《第614号あらまし》
 無期転換制度を潜脱するための雇止め~放送大学事件
 【連載】神戸港 弁天浜を歩く(第5回)
     乙仲通りとコンテナ船



無期転換制度を潜脱するための雇止め~放送大学事件

弁護士 萩田  満


1 はじめに

2013年(平成25年)に改正労働契約法が施行され、通算5年を超える有期雇用労働者が無期契約への転換を申し込むことができるようになった(労働契約法18条)。

いわゆる出口規制である、この無期転換制度・無期転換ルールは、制定当時から、労働法学者らは、有期雇用労働者の雇用安定にはつながらず、かえって、早期の雇止めを誘発するのではないか、という危惧が示されていた。

そのような労働法学者らの危惧が現実化したのが、今回の放送大学事件である。この事件は、被告である放送大学との間で12年間にわたって有期雇用契約の更新を繰り返してきた有期雇用職員Aさんが、無期転換申込権が行使可能となる直前に雇止めを受けた事件である。


2 事件の概要

(1)放送大学は、「放送大学学園法」に基づいて設置運営される学校法人であり、千葉県に本部を設置し、ご承知の「放送大学」を開校している。さらに、都道府県ごとに学習センターを設置し(主に国立大学の敷地内に)、大学カリキュラムの通信教育・視聴学習指導・講義関連の図書・DVD・CDの貸出しなどを行っている。

(2)Aさんは、2006年(平成18年)4月1日、放送大学との間で雇用契約を締結し、以後、2018年(平成30年)3月まで1年ごとに雇用契約を更新してきた。なお、雇用契約書は存在しない。

Aさんの職場は、兵庫学習センターである。この学習センターは神戸大学キャンパス内にあり、その体制は、フルタイム勤務の事務長1名・主幹2名(神大からの出向、県職員OB)、期間業務職員(週40時間勤務)4名、時間雇用職員(週30時間勤務)2名である。

(3)2013年(平成25年)に改正労働契約法が施行され、通算5年を超える有期雇用労働者が無期契約への転換を申し込むことができるようになった(18条)。

同年3月、放送大学は、改正労働契約法18条の適用を免れるため、理事会決定によって、時間雇用職員用の通算雇用期間の上限を5年とした。それと同時に、放送大学は、Aさんら有期雇用職員に対して、通算雇用期間の上限の設定が単なる「雇用ルールの明確化」や「決定事項」であると(虚偽の)断定をした一方的な書面で、承諾書の提出を求めた。Aさんは、当初提出を拒否したが、兵庫学習センターの事務長は執拗に提出を強要したのでそれに耐えきれず、承諾書を提出した。

ただし、Aさんはその後、撤回等の意思表示をして承諾書の返還を求め、放送大学は承諾書原本をAさんに返還している。

Aさんは、2018年(平成30年)になって雇用契約更新を申し込んだが、放送大学は、雇用契約の更新拒絶(雇止め)を通知した。なお、その後Aさんは無期転換申込書も放送大学に通知している。


3 本件の争点

(1)この2018年(平成30年)の雇止めについて、Aさんは、労働契約法の無期転換制度を潜脱するための雇止めであると主張して、神戸地方裁判所で争っている。

現在、提訴して1年を超えており、争点は概ね整理されている。

争点は、次の2つである。

① 雇止めルール(労働契約法19条)が適用されるケースか

~実質的に無期契約といえるか、または、雇用更新の合理的な期待が認められるケースか

② 雇止めは、解雇権濫用に類するものといえるか(雇止めは有効か無効か)

(2)このうち、雇止めルールが適用されるかというのが、最大の争点である。

Aさんの主張は、契約上の地位がもともと恒常的であったこと、更新手続は形骸化していたこと、業務内容は基幹的なもので臨時的なものでないこと、採用時の使用者側の説明とAさんの認識として長期間の雇用継続が前提されていたこと、実際に特段の手続もなく11回12年間雇用契約が継続してきたこと、他の時間雇用職員も雇止めされた事例がないこと、有期雇用とする合理的理由はなく名目的なものにすぎないことなどの理由から、本件雇用契約は、実質的無期雇用契約といえるか、雇用更新の合理的な期待が認められる、というものである。

(3)これに対して、放送大学は、Aさんの主張をことごとく否定しているが、とりわけ声高に主張しているのが、更新上限規定(5年かぎり)を設けAさんから承諾書も入手したので、実質的に無期契約とはいえないし、雇用更新の期待権は存在しなかった、ということである。

(4)このような放送大学の主張に対しては、Aさんは、更新上限規定は、無期転換ルールを潜脱するために設けたもので、違法無効であるし、それによって雇用更新の合理的な期待は失われない、と再反論している。


4 無期転換ルールと更新上限規定

(1)なぜ、放送大学が、とつぜん5年の更新上限規定を設けたのか。

放送大学は、更新上限を設けた趣旨について、経営上の理由があったとかいろいろ弁解しているが、結局は無期転換ルール(労働契約法18条)を回避するためである。放送大学の資料には、「労働契約法の改正により平成25年4月1日以降に締結する有期労働契約が反復更新されて通算5年を超えたときは、労働者の申込みにより、期間の定めのない労働契約(無期労働契約)に転換することとなった。」、「この改正を受け‥必要な改正を行う」と明記している。つまり、放送大学が更新上限を設けた趣旨は、労働契約法18条対策である。

これが、脱法目的でなくてなんであろうか。そのため、Aさんは、訴訟において、更新上限規定の導入は、脱法行為とか労働契約法18条の潜脱行為であると指摘している。

ところが、放送大学はそのことに、感情的に批判するばかりである。

この点は、訴訟において明らかであると考える。

(2)不更新条項・更新上限規定と雇止め法理(一般)

さて、更新上限規定の問題は、裁判実務および学説は、労働契約法19条の適用・解釈問題としている。

水町勇一郎東京大学・大学院教授は、「このような定め(更新限度、不更新条項)があったからといって雇止め法理の適用が当然なくなるというわけではなく、他の事情(①業務の客観的内容(従事している業務が臨時的・季節的なものでなく恒常的なものか)、②当事者の主観的態様(雇用を継続することについての当事者間でいかなる言動・認識があったか)、③更新の手続(長期にわたる反復更新があったか、更新手続が曖昧だったか、これまで更新を拒否された例がないか)などの諸事情)もあわせて労働者の更新の期待に合理性があったか否かを判断し、雇止め法理が適用されるか否かが決定される。」(水町勇一郎「労働法第7版」p340)と述べられる。

菅野和夫同名誉教授も[無期労働契約と実質的に異ならない状況]や[契約更新についての合理的期待]の形成などとして問題になると述べられたうえで「一般的にいえば、不更新条項や更新限度条項が契約締結・更新に際して人事労務管理上の理由とともに適切に説明され、当該労働者の納得のうえで合意されたと認められる場合には、解雇権濫用法理の類推適用を妨げる事実となりやすいと考えられる。これに対して、使用者によるさしたる説明もなく、したがって労働者の認識や納得もなく、挿入されたような場合には、解雇権濫用法理の類推適用を妨げたり失わせたりする意義はもちにくい」とされる(菅野和夫「労働法第11版補正版」p331)。

裁判例で労働者の更新の期待の合理性が否定されるのも、不更新条項を差し入れる際に事前に説明会を開催して状況を説明し労働者の希望を確認するなど労働者の意思を明確かつ客観的に確認しながら手続を進めた事例など、労働者に対する説明会を繰り返し尽くしたような事件である。

なお、労働法学者の見解や裁判例の中には、実質無期契約か更新の合理的期待が生じた後の契約中途で不更新条項・更新上限規定が導入された場合(途中導入の場合)にはいったん生じた更新の合理的期待等が消滅するかどうかという問題の立て方をするものもある。いずれにせよ、契約中途で不更新条項・更新上限規定が導入された場合には、採用時に不更新条項・更新上限期待があった場合に比べて、裁判例も学説も更新の合理的期待等がないという判断には慎重である。

(3)労働者の真意の追究

また、不更新条項・更新上限規定については、労働法学者および裁判例は、労働者の真意に基づく同意があるかその追究が大事だとする。

菅野名誉教授の意見は先述したとおりであるが、荒木尚志東京大学・大学院教授も、山梨県信用組合事件最高裁判決に触れながら、「(更新の)期待利益を放棄する合意の効力を形式的な受入れの行為の存在から直ちに肯定するのではなく、当該行為が労働者の自由な意思に基づいてされたものと認めるに足りる合理的な理由が客観的に存在するか否かという観点を踏まえた合意の効力問題として検討すべきであろう。その際には、更新限度条項を受諾しなければ雇用関係が終了するという状況下での受諾という点も十分に考慮されるべきである」とされる(荒木尚志「労働法第3版」p506)。

結局、労働者の自由な意思に基づいて更新上限規定を受け入れたと認めるに足りる合理的な理由が客観的に存在するか否かの観点からの検討は必須である。

前提となる山梨信組事件最高裁判決(最判平成28年2月19日)の調査官解説によれば、「労働者は、労働契約の性質上当然に、使用者に使用されてその指揮命令に服すべき立場に置かれている上、自らの意思決定の基礎となる情報を収集する能力も限られている。そのため、賃金や退職金といった重要な労働条件を自らの不利益に変更する場合であっても、使用者から求められれば、その変更を受け入れる旨の行為(同意書に署名押印をするなど)をせざるを得なくなるような状況に置かれることも少なくない。このような労働契約関係に特有の労働者の立場(労働者の従属性)に鑑みると、同意書への署名押印をするなど当該変更を受け入れる旨の労働者の行為があるとしても、これをもって直ちに労働者の同意があったものと認めることは相当でなく、当該変更に対する労働者の同意の有無についての判断は慎重にされるべきものと解される。」としたうえで、「労働者の同意の有無につき判断する際に、具体的にどのような要素を考慮すべきかについて、①当該変更により労働者にもたらされる不利益の内容及び程度、②当該変更を受け入れる旨の労働者の行為(本件では、本件同意書への署名押印がこれに当たる。)がされるに至った経緯及びその態様、③当該行為に先立つ労働者への情報提供又は説明の内容等」が重要であると指摘される。

(4)無期転換ルール(労働契約法18条)対策として不更新条項・更新上限規定が設けられた場合

さらに、雇用契約が反復継続した後で無期転換ルール(労働契約法18条)対策として不更新条項・更新上限規定が挿入された場合においても、裁判実務および学説は労働契約法19条の適用・解釈問題という前提に立ったうえで、その特殊な場面に応じて考え方をさらに整理している。

菅野和夫名誉教授は、「労契法改正前のように正社員数を抑制するため漫然と6か月や1年の有期労働契約を格別の更新限度を示さず反復更新して利用してきた企業が、ある時点で、改正労契法の5年ごえ有期契約の無期転換規定(18条)を意識して、一定年数(例、4年)の更新限度を設けた場合においては、すでに更新の合理的な期待が生じている場合には、更新限度を設ける経営上の必要性(たとえば正社員と有期社員を通じた社員区分の再編成)について余程よく説明し労働者の納得を得て書面の同意を得るなど、合理的な期待を打ち消せるように更新限度を設定するのでない限り、更新拒否は改正労契法に規定された雇止め制限法理(19条)によって効力を否定されうる。」(菅野和夫「労働法(第11版補正版)」p316)とされている。他の労働法学者の考え方も同様であり、水町教授も「経営上の理由等がなく、単に無期労働契約への転換を回避する目的で不更新条項を差し入れ、労働者からの署名・押印を得たとしても、それによって継続的契約関係における労働者の期待と信頼が排除されると解釈することは難しいだろう」(水町勇一郎東京大学教授「無期転換と均等・均衡処遇 2018年問題?」ジュリスト1465-58)と指摘している。契約が反復継続した後で無期転換ルール(労働契約法18条)対策として不更新条項・更新上限規定が挿入された場合においては、よほどのことがないかぎり、労働契約法19条によって雇止めは無効であるというのが学説の大勢である。

それどころか、学説は、労働契約法18条の脱法行為ないし公序良俗違反とみるべき特段の事情がある場合に更新上限規定は違法無効であるとまで主張する(荒木尚志・菅野和夫・山川隆一「詳説 労働契約法」(第2版)p177など)。菅野和夫名誉教授は「特に、5年到来の直前に、有期契約労働者を使用する経営理念を示さないまま、次期更新時で雇止めする旨の予告(更新限度の設定)をすることは、それによる雇止めが雇止め制限規定(19条)によって無効とされうるのみならず、無期転換阻止のみを狙ったものとして18条の脱法行為とされうると考えられる」と述べる(菅野和夫「労働法(第11版補正版)」p316)。


5 まとめ

以上ながながと解説したが、本件の放送大学のように、無期転換ルールが導入されたのを機に、その適用を免れるために更新上限を設け、これまで長期間雇用していた職員を雇止めにするようなことが許されれば、労働契約法の改正は何だったのか、ということになる。行政も、労働法学者も、裁判所ですら危惧するような、脱法行為が大手を振ってまかり通ることは許されない。

Aさんの裁判も、社会的な影響が大きい事件であり、ご支援をお願いしたい。

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【連載】神戸港 弁天浜を歩く(第5回)
乙仲通りとコンテナ船

弁護士 野田 底吾


神戸中央郵便局と南隣の結婚式場「エスタシオンデ神戸」との間に、港の関係者なら誰でも知っている「乙仲通り」がある。

通りはここを西端(写真⑭)に栄町通りに沿って東へ約1㎞、大丸百貨店南の農業会館を東端とする一般道である。現在、その西半分は乙仲業者や港湾荷役会社の事務所が点在し(注1)、東半分には洒落た店が連なるトレンディな商店街となっている。

ところで乙仲業とは、港湾運送事業法第3条1号の「一般港湾運送事業」のことで、戦前「乙種海運仲立業」と呼ばれていた海運貨物(海貨)取扱業の別名である。船会社や荷主から海貨の運送を請負い、集荷から通関手続き、貨物船の手配、積込みに至るまで手続一切を引受けて手配する仲立業で(元請け)、ステベ(stevedore)と呼ばれている(大手では上組や日東運輸など)。このステベから船内荷役や沿岸荷役を個別に請負う(2次下請け)のが同法第3条2号の港湾荷役事業者(港湾運送事業)である。

さて乙仲通りに隣接する弁天浜は、朝鮮戦争で神戸港が賑わい始めた1950年頃から1970年代にかけ毎朝多数の日雇荷役労働者が仕事を求めてたむろし、大いに活況を呈した所で、既に本連載第2回「沖仲仕などの労働」で述べた通りである。然し70年代後半から次第にこうした労働者の姿が少なくなり、今では往年の賑わいは見られなくなっている。その最たる原因は、在来の貨物船による外航の海上輸送が大型コンテナ船の就航により激減したからである(港湾輸送革命と言われる)。そこで先ず在来貨物船による従来の荷役作業から見てみよう。

例えば雑貨の輸入の場合では、①まず入港船の底(船倉、ダンブルdownbelow)からデリックリフト(derrick)で個品の貨物を吊り上げて艀や岸壁に降ろす、②陸揚げされた貨物を手鉤(てかぎ)を使って一輪車(ネコ)に載せ倉庫まで運ぶ、③それを肩で担いで積み上げる(ハイheight付け作業)、④その後、検数や通関手続を経た後、鉄道やトラックで荷主まで搬送する、というのが大筋の流れである。尤もこうした作業も、フォークリフトとパレットによる運搬で(注2)かなり改良はされたが、肉体労働が主流であることに変りはなく、これに相当な時間と経費が費やされていた。例えば在来船の場合、20数人の船内労働者(ギャング1組)が1時間当たりに積込める貨物の量はせいぜい25トン程であるが、コンテナ船であれば数人の労働者が4~5分もあれば積込を完了させてしまう。また一つの港で雑貨1万トンを積み込むのに(写真⑮)、在来船では100数十人の船内労働者(ギャング5、6組)が昼間労働で約10日間程もかかるが、コンテナ船であれば船内と陸上作業員を併せて30人もあれば8時間程で完了させる事ができる。また雨天の場合、在来船では積荷を雨から守るため作業を一時中断し、天気が回復するまで船を無駄な滞船料を支払って停泊させねばならないが(その結果、年間稼働日数350日のうち停泊している日数は平均200日にも及び、航海日数は僅か150日程しかない)、コンテナ船は雨でも作業を続けられる(注3)。これらからも明らかな様に、コンテナ船の方が遥かに早く荷物を目的地に届ける事が出来る。

そこで以下、コンテナ船について述べてみる。

1955年、米国人マックリーン(Mp.Mclean)は、荷物(雑貨)を一まとめにパッケージ化( ユニット化Unitized Cargo)して運送すれば荷役能率が向上するし、定期船の中継地(ハブ港)での積替え作業(注4)をも合理化すれば、運送時間の大幅な短縮と荷役費の節減がもたらされると考えた。そしてセル構造の貨物船(コンテナ船)を考案し、このセルに見合ったサイズの二種類のパッケージ(コンテナ)を作った(注5)。然しコンテナ自体が20ft標準型1台で70万円もの製造費がかかり、コンテナ船の建造費自体も在来貨物船より遥かに高いため、とても普通の海上運賃では採算がとれない事が判った。そこでコストを削減するには、荷役時間を極力短縮して船舶の航海速力をアップすると共に、大幅に船の積載量を増やす必要が生じた(注6)。その結果、高速大型船の建造と、これらコンテナ船が入港できる大水深の岸壁、そこにコンテナを吊り上げる巨大なガントリークレーン(Gantry Crane)と大量のコンテナを収容できる広大なヤードが必要となった。こうして1970年代から次々と大型コンテナ船が建造され、沖合が埋め立てられてコンテナ基地が建設されて行った。神戸港でも沖合が埋立てられてポートアイランドや六甲アイランドが生まれ、そこに大型港湾機能が移されて行った結果、弁天浜など在来の港湾施設は急速にスクラップ化し労働者も消えて行った。同様に、海貨の陸上運送も一般貨物トラックからトレーラーヘッドでコンテナをけん引する海コン車へと変わって行った。


注1:図1は1955年頃の弁天浜に所在するステべとその下請荷役会社の所在図で、その多くが山口組幹部によって設立されたものである(会社名や組幹部名などは溝口敦「血と抗争、山口組三代目」(講談社+&文庫)に詳しい)。然しその後の全港湾労組による港から暴力団を追放する運動や警察による取締まり強化により、暴力団の影響力は大幅に減殺されて行った(詳細は、全港湾関西地本「闘いは時を越えて」や、宮崎学「近代ヤクザ肯定論」ちくま文庫を参照されたい)。

注2:ネコ:ドンゴロス(dungarees)の粗麻袋の綿なら200㌔、米なら300㌔程を積込んで、人力で運ぶ一輪車(写真⑮)

ハイ付け・肩:ドンゴロス袋を肩に担ぎ、踏み板を渡って10m程の高さまで積み上げる作業をハイ付けという。「肩」は60~100㌔ほどの荷物を一日で7~800個運ぶ労働者の別名で「肩は武士」と呼ばれる程の一目置かれる存在であった。(写真⑯)

パレット運搬:フォークリフトの爪が入るよう二重構造になっている板の台に貨物を載せて運搬すること。

注3:コンテナは防水密度が高く倉庫に入れて保管する必要がない為、例えば篠崎倉庫の如く従来の倉庫業はコンテナの普及で急速に衰退してしまった。

注4:大型高速コンテナ船は、定期航路を大量のコンテナを積載して運航ダイヤどおりに航海し、ハブ港にコンテナを降ろすや(トランジット貨物)、すぐに次のハブ港に向かうというピストン航海をしている。ハブ港では降ろされたコンテナ(ローカルカーゴ)を地域別に組み替え(FeederService)別のコンテナ船に積載する。

アジア地域のハブ港は、釜山、上海、香港、シンガポール、高雄など数港しかなく、ハブ港に相当する港は日本にはない。特に神戸港は1994年コンテナ取扱量世界第2位であったが、阪神大震災で港湾施設が破壊されて以来、急速に取扱い量を減らし、現在ではコンテナに関する限り国際的、国内的レベルでは完全に地方港化している。

注5:メリケン広場には、幅2.5m×長さ6m×高さ2.6mサイズの20ft標準型コンテナと、長さ12mサイズの40ft型の二種類が展示されている。JR貨物のコンテナは、12ft型(幅2.3×長さ3.6×高さ2.3)が標準で、20ft型(幅2.3×長さ6×高さ2.2)は区間限定の例外品とされているので、大半の海上コンテナは海コン車で運送されJRは利用されない。国内航路の小型コンテナ船は12ft型が主力となっておりJR標準型にマッチする。

注6:コンテナ船の積載能力はTEU(Twenty‐Feet‐Equivalent‐Unit)単位で表される。コンテナ船登場の頃は750TEUが主流だったが、現在では2万TEUのスーパー大型船(写真⑰)がハブ港間を25ノット(時速46㎞)で定期運航しているが(商船三井のMOL Triumph号のTEUは20,170)、日本の港にはこれを受け入れるだけの大水深港はない。弁天浜にある㈱木下商会はコンテナ船のホールド・セルガイドにコンテナを載せて固縛する専門会社である(写真⑱)。





写真⑮左下の台車はネコ 財団法人神戸港湾福利厚生協会『収録港湾労働 神戸港』(1988年)より

写真⑯財団法人神戸港湾福利厚生協会『収録港湾労働 神戸港』(1988年)より

写真⑰株式会社商船三井『平成29年度中間報告書』より

写真⑱株式会社木下商会ホームページより http://www.kinoshitashokai.co.jp/

図1 船内荷役会社設立当時の所在地図(昭和30年前後)

①岡村運輸 ②高栄運輸作業 ③山ノ内運輸 ④高浜運輸 ⑤昌栄運輸 ⑥日栄運輸 ⑦日勝海運作業 ⑧甲陽運輸 ⑨藤運輸 ⑩住井運輸 ⑪大神運輸 ⑫日本運輸作業部→阪神港運 ⑬大興運輸作業 ⑭三友企業 ⑮岡田港湾作業 ⑯宝源→安原運輸 ⑰上栄運輸 ⑱扇港海運作業 ⑲倉橋海運 ⑳高砂運輸

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