《第550号あらまし》
 尼崎アスベスト訴訟大阪高裁判決報告
 連載③ 蒸気機関車SL物語
 新人研修会のご報告と感想
 2014年「3・28許すな!ブラック企業&雇い止め」
     労働相談ホットライン報告


尼崎アスベスト訴訟大阪高裁判決報告

弁護士 八木 和也


尼崎アスベスト訴訟の判決が2014年3月6日大阪高等裁判所で言い渡されたので、その内容を報告する。

本訴訟は、クボタ旧神崎工場周辺に居住ないし勤務し、クボタのアスベストを吸引して中皮種で死亡した遺族がクボタと国の責任を問うた訴訟である。

一審神戸地方裁判所の判決では、クボタが徹底的に争ってきた工場外へのアスベストの飛散を認定し、わが国で初めてアスベストによる公害を正式に認めた画期的なものであった。

しかしながら、その範囲は300mと限定的であり、国の責任も予見可能性がなかったとして否定したことから弁護団は控訴し、クボタも控訴した。

控訴審では、クボタのアスベストと被害者の死亡との因果関係及び国との関係で予見可能性が問題となった。

まず因果関係の有無についは、まずもってクボタ旧神崎工場からアスベストが飛散していたのか否かがあらためて問題となった(クボタは控訴審でもこの点を徹底的に争ってきた)。

しかしながら控訴審判決は、クボタ旧神崎工場近隣で大量曝露を原因とした石綿肺患者が発生していることなどを踏まえ、昭和29年から昭和50年まで石綿粉じんが外部環境へ飛散していたと認定し、この点の原審判決の判断をほぼ踏襲した。

次に、クボタ旧神崎工場から外部環境へ飛散した石綿がどこまで拡散していたのかが問題となったが、控訴審判決は、石綿の拡散範囲について、旧神崎工場周辺の疫学調査である車谷論文の信用性の如何という点からのみ判断した。

弁護団としては、原審で1200m乃至1500mに居住した被害者との関係で他原因の可能性を理由として因果関係が否定されたことを受け、控訴審では新たに、これまで最高裁でも法的因果関係の立証は100%科学的なものまで要求されておらず、健全な常識人が間違いないだろうと考える程度(80%程度)で足りるとされてきたこと、しかもその判断はあらゆる事情を総合的に考慮したうえで検討すべきであると考えられてきたことを主張した。

具体的には、車谷論文のみならず、上記被害者が350m北に所在する潮江デパートにほぼ毎日買い物へ出かけていたこと、休日にはクボタ旧神崎工場からすぐのJR尼崎駅から電車に乗って梅田などへ買い物に出かけていたことなどの生活状況及び上記被害者が専業主婦であり職業曝露の可能性はなく、鉄工所を経営していた被害者の夫も石綿を職場で扱っておらず、家族曝露の可能性も全くないこと、青石綿を使用していた工場はほぼクボタ及びクボタ関連工場のみであり、しかも使用量が桁外れに多く、さらに青石綿は白石綿の500倍もの危険性を持つものであったことなどを主張、立証した。

しかしながら、控訴審判決は弁護団の上記主張を一顧だにせず、車谷論文の信用性のみから拡散の範囲を結論づけるという手法を採用し、かつ、車谷論文はバイアスの存在が窺えることなどから信用性は限定的であるとして、300mの範囲でしか石綿粉じん飛散の蓋然性が高いと言えないと認定し、上記被害者との関係で因果関係を否定した。

車谷論文は2006年、2008年に実施された疫学調査であり、以降もクボタ旧神崎工場周辺では100名近くの被害者が新たに発生していること、しかも同調査の対象となるのは原則としてクボタの救済金を受給した被害者のみであり、全数調査では全くないことなどから、現時点での被害の実態を反映したものではなく、同調査の結果のみによって法的因果関係の判断がなし得るとは到底思えない。

しかし控訴審判決はこうした点に全く目をつむり、因果関係の総合判断に踏み切らなかったことから、明らかに常識に反するような結論を導くに至った。

次に国の予見可能性についてであるが、この点についても控訴審判決は原審判決を踏襲する判断をした。

すなわち、弁護団が立証の柱と位置づけてきた近隣曝露における中皮腫被害の証拠の存在を認めたIARC(国際ガン研究機関)による1972年報告は過去のデータを用いたものであるとして重要視せず、以降の調査で近隣曝露と中皮種の関連性が否定される結果が発表されていたことなどを根拠として1972年の時点でも(飛散の終期である1975年でも)医学的知見が集約していたとは言えないと結論づけた。

さらに、弁護団が原審から一貫して主張しつづけた、知見の「確立」や「成立」といったあいまいな概念で規制権限の違法性を判断すべきでなく、知見の進展は段階的であり、また規制の態様も様々であるから、各々の知見に応じた対策を国がとってきたか否かを全体的に評価すべきであり、実際最高裁でもこのように判断されてきたと主張したのに対し、控訴審判決はこの主張を無視し、判断しなかった。

以上のとおり、控訴審判決は、弁護団が提起した最高裁判所が採用する因果関係の判断手法、国の違法性の判断手法を一切無視した不当なものとなっており、弁護団としては到底承服することはできない。

最高裁判所において、弁護団の主張が理解されるべく全力を尽くす所存である。

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連載③ 蒸気機関車SL物語

弁護士 野田 底吾


今回はSLが排出する黒煙について述べる。

SLの運転席は、防風用のフロントガラスと両側面の窓・扉を除いて、牽引する炭水車(テンダー)との連結部分は殆ど野ざらし状態になっている。それはSLが、石炭ボイラーを車台(シャーシ)に寝かせた状態(横置き)にし、そこから生産される蒸気を動力とする車だけにa 、ボイラーに直面する運転台は、ボイラーから及んでくる猛烈な高熱を逃す為、更にテンダー車から石炭を掻きだしてボイラーに投炭する作業をする為、運転席を密閉にする訳には行かないからである。その結果、登坂路線などでSLのスピードが遅くなると、煙突から排出された黒煙と煤b が後部の開放部分から容赦なく運転席に流れ込んでくる。特に夏場においては、側面の乗降扉でさえ開け放し状態で走行する場合が多いので、運転席はますます黒煙と熱に晒される。こうした悪環境の下で機関助士は、SLの激しい横揺れの中で投炭作業を繰り返し、時には走行中、止む無く立ち小便をしている最中に、振動によって振り落されたりもする。着席して運転する機関士は濡れタオルで顔を覆い、黒煙の吸い込みを防いではいるが(写真⑧)、機関助士はマスクなどしていては激しい投炭作業ができない為、もろに煙を吸い込んで窒息する危険が大きいc 。この為、乗務終了後の洗顔では、鼻から煤が流れ出し(油・汗・蒸気・煤まみれ)、肺の中まで真っ黒になっている。この様にSLの運転席は、危険・きつい・汚い、の3k職場そのものである。

こうして登坂軌道を喘ぐ様にノロノロ登って来たSLの行く先には、峠付近の長い隧道(トンネル)が待ちかまえておりd 、乗務員の緊張は最大限に達する。戦後、トンネルの断面積を大きくするなど新隧道はかなり改善されてはきたものの、北陸本線柳ケ瀬トンネル(写真⑨)に代表される旧隧道の断面は、明治時代のSLの断面積(車両限界)を基準に造られていたのでe 、旧隧道では、そこに入ってきた昭和時代の大型SLによって、隧道内の空気が、恰もポンプで水が押し出される如く、勢いよく前面に押し出されてしまうf 。当然、SLが吐き出す黒煙もこれと一緒に進行方向に向かって前面に流れ出すので、トンネル内ではSLがいくら前進しても、自ら排き出した黒煙がSLに絡まり付いてしまう。その結果、もし隧道内で動輪が空転し列車が停車してしまう様な事にでもなれば、たちどころに乗務員は窒息し失神してしまう。特に機関士らから「魔の隧道」と恐れられていた北陸本線敦賀から木之本に向かう途中の柳ケ瀬トンネルは、旧型隧道で断面積が小さく、且つ登坂路線であることから、幾度も多数の死者を出す重大事故を起している。その中の最悪事故はg 、昭和3年12月6日、敦賀から米原に向かう上り貨物列車(先頭本務SLと最後尾の補機SLからなる重連走行)がトンネル内25‰の上り坂で動輪を空転させ、走行不能に陥った事故である。その結果、隧道内に充満した煤煙により先頭本務機の機関士や車掌、荷扱手、機関見習い、更には救援に入った下りSLの機関士ら合計15名が窒息死した。原因は、滞貨していた貨物を一度に大量牽引した事、当時レールに積雪があり車輪が滑走し易い状態にあった事、風が追い風となって一層、煤煙がSLに纏わりついて拡散しなかった事があげられるが、何と言っても最大の原因は、柳ケ瀬隧道の規格が明治17年に建設されたもので、昭和時代の大型SLの通行には余裕がなかった事である。

事故後、国鉄当局は乗務員に酸素マスクを支給したり、煙突の上部に集煙装置hを設けたり、隧道入口に開閉幕iを設置したりしてきた。そしてやっと昭和32年に至って、同区間は隧道の短い敦賀~近江塩津~木之本へと大幅にルートが変更され、隧道も大型化された(写真⑩)。更に昭和38年には傾斜度を10‰に緩和する措置として、上り線と下り線とが分離され、上り線はループ式jになって電化された(現在)。問題の旧隧道・柳ケ瀬トンネルは、昭和39年、片側通行の一般自動車道路となり(写真⑨)、現在では地元のバスや乗用車に利用されている。



蒸気機関士にはボイラー技士1級資格を要する。
煤には粉炭に火粉も混じっている為、乗務員は絶えず火傷する。特に機関助士にはボイラーの焚口から吹き出す火粉によって、まつ毛や眉毛を焦がした人が多い。
機関士が窒息寸前の機関助士に対し「テンダーの石炭に顔を埋めよ!」と命じる場合がある。テンダー車に積んだ石炭の隙間には酸素が残っているからだと言う。
軌道は、出来るだけ15‰以下の勾配で、トンネルを出来るだけ短くする為に、河川に沿ってゆっくり登るルートが選ばれる。そして峠付近の急勾配に至ってトンネルで分水嶺を抜ける。
明治時代の単線トンネルは断面積が20㎡程だが、昭和時代のSLは約1315㎡もある(新幹線トンネルは複線で65㎡位)。
地下鉄がホームに入って来る時に、猛烈な風が吹き抜けるのと同じ現象。
柳ケ瀬トンネル事故については、「ポッポや」第98話に、当時乗務していた補機(最後尾の補助機関車)機関助士の体験談?が掲載されているので引用する。
「当時まだ蒸気機関車には無線がなく、先頭の機関車と補機は汽笛を鳴らし合う事で連絡を取っていた。敦賀からの北陸本線は、いきなり上り坂にかかる。冬の夜のこと、ただでさえ滑りやすい急坂の鉄路は凍結し、時折、動輪の空転する音が周囲の闇の中に不気味にこだまする。機関士は空転により速度が上がっていないことに不安を感じていた。機関車は一旦停止すると坂道での再発進はほぼ不可能になる。力を溜めて一気に通り過ぎないと山越えは難しいのだ。速度が落ちたまま1つ2つとトンネルに突入した。吹きさらしの運転台にトンネルの中に充満した煙が容赦なく入り込んでくる。濡れ手拭で口元を押さえ必死の形相でカマに石炭をくべる。3つ目の長い柳ケ瀬トンネルの手前で空転は更にひどくなり、列車の速度は目に見えて落ちてきた。重量級の貨物列車は息絶え絶えの状態のままトンネルに入った。やがて機関士の不安は的中する。単線トンネルの中ほどで、遂に列車は停止してしまったのだ。猛烈な勢いで運転台に煙が流入してくる。機関士は即座にブレーキを開放し敦賀まで逆行させようと考えた。少なくともバックさせ、トンネル内から列車を出す事を考えた。このままでは助士もろとも煙に巻かれて窒息してしまう可能性さえある。機関士は先頭の機関車にブレーキを緩めるよう汽笛で連絡をとったが、狭いトンネルの中に、この世の終わりを告げるかの様な音が鳴り響くだけで、先頭機関車からの応答がない。煙に巻かれて先頭の機関士が気絶しているに違いない。このままトンネル内に停車し続ければ、やがて自らにも危険が及ぶ事は容易に判断できた。が身の危険を感じても機関士は逃げる訳にはいかなかった。カマに火を入れたまま重量級の貨物列車をトンネル内に放置して、もし何かの弾みで逆行でもしようものなら・・。起るべき大参事を考え機関士は総毛立った。とりあえず出来る事はただひとつ。気絶している先頭の機関士達を救出し、自らブレーキを緩めてゆっくり逆行させる以外に方法はないのだ。私達ははっきりと恐怖を感じた。煙の充満したこの狭いトンネルの中を先頭車両まで向かう事を考えれば無理もない。長々と連結された貨車とトンネルの壁との間には、人がへばりついて進める程の隙間しかない。しかもいつ何時、ブレーキが緩んで列車が逆行しないとも限らないのだ。同僚が煙に巻かれて倒れているとすれば、一刻の猶予もない。機関士は私に「先頭の機関車からの汽笛を合図に補機のブレーキを緩めて逆行させろ」と指示を与え、運転台から真っ暗なトンネルに飛び降りて行った。漆黒の闇の中は、既に濡れ手拭も役に立たない程に煙が広がっている。延々と連なる貨車の真っ黒な影が時折、断末魔の様な軋みをたてる。機関士はトンネルの壁に張り付きながら少しずつ進んで行った。死の恐怖と闘いながら必死の思いで先頭の機関車に辿りついた。渦巻く様に煙が充満した運転台に上がると、案の定、同僚の機関士と若い助士が失神して倒れていた。直ちに機関士は汽笛で補機に合図し私がブレーキを緩めると、貨物列車はゆっくり逆行し始め、やがてトンネルを抜けた所で停止した。」
敦賀機関区が開発した煙突上部に設置した鉄箱。箱に入った黒煙を後部に流す様にした装置である。
列車がトンネルに入ると同時に、入口に設置した幕を閉めて外気の吸い込みを防ぎ、黒煙がSLと一緒に進行方向に押し流されるのを弱める装置。狩勝峠隧道の開閉幕が有名(写真⑪)
現在、敦賀から米原に向かう上り列車が、敦賀を出発してすぐループ軌道を走るが、その際、かつて柳ケ瀬トンネル事故があった事を是非思い起して欲しい。

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新人研修会のご報告と感想

弁護士 大多和優子


1.2014年3月14日、あすてっぷKobeにて、民法協に入会した新人弁護士3名のために、新人研修会を開催していただきました。テーマは、①民法協についてと②NHK契約取次業務従事者の労働者性に関する事件でした。

2.①民法協について

まず初めに、増田正幸弁護士より、民法協とはどのような組織であるかについて、ご説明いただきました。

民法協は昭和37年に、労働者の権利を守るために、学者・労働者・弁護士の三者により設立された組織であり、このような組織は大阪と兵庫にしかない珍しいものであること、民法協は、どの路線の組合の人でも入会することができること、派遣労働者・アルバイト・有期雇用の人などの労働者をどう守っていくかが問われている今日、新人弁護士にもぜひ積極的に労働事件をやって欲しいということ、定例総会や研修会・学習会を定期的に開催して労働問題について研究しており、これらに積極的に参加して欲しいことなどについて、お話ししていただきました。

学者・労働者・弁護士の三者によって労働問題を学習、研究するというのは、労働問題を解決する上でとても重要だと思われるのに、そのような組織が大阪と兵庫の民法協しかないということを知り、私もこのような貴重な組織である民法協の一員として、今後積極的に学習会等に参加し、労働者の権利を守るために努力したいと感じました。

3.②NHK契約取次業務従事者の労働者性に関する事件について

(1) 瀬川嘉章弁護士と全日本放送受信料労働組合の方より、NHK受託業務従事者の労働者性に関する事件について、ご講演をいただきました。この事件は、やむを得ない事由がないにもかかわらず解雇されたため、地位確認等を請求している事件で、原告の労働者性が問題となっているものでした。

(2) 事件の内容に入る前に、瀬川弁護士より、まず「労働者」性の概念について、ご説明いただきました。労働基準法研究会報告(労基研報告)によると、その考慮要素として、個人事業者的類型の場合には、指示に対する諾否の自由の有無・業務内容や遂行方法に対する指揮命令の有無・時間的場所的拘束性・代替性の有無等が挙げられているということでした。

(3) この事件の原告は、NHKの契約取次業務を行っていた方で、NHKは原告との契約を「委託契約」であると主張して原告の労働者性を争っているということでした。

しかし、原告のようにNHKの契約取次業務を行う「地域スタッフ」と呼ばれるスタッフは、契約の目標数や担当地域について、形式的には「協議して」決めるとされているにもかかわらず、実際には、地域毎の契約の目標数や担当地域はNHK側が定めており、これに対して地域スタッフが文句をいうことはできないということでした。

また、時間的拘束についてNHK側から明確に定められてはいないものの、NHKは「130件デー」(=契約を130件とることを目指す日)や、「契変デー」(=地上契約を衛星契約に変更することを重点的に目指す日)、「3巡デー」(=1日に同世帯に3回訪問して契約取次を目指す日)などを設定しており、この「〇〇デー」という日にNHKの方針通りの業務を行っていなかった場合には、次の日に電話がかかってきたり、会議や個別面接の際に、何故方針通り働かなかったのか等と問われ、NHKの方針通りに働くことを要請されるということでした。

また、地域スタッフは、「ナビタン」という機械を持たされ、訪問世帯や訪問時間等を「ナビタン」を使って入力すること、及び、自宅に送信装置を設置して、その日の訪問世帯・時間等の情報を送信して報告することが義務付けられており、NHKは、送信された情報によって、スタッフが行った業務について把握しており、それに基づき上記のような指導を行っているということでした。

さらに、社員証やネクタイの着用が義務付けられ、茶髪は禁止されているということでした。

NHK側は、上記のような目標数や「〇〇デー」というのはあくまでアドバルーン(要請)であり、指示や指導監督をしているわけではないのだと主張しているそうです。

(4) お話を聞いていて、NHKのやり方は、形式的には「委託契約」であるかのようですが、やはり、その実質を見れば、NHKからの指示に対する諾否の自由がなく、業務内容や遂行方法に対する指揮命令があり、時間的場所的拘束も一定程度受けていると言わざるを得ないものだと感じました。

(5) この事件は、本年3月12日に結審し、5月22日に判決が出る予定ということでした。今回の研修会の報告が皆様のもとへ届く頃には、既に判決が出ているかもしれませんが、ぜひとも勝訴していただきたいと感じました。

(6) 実は、私の所属する事務所にも、この事件の原告の方とは少し業務が異なるのですが、NHKのスタッフをされている方がご相談に来られたことがあり、契約書上は、「委託契約」になっているのに、全然契約書通りには仕事ができないという相談を受けたことがありました。研修会後の懇親会で、NHK受信料労働組合の方にそのことをお話したら、組合の方は、そういうことで悩んでおられる方がいるのであれば、組合の方で相談にのってくださると仰っていたため、後日、私が以前事務所に相談に来られた方にその旨をお伝えすると、その方は既にNHKの業務をやめていたものの、一人でもわかってくれる人がいて嬉しいと仰っていました。

労働者の権利を守るためには、やはり法律家の力だけでなく、組合や学者の方とも連携していくことが大切であると実感した瞬間でした。

(7) 私は新人でまだまだ未熟ですが、今後労働事件にもしっかり取り組んでいきたいと思っております。皆様、今後ともご指導ご鞭撻の程、よろしくお願いいたします。

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2014年「3・28許すな!ブラック企業&雇い止め」

兵庫県労働組合総連合 事務局長 北川 伸一


許すなブラック企業、止めよう無法を

3月28日、全国一斉で「3・28許すな!ブラック企業&雇い止め 労働相談ホットライン」を取り組みました。県内でも尼崎、西芦、東播、西播、そして兵庫労連労働相談センターの5カ所で実施しました。年度末をむかえ、非正規雇用労働者を狙った雇い止めなどが予想されることから行ったものです。

一人でも多くの方の相談を、と各地でこの取り組みをお知らせする宣伝行動も行いました。神戸・元町大丸前の宣伝では、ハンドマイクで訴える役員の側にたたずみ、じっと聞き入る若い女性の姿がありました。そして、宣伝終了後にその役員に駆け寄り、チラシを求め頷きながら立ち去るという一コマもありました。また、相談数の多少はマスコミ報道が事前にあるかないかで決定的に違ってきます。今回は前日にNHK神戸放送局が夕方のニュース(告知)で、また神戸新聞、読売新聞が地域面にて取り組みの紹介をしてくれました。

兵庫労連労働相談センターは当日、5名の相談員・役員と今回も兵庫民法協の先生方に協力いただき、どの時間帯も常に数名で相談に応じられる体制をとり臨みました。


はい!こちら「労働相談ホットライン」です

10時開始直後1件の電話がかかりましたが、以後しばらくはベルが鳴ることがなく手持ち無沙汰の状況が続きました。一変したのは正午過ぎからで、在阪テレビ3局が大阪労連の取り組みを紹介。それが近畿一円に流れてからは、4台の電話に相談員が張り付き状態になりました。相談内容は多岐にわたりましたが、それぞれ相談者に寄り添い会話を進めました。そして、少しでも前向きに解決できる方法を、とアドバイスの内容に腐心しながらも真剣に対応できたと思います。

今回の特徴はいくつかありますが、若い方の相談が多かったことです。そして、昨年末の同取り組み時もそうでしたが、夫や子どもの働き方を心配した家族からの相談が目立ちました。厳しい「就活」の末、やっと入社したが限りなくブラックに近い企業だった、という方もおられました。また、普段の労働相談でもよくあるのですが、求人時の労働条件が実際の労働条件と大きく違うということです。これはハローワークでもウェブサイトの求人でも共通しています。特に後者の方は、賃金が大幅に低かったり勝手に請負に変えられていたりと 「公的機関」でないことをいいことにまさしく「嘘だらけ」という求人もあります。その上で当日の相談からいくつかの事例を記します。

①営業職・男性

毎日ノルマがあり、達成しないと上司から暴力をふるわれる。体調が悪く休みたいといっても「自己管理がなってないからや」と怒鳴られ出社を強要される。もう辞めたいと思い申し出ると「すぐには無理、退職願は4ヶ月前に出せ」と結局辞めさせてくれない。見なし労働制だから「残業代」も出ない。

・この方は当日電話の後「面談」に来られるということだったが・・・結局来所せず。

②伊丹市にある製造業で勤務(勤務歴約2年半)40代・男性(家族から電話)

今年に入り仕事中に指に大怪我。労災で1ヶ月半休業。3月20日、突然リストラ通告、理由は「怪我をして力が出ないだろう」ということ。そういう反面、治療・休業中にもかかわらず「出社命令」をし「来なければ仕事がなくなる」と脅す。しかも、労基が来社する日は避けて呼び出す。また、以前からサービス残業を強いられ、仕事にミスがあると賃金カットもされたという。会社の対応に不満があるが自らこういう相談の電話はしないだろうと思い私が代わりにした。

・翌日、ご本人から電話あり。「会社の対応には腹が立つが、争っても仕方がない。むしろ新しい職場を見つけ早く縁を切りたい」ということだった。

③赤穂市にある製造業で勤務。21歳・男性(母親から電話)

2年前から働いている。1日8時間週5~6日働いているが雇用保険のみで他の社会保険に加入してくれない。労基に相談したが実名(会社名)を教えてもらえないと指導に入れない、と言われた。そのことは理解するが実名で「告発」したり、労組に入ったりしたら、仮に「解決」しても会社から睨まれたり嫌がらせされたりしないか心配。息子の性格からすると、そんなことは耐えられないだろうし結局辞めるしかなくなってしまう。

・少し勇気がいるかもしれないが「不正」をしているのは会社の方なので「告発」すること。一人でも入れる労組に加入し、集団の力で解決できる道があることを伝えた。


日本を世界で一番働きにくい国にしないために

特定秘密保護法の強行可決、解釈改憲による集団的自衛権の行使容認など、憲法を無視し暴走政治を続ける安倍首相。そして「日本を世界で一番企業が活動しやすい国にする」ことを目的に進めてきたアベノミクス。しかしその実態は相変わらずの大企業のみを優遇する政策であり、その「第三の矢」成長戦略はさらにそれを推し進めるものでしかありません。閣議決定された労働者派遣法の「改正」案はその象徴であり、現行でも不安定で低賃金の派遣労働を、「改善」するのではなく「一生涯派遣」を強いるとんでもない内容です。そればかりではなく、第1次安倍内閣時に大きな批判を浴び葬り去られた「ホワイトカラーエグゼンプション」(残業代ゼロ法)の復活や、「特区」による労働時間の規制撤廃、「限定」「無限定」という実態をも無視した新たな雇用差別を企むなど、労働法制の総破壊を進めようとしています。

今回の取り組みを通じても明らかなように、今必要なのは「規制緩和」ではなく大企業の横暴を押さえる規制の強化であり、人間らしく働きがいのある仕事(ディーセントワーク)を誰もができるように法を整備することです。私たちはそのことを求め組織や立場の違いを越えて運動を強めていきます。日本を世界で一番働きにくい国にしないために。

*今回も兵庫民法協の先生方に全面協力をしていただきました。紙面をお借りしお礼を申し上げます。ありがとうございました。今後ともよろしくお願いします。

「3・28許すな!ブラック企業&雇い止め 労働相談ホットライン」結果概要
実施日時 3月28日(金) 10時~19時
相談件数 合計30件
(内訳) 電話30名(今回は面談なし)
性別 男性16名、女性12名、不明2名
年代 ~20代7名、30代7名、40代4名、50代3名、60代1名、不明8名
雇用形態 正社員13名、パート・アルバイト・契約7名、臨時・嘱託2名、その他2名、不明6名
相談内容
(複数回答)
解雇・雇い止め2、退職強要・勧奨1,賃金・残業代未払い13、労働契約違反2、
社会・雇用保険2、労働時間・休暇・休日8、パワハラ・セクハラ・いじめ3 、
労災・職業病2、組合結成・加入(勧め・紹介3)その他8
事業所規模 ~29人・10名、30人~99人・3名、100人~299人・2名、300人~999人・1名、
100人以上・2名、不明12名
相談契機 マスコミ(テレビ・新聞)18名、インターネット3名、不明9名

ご協力いただいた兵庫民法協の先生方 *敬称略

山西保彦(はなくま法律事務所)、園田洋輔(姫路総合法律事務所)、八木和也(中神戸法律事務所)、守谷自由(神戸あじさい法律事務所)、本上博丈(中神戸法律事務所)、今西雄介・大田悠記(神戸合同法律事務所)、増田正幸(神戸あじさい法律事務所)、 坂本知可(神戸あじさい法律事務所)


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