豊岡市役所職員として昭和60年に採用され,平成14年4月に出向先から豊岡市役所社会福祉課に異動し,民生・児童委員に関する業務や地域福祉計画策定業務等に従事してきた当時39歳の男性が,異動から約2か月後の平成14年5月28日朝に自殺しました。被災職員と妻との間には,同年1月に待望の長男が生まれたばかりでした。
遺書には,「○○(妻),○○(長男),申し訳ありません。4月から自分なりに頑張ってきましたが,もうどうにもなりません。お父さん,お母さんどうもすみません。市役所の皆さま,課の皆さま,本当にどうも申し訳ありません。」と書かれていました。
平成15年2月,被災職員の妻は,労働組合の協力の下,豊岡の福井茂夫元弁護士を代理人として,地方公務員災害補償基金兵庫県支部長(「基金支部」)に対し,公務災害認定請求をしましたが,平成18年1月に公務外認定処分を受け,同年3月に地方公務員災害補償基金兵庫県支部審査会(「支部審査会」)に審査請求を行いました。私は,この審査請求の後に依頼を受けました。
しかし,平成21年9月に審査請求が棄却され,地方公務員災害補償基金審査会(「本部審査会」)に再審査請求を行いましたが,平成22年9月に再審査請求が棄却されました。
そこで,同年10月,被災職員の妻は,地方公務員災害補償基金(「基金本部」)に対し,基金支部の公務外認定処分を取り消すことを求める訴訟を提起し,平成25年6月25日,神戸地裁第6民事部は,被災職員が過重な公務が原因でうつ病を発症したと認め,上記処分を取り消す旨の判決を言い渡しました。
判決は,まず,平成12年4月から平成14年3月末までの出向先での勤務は,県の組織等での研修だったため,計画の立案等の仕事が任されることは少なく,時間外労働もほとんどなかったと認定しました。
その上で,平成14年4月に社会福祉課に異動した後の公務について次のように認定しました。
まず,時間外労働時間数については,基金本部側は,時間外(休日)勤務命令票に記載された時間数,すなわち,平成14年4月は22時間,同年5月は14時間30分のみが,信用性のある時間外労働時間数であると主張していましたが,判決はこの主張を一蹴し,タイムカードの打刻時間やパソコンの電源起動オン・オフ時刻等に基づき,死亡前1か月目は103時間50分,死亡前2か月目は107時間39分であると認定しました(なお,出向時代の時間外労働時間は月0〜5時間)。
次に,判決は,うつ病の発症時期について,被災職員に明らかな活動性の低下がみられ長男が泣いても関心を払わなくなった5月19日と認定しました。
そして,うつ病の公務起因性の判断基準について,民間労働者を対象とする労働基準監督署の「心理的負荷による精神障害の認定基準について」(「判断指針」,平成11年制定,平成21年及び平成23年に改正)に一定の合理性が認められ,制度趣旨を同じくする地方公務員災害補償制度における精神障害の公務起因性を判断するための参考になり得るものであるとし,この判断指針に沿って過重性を評価していきました。
具体的には,平成14年4月に異動となり,異動前の職務状況から一転して,民生委員との対応など一定程度の緊張を強いられる職務に従事することになったことは心理的負荷の強度Ⅱに相当すると認定しました。さらに,地域福祉計画策定業務について,平成14年時点では国や県から計画の具体的策定手続マニュアル等の参考資料の提供もなく,研修等も開催されていない段階であり,兵庫県ですら策定したのは平成16年3月であるところ,平成14年度中に計画を策定するとの豊岡市の予定はかなり早期のものであり,異動間もなくで福祉の専門知識や経験も乏しい被災職員にとって,上司らが自分の担当で手一杯で支援も不十分な状態において,わずか1年間で社会福祉法が予定している内容を満たした地域福祉計画の策定を行うことは客観的にみて事実上不可能に近いものといわざるを得ない,と判断して,「新規事業の担当になった」「達成困難なノルマを課された」として,心理的負荷の強度をⅡと認定しました。そして,前述の時間外労働時間数について,「1か月に80時間以上の時間外労働を行った」「2週間以上にわたって連続勤務を行った」に該当するとして,心理的負荷の強度はいずれもⅡであると認定しました。
その上で,心理的負荷の要因となる公務上の出来事が複数存在する場合,これらの出来事を総合的に判断し,精神障害を発生させるおそれのある強度のものであるかを具体的かつ総合的に判断するのが相当であるとして,異動に伴って業務内容が質・量ともに大きく変化し,相当大きな心理的負荷を与える出来事が近接した時期に複数,連続して発生したものであることに照らすと,被災職員が異動後2か月に負担した心理的負荷の強度は,社会通念上,客観的にみて,精神障害を発症させる程度に過重な心理的負荷というに十分である,と認めました。
そして,公務以外の心理的負荷及び個体要因により精神障害を発症したとは認められない,として,うつ病発症に公務起因性を認めました。
被告基金本部側は,行政手続段階から訴訟に至るまで,被災職員が約17年のキャリアを有する公務員であり,これまでの異動による職務の変更にも特に問題なく対応していた,地域福祉係の他の職員らも同程度の職務を行っていた,と主張して公務の精神的負荷が過重なものでなかったと主張し,うつ病発症は,被災職員の几帳面で完璧主義的な性格と,長男が平成14年1月に誕生し,同年4月から原告が里帰りから帰って同居することになったことが原因であると主張していました。
しかし,私は,審査請求段階から受任するに当たり,事案の概要の説明を受け,被災職員が従事した職務の大変さを想像し,これは公務上認定がされて当然の事案だ,と確信しました。
実際,情報公開請求をした結果,そもそも公務災害認定請求段階で,請求を受けて調査をした基金支部が「公務上」と判断して基金本部(被告)に協議を求めたのに,基金本部が「公務外」と判断するよう回答し,これを受けて基金支部が平成18年1月に公務外の処分を行った,という経過が判明しました。その結果,原告はすでに11年以上,公務上認定を求めて手続きを続けているのです。
基金本部は,この判決に対して控訴しました。被災職員が亡くなったときは生後4か月だった長男も11歳になっています。一審判決が維持できるよう,控訴審でも引き続いてご本人や労働組合と協力して活動し,一刻も早く解決できるように努力したいと考えています。
このページのトップへ(1)原告(昭和8年10月1日生)は昭和27年8月5日から平成4年6月30日までの間、計5つの事業主の下、神戸港において石綿(アスベスト)を取り扱う業務に従事していました。
ご存知の方もおられると思いますが、かつて神戸港には輸入された大量のアスベストが運び込まれていました。アスベストはドンゴロスと呼ばれる麻袋に入れられ、神戸港では手かぎの爪をドンゴロスに突き刺してこれを運んでいました。したがって、ドンゴロスからはアスベストの粉末がこぼれる事が多く、現場はアスベストの粉塵がもうもうと舞っていました。原告は、このような神戸港において、アスベストの積み込み、荷揚げ、倉庫への運搬、倉庫内の積み上げ、こぼれたアスベストをドンゴロスに詰め込む作業等をしていたのです。
(2)そして、平成4年以降はカラオケ店の店員やマンションの管理人業務に従事していたのですが、平成9年8月29日に肺がんと診断され、すぐに右下葉肺切除手術を受け、同年11月10日まで入院しました。
その後、平成17年6月29日にはクボタの従業員に中皮腫患者が多発しているという報道(いわゆる「クボタショック」)などがあり、原告も平成18年7月13日には健康管理手帳を取得しました。手帳には、原告が従事していた港湾の作業が「石綿取扱業務」であったと記載されており、このとき原告は、自分が危険なアスベストを取り扱っていたこと、自らの肺がんはアスベストによるものであったことを覚知しました。
(3)そこで、原告は平成19年9月25日、労災保険法に基づき、休業補償給付の請求を行いました。
しかしながら平成20年1月9日、労働基準監督署は原告の休業の必要性が認められるのは平成9年12月9日までであり、当該期間の請求権は時効消滅しているとして不支給決定を下しました(これについては第1次訴訟で争いました)。
(4)また、原告の肺がんの手術は成功し、その後もガンが再発するようなことはなかったのですが、原告は手術により肺機能が恒常的に低下した状態になってしまいました。そこで原告は、平成22年6月24日、このことに対して障害補償給付の請求も行いました。
ところが、労働基準監督署はこの請求に対しても、手術から5年後の平成14年9月22日に肺がんが症状固定に至っていることを前提に、そこから5年が経過していることから請求権は時効消滅しているとして不支給決定を行いました。
原告は、この不支給決定を取り消すため、今回の裁判を提起しました。原告の代理人には、尼崎アスベスト訴訟弁護団より本上博丈、野上真由美、八田直子弁護士と私が就かせていただきました。
(1)労災保険法42条は休業補償給付請求権は2年、障害補償給付請求権は5年間請求を行わないことで、「時効によって消滅」すると規定しています。問題はいつから時効のカウントが始まるかということですが、これについて定めた民法166条1項の「権利を行使することができる時」とは、権利の行使につき法律上の障害がなくなったときを意味すると言われています。これを本件にそのまま当てはめるとすると、休業補償給付については休業の必要性があったときから、障害補償給付については症状固定の状態に至ったときから、時効のカウントが始まることになります。労働基準監督署は、この考え方に従って不支給決定を下したのです。
(2)もっとも、原告のようなケースでは、客観的に法律上の障害がない状態に至っても、その当時は自分の肺がんが港湾の仕事で扱ったアスベストによるものであること(業務起因性)を知らなかった訳ですから、労災申請を行うことなどは到底不可能です。
そこで我々は、時効のカウントが始まるには、労働者が、自らの障害が自分の仕事に起因することを覚知することが必要であるとの主張を行いました。そして、原告がこれを覚知したのは、平成18年7月13日に健康管理手帳を取得したときであり、原告はここから2年以内に休業補償給付請求、5年以内に障害補償給付請求を行っているので、時効にはかかっていないと主張したのです。
これについては、類似事案について「単にその権利の行使につき法律上の障害がないというだけではなく、さらに権利の性質上その権利行使が現実に期待できるものであることも必要」と判断した最高裁判例が参考とされました。
(1)休業補償給付の不支給決定の取消を求めた第1次訴訟で、神戸地方裁判所は「原則は法律上の障害がなくなったときであり、本件にはこれを変更するような特殊事情が存在するとは認められない」などと判断し、原告の請求を棄却する不当判決を下しました。
そして、我々がこの判決に対して控訴したところ、大阪高等裁判所は「石綿関連疾患については、潜伏期間が長く、石綿ばく露から相当期間経過後、場合によっては退職後に発症することもある」と認定し、肺がんは「石綿を原因とする特異的な疾患ではなく、喫煙をはじめ多くの発症原因が存在することに照らすと…業務起因性について認識することが極めて困難あるいは、およそ不能である場合がないとはいえない」ので、「そのような場合においては…業務起因性を認識し得た時から消滅時効は進行すると解するのが相当である。」と判示しました。
(2)その上で判決は、今回のケースにおいて、一般人を基準として原告が、自分の肺がんが仕事で扱ったアスベストによるものだと認識し得たのは平成17年6月29日の「クボタショック」の時であると認定しました。
この事件は休業補償給付に関するものだったので、判決によれば平成17年6月29日から2年以内に休業補償給付の請求をする必要があったところ、原告が請求を行ったのは平成19年9月25日であったことから、結論としては一審と同じく原告の敗訴でしたが、労働者が業務起因性を認識し得た時点を時効の起算点としたことは一定程度評価できるものでした。
(1)まず、今回の判決は肺がんの症状固定時期について、「肺がんの手術後5年を経過しても再発がなかったとき」とし、これについては労働者の認識及び認識可能性を必要としないと判断しました。
その上で、業務起因性の認識については第1次訴訟の大阪高裁判決と同様に、石綿関連疾患の特殊性を考慮して、「業務起因性を認識し得た時から消滅時効は進行すると解するのが相当である。」と判示しました。
(2)そして、一般人を基準として原告が、自分の肺がんが仕事で扱ったアスベストによるものだと認識し得た時点についても、上記大阪高裁判例と同じく平成17年6月29日の「クボタショック」の時であると認定しました。なお、被告国は松本さんが神戸港で働いていたときからアスベストの危険性を認識し得たはずであり、肺がんの業務起因性も早い時期に認識し得たはずであると主張しましたが、判決は、肺がんの手術の際に、主治医から喫煙が原因である可能性を強調するような説明を受けたことを考え合わせれば、このときに業務起因性を認識し得なかったとしてもやむを得ないと判断しました。
この判断により、原告は平成17年6月29日から5年以内に障害補償給付の請求をする必要があったところ、原告が請求を行ったのは平成22年6月24日であったことから、ギリギリあと5日のところで請求が間に合った(時効にかかっていない)との結論になったのです。
(3)我々弁護団としては、原告が業務起因性を認識し、または認識し得たのはあくまで健康管理手帳の取得時であり、一般的にもこのように考えるのが妥当であると考えております。そして、今回の判決でもこのような判断が出れば、今後労災申請を行おうと考えておられる方の後押しになれると考えていました。その意味では少し残念な面もあります(クボタショックから5年では、現在から申請しても時効にかかっていることになってしまいます…)。
もっとも、判決が石綿関連疾患の特殊性を考慮して、時効の起算点を労働者の認識と関連づけたという点では、第1次訴訟の高裁判決と合わせて、画期的な判断を下したものと評価できると思います。そして何より、現在も肺の機能低下という後遺症を抱えたまま大変な生活を続けておられる原告の方が喜んでくれたことこそが、我々にとって一番嬉しかったことです。
ただ、まだ判決は確定しておらず、被告国が控訴をする可能性があります(8月11日現在)。仮に国が控訴をした場合、我々弁護団は、今回の判決の結論を維持すべく全力を尽くします。
このページのトップへはじめまして,甲南大学法学で労働法と社会保障法を担当しております。
2009年度までは國學院大學で教員をしておりました。2010年から神戸市に居住し,大学には自転車(体力がないので電動アシスト付)で通勤しています。東京では信じられない職住接近の生活で,ますます大学と自宅との間を往復する以外に外に出る機会を失い,「ひきこもり」の日々を送っています。
この8月1日から生活保護水準が引き下げられてしまいました。社会保障制度改革推進会議は,医療・介護・年金・保育の各分野にわたる「改革」メニューをとりそろえ,いっそうの国民への負担増をもたらさんとしています。労働分野においても,不十分ながら規制を強化する方向で見直された労働者派遣法について,今年度中における再度の見直しがめざされています。
かつて郵政民営化のさいに,当時の小泉首相は反対する人々のことを「抵抗勢力」と呼んで批判しました(記憶に自信がないので違っていたらすいません)が,それは反対がそれほど大きかったことの裏返しでしょう。そのような強力な抵抗勢力となるために,できることは何かを考えたいと思います。
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