《第472号あらまし》
 神戸地裁の勝利判決を受けて
 兵庫県労働委員会第39期労働者委員任命取消控訴審
     地裁判決追認し、またしても不当判決
 《連載》労働事件随想録F
 労働法連続講座開催のお知らせ

神戸地裁の勝利判決を受けて

みのり農協労働組合副委員長 森田 義明


私たち、みのり農協労働組合が、平成15年12月16日、兵庫県労働委員会に対して不当労働行為の救済申立を行い、その後平成17年9月15日に出された「命令」の取消を求め、神戸地裁へ提訴した裁判の判決が、本年9月11日に出されました。

神戸地裁の判決は、私たち労組の主張する主要な項目について、県労委の命令を取り消すというもので,実質勝利と言って良い判決でした。この主要な項目とは,@労働時間(始業・就業時刻)の変更に関する団体交渉について誠実に交渉する必要があるか、A労組員に対する脱退勧奨や、労組活動を理由に人事上不利益を受けることがあると告知したという事実があったのか,ということです。

判決日当日の午後7時から「多可町中央公民館」で、報告集会を開催しました。西田・白子両弁護士から判決内容の報告があり、全農協労連本部・兵庫労連・全農協労連近畿地本の代表の方々からそれぞれ激励の挨拶をいただきました。

提訴以来、私たち労組は,退職者から意見を聞き取りしたり、農協合併後の労組員の人事異動の経過及び昇進状況を調べたり、もともと密行して行われる不当労働行為(特に脱退勧奨など)の立証の困難さを痛感しました。しかし、農協役員への証人尋問や提出した証拠などによって勝ち取れた判決であると思います。この裁判を支えていただいた西田・白子両弁護士、本部黒部財政部長、さらに裁判傍聴に幾度となく参加いただいた兵庫労連、近畿地本の方々や裁判所への団体署名提出にご協力いただいた全国の仲間の方に心から感謝申し上げます。

今回の判決で私たち労組が思ったことは、一つには労働委員会の段階でも今回の神戸地裁判決と同じ結論が出されていたのではないかという、労働委員会に対する不信感です。労働委員会は労使紛争の専門機関ということですが、兵庫県労委の命令をみると、とても専門性があるとは信じられませんでした。特に、労組員の脱退勧奨について、勧奨を受けた労組員2名が勇気をもって証言してくれたのに、命令では「十分な疎明がない」として認められませんでした。地裁判決では「彼らの証言には信用性を認める」と当然の判断をされています。また、団体交渉についても、命令では何をもって労使の協議事項とするかは労使の自治に委ねられ、今回の労働時間の変更については当事者が合意していたとは妥当性を欠くなどとして団交義務は無いとしました。しかし、地裁判決では、労働契約の内容に関する事項についても団交の対象となるから、今回の問題については「参加人は、当然、原告の団体交渉に応じる義務がある」と当然の判断をされています。

従いまして、本当なら労働委員会の救済命令で、労使紛争の解決の糸口ができていたのかも知れません。しかし、県労委の命令によって、農協側は自分たちの主張が認められた、お墨付きを得たという態度をとり、ますます労組に対する攻撃が継続され、多くの職員が退職してしまい、また多くの職員の生活設計を狂わせてしまいました。兵庫県労委の責任は誠に重大と言わなければなりません。にもかかわらず、兵庫県は大阪高等裁判所に控訴しました。非常に残念でなりません。

ただ今回の判決は、みのり農協の労使関係改善に大きな一歩となることは間違いありません。現在まだ予断を許しませんが、今回の地裁判決を契機に労使の間に争い解決の機運も生まれようとしています。

私たち労働組合は、今回の判決を一つのステップとして、今後も「働き続けられる職場作り」を目指して、さらに自信を深めて活動していきます。

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兵庫県労働委員会第39期労働者委員任命取消控訴審
地裁判決追認し、またしても不当判決

公正・公平な県労働委員会を実現する兵庫県連絡会議事務局次長 丸山  寛


大阪高裁民事14部(井垣俊生裁判長)は、9月27日、神戸地裁が「県内組織労働者の圧倒的大多数を誇るほどでないから7人全員が連合系である必然性はないが、著しく不合理とまでいえない。著しく不当とまでいえない。」として私たちの訴えを退けた判断を追認する判決を行いました。

私たちがやむにやまれぬ気持ちで裁判にまで訴えたのは、労働者・労働組合が使用者との紛争で、法律に基づいた正当な労使交渉等を積み重ねてもなお解決にいたらず、使用者側が誠実に対応せず、組合の弱体化を図るため脱退工作を行うなどの不当労働行為からの救済申し立てを行っても、県労委労働者委員が労働組合・労働者の立場で相談に乗り、助言や意見陳述・陳述書提出などを行わず、労働委員会としての本来の役割を果たしていない。さらに結論が出るまでに長期間かかるなど、県労委が果たすべき労働組合・労働者の駆け込み寺としての期待に応えていない現状を何とかしてほしい。解決してほしいと願ったからです。

しかし、裁判所が下した判断は「連合兵庫が一番大きい組合だから、その組合の委員長などの幹部に任せて、少々おかしなことしていても我慢しなさい」ということでした。

こんなことアリ…?

裁判官は国から高給を保障され、何不自由ない生活をしている。私たちのように、朝早くから夜遅くまで、仕事仕事で追いまくられた上、やっと食べていける低賃金。サービス残業を強いられ、家族との団らんもままならず、挙げ句の果てに体を壊したり、過労死に追い込まれる。こんな生活を何とか改善しようと組合を作ったり、組合に入って運動して、会社ににらまれ差別されてでも、頑張る労働者や労働組合の気持ちは、到底理解できないのでしょうね。

会社の推薦を受けないと組合役員になれない大企業労働組合、社長以下会社幹部が組合加入を呼びかけて結成された組合もある。こんな組合を「労組法に基づいた労働組合」と資格審査で合格させる県労働委員会公益委員の不思議。裁判官は知らないだろうなぁ。「任命されたからには労働者一般の利益を守る」と信じる裁判官の方が、労働者一般の我々にはもっと不思議な存在???かもね。

何が「40年以上も前の通達は法規としての性質も有しない」だ。40年以上も前の通達を持ち出して「労働者委員が出身労組の大企業子会社重役になってもかまわない」と兵庫県が擁護した労働者委員がいたが、裁判対策上都合が悪いと判断したのか、重役を辞めさせ県中央労働センター館長にして、県労委の斡旋委員として居座り続けさせている。都合の悪い通達は法規でなく、利用できる通達は法規だというやり方を、裁判官は許しておいてよいのかな〜。

法律の条文だけを判断するのが裁判官かよ!

もっと目を開いて物事を、世間をよく見ろ!

専門バカとはよく言ったもんだ。

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《連載》労働事件随想録F

弁護士 野田 底吾


大手海運会社川崎汽船の子会社日東運輸梶i資本金3億円)には、その従業員で組織された日東労組(上部団体は全倉運)があり、日常的に組合活動を行い、春闘時にはしばしばストライキ闘争を組んでいたので、会社は組合に手を焼いていた。この職場には、70年頃から阪南通商鰍ゥら事務労働者が派遣され、日東の職員と一緒に机を並べて輸出入関連書類の作成作業などに従事していた。この阪南通商という会社は、70年頃、日東の書類作成作業に当たる労働者を派遣する目的で作られた資本金300万円(日東が50万円、川崎汽船が100万円を出資)の会社で、日東と業務委託契約を締結し、常時30名程の労働者を派遣していた。派遣社員の服装(制服)や机、名刺、出勤簿、出勤時間は日東の職員と同じで、しかも日東の係長から労務指揮を受けて働いていた為、部外者からは全く区別がつかない状態であった。

ところで、日東運輸は75年頃から悪質な労務プロを顧問に据えるや、まもなく管理職をして御用組合を結成させ、日東労組の組合員には昇進・昇格の差別をする等、組合潰しを始めた。更に、日東労組のスト時に阪南の派遣社員を穴埋め(いわゆるスト対策要員)として働かせ、労・労対決を煽った。こうした攻撃を受けた結果、500名余りもいた日東組合員は、急速に5〜60名程にまで激減してしまった。そんな折の81年10月、阪南の派遣労働者30名が運輸一般労組を上部団体とする労働組合を結成し、日東労組と共闘体制をとり始めた。驚いた日東は、派遣社員に支給していた制服から名刺、机、出勤簿に至るまで全てにわたり派遣社員と日東職員とを明確に区別し始め、日東と川崎汽船の出資金も阪南の経営者に引取らせる等して、阪南労組から使用者として追及されるのを避ける工作をした。そのうえで日東は、83年9月、阪南通商に対し業務委託料の大幅減額を通告して経営を不可能にさせ、阪南を解散に追い込み、派遣従業員を解雇させるに至った。

路頭に迷った阪南労組の組合員から相談を受けた私と深草弁護士は、日東を労働契約上の使用者として賃金請求する事は法理上無理だと判断し、日東を団体交渉の場に引き出し、集団的労働関係の中で日東の雇用責任を認めさせてゆく戦術を取ることにした。

9月末、阪南労組から日東運輸に対し、「雇用確保に関する団交(日東が阪南労組員を直接従業員として採用するか、従前と同じ職場で就労できる様になるまで生活保障を求める団交)」の申入れがなされた。予想どおり日東は、派遣社員とは使用者関係にないことを根拠に団交を拒否してきたので、私達はすぐ兵庫県地労委に団交拒否による不当労働行為救済申立を行った。審問は、毎回多くの労働者が傍聴席を埋める中で3年にわたり行われ―私がそこでどの様な尋問を行ったのか、あれから20年も経過しているだけに記憶にない―やっと87年7月24日、「日東は阪南労組の雇用確保に関する団交申入れに対し、使用者として誠実に応じなければならない」旨の救済命令が発せられた。労務屋の指導を仰ぐ会社は、徹底抗戦の方針に沿って、直ちに再審査の申立を行い、事件は神戸の地元を離れ東京の中労委に係属してしまった。

当時は、企業倒産により多くの労働者が賃金確保に苦労しており、支払能力のある親会社や主要取引先を如何に交渉の場に引っ張り出すのか、頭をひねっていた時であるが、先進的労働組合は、取引先銀行を親企業として捉え、雇用責任を追求する為、ゼッケンを着けた組合員が連日、10円玉をもって銀行窓口に押しかけ預入れの手続きを取り、また1週間後に銀行窓口に押しかけて引き下しの手続きをする、これを波状的に何度もやる、こんな戦術で取引銀行を攻め、悲鳴を上げる銀行をして仲介の労を取らせる事もやっていた。親会社の前で座り込んだり、面会強要を何度もやる等は、どこでもやっていた。不当労働行為の救済命令は、こうした闘争に警察が介入することを防ぐ最大の武器に過ぎなく、如何なる解決に導くかは、基本的に労働運動の力量によっていた。

阪南労組とこれを支援する労組も、事件は東京に移ってしまったものの、日東の親会社である川崎汽船神戸支店を攻撃目標にし、上記の如き戦術を繰り返した結果、遂に88年3月、川崎汽船の事業部長(取締役)をして「日東と阪南の争議は川崎汽船の営業活動に大きな障害となっているので、日東には早急に解決をはかる様に指導する」とまで言わしめるに至った。こうして88年5月、阪南労組は中労委で日東運輸と「日東が解決金○○万円を支払い、今後責任をもって組合員の就労斡旋を行う」旨の和解を成立させ、5年にわたる雇用確保闘争を終結させた。

阪南労組委員長の奥谷俊雄氏は、6月の勝利集会で「裁判闘争だけだったら今の様な勝利はなかったでしょう。多くの組合員や支援者が適格な目標に向け運動を盛り上げてくれた事と、裁判とが見事に連動し得たことが勝利に至った要因だと思います」と挨拶した。その表情は、泰山木の花の如く昂然とし、確信に満ちた笑顔に満ちていた。

「昂然と 泰山木の 花に立つ」(高浜虚子)

(拙著「派遣先企業の使用者概念と団交応諾義務」労働法律旬報1179号を参照されたい)

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新人弁護士会員の紹介

神戸あじさい法律事務所 弁護士 宮地奈央


このたび、民法協に入会いたしました、宮地奈央と申します。

弁護士として仕事を始めてまだ3週間あまりですが、つい先日労働審判に立ち会いました。私は、最終の第3回審判期日しか出頭できなかったのですが、それ以前に行われた実質2回の証拠調べのための準備がとても大変であったと聞きました。

労働審判が短期決戦であることも準備を大変にする大きな理由の一つでしょうが、証拠が偏在していることも看過できない理由の一つだと思います。労働事件は、社内での問題が長期に及んでいることも多く、労働者が自分に有利な過去の事実を思い出すことも困難なら、それを裏付ける証拠の多くを握っているのは会社側で、労働者側にとって証拠を見つけ出すことは更に困難なのだろうと思います。

労働事件が起きないことがもちろん一番よいのですが、起きてしまった場合にいかに適切な救済を求めていくか、民法協でいろいろ学びながらがんばっていきたいと思います。

よろしくお願いいたします。

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労働法連続講座開催のお知らせ

月 日 テーマ 講 師
【第1回】
2008年1月22日(火)
団体交渉 @ルール
       A事項
本上博丈 弁護士
増田正幸 弁護士
【第2回】
     2月7日(木)
団体交渉 B拒否
       C救済 
内海陽子 弁護士
瀬川嘉章 弁護士
【第3回】
     3月7日(金)
労働協約 D手続き・破棄
       E効力
白子雅人 弁護士
萩田 満 弁護士

※いずれも時間は18:30〜20:00 場所はあすてっぷKobeの予定です。

 詳しくは後日配布の案内を見て下さいね。

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