平成24年8月6日,Nさん(男性)が相談に来られました。「昭和58年に会社(電力会社の第4次下請)に入り,その後ずっと福井県を中心に各地の原子力発電所内で作業していた。平成23年7月,非ホジキンリンパ腫(心臓にできる悪性リンパ腫)を発症し働けなくなってしまったので労災申請をしたい。」ということでした。そこで,当事務所の藤原精吾弁護士とともに,Nさんの労災申請を担当することになりました。
Nさんは28年間も原発の中で作業を続けてきましたが,放射線管理手帳に記載された被曝線量を通算すると,その合計は168ミリシーベルトでした。悪性リンパ腫の場合で,労災認定における被曝線量の基準は1年あたり25ミリシーベルトとされていますので,Nさんの計算上の被曝線量は,労災認定基準を大きく下回ってしまうことになります。
しかし,藤原弁護士が長年取り組み,私も参加してきた原爆症認定裁判の経験から,悪性リンパ腫は放射線被曝との有意な関連性が報告されている疾病であること,放射線による健康被害にしきい値はないことを知っていました。私たちは,Nさんが非ホジキンリンパ腫を発症したのは,長年にわたる原発内での作業のせいだと確信しました。
私たちは,できるだけ丁寧にNさんの話を聞き取り,放射線管理手帳に記録されなかった被曝の蓄積がないかを確認することにしました。
また,原爆症裁判で専門家証人として出廷して下さっている医師に,長年にわたる原発作業とNさんの非ホジキンリンパ腫発症との因果関係について意見書を書いていただくことにしました。
会社に対する遠慮もあったのか,最初はなかなか率直なお話しを聞くことができませんでした。私たちは,時間をかけて丁寧にNさんのお話を聞き取り,作業実態に近づくよう心がけました。聞き取ったNさんのお話を要約すると次のようになります。
原発は配管とバルブでできていると言っても過言ではありません。原子炉建屋だけでも,2万個を超えるバルブが配管を通る冷却水の水圧を調整し,原子炉の温度を保っています。
しかし,バルブ周辺には亀裂や傷が生じやすく,冷却水の漏出に繋がる怖れがあるため,点検と手入れは非常に重要な業務となります。
具体的には,冷却水を抜いた後のバルブを解体し,部品ごとに紙ヤスリで研磨して,傷や亀裂が入っていないかを点検し,不具合が生じている場合は新しい部品と交換するという作業を延々と繰り返していくのです。
配管やバルブ周辺は原子炉建屋の中でも特に線量が高く,バルブを解体する際に放射線が漏れないように作業箇所の周りをビニールシートで覆って作業するのが常でした。作業員一人で長時間作業することは危険ですので,一つのバルブを点検するのに作業員4人が交代であたったこともあったそうです。
高線量被曝を防ぐために,原発内では①線量管理②時間管理③装備の厳重化などの対策がとられていました。
具体的には,作業開始後バルブの解体が終わった段階で,一度,放射線管理者が作業箇所周辺の放射線量を測定します。その放射線量によって,作業員一人当たりの作業時間(②)と作業の際に着用する服装が決まります(③)。高線量箇所では,作業員一人の作業時間は数十分と短くなるので,何人もが交代で一つの作業を行います。また,作業員は,一人一人必ず線量計を携帯していて,設定された被曝線量を超えるとアラームが鳴る仕組みになっています(①)。Nさんの会社では,一日の許容される被曝線量は0.7ミリシーベルトに設定されており,これを越えそうになると,作業途中でも次の人と交代します。
服装は,高線量エリアでは作業服の上にタイベックやアノラックと呼ばれる防護服を着用します。顔面も,線量に応じて半面マスク,全面マスクと使い分けをし,手袋を何重にするかや靴下の色まで線量に応じて変化します。使い終わった手袋やタイべックなどはその日の作業終了時に裁断して廃棄処分にします。その他のものは洗濯,消毒などを経て再利用します(③)。
また,毎日作業終了後には,外部被曝の線量を測定し,放射線管理手帳にその日の被曝線量を記録します。さらに,退出時には「退出モニター」で体表に付着した放射性物質をチェックされます。アラームが鳴った作業員は,体を洗う,散髪をする,濡れた布でぬぐうなどして,体に付着した放射性物質が落ちるまでは外に出ることができません。さらに,定期点検終了後には,内部被曝の有無を計測し,これも放射線管理手帳に記録します(①)。
私が,日々蓄積されていく被曝線量に恐怖を抱いたことはないかと質問したところ,Nさんは,「それはないです。放射線管理者の言うことを守っていれば安全だと思っていたから。放射線は自然界にもあって原発の中だけが特別なわけではないと聞いていたし,内部被曝しなければ体に影響は出ないと信じていたから(Nさんの手帳には内部被曝歴は無と記載されていました。)。」と答えました。
自分が病気になるはずがないと思っていたNさんですが,平成23年7月,心臓に悪性リンパ腫が発見され,直ちに入院,手術を受けました。8月中旬に退院し,その後は化学治療のために通院する日々が続きました。
Nさんは,入院中の8月13日に60歳の誕生日を迎えたのですが,会社はこの日をもってNさんにひと言の相談もなく定年退職の手続をとってしまいました。退院の精算時に健康保険が使えなくなっていることが分かり,Nさんは信じてきたものに裏切られた腹立ちでいっぱいになりました。
私たちは,以上のようなNさんのお話しを陳述書にまとめ,医師意見書やカルテ,原爆症認定における悪性リンパ腫の認定例などの資料を添付して,平成24年12月,神戸西労働基準監督署に労災申請を行いました。
Nさんは,弁護士に相談する前に,同労基署に労災申請の相談をしたが門前払いされたので,結果については懐疑的でした。
しかし,Nさんが,長年にわたって原子炉建屋の中でも特に放射線量の高い配管やバルブ周辺の作業を続けてきたことから,私たちは,Nさんには放射線管理手帳に表れない相当量の被曝をしてきたに違いなく,絶対に認定されるべき事例だと考えていました。
申請後,1年が経過しても労基署からは連絡がありませんでした。このころになると,Nさんはもう諦めていたそうです。ところが,暮れも押し迫った平成25年12月27日,Nさんは,ようやく労災の認定通知を受け取ることができました。
Nさんの労災認定は,認定基準からすれば画期的なことです。福島第1原発事故後,原発の安全性に対する信頼が揺らぐ中で,線量計では計測しきれない被曝の実態が存在するということを厚生労働省も認めざるを得なかったのだと思います。この労災認定の先例としての意義は非常に大きく,今後の労災認定に大きな影響を与えるものと考えられます
しかし,他方で現在もNさんのような多数の原発労働者が,目に見えない被曝をし続けているのです。そして,本人がそれと気づかないうちに健康を蝕んでいくのが放射線の恐ろしさです。
Nさんが,労災認定を受けられたことは非常に喜ばしいことですが,これ以上被災者を出さないよう,徹底した安全管理を切望するものです。
このページのトップへ今回は、戦後間もなく北海道の新得機関区で発生した狩勝トンネル事件について記述する。
狩勝峠は、石狩地方と十勝地方との国境をなす日高山脈北部の峠で(海抜650m)、かつてこの直下には国鉄狩勝トンネル(隧道長さ954m)があった。明治38年に完成したこのトンネルは、十勝側の麓にある新得機関区a から峠に向かって半径180mの大カーブb (写真⑫)と25‰を越える急坂を登り詰めた峠にあり、断面積の小さい馬蹄型(写真⑬)の旧式トンネルであった。それ故、この区間は札幌鉄道管内でも最難関の登坂路線であった為、ここを通過するSLは、予め大量に高圧蒸気を作っておく必要があり、機関助士はシャベルで250~300杯もの石炭(1.2~1.5トン)を10分間にわたってボイラーに投入しなければならなかった。こうした環境から、トンネル内ではノロノロ運転となり、運転室では黒煙の大量流入と50度を越す高温とが重なり、機関士の窒息事故がしばしば発生していたc 。
![]() |
![]() |
事件は、昭和23年4月、新得機関区所属の機関士などで結成された国鉄労働組合旭川支部新得分会が、狩勝トンネルの改善と貨車の3割減車を要求した事から始まった。これに対し「窒息事故などの危険はない」として国鉄当局が要求を跳ね付けた為、分会の闘争委員長が抗議自殺する事態も加わり、組合は6月末から3割減車闘争に入った。
ところで、当時、政府は高揚しつつあった労働運動を抑制する為d 、7月31日、マッカーサー書簡に従って政令201号を発し、運動の中心部隊であった公務員らの争議行為を全面禁止する措置を取っていたが、国鉄では当局の回答が木で鼻を括った如き内容であった事や、委員長が抗議自殺した事、闘争期間中にも狩勝トンネル内で機関助士2名が窒息死する事故が発生した事も加わり、当局は新得分会の減車闘争を抑え込む事が出来なかった。それどころか、激昂した分会労働者60名が当局の職務遂行命令に対抗して、職場離脱闘争に入り、闘争は瞬く間に北海道全域の国鉄労働者にまで広がってしまった(職場離脱者1361名)。その結果、警察官憲の介入を招き、逮捕者350名、懲戒処分者多数e を出すに至ったのが狩勝トンネル事件である。
刑事事件では、3割減車と職場離脱闘争が威力業務妨害罪(刑法234条)や政令201号違反(懲役1年以下、罰金5000円以下)に該当するのか否か、これが緊急避難(刑法37条)として犯罪にはならないのではないか、既に公布されていた憲法28条、労組法1条による正当な争議行為として刑事免責に該当するのではないかが争われた。
最高裁は、公務員の全体奉仕者性と公共の福祉論により政令201号を合憲としつつ、3割減車闘争についてだけはf 、以下の如く緊急避難(刑法37条)を認めて無罪とした(昭和28.12.25判決、判例時報19号)。
「被告人らが狩勝隧道通過にあたり牽引車両の減車を行わなければ、隧道内での熱気の上昇、有毒ガスの発生等により窒息、呼吸困難、火傷等を生じ、生命身体に被害を受ける危険が常に存在していたのであって、その危険の程度は気象条件、機関車の状況、石炭の良否等の如何により、必ずしも常に同一ではないが、新得駅においては狩勝隧道付近の気象状態を適格に観察することができない事情もあって、各列車通過毎に一々厳格な減車率を決定することはできないが、大体において3割という減車率は、乗務員の経験等に照らし必ずしも非科学的であるとは断言できず、3割減車の各行為は、いずれも隧道通過毎における現在の危難を避ける為止むを得ないものである」。
争議があった昭和23年当時は、いまだ終戦後間もない頃で、カロリーの低い粗悪炭が蔓延し、これにSL自体の老朽化と戦争による徴兵でベテラン機関士が不足していた事や、トンネル断面積が小さいにも拘わらずSLの大型化が進んでいた事、25‰を越える急坂が連続していた状況等を考えれば、トンネル内でSLが走行不能となって機関士が窒息死する危険性が極めて高かっただけに、国労組合員による乗務拒否闘争は緊急避難(刑法37条)として無罪となったのは当然であろう。
当局は、最高裁判決後の昭和29年11月、トンネル内に黒煙が滞留しない様、十勝側入口に開閉幕を設置したが(本稿第3回写真⑪)g 、急坂を大幅に緩和した新線を別に敷設して、危険な旧狩勝トンネルを閉鎖したのは、事件後18年も経た昭和41年であった。
a | 現在神戸駅に保存されているD511072号SLも、狩勝トンネル事件の当時は、この新得機関区に所属していたので(本稿SL物語第一回)、事件を見ていた事になる。 |
b | JRの一般路線では最低半径160m以上が必要とされる。勿論、車体の長さにもよるが、阪急西宮駅の宝塚線が神戸線に接続するカーブは120m程? |
c | 狩勝トンネル事件の最高裁判決によれば、昭和4年4月に5人、昭和22年~23年7月に5人の被害が出ている。これと全く同じ事件が昭和3年12月に発生した柳ケ瀬トンネル事件(本稿第3回)である。 |
d | 昭和20年12月22日労働組合法が公布され公務員にも争議権が保障されていた。当時、公務員を中心に各地で生活確保の闘争(争議行為)が多発しており、後日、吉田茂首相も労働運動指導者を「不逞の輩」と罵っていた。 |
e | 日弁連は、最近、この懲戒処分が人権侵害に当たるとして処分撤回をJRに申し入れた(日弁連平成25.8.20) |
f | 尤も、判決は職場放棄については有罪認定している(原審札幌高裁は職場放棄も緊急避難と認定)。然し、そもそも政令という法形式で憲法や労組法で確認されていた争議権を剥奪するのは無効であるが、労働者が職務遂行命令(機関車乗務命令)に対抗して職場放棄するのは労務不提供の争議行為として本来、正当であり無罪とすべきであった。 |
g | トンネル入口にアコーデオンカーテン様の垂れ幕を設置し、上り列車最後部がトンネルに入ると同時に、入口上部の小屋から垂れ幕を降ろして入口を遮断し、黒煙がSLと一緒に前方に流れ出ない様にした。 |
今、第186通常国会へ「過労死等防止対策推進法案」が提出されようとしている。
これは、私たち過労死防止基本法制定実行委員会が作成した「過労死防止基本法案」を基に、昨年12月、第185臨時国会において「過労死防止基本法制定を目指す超党派議員連盟」(泉健太事務局長)の野党6党が共同提案として「過労死等防止基本法案」を提出した、それを受けて、自民党政調会雇用問題調査会に立ち上げられた「過労死等防止に関するワーキングチーム(WT)」が作成した「過労死等防止対策推進法案」を、この4月23日、超党派議員連盟で「超党派案」として了承し今国会へ提出する方向を固めたものである。
私たち過労死家族の会は、四半世紀、大切な家族を過労死で失い絶望に打ちひしがれる中で、せめてもの補償をと、労働災害・公務災害認定や損害賠償等を要求してきたが、2000年代の過労死・過労自殺の急増、特に、若者までもが過労死する現状に、過労死そのものを無くさなければ悲しむ遺族は後を絶たないと、過労死防止対策を強く国に働きかけることを願うようになった。
2009年、大阪・兵庫・岡山から発した遺族3人の働きかけと時を同じくして、2010年、過労死弁護団全国連絡会議と大阪過労死問題連絡会が、「過重労働対策基本法案」を作成した。
これらの動きを受けて、2010年10月13日、「過労死防止基本法の制定を求める第1回院内集会」(「過労死防止基本法制定実行委員会」準備会の立ち上げ)が、過労死を考える家族の会と過労死弁護団全国連絡会議の呼びかけ、国会議員参加の下に開催された。
さらに、2011年11月18日、「第2回院内集会・過労死防止基本法制定実行委員会結成総会」が開催され、「ストップ!過労死100万人署名」が全国でスタートした。以後、院内集会は9回に及び、第10回院内集会がこの5月22日、議員連盟との初の共催で開催予定である。
その間、2013年4月29日、過労死家族の会有志が国連を訪問し、社会権規約日本政府報告審査に際し、「過労死は国際人権規約違反」と訴えたのに対し、同5月17日に、国連が日本政府に「懸念」を示し、「立法措置を含む新たな対策を講じる」よう異例の勧告をした。このことも大きく法制化への後押しになった。私は、私の意見文「過労死防止法で若者守れ」を報じた新聞記事の英文を資料に添えた。
兵庫家族の会は、100万人署名を兵庫でも取り組もうと、2012年1月、三宮で初めての全国一斉街頭署名に取り組み、5月12日、「兵庫過労死防止基本法制定実行委員会」を、兵庫過労・ストレス研究会の弁護士の協力の下、約60名の賛同者参加で立ち上げた。兵庫実行委員長に藤原精吾弁護士、副実行委員長に渡部吉泰弁護士他中堅若手弁護士、世話人に、与野党の地方議員、労組ならびに団体代表者等をお願いし、事務局は家族の会が担当した。
兵庫実行委員会には、幅広い分野の方々がご協力くださった。これは、兵庫から国会議員等へ過労死防止対策をお願いした時、「法制化は超党派の国会・地方議員の協力無くしては実現しない」ことを教えていただき、その超党派の方々への働きかけに多くの方々が応えてくださった結果だと思う。同様に、さまざまな傘下の労働組合にもご協力いただいた。また、私たちの活動をマスコミの方々が報道で支えてくださった。
おかげで、4月現在、署名は全国約54万4千筆、うち兵庫、約7万6千筆(全国2位・人口比率も2位)、地方自治体の意見書採択は全国119自治体、うち兵庫、2012年10月、神戸市意見書採択(全国4番目・政令指定都市1番目)2013年6月、兵庫県意見書採択(県では全国1番目)2013年中に、10月篠山市・12月姫路市・芦屋市・西宮市・三田市、計7自治体で実現することができた。超党派議員連盟には全国で129名の国会議員のご参加があり、勢力的に取り組んでくださった。兵庫でも多くの国会議員・地方議員がご尽力くださった。
兵庫実行委員会は、全国への一定の役割を果たすことができたと自負している。
これらの成果は、皆様方の誠意の賜物である。法律の素人で活動経験もない少人数の遺族による、これ以上の過労死は何としてもストップさせたいとの願いに、耳を傾けてくださった皆様方に感謝したい。また、事務局に協力くださった弁護士達と家族の会メンバーにも感謝したい。ただ、事務局の力不足による多くの不十分さはお詫びしたいと思う。
今、国会へ提出されようとしている「過労死等防止対策推進法案」をどう評価するか。実行委員会が提案した「過労死防止基本法案」とは、相違点もあり、不十分さもある。
しかし、現在の政治情勢の中で立法化しうる最高の過労死防止法であると考える。超党派の議員立法であるからには、さまざまな考えを持つすべての党派の賛同が得られる法案でなければ国会は通過できない。そして、成立してこそ法律としての有効性を持つ。
実は、私たち実行委員会が陪席した自民党WTの会議において当初提案されたのは、「過労死等の防止のための調査研究の推進に関する法律案」であった。私たちが、過労死に関する調査をまず何よりも重視していたのは事実であるが、それはその後の対策を取るために必要と考えたものである。その調査のみを対象とした法律で、対策は必要であれば追って措置するというものであった。
私たちはその法案の範囲の狭さに愕然としたが、考えてみれば、それは誰もが反対できない、逆に賛成しうる「最大公約数」的な一致点ではあったのである。
自民党WTが行った聞き取りは、実行委員会・経団連・関係省庁・中小企業団体・連合・産業医等にわたり、さまざまな団体が過労死防止法は必要と答えたのであるから。
それから、私たち実行委員会は、急きょ深夜11時までの会議で、実行委員会の要望書・資料作成と家族の会プレゼンの準備に取り組んだ。「基本法」は難しくても、せめて法名から「調査」を取り、「対策推進法」にしていただきたい等の要望をまとめたのである。プレゼンの仕上げを終え、睡眠1~3時間で翌朝のWT会議に臨んだ。
結果、家族の会プレゼンと実行委員会の要望は大幅に取り入れられ、その後、過労死の定義等について紆余曲折もあったが、現「過労死等防止対策推進法案」に落ち着いたというのが経緯である。
昨年11月から4月まで8回にわたるWTすべての会議に私たち実行委員会を参加させてくださった森英介WT座長と馳浩WT事務局長(超党派議員連盟世話人代表)に感謝したい。
「過労死等防止対策推進法案」は目的に「・・・過労死等に関する調査研究等について定めることにより、過労死等の防止のための対策を推進し、もって過労死等がなく、仕事と生活を調和させ、健康で充実して働き続けることのできる社会の実現に寄与することを目的とすること」と掲げている(第1条)。
さらに対策として、①調査研究等(過労死の定義・2条『厚労省労災定義と同じ』より広義にとり、管理職・個人事業主等も含む・8条)②啓発(9条)③相談体制の整備等(10条) ④民間団体の活動に対する支援(11条)の4つを規定し、過労死等防止啓発月間を毎年11月に定め(5条)、政府は、年次報告(白書・6条)を毎年提出するとしている。
また、基本法ではないにもかかわらず、政府は「過労死等の防止のための対策に関する大綱」(7条)を厚労省に置く「過労死等防止対策推進協議会」(12・13条)の意見を聴いて定める、その協議会には、当事者等が含まれるとしている。また、基本理念を3条、国の責務を4条に定めている。また、これらの対策は、国・地方自治体・事業主とともに、関係する者との相互の密接な連携の下に行われるとしている(3条)。
日本で初めて、「過労死」という文言が入った法律が国会に提出されようとしている。その防止対策法が、市民運動の高まりを受けて成立へ向かっている。この意義は大きく画期的と言えるだろう。「KAROSHI」が日本発の国際語になるほど、長時間労働が当たり前になっているこの国において、成長戦略が唱えられる中で、法律になろうとしている。働く者の命と健康は守られるべきであるとする、日本国憲法に定められた基本的人権を改めて確認し、過労死等(等は過労疾病を表わす)はあってはならないとする当たり前のことが法律になることは、今の日本にとって、まさに最も必要とされていることの一つではないかと考える。
この4つの対策が行われ、過労死防止月間、大綱・白書の発表が行われることによって、日本社会の意識は、国・地方自治体・事業主・国民において大きく変わると期待される。
ただ、この法律による事業主の責務は、4つの対策に協力する努力義務であって、「労働者の健康保持」の責務は、労働安全衛生法に規定されているとして、改めての記載はかなわなかった。また、直接、長時間労働を規制するものでもない。法律が成立したからと言ってすぐに過労死がなくなる訳ではないだろう。ただ、この法律が成立すれば、労働基準法・労働安全衛生法等への注目度も高まってくるという相乗効果は期待される。
そして、残された課題は、3年後に見直される「調査研究等を踏まえた法制上の措置(第14条)」に待たねばならない。その意味で、この法案は、過労死を防止する第1段階の法律であるということになる。ということは、法律がどう実施されるかが大きな鍵をにぎっている。つまり、この法律をどう実施させるかが今後問われてくることになるだろう。
そして、この法律を受けて、地方自治体を中心とした実施活動が始まるだろう。その活動には、今まで以上に多くの方々のご協力が必要になると思う。
例えば、教育啓発活動の一環として、法律の専門家である弁護士による学校でのワークルールの講義等が考えられる。この他何ができるか皆様方のお知恵をお借りしたい。
この法律を評価するとともに、過労死防止に向けて皆様の手で、ぜひこの法律を生かしていただきたいと願う。
順調に進めば、5月下旬に衆議院を通過し、6月上旬に参議院で成立ということになるようだが、それまでに、自民党最高機関での法案審査等、越えねばならない関門はまだ存在し、成立するかどうかは通ってみなければ分からない。「政局の一寸先は闇」とのことで、私たちには何ともできないところもある。ただ、一日も早い成立を願って、できる限りのことをするのみである。明日にでも過労死するかもしれない人々へのメッセージになることを祈って。
昨年10月議員連盟の動きが活発になって以来、東京家族の会・中原さんの応援のために、実行委員会に支えられながら、全国家族の会代表・寺西さんと東京常駐を開始して半年余りが経つが、そろそろ神戸に落ち着いて、同じく半年前にした引っ越しの荷解きを始めたいと正直願う今日この頃である。
健康的に働きたいものだとブログに残したまま逝った息子は、この法案の行方を少しは納得の思いで見守っているだろうか。私の老後に愛する息子がいない。一人息子にこの法案が間に合わなかったとの空しさもあるが、もし息子の過労死がなければ、私がこのような活動をすることもなかっただろうから、息子と私にとってこの法案に関わることは、残念ながら避けられなかったのかもしれないとも思い始めている。
懸命に働く者、ましてや若者を、いかなる理由があろうとも決して過労死させてはならない。家族の未来のみならず、この国の未来が失われる。これが私のこの法案への思いである。
この日本に働く人々の命と健康が守られる健全な社会が実現することを心より願っている。
このページのトップへ1 2014年4月25日に,労働者派遣法改悪についての学習会が」行われた。
吉田維一弁護士の解説と,民法協の新進気鋭の3弁護士(今西雄介,園田洋輔,守谷自由)による寸劇が行われた。
派遣法は難解な法律であるが,論点ごとの寸劇と解説は非常にわかりやすいものだった,以下に報告する。
2 労働契約は労働者と使用者との二者の契約であり,労働者は使用者(雇用主)の指揮命令に従い労務を提供し,その対価として報酬の支払いを受けることが原則である。言い換えると直接雇用が原則であって,労働者派遣のような間接雇用は禁止されている。
すなわち,労働者は労務を提供する相手方である使用者(雇用主)から指揮命令を受け,報酬の支払いを受けることが原則であり,間接雇用の禁止は,中間搾取の禁止(労基法6条),労働者供給事業の禁止(職安法44条),偽装業務請負の禁止(職安法施行規則4条)などの規制に現れている。
3 1985年に労働者派遣法は成立した。労働者派遣というのは英訳では「temporary work」である。「temporary work」を正確に訳すと「一時的・臨時的雇用」である。すなわち,労働者派遣はもともと間接雇用という例外的存在だからあくまで「一時的・臨時的雇用」に限られていたのである。それゆえ,専門的職種(13業務,後に26業務)だけに限定されていたのである。
ところが,間接雇用というのは使用者にとっては直接雇用に比べて責任と負担が少なく,使い勝手がよいので,使用者の要請で派遣の許容範囲は広げられ,1999年には原則自由化され,さらに,2003年には製造業への派遣も解禁された。また,専門的職種である26業務については派遣受け入れ期間の制限が撤廃され,「一時的・臨時的雇用」でなくしてしまった。
4 こうして,製造業への派遣が解禁された後,主として登録型派遣について,様々な弊害が明らかになった。
登録型派遣とは派遣業者が派遣先が当該労働者を必要とする期間だけ派遣元が雇用するという形態で,日雇い派遣や派遣切り被害の温床になった。派遣先が当該労働者を必要としなくなったら,派遣元との雇用関係も終了して当該労働者は直ちに失業者になってしまうのである。
登録型派遣労働者はこのような不安定な地位にある上に,同一価値労働同一賃金という規制のないわが国では,同じ仕事をしているにもかかわらず,派遣先の正社員との待遇の格差が非常に大きい。二重派遣や専ら派遣(派遣先が子会社として派遣元を設立して第2人事部として利用)なども横行した。
5 派遣労働者がこのように不安定かつ劣悪な地位にあることが社会問題となり,派遣法は2011年に次のような改正がなされた。
① 日雇派遣(派遣元雇用期間が30日以内の派遣)は原則禁止
例外は26業務と高齢者等
② グループ企業への派遣の8割規制(「専ら派遣」の一部禁止)
③ 離職後1年以内に元の勤務先へ派遣(「戻り派遣」)禁止
④ 派遣会社のマージン率や教育訓練の情報提供義務化
⑤ 均衡待遇の「配慮」
⑥ 労働契約申込「みなし」制度(2015年10月1日施行)
派遣先が違法派遣と知りながら派遣労働者を受け入れている場合、違法状態が発生した時点において、派遣先が派遣労働者に対して労働契約の申し込み(直接雇用の申し込み)をしたものとみなす制度(現在未施行)
6 ところが,2014年,またもや派遣法が改悪されようとしている。
まず,業務に関わらず、派遣元が無期雇用している労働者や60歳以上の派遣労働者については派遣受入の期間制限をなくそうとしている。
派遣元と有期の雇用契約を締結している派遣の場合も,現行法では,派遣の期間制限は派遣労働者個人ではなく業務を単位としているために,当該業務に派遣労働者を使うこと自体が3年の期間制限に服することになっている。ところが,改悪案は業務単位ではなく労働者ごとに派遣期間を算定することによって,従事する労働者を3年ごとに交替させれば,当該業務について永続的に派遣労働者を使用することが可能にする。
すなわち,「同一の組織単位」における同一の派遣労働者の派遣受入期間の上限を3年としながらも、派遣先が3年ごとに過半数労働組合若しくは過半数代表者の意見聴取を行えば同一の事業所において引続き派遣労働を利用できるとされ、同一の事業所において、「同一の組織単位」であれば派遣労働者の入替により、組織単位が異なれば(3年ごとに就労する部署さえ変えれば)同一の派遣労働者でも、派遣先は永続的に派遣労働を利用できる制度に変えるというのである。
過半数代表者の意見聴取による歯止めには実際上実効性がないため、派遣労働の完全自由化を認めるに等しく、派遣労働の恒常的利用が拡大し、常用代替防止という法の趣旨は完全に有名無実化することになる。
その結果,2011年改正で新設された労働契約申込「みなし」制度(2015年10月1日施行)が適用されるのは,過半数組合の意見聴取をしないで3年を超えて派遣労働者を入れ替えて使用したというようなごく限られる場合だけになってしまう。
いちおう改悪案でも,次のような派遣先に派遣労働者の雇用安定措置として,
① 新たな派遣就業先の提供に努める
② 登録型について派遣元での無期雇用化をする
③ 教育訓練等の措置
等の規定が設けられようとしているが,他の派遣先がない場合や、派遣元において無期雇用ができない場合など、派遣元がこれらの措置を講じない場合にどのような効果があるのかについて規定はなく,実効性は何もない。
7 改悪案は間接雇用であるために,雇用が不安定でかつ低賃金の労働者派遣を固定化させ、ますます貧困の拡大をもたらすもので,許しがたい。
重要案件が多数あるために開会中の通常国会の会期末までに審議が終了するかどうか微妙な情勢であるが,会期切れ,廃案を目指して,改悪案の危険性を広く宣伝するとともに厚労委員を中心に国会議員への働きかけが喫緊の課題である。
このページのトップへ労働者派遣法改正法案に反対する決議 1 労働者派遣法の見直しについては、この間、厚生労働省の労働政策審議会で議論がなされていたところであるが、政府は、平成26年3月11日、労働者派遣法改正法案を国会に上程した。 しかし、この法案は、派遣労働者及びその他の労働者にとって雇用の安定を脅かし、労働者世帯の生活が今よりも貧困に陥る事態が起きかねないものであり法改正に反対する。 2 そもそも、雇用の原則は、直接雇用である。間接雇用である労働者派遣は、登録型派遣に代表されるように労働者の地位が不安定で、総じて低賃金となることが多い。また、そもそも労働者派遣は、専門的職種であり、一時的・臨時的業務であるが故に、中間搾取の禁止(労働基準法第6条)及び労働者供給事業の禁止(職業安定法44条)の例外として容認された雇用形態である。そのため、これまでの労働者派遣法も、派遣先で働く正社員の代替要員としないことを原則としてきた。 3 ところが、法案は、次の点で、これまでの考え方を事実上放棄した。 (1)労働者派遣が一時的・臨時的業務であるが故に認められていたことから規定されていた原則1年・最長3年の派遣期間制限が事実上撤廃されている。すなわち、派遣元における期間の定めのない派遣労働者・60歳以上の高齢者等については、派遣期間制限は撤廃され、派遣元における期間の定めのある派遣労働者であっても、当該労働者の交代さえ行い、過半数組合か過半数代表者の意見聴取手続を行いさえすれば、派遣可能期間を超えて派遣を受け入れ続けることができる内容となっている。 (2)労働者派遣が専門的職種であるが故に認められていたことから規定されていた専門業務(いわゆる「専門26業務」)の区分を廃し、それ以外の一般的・恒常的業務にまで労働者派遣対象業務を拡大している。現行法では、専門業務は、その専門性・特殊性ゆえに例外的に派遣期間を制限していなかったが、専門業務の撤廃は、労働者派遣を専門的職種であるが故に認められるとするこれまでの法的枠組みを捨て去り、およそあらゆる業務について、事実上無期限に労働者派遣を可能にする枠組みに変更するものである。 (3)派遣先の業務終了と同時に失職する登録型派遣をそのまま存置している。登録型派遣は、いわゆる「派遣切り」問題にもあったように、現在の雇用形態の中でも最も労働者の地位・生活を不安定にする危険性をはらむものである。ところが、法案では登録型派遣において、派遣期間の上限に達した際に雇用安定措置として、派遣元が、新たな派遣就業先の提供、派遣元での無期雇用化、教育訓練等の措置を講じなければならないとするだけで、他の派遣先がない場合や、派遣元において無期雇用ができない場合など、派遣元がこれらの措置を講じない場合の私法的な効力は付与されておらず、登録型派遣労働者の雇用安定措置としては全く不十分である。 (4)派遣労働者は、派遣先の正社員と同一の職務に就いても、同一の賃金を得られることはない。これまで派遣労働者の労働条件の改善は、派遣元の配慮事項とされていたが、何ら改善されないまま、派遣先の正社員に比して、低劣な待遇に止まっている。派遣労働者と派遣先の正社員との間で、同一価値労働同一賃金の待遇を保障しなければ、今後も、低条件の派遣労働者が増大することは否めない。派遣労働者を保護する立法による規制が必要である。 4 2013年(平成25年)の正規雇用労働者は3294万人、非正規雇用労働者は1906万人となった。法案が成立すれば、直接雇用から労働者派遣に雇用形態への移行が進むことは間違いがない。その結果、派遣労働者が増加し、結果として、さらなる正規雇用者の減少と非正規雇用労働者の増加が加速し、非正規労働者が大半を占めることにつながる。従来の雇用の安定と労働条件が損なわれ、労働者世帯の生活が貧困に陥る事態が起きかねない点で、法案を阻止することは、派遣労働者のみならず、労働者全体にとって喫緊の課題である。 5 よって、今般の労働者派遣法改正法案に反対し、労働者派遣は、専門的職種であり一時的・臨時的業務である場合に、例外的に認められるものであるという同法の基本理念に立ち戻り、登録型派遣を原則禁止とし、派遣業務は専門性が高いものに制限し、派遣可能期間を規定した上で、同期間経過後は派遣先において直接雇用義務を規定するなど抜本的な労働者派遣法改正を行うように求めるものである。 衆参厚生労働委員会委員 各位 2014年4月25日 兵庫県民主法律協会 労働者派遣法改正法案緊急学習会参加者一同 |