてもナブコの職場長の指示で行われていたこと、有給休暇の申請についても、ナブコの従業員と同じ用紙を使用してナブコの班長に提出していたことが認められるから、原告の労務の提供は、専らナブコに対して行われていたと評価することができること
を根拠に、原告とナブコとは、形式的には、原告とナブコ産業との間の労働契約及びナブコとナブコ産業との間の派遣契約に基づいて、原告がナブコに労働力を提供していたが、これを実質的にみれば、受入企業であるナブコから作業上の指揮命令を受けて労務に従事しており、派遣企業のナブコ産業ではなく受入企業であるナブコが社外労働者である原告らに賃金を支払い、原告らの労務提供の相手方はナブコであったということができると認定して、原告とナブコとの間には、黙示の労働契約が成立していると判示した。
(3) 一般に、社外労働者と受入企業との労働契約を肯定するためには、受入企業による作業上の指揮監督(使用従属関係)が存在することが必要であることに異論はない。
かかる事実上の使用従属関係に加えて、多数の判例や学説は、当該労働者が受入企業を相手方として労務を提供し、かつ受入企業が労働者に対して賃金を支払っていると認められるに足る事情を要するとしている。たとえば、受入企業が労働者の配置権限や懲戒権を保有しているなど派遣企業が形骸化して独立性を欠くことや受入企業が実質的に賃金を決定するなど派遣企業が受入企業の賃金支払の代行機関と化している実態及び派遣料・業務委託料が賃金額を基礎として自動的に設定されるなど料金と賃金が直接関連していることが必要であるといわれる。
本件判決もこのような判例多数説の立場を踏襲したものである。
(4) 派遣、業務委託、業務請負など様々な形で社外労働者の利用が進んでいるが、どのような要件がそろえば社外労働者と受入企業との間に契約関係を認めうるのかについて参考になる判例である。
このページのトップへこの事件は、生命保険会社の従業員に対する雇い止めに関する労使紛争にあたって、組合が配布した会社の経営批判のビラと組合の管理するホームページ(以下HPと略)の記載内容によって、会社の名誉、信用が毀損されたとして、会社が労働組合に対して金500万円の損害賠償と全国紙への謝罪広告の掲載を求めた事件です。
判決の整理によると会社が問題としたビラなどへの記載は次の通りです。
(1) ビラに掲載された事実に関する部分@ 採用時に「期間は形式的で更新して定年60歳まで働けます」との説明を受けた。
A 上司から「本社なら統廃合もなしズーッと働けますヨ」「今のまま総支社で働いていれば、仕事はなくなる一方だけど、本社へ転勤すれば、そんな心配をすることなく、ずっと働くことができるから、ぜひ行った方がいいですヨ」と言われた。
B 上司から「今の仕事がなくなっても、転職先を探すので移管作業を最後までやって欲しい」「ここでの仕事がなくなっても、あなたたちの働く場所は探します」と言われた。
以上3点の説明を受けたのに会社は約束を守らなかった。
会社はこれらのビラの記載は全て虚偽であると主張しました。
(2) 組合による見解ないし評価に関する部分会社が、嘱託事務員を不当に解雇し、使い捨てにしたなどと会社の態度についての組合の見解や評価を述べた部分を会社は問題としています。
具体的には、「不当解雇」「従業員をポイ捨て」「嘱託事務員を使い捨て」「一方的に解雇」などの表現が違法であると主張しています。
(3) 会社のテレビコマーシャルを引用してHPに掲載した部分会社のテレビコマーシャル映像の1コマを複写して、その下に「と宣伝していますが、従業員が安心して働けないような保険会社に『大きな安心をお届けしたい』などという資格があるのでしょうか」と組合が開設したHPに掲載したことが、会社の信用、企業イメージを低下させたと主張しています。
本件の争点は、@ビラの配布やHP上での配信が会社の名誉、企業イメージ、信用を毀損したものと言えるか、A仮にそうだとしても正当な組合活動として違法性がなく、不法行為とはならないのか、という2点です。
違法性がないという組合の主張の根拠は、次の通りです。
@ 労組の教宣活動は、憲法28条の団結権に根ざした正当な組合活動として労組法上の保護を受ける。
A 労組が一定の事実について、評価、表現することは自由である。
B 客観的な事実に基づくか、労働者ないし労組において、事実と信じるについて、合理的な理由があるときは、労使関係の推移を反映して攻撃的な表現を用いても、全体として正当な組合活動として許容される。
C 本件のビラ配布等は、会社が雇い止め、団交で誠実な交渉に応じない、都労委が行った斡旋を直ちに拒否したことに対する労働者、労組としての率直な抗議行動であり、正当な組合活動として許容されるべきである。
東京地裁の判決は、結論として本件のビラ配布などを正当な組合活動として違法性がないと認定し、会社の請求を棄却し、この判断は東京高裁でも維持されて、判決は確定しました。
(1) 名誉、信用の毀損があるか。判決はこの点は肯定しました。
名誉・信用が毀損されたか否かを判断するにあたっては、本件ビラを受け取り、これを読んだもの、あるいはビラが掲載されている労組のHPを見た者がどのような印象を持つかによって決めるべきである。
本件ビラを読んだもの、あるいは、労組のHPを見た者は、当該会社が約束を守らない会社であること、嘱託事務員を使い捨てにする会社であることなど、会社に対して、悪印象を持つと思われ、その意味で、本件ビラの内容は、会社の対外的な社会的評価の低下を生じさせ、名誉、信用を毀損する内容というべきである。
(2) 正当な組合活動として違法性が阻却されるか。判決は違法性を否定しました。
@ 組合の本件ビラ配布などは、労組の組合活動の一環として行われており、ビラに記載した事実が真実であるか否か、真実と信じるについて相当な理由が存在するか否か、表現自体は相当であるか否か、更には、表現活動の目的、態様、影響はどうかなど一切の事情を総合し、正当な組合活動として社会通念上許容される範囲内のものであると判断される場合には、違法性が阻却されるものと解するのが相当である、と判決は述べています。その上で判決は、次のような検討をしています。
A ビラに掲載された事実は、真実であるとまでは断定できないが、組合員が訴えている内容などから、組合としては、少なくとも真実であると信ずるにつき相当な理由があったというべきである。
B ビラの記載として「不当に解雇」「従業員をポイ捨て」「嘱託事務員を使い捨て」と表現していることの相当性について。
判決は、掲載している事実が真実であると信ずるについて相当な理由があり、このようなビラの表現は、結局のところ、本件雇い止めが不当であることを明らかにしようとしたものといえるので、いずれも組合活動としての社会通念上許容される範囲内のものというのが相当である。
C 会社のコマーシャルを引用した表現について
コマーシャル引用の表現は、会社の態度を揶揄し、不穏当な面がないではなく、会社の神経を逆なでする点は理解できなくもない。
しかし、かかる表現は、会社の労務政策を批判し、公衆に対し組合の支援を呼び掛けるものであって、会社の商品、サービスなどの信頼性の欠如を述べるようなものではないから、会社に無断で複写した点を考慮しても、組合活動としての相当性を逸脱し、違法なものとまでは評価できない。
D その他組合の表現活動の目的、態様、影響などについて
ビラ配布の目的は、労使紛争の解決の糸口が見つからない状況で、公衆に向けて、組合活動の支持を呼び掛ける目的で行ったものと認めるのが相当であって、殊更に会社の名誉・企業イメージ、信用を毀損する目的で行ったものではない。
ビラ配布の態様は、通常組合が情宣活動として行う態様を逸脱するものではない、また、インターネットが普及した今日では、組合ビラの内容を公衆送信することも真新しいものではない。
ビラ配布及びその公衆送信の態様は、組合活動として社会通念上許容される範囲内のものということが相当である。
ビラ配布の影響については、ビラ配布等によって、会社の名誉・企業イメージ、信用が毀損されたことにより、会社の営業などに影響が生じ、具体的な損害が発生したとは言えない。
(3) 以上のような理由によって、本件ビラ配布には違法性がないとして、会社の請求を退けました。去る2006年6月3日午前10時から午後4時まで、日本労働弁護団の行う「全国一斉残業・労働トラブル労働審判ホットライン」の一環として兵庫民法協でも会員弁護士8名により電話相談を実施した。
当日は、全国23カ所で合計419件の相談があったが、兵庫では合計10件にとどまった。最近は相談件数が減少しているが、電話相談活動がマスコミでも注目されなくなり、広報が十分行き渡っていない結果であると思われる。
全国の都道府県労働局で実施している個別労働紛争に関する相談は2005(平成17)年度には17万6429件に達し,前年度比10.2%増えた。
(平成14年度と比較すると実に71%増である)
これに対して、兵庫県における2005(平成17)年度の相談件数は7258件(ただし、前年度比23.1%減と全国の傾向とは逆に減少)もある。
今回は次のような相談が寄せられた。
・職業安定所の求人票記載の労働条件と実際の労働条件が異なる。
・早朝から深夜まで仕事をしているが、残業割増賃金は1時間分しか支払われず、いつ倒れるかわからない。
・連日14・15時間の過重勤務で鬱状態になった。
・セクハラを指摘したら嫌がらせの配転をされた。
・営業成績が上がらないと暴言を吐かれる、給与を下げると脅かされ続ける。
・入社して数年後に関連会社に転籍したが、転籍先から出向という形で職場も職務の内容も全く変わらないまま20数年仕事をしている。出向元の会社にはほとんど行ったことがなく同僚の顔も知らないが、転籍先の労働者と賃金の格差だけがどんどん拡がっている。
全国的に、長時間労働、賃金不払い、いじめ・嫌がらせなどが目立っているようだが、兵庫でも同様の傾向を示している。
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