先日,渡部吉泰弁護士,今西雄介弁護士,池田安寿奈弁護士と一緒に取り組んでいた公務災害事件の高裁判決が出て,事件としては終了しましたので,ご報告いたします。
Kさんは,平成5年から兵庫県内のある中核市の保健所に精神保健福祉相談員として勤務していました。平成7年には精神保健福祉法の改正があり,「精神障がい者の地域での自立」が法の趣旨目的とされることとなり,精神保健福祉士(PSW)の担う役割もそれまで以上に大きくなりました。そのような精神保健福祉行政の過渡期ともいえる時期において,Kさんは「精神障がい者の地域での自立」のため,パイオニアのような立場で,孤軍奮闘することになりました。Kさんは,精神障がい者やその家族の話に丁寧に耳を傾け,精神障がい者の真の自立に向けたケースの処理を真摯に行っていたことから,警察や民政保護課など関係他業種からも頼りにされ,「困ったときにはKさん」と関係各所から声がかかるようになり,年々担当するケースが増大し,忙殺されることになりました。Kさんは,それだけでなく,家族会や作業所の立ちあげにも加わり,専門職同士の研鑽のための勉強会の主催なども行っていました。また,他市では,精神保健福祉手帳の申請手続に関する事務作業等は事務職が行っていたところ,Kさんの職場では精神保健福祉相談員が担っており,日中はケースの対応に奔走していたKさんは,必然的に,定時以降にそのような事務作業を行うこととなったのでした。
上記のような勤務状況が継続する中で,Kさんは平成12年には心身の限界を迎え,うつ病を発症してしまいます。何度か復職も試みましたが,すぐに休職することになり,最終的に退職せざるをえなくなりました。
Kさんは,その後,実母の協力を得て,公務災害の申請,審査請求,再審査請求を行いましたが,いずれの段階においても救済されることはなく,訴訟提起の段階になり,我々弁護団に委任されることになりました。
訴訟では,Kさんの担当していたケース記録の開示を求めましたが,すでに残存してないことが判明したため,弁護団は地方公務員災害補償基金等の審査段階での資料収集の不十分さ,杜撰さを追及しました。また,Kさんの従事していた公務の実態を把握するため,Kさんに関わった複数の関係者の方々から聴き取りを行いました。全員が「Kさんのうつ病は公務によるもの」と口を揃えておっしゃいました。弁護団は,協力医や陳述書作成に協力いただいた方々の証人申請を行いましたが,第一審裁判所は,全ての証人申請を却下し,認めませんでした。
その後第一審裁判所の出した棄却判決の内容は,Kさんの公務の全体像やKさんの公務に従事した時期の特殊性を無視した,極めて不当といえるものでした。
Kさんは,第一審判決の不当さを訴え,自らのうつ病発症が公務によるものであると認めてもらいたい一心で,控訴を申し立てました。しかし,控訴審においても,最終的には,Kさんの請求は認められませんでした。控訴審判決は,相手方が提出した協力医の意見書を盲目的に採用するものであり,第一審と同様Kさんの公務の全体像や公務に従事した時期の特殊性を十分に精査し評価したものとはいえない,極めて不当な判決であったといえると思います。
Kさんは,控訴審判決を受け,熟考の末,上告をしないことを決断されました。今後,自身のやりたい活動に力を入れたいと力強く述べておられました。
聴き取りに協力くださった関係者の方々も,我々弁護団も,訴訟を見守って下さっていた過労死家族の会の方等も,全員が,Kさんのうつ病は公務に起因するものであると確信を持っています。しかし,司法は適切な判断を行わず,Kさんを救済しなかったことに,私は弁護団の一員として,憤りを抱いています。
Kさんの事件と同様,業務起因性が明らかであるにもかかわらず,証拠の不十分さ等の理由で,労災が認められないケースは多く見られます。当事者が自身で一定程度対応できる術を身につけていたり,相談機関へのアクセスが容易であれば,より多くの過労により疾病を発症した者が救済されることに繋がるのだと思います。Kさんの事件を通して,過労死防止の活動(相談体制の整備拡充,啓発活動の強化)にもより力を入れていかねばならないと強く感じています。
このページのトップへ1 平成29年6月20日第588号にて,萩田満弁護士が,大阪・泉南アスベスト訴訟の最高裁判決(2014年10月9日)を受けた政府による賠償金制度について紹介しました。
最近になって,しんぶん赤旗を含めた新聞媒体などで,この和解賠償金制度についての報道がされています。そして,その報道を見たご家族の方からのご相談を受けるようになりました。しかし,まだまだ周知は不十分だと感じています。
このような状況の中,平成29年8月4日,兵庫尼崎アスベスト訴訟弁護団が上記制度の利用を視野に入れた訴訟を提起し,同年10月4日に第1回期日がありましたのでご紹介します。
2 原告は,昭和32年11月から昭和34年9月まで,日本エタニットパイプ株式会社(現在はリソルホールディングス株式会社)の鳥栖工場で,石綿管製造の業務に従事していました。その後,原告は別の企業で働いていましたが,石綿良性胸水を発症し,平成25年11月に労災認定を受けました。さらに,原告は平成29年1月20日にびまん性胸膜肥厚の診断を受けました。
平成28年5月,佐賀労働基準局から賠償金制度のリーフレットが原告に送付され,平成29年2月に原告から弁護団に相談がありました。弁護団は国が和解条件としている要件を満たすと判断して提訴に至りました。
3 平成29年10月4日に第1回期日があり,国は,本件が和解対象に該当するか精査し,必要な追加書類があれば,裁判所と原告代理人に連絡して提出を求めると述べました。次回期日は平成29年12月に決まりました。
今後の経過についてはまたご報告させていただきます。
4 アスベスト被害にあわれた方,ご家族の方は,この賠償金制度はもちろん,労災請求,企業との交渉・訴訟など様々な対応方法がありますので,是非,お気軽に相談いただきたいと思います。
このページのトップへ神戸の老舗洋菓子店ゴンチャロフにて20歳の若者が苛烈なパワハラの被害に遭った末に自死に至るといった痛ましい事件が起きた。
被害者は2014年3月神戸市内の高校を卒業し,4月にゴンチャロフ製菓へ入社し,研修を経て6月に同社東灘工場に配属された。夏場はゼリーを,冬場はチョコレートを製造する工場であった。被害者はここで現場責任者(グループリーダー)であったTから激しいパワハラを受けることになった。Tは初対面から被害者が挨拶しても無視した。Tは被害者と同期入社の他の2名には話しかけるのに,被害者にはまったく話しかけなかった。被害者が悩んで母に相談したところ,母は「相手も社会人である以上,こちらがきちんとしていれば相手の対応も必ず変わるはず」と言ってなだめた。被害者は頑張ってTに話しかけるも,聞こえないふりをして無視を続けた。
Tは被害者の仕事ぶりに対してねちねちと文句をつけた。被害者は周りよりも出勤時間が少し遅い傾向があった。といっても定時より30分以上前には来ていたのだが,Tは被害者に対して「社長出勤やなー」と嫌みを言った。被害者がゼリーの仕込みで配合ミスをしたら「そんな簡単なこともできへんのか」と言って怒鳴り,作業時間が終わるころ,あらためて被害者を呼び出して,1時間~2時間も説教を続けた。チョコレート製造が始まる冬場には,被害者はずっと怒られるようになった。Tはわざとパート従業員の前で被害者を大声で怒鳴った。怒鳴り声は同じフロアーで働いていた全従業員に聞こえるほどであった。Tは「あえて大声で叫ぶことで,周りのパートや派遣社員に緊張感をもって仕事をするようにしている」などと他の従業員に自慢した。ところがTは,同じミスをした他の新入社員にはまったく怒らなかった。
2015年秋頃から,被害者はチョコレート製造ラインの一つの責任者となった。このころからTのパワハラは苛烈を極めることとなった。被害者はパート従業員7~8名を使って,ワンショットという機械でチョコを造っていた。ワンショットでのチョコ製造は容易ではなく,被害者はチョコのつや出しで失敗することがあった。そうなればチョコは商品化されず,六甲牧場の牛の餌となる。Tは「お前,牛の餌つくってるんかー」と言って被害者の仕事ぶりを馬鹿にした。また,チョコの重さが規格から外れていたときには「お前,ちゃんと測れって言ったやろー」などと大声で怒鳴った。時には被害者の人格攻撃まで及び,「お前,何回いわせんねん」「お前,ぼんぼんやからなあ」「言っても分からんわなあ,ぼんぼんには」などと,被害者を馬鹿にした。休日出勤して被害者とTがワンショットでチョコを作ろうとしたが,うまく作れずに大量の廃棄品が出たことがあったが,Tはそのすべての責任を被害者になすりつけたりもした。
被害者は2015年12月ごろTから「辞めてしまえ」と怒鳴られたことがあった。このとき被害者は意を決して,「辞めます」とTへ伝えたが,Tはお前が辞めたらもう二度とお前の出身高校から採用はしないと言って,被害者を脅して辞めさせなかった。
当時被害者のラインで働いていたパート従業員は,Tのパワハラについて,「とても異常だった」「みんなの前でつるし上げになっていた」「すごい大声だったのでびっくりした」「他の部署で働いている人でもみんな知っているほど有名でした」「とても不快な思いだった」などと話している。
このような苛烈なパワハラは被害者の精神を蝕むこととなり,被害者は2015年12月には「うつかもしれない」とのメールを友人に送った。この頃から食欲も激減し,外にも遊びに行かなくなった。
また時間外勤務も,当時は繁忙期で,早出残業も毎日強いられる状況であったことから,発症前3ヶ月の平均残業時間は95時間を超えていた。被害者はこのころに鬱病を発症したと思われる。
以降もTからの苛烈なパワハラは継続し,辞めることもできないままに八方ふさがりの状態となり,被害者は2016年6月24日出勤途中でJRの快速電車へ飛び込み,わずか20年という短い生涯を閉じた。
Tの被害者に対するパワハラは大っぴらに,他の従業員の印象にも残る形で,かつ,きわめて長期間にわたって行われたものであった。このため多くの従業員・元従業員の記憶にこびりついており,すでに8名の従業員からは詳細な聞き取りが実施できた。
このような資料を元に,2017年9月27日西宮労働基準監督署へ労災請求を行った。本上弁護士と私で担当している。
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