私は平成11年12月15日に夫を過労自死で亡くしました。今年で20年になります。夫との結婚生活も20年でした。ふと気が付けば同じ年月が過ぎていました。
家族の会も在籍20年です。そろそろ引退と思うのですが、いまだに過労死過労自死は、無くなりません。私は、初め「大阪家族の会」でお世話になっていましたが、その後兵庫でも遺族同士で支え合い頑張ろうと、平成14年4月に兵庫県三ノ宮で「兵庫過労死家族の会」を設立しました。
当時は、中高年の夫を亡くした妻が悲しみ苦しみ自責の念、怒りの中救いを求めて参加していましたが、今は、息子・娘を亡くした母・父が絶望の中参加されるケースが多くなっています。当時私は、「夫を亡くして、将来仕事で息子や娘まで亡くしたくない」と思っていました。今現在残念な事になっています。
これ以上「過労死」をさせてはいけません、「止めなければ」との思いで、平成26年6月に遺族・家族の会と過労死弁護団が国に働きかけて「過労死防止法」を成立させ、同年11月施行されました。この法律で、労働者を守ることが出来るよう国に対して協力していくことも大切と考えます。「過労死防止法」は「過労死等が無く、仕事と生活を調和させ、健康で充実して働き続ける事の出来る社会の実現に寄与することを目的とする」と語った意義をもつ法律です。
また今の日本はこの少子化社会、求人難の中これ以上貴重な若者を使い捨ててはいけません。その為に昨年より厚生労働省と遺族・過労死弁護団の協力で、高校生・大学生・専門学校生を対象に「働き方」「ワークルール」「遺族の経験」を啓発して、社会に出て仕事に就く前に「働く」ということの意味を知って「ブラック企業」に行くことなく職場を選んで欲しいと、そのために今は「啓発授業」に取り組んでいます。
生徒の前で「啓発授業」をすることは私たち遺族にとって、当時を思い出して、辛くて、悲しい事ですが、そうする事で、過労死過労自死を少しでも「防止」することに繋がればとの思いなのです。
20年経った今でも、当時の事は忘れる事はできません。
当時夫は、48歳で兵庫県姫路から見知らぬ九州福岡に突然出向になり、初めての単身赴任で未経験の機械のメンテナンスをたった一人で担当する。前任者が辞めていく中で通常一年はかかる引継ぎをわずか3ヵ月でするよう命じられていました。昼勤なのに、工場は24時間稼働しているため、トラブルが発生する度に昼夜を問わず休日でも呼び出され、1ヵ月120時間を超える残業が続いていたのです。
当時私が夫に電話をすると「年末には帰りたい」と言っていたのに、亡くなる前には「毎日残業で疲れていても眠れない、休日でも、夜中でも呼び出しの電話が掛かる」と話し、「電話の音が怖い。しばらく電話をしてくるな」と電話が鳴る音に恐怖するほどになっていたのです。それに加えて当時会社をあげてのISO認定作業にも取り組んでいました。
労災である事は間違いないと確信していましたが、労基署で業務外とされ、労働局・中央審査会とも業務外とされました。その後国に対し労災認定を求めて、平成15年12月15日夫の命日に行政裁判を起こしました。平成18年4月12日福岡地裁で勝利しましたが控訴され、高裁で闘うことに。そして平成19年5月7日福岡高裁でも全面勝利し、労災認定が確定しました。7年半の長く苦しい闘いでした。
その後会社と和解が成立、会社は夫の労災を認めた上で、社長からの謝罪文と労働条件の改善に取り組む事を表明し、労働災害の撲滅を約束しました。会社との交渉を含め、解決まで8年の歳月を要しました。
お陰様で夫の名誉は回復できましたが、夫は帰ってはきません。
「啓発授業」では、生徒たちに、遺族の私たちが体験を話し、弁護士が労働基準法で守られている事など分かりやすく説明し、社会に出て仕事に就く前に「ブラック企業」に行くことのないように、「自分で自分を守れるよう」指導させていただき、未然に過労死を防ぐために役立てればとの思いで行かせて頂いています。
生徒たちには、もし社会に出て職場で働いていて「働き方がおかしい」と思う事があれば、一人で悩まず、どんなことでもいいので周りの人や私たち家族の会や専門家に相談して下さい。皆さんが社会に出て「健康で安心できる職場でありますよう」それが私たちの願いですと話しています。
啓発授業は、50分から90分の授業ですが、生徒たちに、私が話す中で、「当時私の息子と娘は大学三年生と一年生でした。労災は認められても二人にとっては、仕事によって父親を奪われてしまったのです。父親は何の為に仕事をするのですか、『家族の生活を守り幸せに暮らすため』ではないですか、そのはずでした。そうでなければいけません。父親を亡くして、どれだけショックで不安だったか、皆さん、お父さんお母さんがある日突然仕事によって命を落としたら、どうしますか。想像してみてください」と話すと、多くの反応がありました。そして、「今は20代30代の若者の過労死過労自死が増えています。決して他人ごとではないのです」との言葉に、どの生徒も私の話を真剣に聞いてくれていました。そして、「あなた達の命は何より尊いのです」「仕事によって大切な人を亡くす事の無いように」「仕事は、自分が元気で幸せであるよう。家族の生活を守り幸せに暮らす為のもの」であるという事を忘れないでください、と訴えています。
これからも、過労死過労自死を出さないために「啓発授業」は大切と考えます。今後も続けて行くべきと確信しています。弁護士先生方も今後とも宜しくお願いします。
このページのトップへ故金谷亮一さん(当時48才)は、鐘淵化学工業(本社大阪、現カネカ)の社員だったが、1999(平成11)年8月子会社の九州カネカライトへの出向を命じられ、姫路市から福岡県筑後市へ単身赴任を余儀なくされた。
長年自信を持っていた石油プラント関連の機械設備の設計管理業務から、未経験の設備機械のメンテナンス業務等に変わった。時間外にも新たな技術習得に励んだが、トラブルが多発し、休日でも呼び出される過重労働のなか、同年10月下旬から11月にかけて適応障害あるいはうつ病を発症、赴任4か月後の12月15日自死した。
妻一美さんは約2か月後の2000(平成12)年2月に労災請求したが、八女労基署長は2001(平成13)年9月11日業務外と判断し不支給処分、その後の審査請求も棄却され、再審査請求中に福岡地裁に不支給処分の取消請求訴訟を提起した。2006(平成18)年4月12日福岡地裁は業務上と判断して不支給処分を取消す判決を出した。国(八女労基署長)は控訴したが、2007(平成19)年5月7日福岡高裁は国の控訴を棄却する判決を出し、その後国は上告を断念し、勝訴判決が確定した。
金谷一美さんが労災請求した当時は、現在の平成23年12月26日付け精神障害認定基準になる前の平成11年9月14日付け旧基準に基づいて労基署長は業務上外の判断をしていた。旧基準では、業務上の心理的負荷と長時間労働とが複合した場合など複合要因の強度評価に問題があったことから、労災認定の門は極めて狭かった。金谷一美さんの裁判闘争が、精神障害についての労災認定の門を拡げる平成23年の新認定基準への改正につながった。過労死認定闘争の歴史に残る事件だ。
このページのトップへ上組陸運株式会社(以下「会社」という)には建交労兵庫合同支部上組陸運分会(以下「分会」という)があった。高年法で定年退職者の雇用継続義務が定められる前の平成10年に会社と分会との間で、定年退職者を(年齢の上限を定めずに)再雇用する旨の合意が成立したが、その際、定年退職者については会社が直接雇用するのではなく、建交労兵庫合同支部が運営する労働者供給事業から日々雇用の形で雇い入れるという方法を採ることにした。
その後、平成21年のリーマンショックによる会社の業績低下を契機に、会社保有のヘッド車を減車するとの会社の提案がなされた。ヘッド車を減らせば分会員の雇用機会が減るおそれがあったので、分会は分会員の稼働日数を月13日確保することを条件に会社提案に応じることにし、労使間で締結されたのが「13日確保協定」である。当時は毎月最低でも13日間日雇就労すれば、就労できない日について失業給付(「アブレ手当」)が支給されたので、分会員は生計を立てることが可能であった。
ところが、会社は平成27年10月に突然「13日確保協定」の破棄を通告した。分会は会社との交渉の中で、当時、日々雇用されていた若手の分会員2名の直接雇用を条件に「13日確保協定」の解約に応じることにしたが、結局、会社は分会員の直接雇用の約束を反故にしたまま、「13日確保協定」の解消だけを主張して、分会員の就労を完全に拒否するに至った。分会員の就労が労働者供給事業からの供給という形を採っていたので、会社が労働者の供給依頼をしないという形での就労拒否が行われたのである。
分会は高齢化しており、直接雇用を拒否された若手の2名の分会員以外は全員定年退職者であったから、会社は「13日確保協定」の破棄と供給依頼の停止によって、分会を完全に職場から排除することに成功した。
建交労兵庫合同支部は、「13日確保協定」の破棄は組合員に対する不利益取扱及び分会に対する支配介入に当たるとして、兵庫県労働委員会に不当労働行為救済申立をしたが、兵庫県労働委員会は、会社の業績悪化により、経営上分会員の就労を確保する余地がなかったという会社の主張を鵜呑みにし、分会員に対する就労拒否は合理的理由に基づくもので、不当労働行為意思にもとづくものではないとして、会社の「13日確保協定」の破棄およびそれに至る一連の行為は不当労働行為には当たらないと判断した。
そこで建交労兵庫合同支部は、本年7月10日に当該命令は違法であるとして取消訴訟を提起した。
また、本件では、取消訴訟の他、損害賠償請求事件を提起している。すなわち、「13日確保協定」を含む労働協約に基づいて、従業員らを月13日以上就労させる義務を負っていたのに、「13日確保協定」の破棄により分会員を就労させないことは債務不履行に該たるとして3名の分会員について損害の賠償を求めるものである。
いずれも本年9月27日に第1回期日が開かれた。(担当弁護士は、與語信也、増田正幸)
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