《第468号あらまし》
 労働審判体験記
     賃金及び慰謝料請求事件
 《連載》労働事件随想録B
 規制改革会議意見書「脱格差と活力をもたらす労働市場へ」を読んで
 労働トラブルホットライン報告


労働審判体験記
賃金及び慰謝料請求事件

弁護士 吉田 維一


1 事案の概要

申立人は、平成15年10月より、西宮で鍼灸整骨院を経営していた相手方より勧誘されて、鍼灸整骨院の治療助手スタッフとして転職し、その後、雇用期間の定めのない従業員として月額24万円の賃金を支給され、稼働していました。また、採用条件として、鍼灸学校へ通学することとなっていました。

ところが、平成18年4月16日、申立人は、相手方から呼び出され、鍼灸学校の講義が終了してから整骨院に戻って稼働を再開するまでの時間が同僚よりも遅すぎるという理由で、同日付で解雇するとの通告をされました。

後日、相手方より交付を受けた解雇通告書によれば、@努力すれば勤務可能な時間があるのに勤務しなかったこと、A自分から通勤手段を変更したにもかかわらず、体力が持たないため進退を考える旨の発言をしたこと」及び、B「自分と気が合わない者への無視等の行為により職場の輪を乱した」という3点が解雇理由として記載されていました。

しかし、実際には、いずれもそのような事実はなく、@については講義を早退した同僚スタッフが早く戻っていたために誤解していたものであり、Aについては整骨院の人員不足について苦言を呈したことを曲解したものでした。

申立人は、当該整骨院が所詮は個人業であることから、復職するとなると却って相手方との軋轢が深まるので復職は希望しないと言ったため、当職が、解雇後に就職するまでの期間の未払賃料と慰謝料を請求する方針で受任しました。その後、相手方の代理人と数回交渉しましたが解決金額が折り合わず、使用者の合理的理由を欠く無効な解雇行為について賃金の一部である12万8000円の賃金相当損害金と精神的苦痛による慰謝料300万円を求めて本申立に至りました。


2 審判の経緯

@ 審判まで

本申立をしたのは、平成18年12月11日でしたが、それ以前に、同僚であったスタッフの方2名(当時は既に退職)から、整骨院での申立人の稼働状況について話を聞くことができ、陳述書の作成にも協力してもらえたので、詳細な陳述書を作成しました。この打ち合わせで、ある程度客観的に申立人の行為によって他のスタッフが働きにくくなったということはないことが確認できましたので、審判の争点としては怠業と評価されている上記@の解雇理由の合理性に絞られてきました(なお、解雇理由Aについてはそもそも解雇理由たり得ないものと考えられましたし、実際の審判でも問題にされませんでした)。

しかし、本申立をした後、一度は期日設定がなされたものの、相手方代理人の日程が合わないという理由で、申立時よりも100日以上も先になってしまいました。また、相手方の反論が、第1回審判期日の直前の3月20日になされたこともあり、祝日に、急遽、打ち合わせを入れることとなってしまいました。もっとも、審判当日は、審判員から、直接、申立人に話を聞かれるわけですから、尋問準備と同程度の相手方からの反論をふまえた直前の打ち合わせは必要ではないかと思います。

A 審判期日

3月22日の第1回審判当日には、使用者側の審判員は、余り質問しませんでしたが、審判官と労働者側の審判員はかなり詳細に質問をしてきて、申立人が落ち着いて供述する様子を横で見ながら、前日に打ち合わせをしておいてよかったと感じました。他方、相手方は、多弁な供述者の例に漏れず、自己に不利益な供述を繰り返し、その度に審判員から突っ込まれていました。特に、労働者側の審判員は、「それで解雇ということですか?」などと直截的に質問をし、唯一の争点と思っていた解雇理由@の怠業の有無等についても、少なくとも解雇するまでの合理性がないという心証を抱いていることは審尋中に確信できました。

1時間強ほどの審尋後、審判官から相手方に話をするとのことで、申立人とともに、退室して待っていました。その後、30分強待ち、その日は次回期日を決めて終了しました。その際、申立人が15分早く来るように設定されました。第2回審判期日においては、調停成立へ向けた損害の程度についての審尋になることは予想されたので、申立人との打ち合わせは特に設けませんでした。

第2回審判期日は4月26日となり、当日は、相手方が来るまでの間、最初に申立人から話をすることとなりました。その中で、審判官と審判員は、既に前回の期日で解雇は無効であるとの心証を伝えていること、相手方が解決金として50万円を考えていることに対しては少なすぎるということを伝え、100万円以上を検討するように言ったということを明らかにし、さらに、申立人に対し、裁判所としては150万円程度が妥当なのではないかと思っていることも告げました。その上で、申立人の損害を再度検討してほしい旨伝えられて退室し、相手方と交替しました。

申立人は、当該整骨院の退職で妻との離婚が決定的となったこともありましたが、それを本件の損害とは認定しがたいことも理解しており、当該整骨院で稼働した場合に得たであろう収入と現在の収入との概ね1年間の差額に相当する150万円で合意するということでした。その後、裁判所が相手方を説得し、150万円を支払うこととなったので、その後、若干、収入の計算等の確認を行った上で、調停成立に至りました。


3 雑感

労働審判は、初めてでしたが、第1回の審判期日までの準備が重要であることは実感しました。申立代理人の準備は入念になされるべきであって、第1回期日において、その成果は審判官・審判員の態度に如実に現れると感じました。当日の申立人の供述内容や供述態度を不当に評価されないためにも、前述したように、審判直前の打ち合わせは、必須ではないかと思いました(そのためにも直前の予定は確保しておく必要があると思います。)。

労働審判については、金銭提供による解雇を促進するとの批判があり、実際に経験してみても、その感は拭えませんが、今後の運用次第では、個々の労働者が利用する際には、ある程度、解決結果が予測のできる制度として利用できるのではないかと思います(他の報告を見ても、不当解雇の際の解決金というのは、不当解雇以外の特別な不法行為等に基づく損害がない場合には、概ね1年程度の給与をベースにしているのではないかとの印象を持ちました。)。また、使用者側に対する説諭を行う側面もあり、審判を通じて、使用者は自己の行為が違法性を有するものであることを認識していくように思います。その意味では、不当解雇の予防効果も若干は期待できるように思います。今後は、不当解雇一般について、労働者の待遇によって、労働審判の運用が変わるのかについて、注意深く見守る必要があるのではないかと思っています。

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《連載》労働事件随想録B

弁護士 野田 底吾


雨に濡れ、紫陽花(あじさい)が咲きはじめる6月は、夏季一時金交渉の時期である。私が弁護士になった翌年(1972年)の6月、西宮市今津浜の吉原製油(Jオイル)でも、総評傘下の第一組合(民法協加盟)と資本追随路線の第二組合とが、会社と夏季一時金交渉をしていた。案の定、第二組合は会社回答を鵜呑みにし早々に妥結してしまった。

当時、会社は、今津浜の工場を閉鎖し、代りに神戸港第4工区に新工場を建設中で、新工場には第二組合から優先的に人員を確保し、第一組合は旧工場と一緒にスクラップ化したいと考えていた。国鉄がJRに模様替えする際、国労を採用しない国家方針により、国労潰しが謀られたのと同じ構図である。これを背景に、会社は第二組合員には早ばやと一時金を支給して第一組合員の不安を煽り、水面下で脱退工作を仕掛けていた。第一組合としては、何としても第二組合の妥結基準を上廻る回答を引出さなければならず、闘争は争議行為へと進んで行った。しかし第一組合は、既に工場移転を巡る闘争に相当の積立金を使っており、今後の闘争を念頭に置けば、全面スト戦術を簡単には取りずらい状況にあった。結局、組合が選んだ戦術は、ボイラー担当の第一組合員3名をストに入れる部分ストで、ボイラーを止めれば、製油作業に必要な蒸気が各工場に廻らず、全面ストと同じ結果を生むのに対し、ストによる賃金カットは3名のみで済む戦術であった。

6月23日朝、第一組合は門前ピケを張って、日勤の第二組合員(ボイラー担当)の出勤を阻止するのに成功した。そこで会社は、どうしても組合ストを潰し夜勤作業を強行すべく、今度は夕方のピケ前に、ボイラー担当の第二組合員と社外工を密かに工場内に入れてボイラー室に施錠し、7時の作業開始と同時に蒸気を流し始めた。これを知った第一組合員は怒ってボイラー室に殺到し、現場は大混乱となった。結局、会社は操業を取り止めたものの、第一組合の水田委員長ら5名を威力業務妨害や傷害罪で刑事告訴し、懲戒処分として4名解雇と多数の出勤停止を発令した。

刑事事件は、73年から始まり、会社の「操業権」を巡って多数の証人調べが行われ(7年を費やした)、解雇等の無効を求めた不当労働行為事件も解決までに3年を費やした。途中、主任の米田弁護士が突然、神戸を去ってしまった為、事件は、未だ駆出しの私と垣添両弁護士の肩に懸かってきた。今後事件をどう進めたらいいのか不安に晒されたが、「全力でぶつかれば何とかなる」と開き直った私は、早速、全組合員を8班に分けて貰い、各班に刑事事件の膨大な調書を分配して、各班で暗記する位に熟読してもらった後、私が幾度も組合事務所を訪れて反対尋問の準備を行った。

《皆で薪を集めて燃やせば、水も蒸気となり、やがて重いSL機関車でさえ動かす力になる》。

これは、私が事ある毎に吉原の組合員を励ました言葉だが(実は私自身を励ます言葉だったが…)、組合員は実にこつこつと調書を読み、幾度となく組合事務所で行われた反対尋問の打合せでは、実に色々な情報を私に提供してくれた。それは正に、この組合がモットーとする「一人は万人のため、万人は一人のため」を実践する全員の闘いであった。こうして弁護士に提供された情報量は、刑事法廷で検察側をしばしばたじろがせる力となり(残念ながら結果は全員有罪となったが)、更にこれがベースになって、75年11月には、第一組合との協議を無視した会社の希望退職者募集を仮処分決定で中止させる力となった。こうした地道な全員の努力によって、76年1月には懲戒処分を撤回させ、勝利の中で新工場での闘いへの足がかりを作って行った。この長期に亘る反合理化闘争も、その後は落ち着いたが、労働者魂の情熱もって闘いを導いた水田勲委員長は、紫陽花の咲く96年6月13日、新工場内の事故で命を閉じてしまった。

梅雨6月、いつも想い出すのは、長期の闘いを耐えた吉原の組合員と水田委員長である。

「雨降れば 紫陽花眠る 静けさよ」(大森 昭)

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規制改革会議意見書「脱格差と活力をもたらす労働市場へ」を読んで

弁護士 増田 正幸


2007年5月30日に規制改革会議が第1次答申を出しました。結局、原案にあった労働分野の提言については、厳しい批判が巻き起こることをおそれて、今回の答申には盛り込まれませんでした。

原案は5月21日に作業部会(再チャレンジワーキンググループ労働タスクフォース)名の「脱格差と活力をもたらす労働市場へ〜労働法制の抜本的見直しを〜」という意見書の形で公表されました。しかし、労働団体からの批判が噴出しただけでなく、最低賃金の引き上げやパート労働法改正による差別待遇禁止にも反対しているために、柳沢厚労大臣も「政府の一部門の末端組織とはいえども、(政府の)方向性にまったく違うことを意見表明するのは異例のことであり、適切さをまったく欠いている」と答弁せざるを得なかったものです。

しかし、財界の本音を表したものとして今後の立法のたたき台になるものとして無視することはできません。そこで意見書の内容について紹介します。

(1) 意見書は、「労働者保護のための規制が(労働者が格差や不平等からのがれるための)再チャレンジを阻害している。労働者の権利を認めれば労働者の保護が図られるというのは「神話」である」と、労働者保護法制を敵視しています。

(2) 意見書は、次のとおり述べています。

@ 不用意に最低賃金を引き上げることは、その賃金に見合う生産性を発揮できない労働者の失業をもたらし、そのような人々の生活をかえって困窮させる。

A 過度に女性労働者の権利を強化すると、かえって最初から雇用を手控える結果となる。

B 正規社員の解雇を厳しく規制することは、非正規雇用へのシフトを企業に誘発し、労働者の地位を全体としてより脆弱なものとする。

C 一定期問派遣労働を継続したら正規雇用を義務付けることは、派遣労働者の期限前の派遣取り止めを誘発し、派遣労働者の地位を危うくする。

D 労働時間の上限規制は、脱法行為を誘発するのみならず、自由な意思で適正で十分な対価給付を得て働く労働者の利益と、そのような労働によって生産効率を高めることができる使用者の利益の双方を増進する機会を失わせる。

E 真の労働者の保護は、「権利の強化」によるものではなく、むしろ、望まない契約を押し付けられることのないように労働契約に関する情報を十分に開示されようにすることが本質的な課題というべきである。

F 判例の集積を立法化することや判例の動向と異なる立法を忌避しようとする姿勢は誤りである。判例は現行の法令の解釈を示すにすぎず、立法が行なうべきは、最高裁判例などが社会経済的に合理的な結果をもたらしているかどうかを政策判断の観点から厳格に検証することであって、立法に当たって判例を尊重するという考え方は三権分立に反する。

(3) 意見書は、上記のような観点から、個別課題について次のような提言をしています。

@ 解雇権濫用法理の見直し(解雇の自由化)と金銭「解決」制度の導入

A 派遣期間の制限撤廃、派遣禁止業務の解禁、請負との区分の見直し、紹介予定派遣の期間延長と事前面接の解禁など、労働者派遣法制の規制緩和。

B 労働法制は労働政策審議会の審議を前置しているが、現在の審議会は労使の代表が参加してその調整を行なう場になっており,政策決定機関としてふさわしくないから組織のあり方を変える。

C 有期雇用における期間制限の撤廃。雇い止め濫用禁制の判例法理を立法によってつぶす。試用期間を延長する。

D 最低賃金の引き上げ反対。同一労働同一賃金の原則否定。パートタイム労働者の均衡待遇の拡大反対

(4) まさにいいたい放題ですが、「暴論、屁理屈だからほっとけ」では済まされません。(4) まさにいいたい放題ですが、「暴論、屁理屈だからほっとけ」では済まされません。

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労働トラブルホットライン報告

弁護士 増田 正幸


去る2007年6月2日午前10時から午後4時まで、日本労働弁護団の行う「全国一斉労働トラブル110番」の一環として兵庫民法協でも会員弁護士8名により電話相談を実施した。

当日は、全国28か所で合計510件の相談があったが、兵庫では合計15件の相談があった。地元での報道はほとんどなかったが東京、大阪などの報道をきっかけに広範囲から(長崎や高知からも)相談があった。

15件の内訳は、解雇・退職強要4件、労働条件引き下げ5件、賃金不払い3件、いじめ・嫌がらせ1件、その他等である。具体的には、

・母子家庭のために有休休暇を取ることを承知で常勤として採用された後に現場から有休取得は難しいと言われて内定を辞退するよう言われた。

・配偶者の扶養家族になっているために年間の給与額を103万円未満にしておきたいが、会社は残業割増賃金を請求しないことを見越して、所定時間内には終えられない仕事を命じるので、やむなく自宅に持ち帰って仕事をしている。

・頸椎を手術した後にパソコン作業ばかりの職場に異動になり、症状が悪化して休職し、回復したために軽作業可能という診断を受けて復職を希望したが、会社は従前のパソコン作業にそのまま戻るよう指示した。産業医も原職復帰は困難であることを認めているが、会社はわがままだという。

以上のように、使用者側に労働基準法を遵守するという意識が欠如しているという事例がほとんどであった。

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