大阪地裁に申し立てたのは労災についての損害賠償事件で、三田の大型スパ施設に出店しているレストランの店長が、急遽、お盆期間中にプールサイドに出店される屋台の業務を任されることになったところ、アルバイト社員と2人で多数の顧客の対応にてんてこまいしているさなか、足を滑らせて転倒し、プールサイドに腰を強打、運悪く脊椎損傷し労災9級の認定を受けたという事案です(神戸地裁に申立準備中の3月、施設が閉鎖となり、神戸地裁に労働審判法2条に基づく管轄がなくなり、大阪地裁での申立を余儀なくされました)。
申立では、本来業務ではなく、経験したこともないプールサイドでの業務に従事させる場合、使用者には労働者に転倒の危険があることを事前に十分注意する義務、また業務に忙殺されて余裕を失うことのないよう十分な人員を配置する義務を負っているのに、本件ではこれらの義務は全く尽くされておらず、その点で使用者は安全配慮義務を免れない旨を主張しました。
もっとも、仮に安全配慮義務違反が認められても、相当な過失相殺は免れない事案で、労災から一定の給付がなされていることから、6割の過失相殺がなされると、労働者の損害は既に填補済みで請求が認められなくなるという事案で、相手方も自招事故に匹敵する事故で、少なくとも6割の過失はある旨を主張してきました。
これに対し、申立人は、床が濡れたままの状態で発生したコンビニでの顧客の転倒事故でも店舗の顧客に対する不法行為責任が認められており、その事案では過失相殺は5割に止められているところ、契約関係のない事案で5割なら、労働契約関係のもとで安全配慮義務が課されている事案では使用者側の落ち度はそれよりも大きくなるのは当然で、労働者の過失は4割に止まる旨を主張したのですが、最終的には裁判所(労働審判委員会)から過失は5割との心証開示があり、5割を前提とした調停が2回目の期日で成立しました。
調停成立直後、審判官(裁判官)から「労災は労働審判には不向きではないかとも言われていたが、当事者の協力で、早期解決ができた」旨を述べてくれましたが、2回目で解決できた最大の要因は、相手方(東京の弁護士さんでした)が不要な争いはせず、安全配慮義務違反があったことを認めた上で、損害額についても申立人の主張額をほとんど争わなかったこと、相手方がそのような紳士的な態度に出たため、申立人としても相手方の答弁書での求釈明に主張補充書面で積極的に回答し、損益相殺について、相手方の主張をほぼ認め、その結果、1回目の期日の中途で争点が争いのない事実を前提とした上での過失割合の評価1本に絞られ、裁判所(労働審判委員会)が1回目の期日で過失割合について心証開示をしたことに尽きると思います。
5割という過失割合については、申立人としては言いたいこともありますが、それは相手方も同じはずで、同種事案における判例や本件で申立人が店長の役に就いていたこと(自ら安全を管理すべき立場にあったとの指摘もあながち不当とは言い切れないこと)を考えれば、あり得る判断であることは否定できないと思います。
その意味では、客観的には妥当な解決が図られたという評価も過大な評価ではなく、この審判を体験して、当事者双方が解決を目指して真摯に準備、対応すれば、労働審判は一定の納得を得た上での早期解決に相当役立つという印象を持ちました(申立人も十分に納得してくれました)。
◇ ◇ ◇神戸地裁に申し立てたのは整理解雇の事案です。
申立人は、県内の大手ホームセンターのある支店に勤務していましたが、本年4月、「事業縮小」を理由に突然、ただ1人だけ解雇されました。このホームセンターは県内に10を超える支店を抱えていますが、申立人の勤務する支店は別の大手ホームセンターに営業譲渡する予定になっているようで、この支店については赤字の可能性は否定できません。しかし、他の少なからぬ支店では正社員やアルバイト・パート社員をホームページ等で大々的に募集し、またある支店では大規模なリニューアルを行っていることからしても企業総体として黒字であることは確実で、このような企業に整理解雇の必要性が認められる筈がありませんし、また、他の支店への配転を検討すれば、申立人1人の雇用を確保することには何ら困難はないのに、何らかの整理解雇回避措置が講じられた形跡は一切ありません。また、支店に勤務する約70名の従業員の中で、何故、申立人のみが整理解雇されなければならなかったのか、その人選基準は全く不明で、従業員には整理解雇について事前の説明は一切ありませんでした。
このように、申立人に対する解雇は、難しい経営分析をするまでもなく、判例の集積によって確立されている整理解雇が有効とされるための4要件(@整理解雇を行う経営上の必要性が存すること、A整理解雇回避措置を尽したこと、B人選基準が合理的であること、C労組ないし従業員代表と協議すること)をどれ1つとして充たさないことが明々白々な解雇であったところ(事前折衝での解雇撤回を求める申入書に対する相手方の回答書は、4要件をどれも満たしていないことを自白するに等しい内容のものでした)、申立人は、不当解雇されたことに大変憤っていましたが、このようなことをする会社には戻りたくないとの気持ちも固かったことから、いわゆる金銭解決も視野にいれ労働審判の申立を行いました。
第1回の期日は、7月20日に指定されていたところ、1週間前になっても答弁書は提出されず、もしかしたらという気持ちになっていたら、案の定、相手方は1回目の期日に出頭しませんでした(答弁書の提出もありません)。書記官に尋ねたところ、7月20日時点で神戸地裁に係属している11件の労働審判で、相手方が出頭しなかったのは、これが初めてだったそうです。
審判直前に相手方の不出頭を聞き、当然、他の調停のときのように続行になるのだろうと思っていたところ、審判が開かれ、申立人本人や代理人に事実関係を確認した後、審判官は、突然、「これで終結し、合議して審判をしますが、申立書記載のとおり、復職は第一希望ではないということでよいですか」と述べてきたため、「復職は希望しません」と答え、合議後、審判が言い渡されました。参考までに、主文を引用しておきます(389万8548円というのは1年分の給与です)。
1 申立人と相手方は、相手方が平成18年4月11日付け解雇予告通知書によって申立人に対してした解雇が無効であることを確認する。
2 相手方は、申立人に対し、平成18年8月31日限り、解決金として389万8548円を支払う。
3 申立人と相手方は、相手方が前項の解決金を遅滞なく支払ったときは、申立人と相手方との間の平成17年2月25日締結の労働契約が終了することを確認する。この場合、申立人は、相手方に対し、労働契約上の地位や労働契約に基づく権利を主張しない。
4 申立人と相手方とは、当事者間にこの労働審判が定める以外に債権債務関係がないことを相互に確認する。
日本労働弁護団の「労働審判マニュアル」32頁は、「相手方不出頭の場合の扱いは労働審判委員会の判断に委ねられると考えられる」としながらも、「相手方から答弁書の提出もなく、申立人の主張立証に基づき審判を下せるとの判断に至った場合には、審判が下されるべきである」と述べてますが、神戸地裁は、まさにそのような対応をとったことになり、当然のこととは言え、使用者の横着な態度を許さない、早期解決に向けた裁判所の意気込みを感じることのできた事件でした。
相手方は、送付されてきた審判書にびっくりしたようで、異議を述べてきたため、本件は通常訴訟に移行することになりましたが、こちらも攻勢的に出るため、別途、仮処分の申立を行いました。仮処分では、労働審判に出てくることさえせず、審判がでると異議を申し立てる相手方の態度の不当性、不誠実性を厳しく非難するとともに、仮処分でも和解の話が出るものと思われますが、審判が認めた解決金を下回る金額では絶対に和解しないつもりです。
◇ ◇ ◇7月23日付朝日新聞によると、6月末時点での全国の50地裁への申立件数は278件で、これは当初の予想を下回っているようですが、関西でも、大阪地裁の事案は4月19日申立で3号、神戸地裁の事案は6月13日申立で5号でしたから、決して多いとは言えない数字と思われます。
しかしながら、朝日新聞は、「最も受理の多い東京地裁では、終局した事件の半分は1回で調停が成立した。最高裁行政局は『予想以上のスピード解決。順調な滑り出しだ』と話す」とも報じているところ、私の担当した事案も、大阪地裁の事案が2回目で調停成立、神戸地裁の事案が不出頭とはいえ1回で審判ですから、労働審判が早期解決に役立つことはまず間違いないところと言えそうです。もちろん、早くても中身が伴わなければ意味がないのですが、上述したとおり、まだ2件経験しただけとは言え、当事者の努力次第で十分に労働者に役立つものにできるとの印象を受けました。
機会があれば、どんどん労働審判を活用することをお勧めします。
尚、最後に申立書についてですが、期日が3回と限られているのですから、申立書については、少々長くなっても、事案の内容を証拠に照らして詳細に述べるべきだと思います。私自身、2件の申立書は、かなり詳細なものを提出しました。この点について、菅野和夫他「労働審判制度」142頁は、「労働審判員にわかりやすい簡にして要を得た書面をいかに作るかが、申立代理人の腕の見せ所である。申立書の枚数としては、多くてもせいぜいA4判5枚程度が1つの目安となろう。10枚を超えるとなると考えものであろう」と述べています。しかし、確かに、A4判5枚で十分な事案というのもあるでしょうし、わかりやすくというのが大前提ですが、提出書類は、原則申立書しかないわけですから、特に代理人が作成する場合、必要な事実は全て申立書に記載しておくべきと思われます。大阪地裁の事案では、第1回期日の冒頭、事案の概要を説明するに際し、「解説書によると考えものの長い申立書ですみません」と述べたところ、期日後、審判官(裁判官)から、「長い申立書が駄目だというようなことは、どこに書かれているのか。陳述書等は、審判員が当日目を通すことになるので、余り大部なものは困るが、申立書、答弁書は、事案の的確な把握のためにも、出来る限り詳しく書いてもらった方がよい」と述べてくれたことを付記しておきます。
このページのトップへ労働審判事件を申し立てたところ第1回期日前に解決した事件がありますので、御報告いたします(事情により、詳細は書けません)。
事件の概要は、ある会社の社長が、突然、依頼者である従業員に対し「(他の系列会社に)FAをしろ」と叫びだし直後に解雇通告をしたというものです。感情的なもつれから行った全く理由のない解雇でありましたが、この会社ではこれまでもそのような解雇が事実上行われていたようです。
依頼者は、(ある事情により)紛争を長引かせたくはないと強く要望され、また、職場復帰ではなく金銭解決をしたいとも強く要望されていたのでさらに労働審判が適切な事案でした。私が、労働審判であれば3回以内に終了すること、まずは話し合いによる解決が試みられること、当方が望めば職場復帰の可否ではなく金銭の支払いという解決も想定されていること(しかもその場合職場復帰に比べてシビアな判断とはならないと思われること)を説明すると、依頼者は労働審判であれば裁判をしたいと要望されました。
労働審判を申し立てたところ、第1回期日の直前に、相手方に代理人がついて、当方が納得できる解決に応じてくれました。
本件では、柔軟でスピーディな解決が可能である(ゆえに敷居が低い)労働審判の有用性を実感できました。不当な扱いを受けてもあきらめているという労働者は多いと思われます。積極的なアピールが必要です。
このページのトップへ昨年ころから、労働契約法制と労働時間法制の立法化作業が急ピッチで進んでいる。現在は、厚労省労働政策審議会の労働条件分科会で議論されており、本来なら本年7月18日に「中間報告」がまとめられ、その後同審議会への答申、具体的な法案作成を経て、来年の通常国会への法案上程が予定されていた。
しかし、厚労省が本年6月27日の第59回分科会で配布した「労働契約法制及び労働時間法制の在り方について(案)」(以下、素案という)をめぐって、労使の激しい対立が生じるとともに厚労省の拙速が露呈し、7月18日の「中間報告」は見送られるとともに、今後の日程も白紙となった。
「素案」には、使用者側が反対していることにも示されるように部分的には前進面もあるが、それらを打ち消して余りある重大な危険性を持つ内容のものがある。とりわけ、その危険な内容のうち、解雇の金銭解決制度と労働時間規制の適用除外拡大は、日米財界のかねてからの悲願と言うべきものである。それらは今年3月31日に閣議決定された「規制改革・民間開放推進3か計画(再改訂)」においても措置すべきことがうたわれており、また労働時間規制の適用除外拡大については今年度中に結論を得るべきことが明記されている。
このため厚労省は、今後、公益委員と相談しながら調整をはかりつつ「中間報告」を経て、あるいは「中間報告」は行わないまま労使の意向を再調整して審議会への答申に漕ぎつけようとしているものと伝えられ、いずれにしろ、来年の通常国会への法案上程は不可避と考えられている。
労働時間法制としては、現在でも労働基準法第4章の第32条から第41条の規制がある。
そもそも労働時間規制は、労働者保護政策の中でも歴史的に見て最も初めに行われた規制だ。イギリスの産業革命期に、児童労働、長時間労働のひどい実態が明らかになり、1833年工場法が制定された。繊維工業の工場で9歳以下の少年労働を禁止、13歳未満のものの労働時間を一週間48時間、18歳未満のものは一週間69時間とした。余りにも過酷で、労働者の生死に関わる深刻な問題だったからだ。
労基法の規制も、36条協定など尻抜けになっているものの、制度としては刑罰による最低基準の強制という強力なものになっている。例えば、36条協定等の例外要件を満たしていなければ、使用者の一方的命令でなく労働者本人が同意したとしても、1日10時間働かせれば、それだけで犯罪が成立する。同意があっても犯罪が成立するというのは極めて厳しい規制であり、それは本当の意味での労働者の同意は期待できないという歴史的認識が基礎にある。
しかし使用者としては、イギリスだけでなく日本でもそうであったように、労働者をできるだけ長い時間働かせた方が儲かる。そこで、より儲けようとする経営側と命や健康を守ろうとする労働側とが、労働時間法制をめぐって激しく対立することになる。
現代日本の労働側の労働時間法制をめぐる問題意識としては、第1に過労死・過労自殺という産業革命期のような非人間的悲劇を起こさせないように時間規制を実効性あるものに改めること、第2に残業予算、賃金不払い残業、管理監督者制度の濫用など現行規制にすら違反が横行している現状を是正すること、第3に36協定における上限時間や休日労働の規制を労使合意に任せるのではなく(現状では厚労大臣告示による目安時間でしかない)法規制を設けること、があろう。いずれも、法規制や行政監督を現状よりはるかに強化することを意味する。
これに対して経営側の問題意識としては、第1にホワイトカラーにおける成果主義を徹底して労働時間管理を不要とすること、第2に残業代による人件費コストや労働時間管理を行うためのコストをできるだけ削減すること、第3に過労死・過労自殺で問題になる健康確保義務(企業責任)をその前提となる労働時間管理責任から解放されることによって使用者の責任外とし、労働時間に関連した健康保持を労働者の自己責任の問題にしてしまうこと、がある。
ここ20年くらいの労働時間規制の推移を見ると、その変更のほとんどが経営側のニーズに沿って規制を弾力化してきたものであり、かつその手法は、例外制度の創設当初は比較的厳格な要件を定めて危険が小さいかのように装いながら、そのままでは使い勝手が悪いなどとして徐々に要件を緩和して一般化していくというものだった。変形労働時間制も、裁量労働制も、まさしくそうであった。それに対して、ここ数年は、賃金不払い残業の大量摘発や過労死予防のための健康診断強化など厚労省が監督行政を強化し、労働側の問題意識がある程度実現される動きもあった。
ところがそのような行政監督の強化によって大企業といえども法規制を遵守させるという流れは、小泉内閣の下での新自由主義経済の推進によって挫折させられ長続きはしなかった。その象徴が、05年10月に成立、06年4月から施行されている労働安全衛生法改正だ。この改正前は、02年2月の厚労省通達「過重労働による健康障害防止のための総合対策について」では、1か月の残業時間が100時間を超えるか、2か月間〜6か月間の1か月平均の残業時間が80時間を超える労働者に対しては、産業医による面接指導を受けさせることとしていた。ところが、労働安全衛生対策の強化のための法改正の結果、@1か月の残業時間が100時間を超える場合に限って、A労働者が申し出をすれば、使用者は、産業医による面接指導を受けさせなければならないということになった。確かに通達が法律に格上げはされたが、中身は大きく後退した。
このように労働時間法制は、労使の激しい対抗関係の中で時々の力関係や政府の方針等によって規制強化と規制緩和の間を左右に動きながら法制化されていくものである。そしてバブル経済崩壊以降は基本的には経営側ペースで推移してきたといわざるを得ず、今回の素案も自律的労働制度(日本版ホワイトカラー・エグゼンプション)の導入を柱として経営側の長年の欲望を集大成する内容となっているのである。
労働契約法制は、規制ではなく契約解釈の標準を定めるものという点で、時間法制とは基本的性格が異なる。イメージ的には、時間法制は刑法、契約法制は民法と言える。
労働契約というのは、労働者は労働力を提供する、それに対して使用者は一定の賃金を支払うということを互いに約束する約束(=契約)のことで、「契約自由の原則」という大原則があって、約束の内容は契約当事者が合意さえできれば自由に定められるというのが本来だ。
しかし、同じ「契約」でも売買契約の場合は売主と買主は対等な当事者であると考えやすいのに対して(類型的に買主が強いということはない)、労働契約の場合は労働者と使用者が対等な当事者とは到底考えられない。使用者は多数の労働者の中から条件に合う者を選り取り見取りで選べるが、労働者の方はともかくも労働力を売って賃金を得なければ生命を維持することすらできない。また労働力の提供に際しても、使用者の指揮命令に服さなければならない。労働契約における、このような労使の立場の違いを労働者の「従属性」と呼ばれている。契約自由の原則は契約当事者の立場の対等性が前提になっているから、その前提を欠く労働契約では契約自由が修正されており、それが労働基準法による最低基準の強制、つまり労働基準法が定める条件を下回る労働条件は無効となっている。しかし、あくまで「契約」なので、その最低基準をクリアしてさえいれば、労使の当事者で自由に決めることができるということになる。もっとも、労働基準法による最低基準の強制があっても、労使の対等性が図られるわけでは全くないから、その対等性を実質的に確保するために保障されているのが、労働者の団結権、団体交渉権、争議権の労働3権だ。
この団結権等が十分機能していれば、実質的対等性のある労働組合と使用者とで交渉してそれなりの労働条件を合意によって定めることができるだろう。したがって、労働条件などをめぐって裁判になるのは、団体交渉で決着を付けられない例外的な紛争に限られるし、そのような紛争については法規がないまま判例によって規律されてきたのである。つまり、これまで労働契約に関しては、労働基準法による最低基準の強制を前提として基本的には労使自治に委ねられ、例外的紛争局面については判例によって規律していくという対応がとられてきた。
ところが、労働契約が多様化、個別化する一方で、労働組合の組織率低下も著しいことから、団結権・団体交渉権が十分機能しなくなり、労働契約に関するこれまでの対応では労働契約をめぐる紛争の増大が避けられないという状況になってきた。その状況への対応の一つが、労働審判制度のスタートであり、もう一つが労働契約法制の制定である。前者は、増大した個別労使紛争を迅速かつ適切に解決できるよう解決制度を創設したものだ。後者は、前述のようにこれまでは労使自治と判例に委ねてきた規律について、労働契約の解釈の標準を法律にして対応する形に変更するというものだ。
現状において労働契約法制定の必要があることについては、労使を含めて大方の一致を見ている。しかし、その中に何を盛り込むかについては、やはり労使の隔たりが大きい。労働側は、これまでの判例を基礎にしつつも労働者保護の観点から判例を修正または補充して労働契約の内容やその解釈基準の明確化を図るとともに、問題の多い有期労働契約に関して労働者保護規定を設けるという考え方が基本。これに対し経営側は、組織力の低下した労組との団体交渉に代わって経営環境に応じて賃金や所定労働時間などの集団的な労働条件を柔軟に改変できる仕組みの整備をしてほしい、解雇事件が訴訟になって敗訴確定した場合に賃金を払い続けなければならなくなるリスクを軽減してほしいという要求が強い。
素案は、この労使双方のニーズにそれなりに応えつつ、これまでの労基法改正において唱えられてきた規制緩和の流れの中での労使自治の強調を一層推し進めるとともに、日米財界が繰り返して要求してきた解雇の金銭解決制度の強行導入を図ろうとしている。しかし、現代日本においてそのような制度化は、使用者の専制的な職場支配を一層強固なものにするもので、労働契約の合理的規律というそもそもの労働契約法制定の趣旨からは大きくはずれていくものと思われる。
(次回から、素案の具体的内容の検討を行っていく)
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