民法協ニュース517号(2011年7月20日)で報告しました有馬高原病院事件が和解により解決したので報告します。
有馬高原病院は神戸市北区にある450床あまりを有する精神病院です。病院には介護老人保健施設も併設されています。
医師,管理職を含む職員の総数は358名,看護師,病院職員など約170名が組合に結集しています。組合は兵庫医労連に加盟しています。
病院は2003年ころから人事考課制度を導入しようと画策してきましたが,組合は一貫してこれに反対してきました。
2010年7月,病院は主任以上の職員を集めて,人事考課が実施できていないことを問題視し,「イデオロギーベースの組合が病院に必要がないことをいかに全体に理解させるか,この点が最大の課題。組合不要となるべく昇進・昇格及び給与システムの策定が必要」であるとして,人事考課制度導入の支障となっている組合の影響力の排除に乗り出しました。それが組合のチェックオフの停止であり,組合役員への懲戒処分だったのです。
病院は,2002年5月以降,組合との合意にもとづき組合費を賃金からチェックオフしてきましたが,病院は2011年5月以降一方的に組合費のチェックオフを停止し,2011年6月には同年3月に組合役員2名がバドミントン部の活動への参加を呼びかけるビラを配布したことについて懲戒処分をしました。
そこで,組合は2011年6月にチェックオフの再開と懲戒処分の撤回を求めて労働委員会に救済申立てをしました。
労働委員会の審査は公益委員正木(弁護士),関根(神大准教授),労働者委員宮内(オークラ輸送機労組・那須(関電労組姫路)(新任),使用者委員藤川(神戸製鋼所顧問)の各委員により行われました。
2011年7月,9月,10月と調査が進み,同年11月の第4回調査からは和解協議が始まりました。そして,同年12月15日の第5回調査で和解協定が成立しました。
和解協定は,病院が平成24年1月からチェックオフを再開すること,病院が組合役員2名に対する戒告譴責処分を撤回することを柱とするもので,組合の申立てをほぼ認めるもので勝利的和解と評価するのに十分なものです。
申立てから約6ヶ月という比較的短期間で解決ができましたが,チェックオフの停止は組合の財政的基盤を揺るがす攻撃でしたが,組合は動揺することなく見事に跳ね返しました。しかし,病院が人事考課制度の導入をあきらめたわけではありません。これからも闘いは続きます。
このページのトップへ1 原告Fさんは、昭和56年に尼崎市公立学校教員に採用され、数々の小学校において教諭として勤務して、平成12年4月からA小学校の教諭として勤務してきた。Fさんは、A小学校に着任して以降、3年生、1年生、5年生を担任して、平成15年は6年生の担任となった。
Fさんは、平成16年3月16日午後2時40分頃、Fさんが担任をしていた6年生のクラスでの授業が終了した直後に、気分が悪くなり、保健室で休憩していたが容態が急変して、病院に救急車で搬送され、CT撮影の結果、脳内出血が認められた。発症時の診断病名はくも膜下出血であり、Fさんは現在も後遺症を抱えている。
2 Fさんの真面目な仕事ぶりを近くで見ていたFさんの夫は、Fさんがくも膜下出血を発症したのは、小学校教諭としての仕事が原因ではないかと考え、神戸合同法律事務所の松山弁護士、かけはし法律事務所の柿沼弁護士に相談し、同弁護士らの協力を得て平成17年3月4日、公務災害認定を求める請求を行った。
しかし、地方公務員災害補償基金兵庫県支部(地公災)は平成19年3月29日に公務外である旨の認定処分を行った。ここからFさんらの長い闘いが始まった。Fさんらは、公務外認定に対し審査請求、これが棄却された後の再審査請求を行った。しかし、再審査請求受理後3ヶ月を経過しても裁決がなされなかったため、平成21年3月23日、Fさんらは公務外認定処分の取消を求める行政訴訟を提起した。
3 私自身の話になるが、私が弁護士を志すに至った動機の一つとして、過労死問題に携わりたい、この問題をなくしたいというものがあった。そして、平成21年1月に弁護士になった際、松山弁護士からFさんの事件を教えてもらい、是非ということで弁護団に加入させていただいた。
弁護団に加入し、これまでの膨大な量の記録を見ていると、Fさんの仕事ぶりをかいま見ることが出来た。例えば、生徒が記入して提出する連絡帳(皆さんも覚えがあると思う)にしても、一人一人に対して本当に丁寧に、10行にもわたる返事を書いておられたのだ。
このようなFさんの仕事ぶりから、私もFさんのくも膜下出血が公務災害であることを確信した。この頃、弁護団会議後に松山・柿沼弁護士と酒を酌み交わしながら、この事件は何としても勝とう!と誓い合ったことを思い出す。
4 もっとも、Fさんの事件において困難であったのは、時間外労働の立証及び公務の実態の立証であった。
Fさんは小学校教諭として働く一方で、家に帰れば夫と子供2人の世話をする母親としての仕事もあった。そのためFさんは、仕事が溜まっていても遅くまで学校に残る訳にもいかず、多くの仕事を自宅に持ち帰って行っていた。いわゆる持ち帰り残業である。そして、この持ち帰り残業の立証においては、実際に持ち帰って行った成果物の存在が重要となるのであるが、Fさんの家族はFさんが倒れた際、まさかそんなものが重要であるとは思わず、大量にあった成果物を処分してしまっていたのだ。
また、Fさんのような小学校教諭が行っていた仕事の実態が、なかなか見えてこなかった。テストの採点、授業準備、校務分掌などがあるのはわかっていたが、これらの仕事をどういった時間で行っていたのか、我々弁護団にも理解しにくく、当然ながら裁判所にも伝えることが出来ていなかった。
5 そんな2つの大きな問題について、解決の道を切り開いたのは、やはりFさんの夫を始めとする当事者、そして支援者の熱い思いであった。Fさんの夫はFさんが倒れた直後、自身及び家族の記憶とFさんが書いていた手帳、病院の受診記録などから当時のFさんの行動を出来る限り記録していた。そして、これに彼を支えてくれる労働組合役員Uさんを始めとする支援者、Fさんの夫(実は、彼自身もある小学校の教諭である)の同僚の教諭らの協力が加わった。Fさんの夫たちは、自分らの経験などを踏まえて何度も話し合い(この日にこの授業をしているのなら、この日はテストを行っているはずだ、等)、Fさんがくも膜下出血で倒れる前3ヶ月間における、Fさんの学校及び自宅における業務内容を、非常に信憑性のある形で、ほぼ完璧に再現した表を作成したのだ。
これにより、裁判の流れが一気に変わった(ように感じた)。裁判所もこの表が信頼できることを前提に、被告である地公災に対して、この表の信頼性を崩せるような主張が出来るかを問うようになった。これだけの人々の知恵と経験、そして熱意がこもった表の信頼性を崩すような主張を、地公災が出来るはずもなかった。
6 そして、平成23年12月15日、地公災の公務外認定を取り消す旨の完全勝利判決が下された。判決文には、あの表がしっかり末尾に添付してあった。
先ほども述べた通り、この勝訴判決を勝ち取ったのは、まずFさんの夫らを始めとする当事者及び支援者らの熱い思いであったことは間違いない。
ただ一つ、平成21年6月、弁護団にも非常に大きな契機があった。それは、過労死、過労自殺を始めとする過労を原因とする労働災害、公務災害問題の草分け的存在である松丸弁護士(大阪弁護士会所属)の加入であった。松丸弁護士は、自らの経験を踏まえて、我々に的確な指示、助言を与えて下さり、時には自ら書面を作成、証人尋問にも尽力していただいた。松丸弁護士にはこの場を借りて心より御礼を申し上げたい。松丸弁護士を抜きにして、今回の勝訴判決を獲得することは出来なかったであろう。
7 もっとも、喜んでばかりはいられない。この胸のすくような勝訴判決に対して、平成23年12月28日、被告である地公災が控訴を申し立てたのである。Fさんらの闘いはまだ続くこととなる。我々も、もう一度気を引き締めて、完全勝利に向けて闘う覚悟を決めている。
これからの大阪高裁での闘い、是非ともご注目いただきたい。
このページのトップへ「今の日本の政治で一番重要なのは独裁」
(2011年6月29日、政治資金集めパーティーで)などセンセーショナルな言動でお茶の間の話題になっている橋下徹氏の名前は、皆さんもよくご存じかと思います。
彼は、大阪弁護士会所属の弁護士を続けながら、昨年のダブル選挙で勝利して、現在は大阪市長として仕事をしているようです。彼のセンセーショナルな発言は、その都度世論の賛否を巻き起こしていますが、端から見ている限り、場当たり的な一過性の放言もありその一挙手一投足に注意を払う必要もないかもしれません。
しかし、地方公務員の給与引下げ、教育基本条例による統制、労働組合との対決など彼の実際の行動については、憲法で規定されている地方自治、教育の自由、労働基本権についての考え方および取り組み方について疑問に思わざるを得ません。憲法の民主的条項を擁護すべきという弁護士の立場からみると、多いに疑問があります。
そこで、今回から連載で、彼の数々の所行について、労働者の権利を擁護する法律家の立場から、考察を続けていきたいと考えています。なにぶん、前記のとおり、彼の言動には一貫性の見られないものもあり、また次々と放言が飛び出す状況なので、すべてを網羅することもできないと思いますが、気になった点を、随想風に書きつづっていき、何回か連載を続けていきたいと思います。
今回は初回なので、まず、彼の言動を検討するスタンスについて簡単に触れます。原稿執筆現在(2月8日)、彼は、昨年11月の大阪市長選を巡り、職員労組名で前市長の支援を求める職員リストが作成されていたという問題を取り上げ、その徹底調査を進める方針を明らかにしたそうです。まだ事実関係は不明です。
しかし、彼の調査というのは、自分に対する反対者を徹底的に締め上げるための手段と受け止めざるを得ません。
折しも、ちょうど数日前に起った、沖縄県宜野湾市長選に絡んだ沖縄防衛局長「講話」に対する政府の対応を思い出しました。政府は、沖縄防衛局長の公務中の「講話」は、自衛隊法や公職選挙法違反にはあたらないとして、局長処分は当面見合わせることにしました。これは、政府に都合のよい選挙活動だからこそ責任追及をうやむやにしているのではないでしょうか。これが、政府を批判する側の行為であれば、1972年の沖縄返還の密約を報じた新聞記者らが秘密漏洩罪で逮捕され刑事罰を受け(放映中のテレビドラマ「運命の人」のモデルです。)、また、休日に私服で政治ビラを投函しただけの公務員が刑事裁判にかけられる(いわゆる目黒社会保険事務所職員ビラ配布事件、厚生労働省職員国家公務員法違反事件。いずれも国公法弾圧事件)ことになるのです。政府のダブルスタンダードは傍目にも明らかです。
さて、大阪市長となった彼の指示した調査とは、こうした中央政府の反対者への仮借なきまでの弾圧と似通っているのではないでしょうか。まず大事なのは、憲法上保障された政治的表現の自由を尊重・擁護することだと思います。また、自身の反対者だけを調査することは、平等原則・比例原則の観点からも慎重でなければなりません。その点で、彼のとった調査指示というのは、スタンスとして正しいものだったのでしょうか。そして、われわれは捕物帳を紐解くように、調査指示の報道を聞いて拍手喝采をしてよいものなのでしょうか。
常に、憲法で保障された基本的人権及び地方自治の尊重というスタンスから、彼の今までの一連の所行について、次回以降も引き続き見ていきたいと思います。
このページのトップへと き:4月16日(月) 午後6時30分
ところ:総合福祉センター4階第5会議室(婦人会館内)
テーマ:派遣・非正規労働をめぐる法規制(仮題)
講 師:脇田 滋 教授(龍谷大学)
日本の雇用労働者の3分の1以上を占めるのが非正規労働者です。その多くが派遣・有期契約労働者と考えられ、雇用の不安定さや処遇格差は大きな問題です。
現在、派遣・有期・パートなどについて法改正が議論されています。
そこで今回は、長年に渡り派遣労働者への相談活動に取り組んでこられた脇田先生に、法改正に向けた議論とあるべき改正の方向、労働組合として何を求めていくのか等についてお話しいただきます。
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