《第470号あらまし》
 自治労連・尼崎市交通労組が「住民訴訟」で全面勝利判決(声明)
 第40期労働委員会労働者委員またもや「連合」独占任命
     第31期から20年間の不公正・偏向任命に抗議
 《連載》労働事件随想録D

自治労連・尼崎市交通労組が「住民訴訟」で全面勝利判決(声明)

兵庫自治労連・尼崎市交通労組


2007年7月21日
兵庫自治体労働組合総連合 尼崎市交通労働組合
自治労連・尼崎市交通労組が尼崎市交通局の都市交・尼崎交通労組に付与した異常な職務免除を違法だとして訴えた「住民訴訟」で
全面勝利判決(声明)
 1.訴訟に至る経過
 尼崎市交通局は、市バス運行が赤字を抱えているとして嘱託運転手の導入などの合理化により2001年度(平成13年度)から黒字基調になってきた。これらの合理化は尼崎市交通局(以下「当局」という。)と「連合・都市交」尼崎交通労組(以下「尼交」という。)との異常な癒着・馴れ合いを温床として成り立っていた。
 
 2003年度になって当局と尼交は、黒字基調にもかかわらず赤字の解消として、翌年度から労使(当局7割、尼交3割の出資)で設立した尼崎交通事業振興会社(以下「振興会社」という。)に路線委託を計画した。現在では、約半分の路線が委託されている。この振興会社の幹部は大半が尼崎市からの天下りであり、この計画を策定した尼交の元委員長は部次長として処遇されている。要するに労使の天下り会社づくりのため、労使癒着を土台にして市バスの委託を実行したものである。
 
 振興会社での路線運行に際しては、嘱託運転手を強制配転させ、賃金は年収330万円に減額し、しかも16時間拘束を強いるなど、市バスの安全・安心を喪失させる事態を招いたのである。しかも、その就業規則を当局と尼交だけで作成し、振興会社の運転士に押し付けたのであるから、労働組合としての尼交の役割は許されるものではない。
 
 2003年6月、交通局の運転士の有志により、労使癒着を批判するとともに安全・便利な市バス運行体制を揺るがす振興会社への委託反対を掲げ、尼崎市交通労組(以下「市交労」という。)を結成し、11月に自治労連に加入した。また、12月には嘱託により自治労連加盟労組を結成し、振興会社に配転されて以降自治労連・尼崎交通事業振興釜J組に名称変更し、賃金引き上げや過酷な勤務体制の緩和をストライキ権も行使して奮闘しているところである。
 
 市交労は、団体交渉などで当局に対し、尼交への異常な職務専念義務免除(以下「職免」という。)を止めるよう再三再四訴えてきたところであるが、ようやく2004年の2月までには異常な職免を中止し、労組法などに言う労使対等と団結権の保障としての交渉や執行委員会等機関会議に整理して職免を付与することで合意し、以下に述べる異常な職免は廃止された。しかし、調べてみると密かに尼交に対してのみ合意した以外の職免を付与しておることが判明し、このままでは労使癒着が是正されたと言えず、さらなる合理化とともに市バス全体が公営バスとしての利用者への安全運行などが危惧されることから、住民監査請求を2005年2月に行い、却下されたため同年4月「住民訴訟」として神戸地方裁判所に提訴し、2007年7月20日に判決が言い渡された。
 
 
2.訴訟の内容と異常な職免
 ・原告   自治労連・尼崎市交通労働組合
 ・被告   尼崎市自動車運送事業管理者(尼崎市交通局)
 ・補助参加人  連合・都市交・尼崎交通労働組合の三役3名
 
 
@ 異常な職免
 当局は尼交三役3名〜4名に対し、1997年(平成9年)頃から土曜と日曜を休日とし、その他の曜日の概ね午後からバス乗車を免除する優遇策を行なってきた。「下車勤」と言われるものである。その理由として、衛生管理代理者としての業務遂行のため任命するとした。しかし実態は、衛生管理代理者(3名とも無資格)としての業務のデスクもなく、そのことを職員に周知することもなく、まったく衛生管理代理者として業務を行なってこなかった。そのことを隠れ蓑にしてもっぱら組合事務所に居たのである。
 
 しかも、50人以上の事業所には労働安全衛生委員会を置く必要があったのに、2つの事業所のうち組合事務所のある塚口営業所にだけ設置されていた。そもそも管理職も含め最大の職員数の時でさえ360人ほどであるのに、3名も4名も専任の衛生管理代理者はいらないはずである。その上、必置義務があり資格をもつ衛生管理者を置いてもいず、この点は市交労からの厳しい指摘と労働基準監督署からの指導により、現在は衛生管理者を2つの営業所に置くことになった。
 
 この「下車勤」を使用した尼交三役3名に職免を付与した市交通局の管理者を被告として、支払った給与の返還を求め「住民監査請求」と「住民訴訟」を行ったものである。なお、地方自治法242条2項は、住民監査請求は1年を経過したときは、これをすることができないと厳格に規定しているため、2005年の1月と2月分だけを住民監査請求と住民訴訟の対象にした。
 
 その他、今回の訴訟の対象にはしていないが、都市交の会議であれ集会であれ、理由なく職免を与えており、年間のほとんどを業務に就くことなく尼交役員を優遇していた。
    
 また、今は子会社の振興会社に天下っている尼交の元委員長D氏は、2002年の市長選挙(白井氏が現職を破った選挙)で、現職の市長選挙の対策会議に出席するのに、組合用務のように「虚偽の職免申請」したことが判明したので、この件も対象として監査請求と住民訴訟の対象とした。なお、地方自治法242条2項の但し書きで、正当な理由があるときは、この限りでないとして、1年以上経過しても請求の対象としている。この件は、虚偽の申請として違法であるため、訴訟に含めたものである。
 
 
A 判決の内容
 主文は、被告市交通局が尼交三役3名の給与の返還の請求を行なわないことが、違法であることを確認し、3名に対し約39万円の給与と、悪意の受益者として認め年5分の利息を合わせ市交通局は3名に対し返還請求せよとした。また、D氏の2002年の市長選挙の虚偽申請は給与相当額の損害賠償義務も課せられた。訴訟費用は、被告と補助参加人らの負担とし、原告の主張どおりの全面勝訴となった。
    
 この判決の内容は上記しただけにとどまらず、時効の問題や監査委員の判断そして、組合活動にとっても重要な示唆を与えた判決であったと言える。
 
 まず、請求の1年の問題については、財産の管理を怠る事実を対象とするものであって、不当利得返還請求権の不行使に帰着することができるとし、1年の時効は適用しないとした点である。要するに、尼交三役が不当利得(法律上の原因がないにも関らず利益を受けること)と知りながら行使したもので、正当な理由に当たるとしたのである。これでいくと、当局は尼交三役3名に対し、1997年に遡って不当利得として給与の返還を請求しなければならないことになる。
 
 また判決文は、安全衛生委員会や衛生管理代理者の件についても、また「下車勤」の実態なども原告の主張に沿って45頁にわたり詳細に記述を行なっている。
 
 そして、時間内組合活動についても、「勤務時間内の組合活動としての当局との交渉における組合側の参加者につき被告が職務専念義務を免除することは許容され、−中略―給与の減額はなされないのが原則となる。」とした。この点も評価されるものである。
 

3.最後に
 今、大阪市役所など公務の職場では、交渉以外の時間内組合活動を規制しようとしている。しかし、憲法や労働組合法に言う団結権を守り、労使対等の原則を維持するには、時間内組合活動を保障しなければ成立しないものでもある。同時に、大阪市役所などのように、そのことが異常なものにまでなって尼崎市交通局にみられるように、合理化と住民の安全すら危惧される癒着構造については断ち切ることも大切なことである。
 
 「住民監査請求」から「住民訴訟」そして判決までの間、全国の自治体では様々な組合活動のスタイルがあることも承知し、判決によっては全国にご迷惑をかけることも心配してきた。しかし一方で、このことを知りながら「住民の暮らしや安全を願って」たたかう自治労連の組合がまったく放置することも許されることではなかった。労働安全衛生委員会は、本来労働者が安心して働ける職場にするための役割を担う機関であるところが、労使癒着の場となり、しかも合理化をすすめる温床となり、このことを指摘しても充分に改善してこなかった当局に対し、労働組合として勇気をもって訴訟にまで持ち込んだものである。
 
 (その結果、判決は原告側の全面勝利につながったことは、判決内容も含め大いなる喜びとするところである。今後この勝利を土台にし、尼崎市バスがますます安全で住民・利用者にとって便利なものになるように、職場の体制を確立するためいっそう奮闘するものである。
 
 最後に、この難しい訴訟を代理人としてご奮闘いただいた、自治労連弁護団の山内康雄弁護士と白子雅人弁護士に心よりお礼申し上げるものである。
    

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第40期労働委員会労働者委員またもや「連合」独占任命
第31期から20年間の不公正・偏向任命に抗議

知事の任命責任棚に上げ、「連合」だからと使わない者が悪いと責任転嫁

公正・公平な県労働委員会を実現する兵庫県連絡会議 事務局次長 丸山  寛


8月2日井戸敏三知事は、兵庫県労働委員会第40期委員の任命を行いましたが、労働者委員7名全員を「連合」推薦の候補者で独占させました。全国労働弁護団が「罷免要求」していた公益委員の小嶌典明委員は再任されませんでした。

第40期の労働委員会委員の選任に当たって、「非連合」9労組が6月11日に兵庫労連幹事・医労連副委員長の福栄かをるさんを推薦しました。翌12日には労働者委員の公正な任命を実現する県連絡会議は、「連合出身者が独占することによる不都合や県労委に対する労働者・労働組合の信頼を損なう事例がたびたびあった。」として、信頼を取り戻し活性化させるため、連合独占を改め公正な任命を行うよう申し入れを行っていました。

しかし、任命された第40期労働者委員は、自治労・NTT労組枠と交運労協・山電労組枠、2つの任命枠内での任務交代によるもので、7つの任命枠に沿った特定の組合役員の「指定席」を継続したに過ぎません。

労働者委員の公正な任命を実現する県連絡会議は、8月23日に不公正・偏向任命に抗議する申し入れを兵庫県知事に行いましたが、「系統は全く検討していない」「選任されたからには労働者全体の利益を守るはず、利用すればよい」「連合出身だからと最初から利用しないのはどうか」などと労働委員会を必要としている労働者・労働組合が使えない機能不全状態にしている県知事の任命責任を棚に上げ、利用しない労働者・労働組合の責任にすり替える回答。

労働者委員の公正な任命を実現する県連絡会は、「出てきた委員すべてが使用者委員みたいだ」と言われるような状況で、「親身になって相談出来る労働者委員」が1人でも出来れば、本来の労働者救済機関として再生出来る。地裁判決でも「県労委がその役割を十分果たし、県下の労働者全体の信頼を得るためには、県労委に多種多様な意見を反映させることができるよう労働者委員を構成することが望ましい。労働者委員の少なくとも一人は大規模労組出身者以外の者とする取り扱いに理由がある」としており、違法でなければ何をしても良いわけではないと、労働委員会が本来の役割を果たせない機能不全状態を放置し続ける県知事の責任を追及しました。

【第40期労働委員会委員名簿】
<労働者委員>
大森 唯行 新日本製鉄広畑労働組合組合長  再
白田 春雄 三菱重工労働組合高砂製作所支部執行委員長  再
高西 太郎 関西電力労働組合兵庫地区本部執行委員長  再
辻  芳治 NTT労働組合兵庫総支部執行委員長  新
  (★佐藤幸信(NTT労働組合西日本本部事務局長と交代))
村上  昇 UIゼンセン同盟兵庫県支部支部長  再
柳田  忠 ナブコ労働組合執行委員長  再
和田 利重 山陽電気鉄道労働組合執行委員長  新
  (★高本計廣(山陽電気鉄道労働組合特別執行委員と交代))
<公益委員>
大内 伸哉 神戸大学大学院法学研究科教授  新
島本 健二 社会福祉士  再
下崎千代子 大阪市立大学大学院経営学研究科教授  再
滝沢 功治 弁護士  再・・会長
畑   喜春 前日本赤十字社兵庫県支部事務局長  新
正木 靖子 弁護士 再・・会長代理
米田 耕司 弁護士 新
<使用者委員>
熊谷 昌之 兵庫県経営者協会専務理事  新
佐野 喜之 セイコー化工機株式会社代表取締役社長  新
高田 裕士 カルトンアイ株式会社代表取締役社長  再
塚本 晴之 六甲フーズ株式会社代表取締役社長  再
南光 正敬 日清鋼業株式会社特別顧問  再
前田 正則 西芝電機株式会社常勤監査役  新
和田  要 株式会社六甲商会代表取締役社長  再
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《連載》労働事件随想録D

弁護士 野田 底吾


1973年(昭和48年)から始まったオイル・ショック不況は、多くの労働者に解雇・配転などの犠牲を及ぼしたが、他方で、これを千載一隅のチャンスとする大企業には「体質改善」を口実に一層の高収益化をもたらした。尼崎市にある資本金16億円の大手機械メーカーN社(従業員1,200人)も、75年3月中旬、業績悪化を理由に300人の人員整理案を発表し、労組と4〜5回、経営協議会を持っただけで、同月末には一方的に作成した整理基準を公表した。そして、直ちに該当者に「希望退職者」の募集を働きかけ、1ケ月間に236人もの退職者を作りだした。その後、会社は当初の人員整理計画300人を250人に縮小し、4月中旬、不足の14人に対し指名解雇を強行した。尤も、この中の5人が驚いて希望退職に切り替えた為、残った9人が指名解雇を受ける結果となった。

当該労組の上部団体から依頼を受けた私は、5月連休明け、神戸地裁尼崎支部に9人の地位保全と賃金仮払いの仮処分を申請し、数回にわたる双方審尋を経て、6月末、請求認容の仮処分決定を得た。通常ならば、9人を支援する筈のN社労組幹部は、仮処分決定を喜び、これを踏み台に会社と対峙し、問題を労働側に有利に解決してゆくものだが、不思議なことに、あからさまに迷惑そうな態度を私に示した。思い出せば、事件を受任した直後、私が被解雇者9人と最初に面談した時の事だが、面談直前、労組幹部が私を組合事務所に招き、「会社も行き過ぎだが、9人も社内で問題のある人だから、裁判は適当にやってくれればよい」と、暗に裁判での手抜きを私に要求していた。

ところで、会社が整理解雇を有効とするには、いわゆる整理4条件(@人員削減の必要性―いわゆる高度の経営危機、A解雇回避の努力、B解雇基準の合理性、C解雇手続の妥当性)を立証しなければならないが、@については労働側が十分な反証をしたり、裁判所がその必要性を判定したりする能力に欠けるのが実情で、私も、本件では、3月中旬の人員整理案の発表から4月中旬の指名解雇まで僅か1ケ月と言う短期間である事や、この期間中に235人も希望退職に応じており、残り15人の指名解雇には合理性がないとの判断から、Cを中心に裁判闘争を取組んだ。そして組合幹部を労働側の証人として臨んだが、その証言内容は曖昧模糊としたもので歯切れが悪く、多くの傍聴者から「これでは会社側の証人ではないか」との怒りの声が出る程であった。そんな雰囲気を見て取ったのか、裁判所は80年2月末、会社が整理4条件をすべて充たしていると判断し、本件指名解雇を有効としてしまった。判決後、私はガックリ肩を落として事務所に戻る途中、小さな家の庭先で梅が真っ白に咲いているのを見つけ、「明日から春だ、気分を替えて頑張ろう」と自分を励ました事を今も覚えている。

事件は、その後、大阪高裁で和解となり、被解雇者は希望退職者と同じ条件で「円満退社」する事になり終結したが、甚だ後味の悪い事件であった。その背景には、労組と会社との間にあるユニオンショップ協定(「ユ・シ協定」)の存在を挙げることができる。ユ・シ協定は、確かに全従業員を組合員にする事で、組合強化策となる面もあるが、どちらかと言えば、唯一交渉約款やチェックオフ協定と相まって組合幹部の緊張を緩ませ、組合を労使協調路線に引きずり込む契機となる。これは会社にとっても甚だ利用価値のある協定である。組合幹部も、やがて会社と馴れ合い「ダラ幹」化することで、自分たちに批判的な労働者(反主流派)を、会社を盾に人員整理の名目で社外に放逐させる手段ともなる。こうなると、労働者もダラ幹の機嫌を損ねない様に日頃から気を配る様になり、組合は会社の労務管理部化してしまう。「連合」の大企業労組が殆ど会社とユ・シ協定を締結しているのは、これを如実に証明している。本件後、N社でも労組幹部を公然と批判する声は無くなったと言われ、あれからもう25年も経ってしまった。

「勇気こそ    地の塩なれや      梅真白」    (中村草田男)

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