2013年(平成25年)に改正労働契約法が施行され、通算5年を超える有期雇用労働者が無期契約への転換を申し込むことができるようになった(労働契約法18条)。
いわゆる出口規制である、この無期転換制度・無期転換ルールは、制定当時から、労働法学者らは、有期雇用労働者の雇用安定にはつながらず、かえって、早期の雇止めを誘発するのではないか、という危惧が示されていた。
そのような労働法学者らの危惧が現実化したのが、今回の放送大学事件である。
この事件は、被告である放送大学との間で12年間にわたって有期雇用契約の更新を繰り返してきた有期雇用職員Aさん(兵庫学習センター事務職)が、無期転換申込権が行使可能となる直前に雇止めを受けた事件である。
2013年(平成25年)、放送大学は、改正労働契約法18条の適用を免れるため、理事会決定によって、時間雇用職員用の通算雇用期間の上限を5年とした。それと同時に、放送大学は、Aさんら有期雇用職員に対して、通算雇用期間の上限の設定が単なる「雇用ルールの明確化」や「決定事項」であると(虚偽の)断定をした一方的な書面で、承諾書の提出を求めた。Aさんは、当初提出を拒否したが、兵庫学習センターの事務長は執拗に提出を強要したのでそれに耐えきれず、承諾書を提出した。ただし、Aさんはその後、撤回等の意思表示をして承諾書の返還を求め、放送大学は承諾書原本をAさんに返還している。
Aさんは、2018年(平成30年)になって雇用契約更新を申し込んだが、放送大学は、雇用契約の更新拒絶(雇止め)を通知した。なお、その後Aさんは無期転換申込書も放送大学に通知している。
本件の最大の争点は、雇止めルール(労働契約法19条)が適用されるか、である。具体的には、
(1) 放送大学が更新上限規定を設けたことは、労働契約法の無期転換制度を潜脱する違法なものか
(2) 放送大学が更新上限規定を設けて、Aさんからその承諾書も入手したことによって、雇止めルールが適用されなくなるか
である。
(1) 無期転換ルール(労働契約法18条)対策として不更新条項・更新上限規定が設けられたこと
神戸地裁は、更新上限規定を導入したのは、労働契約法18条により有期雇用職員が無期雇用に転換することを防ぐ目的であったことは認定した。
そうであれば、脱法目的であり、更新上限規定の導入は公序良俗違反と判断されるのが当然であろう。
しかし、神戸地裁は、「使用者は、従事させる業務内容等に応じて、従業員の雇用形態を選択することができるのであるから、特段の事情がない限り、導入目的から直ちに更新上限規定のような規定の効力が否定されることにはならない」と述べたうえで、更新上限規定の導入が労働者にとって不意打ちだったとはいえないし、恣意的に運用されているとはいえず、むしろ同規定には経営上の合理的な理由があるといえる、と述べて、使用者の都合で更新上限規定を導入することを広く容認した。
神戸地裁判決の問題点は、事実認定のレベルでは、契約更新前の時期に突然はんこを押してくれといって更新上限規定に承諾させようとした点を「不意打ち」でないと強弁し、全員雇止めしたから恣意的運用ではないと詭弁を述べ、Aさんらの後任を採用しているにもかかわらず経営上の合理的理由があると述べるなど、大きな問題がある。
しかし、より問題点なのは、裁判官のスタンス・評価である。労働法学者は、前記のとおり、無期転換制度が有期雇用労働者の雇用安定にはつながらず早期の雇止めを誘発することを危惧する立場から、更新上限規定を脱法的に導入することに批判的であった。たとえば、菅野和夫東京大学名誉教授は「5年到来の直前に、有期契約労働者を使用する経営理念を示さないまま、次期更新時で雇止めする旨の予告(更新限度の設定)をすることは、それによる雇止めが雇止め制限規定(19条)によって無効とされうるのみならず、無期転換阻止のみを狙ったものとして18条の脱法行為とされうると考えられる」と述べている(菅野和夫「労働法(第11版補正版)」p316)。このような労働法学説に対比すると、神戸地裁判決は、無期転換回避のための使用者のやり方を安易に容認するものであり、立法過程の検討不足、労働者保護の観点の欠落などを露呈している。
(2) 承諾書の入手と労働者の真意の追究
本件ではAさんは、当面の更新拒絶をおそれて、更新上限規定について承諾書を提出している。
このことをどう評価するかも、裁判官のスタンスとして重大である。
一般的に、不更新条項・更新上限規定については、労働法学者および裁判例は、労働者の真意に基づく同意があるかその追究が大事だとする。例えば、荒木尚志東京大学・大学院教授も、著名な山梨県信用組合事件最高裁判決に触れながら、「(更新の)期待利益を放棄する合意の効力を形式的な受入れの行為の存在から直ちに肯定するのではなく、当該行為が労働者の自由な意思に基づいてされたものと認めるに足りる合理的な理由が客観的に存在するか否かという観点を踏まえた合意の効力問題として検討すべきであろう。その際には、更新限度条項を受諾しなければ雇用関係が終了するという状況下での受諾という点も十分に考慮されるべきである」とされる(荒木尚志「労働法第3版」p506)。山梨信組事件最高裁判決(最判平成28年2月19日)の調査官解説によれば、「労働者は、労働契約の性質上当然に、使用者に使用されてその指揮命令に服すべき立場に置かれている上、自らの意思決定の基礎となる情報を収集する能力も限られている。そのため、賃金や退職金といった重要な労働条件を自らの不利益に変更する場合であっても、使用者から求められれば、その変更を受け入れる旨の行為(同意書に署名押印をするなど)をせざるを得なくなるような状況に置かれることも少なくない。このような労働契約関係に特有の労働者の立場(労働者の従属性)に鑑みると、同意書への署名押印をするなど当該変更を受け入れる旨の労働者の行為があるとしても、これをもって直ちに労働者の同意があったものと認めることは相当でなく、当該変更に対する労働者の同意の有無についての判断は慎重にされるべきものと解される。」としたうえで、「労働者の同意の有無につき判断する際に、具体的にどのような要素を考慮すべきかについて、①当該変更により労働者にもたらされる不利益の内容及び程度、②当該変更を受け入れる旨の労働者の行為(本件では、本件同意書への署名押印がこれに当たる。)がされるに至った経緯及びその態様、③当該行為に先立つ労働者への情報提供又は説明の内容等」が重要であると指摘される。
ところが神戸地裁判決は、「承諾書を一定の考慮期間を経て提出していることを踏まえると、承諾書は原告の自由な意思に基づくものといえる」と簡潔に判断して、承諾書の効力を有効としている。この判決には、労働者の真意に基づく承諾があるかという検討が極めて不十分であり、「署名した以上は労働者が悪い」という自己責任論に毒された皮相な思考停止である。
(3) 論点の立て方
これは(2)とも関連するかもしれないが、更新上限規定の法的な位置づけは、裁判例や労働法学者は、雇用継続の合理的な期待の判断要素の1つであるとする。神戸地裁の前任の裁判官もそのように位置づけていた。
ところが、神戸地裁判決では、承諾書→更新上限規定は契約の内容であるというように短絡的に結論づけている。ここにも、自己責任論の影が見え隠れする。
以上のとおり、神戸地裁判決は、一言でいえば、形式主義的な判決であり、労使関係という不平等な権力関係に対する考察がない。
無期転換制度を免れるための脱法行為を乗り越える取り組みは極めて重要である。
このページのトップへ労働基準法26条(休業手当)と民法536条2項(危険負担)が問題になります。
・労働基準法26条(休業手当)
使用者の責に帰すべき事由による休業の場合においては、使用者は、休業期間中当該労働者に、その平均賃金の100の60以上の手当を支払わなければならない。
・民法536条2項(危険負担)
債権者の責めに帰すべき事由によって債務を履行することができなくなったときは、債権者は、反対給付の履行を拒むことができない。
休業の責任が使用者にあるときは、一方で60%以上の休業手当を支払え、と言い、他方では全額払わなければならないと述べています。一見すると、不思議に思います。
この2つの条文の関係について最高裁は、
・休業の原因が民法536条2項の帰責事由に該当する場合は、両方の権利は両立する。
・休業手当の「使用者の責に帰すべき事由」は、民法536条2項よりも広く、使用者側に起因する経営、管理上の障害を含む。
と判断しています。(最判S62.7.17ノースウエスト航空事件)
したがって、コロナウイルスのように経営上の問題があって休業した場合は、休業手当(60%)を支払えばよいが、さらに進んで使用者が違法なことをして休業せざるを得なくなったような場合は民法536条2項によって賃金全額を支払わなくてはならないことになります。
ところで、休業手当は、労働基準法に定められている。
労働基準法は労働者を保護するための強行法規なので、使用者は休業手当の支払を拒否することはできない。もし支払わなければ、使用者は付加金や罰金なども払わなければならなくなるのです。
大事な規定です。
他方、民法536条2項は、民法なので、任意規定です。労働契約や就業規則によって、排除可能です。
そのため、休業の場合は、帰責事由にかかわらず一切賃金を支払わないという規定を設けていた場合は、使用者の責任がある場合でも賃金全額を支払う必要はなく、60%の休業手当を支払えば免責されることになります。
そして、そのように経営指導している弁護士や社会保険労務士がたくさんいるようです。
しかし、このように民法536条2項を排除するような就業規則が決められている場合、裁判所はどう判断しているのでしょうか?
東京地方裁判所平成31年1月23日判決(アディーレ法律事務所事件)
これは法律事務所が違法な行為をして業務停止になり、その間、自宅待機した勤務弁護士に対して休業手当しか支払わなかったという事件です。
この法律事務所は、就業規則で「自宅待機等の期間は、労基法第26条の休業手当を支払うものとする。」と定めていて、これが民法536条2項を排除している、と主張したようです。
しかし、裁判所は、この法律事務所の就業規則では、「使用者の帰責事由による履行不能の場合に民法536条2項の適用を排除する旨合意することが一般的であるとはいえないことや、本件就業規則上も民法536条2項の適用を排除する旨明記されていないことに照らすと、上記就業規則の規定が、使用者の帰責事由により労働者が自宅待機となった場合に休業手当を超える部分を支給しないという趣旨までを含むものとは解されない」と判断して、賃金全額の支払いを命じました。
脱法行為に対する抑止をそろそろ考えなければなりません。
参考-----
【出典】判例秘書L07430160・労経速2382-28
【要約】弁護士法人である被控訴人の従業員であった控訴人が、自宅待機命令(被控訴人が業務停止処分を受けたため控訴人の行なわせる業務がなくなったことを理由)は、被控訴人の帰責事由による労務提供の不能とし、民法536条2項に基づき未払賃金の一部の請求をし、原審が請求の全部を棄却したのに対し控訴した事案。控訴審は、被控訴人は、業務停止処分の原因となった本件広告掲載行為による本件履行不能の招来は容易に予見可能であったとし、被控訴人の民法536条2項の帰責事由を認め、被控訴人の信義則違反等の主張を退けて、原判決を変更し、請求のほぼ全部を認容した事例。
主 文
1 原判決を次のとおり変更する。
2 被控訴人は、控訴人に対し、54万2048円及びうち54万0701円に対する平成30年1月26日から支払済みまで年14.6パーセントの割合による金員を支払え。
3 控訴人のその余の請求を棄却する。
4 訴訟費用は第1、2審とも被控訴人の負担とする。
5 この判決は、第2項に限り、仮に執行することができる。
事実及び理由
第1 控訴の趣旨
1 原判決を取り消す。
2 被控訴人は、控訴人に対し、54万2318円及びうち54万0701円に対する平成30年1月26日から支払済みまで年14.6パーセントの割合による金員を支払え。
第2 事案の概要等
本件は、弁護士法人である被控訴人の従業員であった控訴人が、被控訴人から、被控訴人が業務停止処分を受けたため控訴人に行わせるべき業務がなくなったことを理由として、平成29年11月3日から同年12月10日までの自宅待機命令を受け、その間、労働基準法(以下「労基法」という。)26条所定の休業手当相当額のみの支払を受けたところ、その間の労務提供が不能となったことは被控訴人の責めに帰すべき事由によるものであるから、控訴人は民法536条2項により被控訴人に対するその間の賃金請求権を失わない旨主張して、被控訴人に対し、賃金請求権に基づき、未払賃金の一部である54万0701円並びにうち31万7421円に対する平成29年12月26日から平成30年1月25日まで商事法定利率年6分の割合による遅延損害金1617円及びうち54万0701円に対する控訴人の退職後である同月26日から支払済みまで民法及び賃金の支払の確保等に関する法律(以下「賃確法」という。)所定の年14.6パーセントの割合による遅延損害金の支払を求めた事案である。
原審は、控訴人の請求を全部棄却したところ、控訴人は、原判決全部の取消しを求めて控訴を提起した。
1 前提事実(当事者間に争いがないか、後掲各証拠〔証拠に枝番がある場合、特に枝番を掲記しないときは、全ての枝番を含む。〕により容易に認定できる事実。証拠等の掲記がない事実は当事者間に争いがない。)
(1) 当事者
ア 被控訴人は、東京弁護士会に所属する弁護士法人である。被控訴人には、後記の本件業務停止処分時において、合計86か所の本店及び支店があり、186名の弁護士が所属しており、約10万人の顧客がいた(甲17)。
イ 控訴人は、弁護士であり、後記(2)のとおり、平成25年1月3日から平成30年1月24日まで、被控訴人との間で雇用契約関係にあった。
(2) 控訴人と被控訴人との雇用契約
ア 控訴人は、平成25年1月3日、被控訴人との間で労働契約を締結し、平成29年4月1日、従前の労働条件を変更するため被控訴人との間で改めて雇用契約書を取り交わし(甲1。以下、これによる変更後の労働契約を「本件雇用契約」という。)、平成30年1月24日、被控訴人を退職した。
本件雇用契約においては、毎月の賃金として、基本給53万4000円、職務手当15万7667円、会費手当3万4634円(以下「基本給等」という。)及び特別手当を支払うものとされ、これらの締日及び支払日はいずれも月末締め翌月25日払とされた(甲1、4の1及び2)。
イ 被控訴人の就業規則(以下「本件就業規則」という。)84条には、「経営上又は業務上必要がある場合には、事務所は従業員に対し自宅待機又は一時帰休(以下「自宅待機等」という。)を命ずることがある。また、自宅待機等の期間は、労働基準法第26条の休業手当を支払うものとする。」との定めがある(乙3)。
(3) 被控訴人に対する業務停止処分
ア 被控訴人は、次の(ア)から(ウ)までのとおり、平成22年10月6日から平成27年8月12日まで、被控訴人のウェブサイトに広告を掲載していた(以下、次の(ア)から(ウ)までの広告を「本件広告」と総称し、上記期間を「本件広告期間」と、本件広告を掲載する行為を「本件広告掲載行為」という。)。被控訴人は、本件広告期間中、本件広告の対象期間等を約1か月ごとに合計58回にわたって更新した(甲17、20)。
(ア) 平成22年10月6日から平成25年7月31日まで
約1か月間の期間限定で、いわゆる過払金返還請求の着手金が無償又は値引きとなる旨の広告(以下「本件広告①」という。)
(イ) 平成25年8月1日から平成26年11月3日まで
本件広告①に、約1か月間の期間限定で、借入金の返済中はいわゆる過払金の有無の調査が無料になる旨を加えた広告(以下「本件広告②」という。)
(ウ) 平成26年11月4日から平成27年8月12日まで
本件広告②に、約1か月間の期間限定で、契約から90日以内に契約の解除を申し込んだ場合に着手金を全額返還する旨を加えた広告
イ 被控訴人は、平成29年10月11日、所属する東京弁護士会から、本件広告掲載行為が、平成26年11月法律第118号による改正前の不当景品類及び不当表示防止法(以下「景表法」という。)4条1項2号に違反し、弁護士等の業務広告に関する規程3条、弁護士職務基本規程69条により準用される同規程9条及び東京弁護士会の弁護士法人会員基本会規22条1項1号に抵触し、弁護士法56条1項に定める弁護士法人としての品位を失うべき非行に該当するとして、同日から同年12月10日まで2か月間の業務停止処分(以下「本件業務停止処分」という。)を受けた(甲3)。
(4) 控訴人に対する自宅待機命令等
ア 被控訴人は、本件業務停止処分を受けたことにより、同処分の直後に行うべき若干の業務を除き、控訴人を含む所属弁護士に行わせるべき業務がなくなったため、平成29年10月15日、控訴人を含む所属弁護士に対して自宅待機命令を発する予定である旨告知し、同月31日、控訴人に対し、翌日又は翌々日を最終出勤日として自宅待機命令を発する旨のメールを送信したところ、これに対し、控訴人は、同日「承知しました。」と返信した(乙1)。
被控訴人は、同年11月2日、控訴人に対し、同月3日から同年12月10日までの自宅待機命令を発した(甲2、乙2。以下、同命令を「本件自宅待機命令」といい、その待機期間である同年11月3日から同年12月10日までを「本件自宅待機期間」といい、控訴人が同期間に本件雇用契約に基づく債務を履行することができなくなったことを「本件履行不能」という。)。
イ 控訴人の平成29年11月分の特別手当の額は26万0064円であり、基本給等との合計額は98万6365円であった。また、控訴人の同年12月分の特別手当の額は8万6688円であり、基本給等との合計額は81万2989円であった。
被控訴人は、本件自宅待機期間中は労基法26条所定の休業手当相当額の範囲内に限り賃金を支払えば足りるとの見解に基づき、控訴人に対し、平成29年12月25日、同年11月分の賃金として、98万6365円から65万3670円を減額した上で社会保険料等を控除した19万2963円を支払い、平成30年1月25日、平成29年12月分の賃金として、81万2989円から21万7890円を減額した上で社会保険料等を控除した46万9117円を支払った(甲4)。
(5) 控訴人による相殺の意思表示
被控訴人は、控訴人に対し、個人受任経費名目の33万0859円の請求権を有していたところ、控訴人は、平成30年1月24日、被控訴人に対し、平成29年11月分の未払賃金請求権と上記33万0859円の請求権とを対当額において相殺する旨の意思表示をした(弁論の全趣旨)。
2 争点及びこれに対する当事者の主張
第3 当裁判所の判断
1 認定事実
(略)
2 争点1(本件履行不能が被控訴人の責めに帰すべき事由によるものか否か)について
(1)ア 前提事実 (3)イ及び (4)アに照らすと、被控訴人は、本件広告掲載行為を行ったものであるところ、これが景表法4条1項2号に違反する(本件違反)として本件業務停止処分を受け、1か月を超える業務停止処分を受けた場合に全ての受任事件に係る委任契約の解除を義務付ける弁護士法人措置基準(前提事実(6)ウ)によって全ての受任事件に係る委任契約の解除を余儀なくされたため、控訴人に行わせるべき業務がなくなり、そのことを理由に本件自宅待機命令を発し、これにより控訴人の被控訴人における就労が不能(本件履行不能)となったことは明らかである。
イ この点について、被控訴人は、本件広告掲載行為により本件履行不能となったことについて、被控訴人に民法536条2項所定の帰責事由があるとはいえないなどと主張するので、以下、検討する。
(ア) そもそも、弁護士は、法令及び法律事務に精通しなければならないとされ(弁護士法2条)、当事者その他関係人の依頼等によって法律事務を行うことをその職務とするものである上(同法3条1項)、弁護士及び弁護士が組織する弁護士法人は、同法又は所属弁護士会等の会則に違反したり、所属弁護士会の秩序又は信用を害し、その他職務の内外を問わずその品位を失うべき非行があった場合には、所属弁護士会等による懲戒を受けるとされているのであるから(同法56条1項)、弁護士法人については、当該弁護士法人所属の弁護士が当該弁護士法人の業務として故意又は過失により法令違反行為を行った場合には、それが当該弁護士法人において全く知り得ない態様で行われるなどの特段の事情のない限り、かかる法令違反行為を理由として懲戒を受けることについても予見可能性があると認めるのが相当である。そして、かかる懲戒として同法57条2項各号所定のいずれの処分が選択されるかなどの処分量定については、所属弁護士会等の裁量に委ねられるものではあるが、上記のような弁護士の職務ないし立場に照らすと、合理的な理由のない限り、量定のとおりの処分となることにつき予見可能性があることも否定できないというべきである。
(イ) 以上の点を踏まえて本件についてみるに、前提事実(3)アのとおり、本件広告は、約1か月間の期間限定で過払金返還請求権の着手金を値引きすることなどを約4年10月間にわたり継続的に広告し、その対象期間等を58回にわたり更新していたものであり、本件広告は、実際にはその対象期間中でなくとも得ることができる経済的利益を同期間に限り得られると一般消費者に誤認させる可能性が高いものであって、明らかに景表法4条1項2号所定の禁止行為に該当する行為である。しかるところ、認定事実(3)のとおり、被控訴人の代表社員であったA弁護士が、本件広告について「ずっと続く閉店セールのような広告」であり、それが景表法違反となることを理解していた旨述べていたことなどに照らすと、被控訴人が本件広告掲載行為の違法性を認識していたことは明らかであり、かかる違法行為を理由として所属弁護士会の懲戒を受ける事態となることについても、十分に予見可能であったと認められる。
そして、前提事実(1)ア及び(3)アのとおり、被控訴人は、本件業務停止処分の時点で、全国に合計86か所の支店等を有し約10万人の顧客を擁する大規模な弁護士法人であって、被控訴人による本件広告掲載行為の社会的影響が大きいこと、本件広告はいわゆる消費者金融を利用する一般消費者を主な対象とするものであって、一般消費者の利益保護という景表法の目的を損なうおそれの強いものであること、前記のとおり、被控訴人が自らの行為の違法性を認識しつつ本件広告掲載行為を行い、本件広告の更新回数や継続期間等に照らしその態様も悪質といえることなどに照らすと、被控訴人は、本件違反を理由として本件業務停止処分を含む相当重い懲戒処分を受ける可能性があることを容易に予見可能であったと認めるのが相当であって、少なくとも、自らの行為の違法性を認識しつつ、自らが受ける懲戒の内容について、(前記(1)のとおり弁護士法人措置基準により全ての受任事件に係る委任契約の解除を義務付けられる)1か月を超える期間の業務停止処分を上回るものではないと信じる合理的理由があることを裏付ける的確な証拠はない。この点に関し、A弁護士は、認定事実(3)のとおり、本件違反に対しては戒告処分か最悪でも1か月の業務停止処分であろうと思っていた旨述べているが、かかる処分量定の予測について格別の具体的根拠を挙げているものではないし、とりわけ、業務停止処分の可能性を認識しながら、それが1か月にとどまると信じた点については合理的理由があると認められないものであるから、仮にA弁護士が本件広告掲載行為を上記の程度のものと評価していたとしても、これを重視することは相当でない。
ウ 以上のとおり、被控訴人は、本件広告掲載行為により本件履行不能を招来することを少なくとも容易に認識又は予見可能であったにもかかわらず、あえて本件広告掲載行為に及んで本件履行不能を招来したものと認められ、少なくとも過失により本件履行不能を招来したというべきであるから、本件履行不能は、被控訴人の民法536条2項の帰責事由によるものであると認められる。
(2)ア 以上に対し、被控訴人は、債権者である使用者に民法536条2項の帰責事由が認められるのは、労働者の労務提供が履行不能となったこと自体について使用者に違法行為や義務違反等がある場合、すなわち、使用者が違法行為により労務提供を妨げた場合や、労務提供に協力すべき義務を負っていたのにこれを怠った場合等に限られるのであって、本件業務停止処分の理由となった懲戒事由自体について被控訴人に帰責性があることをもって直ちに民法536条2項の帰責事由があることにはならない旨主張する。しかしながら、同条同項は、公平の見地から、履行不能が債権者の帰責事由による場合には債務者の反対給付請求権は消滅しないとするものであり、同項にいう債権者の帰責事由を被控訴人の主張するように狭く限定して解すべき根拠はなく、被控訴人の上記主張を採用することはできない。
また、被控訴人は、本件業務停止処分は、外部機関である東京弁護士会の裁量的判断によるものであり、被控訴人において回避可能性がないなどとして、民法536条2項の帰責事由に当たらない旨主張する。しかしながら、被控訴人が本件広告掲載行為に及ばなければ本件業務停止処分を受けることはなかったものであり、被控訴人において本件業務停止処分を回避し得なかったなどとはいえない。
被控訴人は、昭和62年最判を引用して、被控訴人に帰責事由は認められない旨も主張する。しかし、昭和62年最判は、ストライキによる就労不能が問題となった事案において、就労不能となったことを一般に使用者に帰責することはできないなどとするものであって、自らの違法行為を原因ないし起点とする本件とは事案を異にするというべきであるから、これを本件に引用するのは適切でない。
結局、以上のとおりであるから、被控訴人の前記各主張によっても、前記判断は何も左右されるものではない。
イ また、被控訴人は、被控訴人の帰責事由と本件履行不能との間に因果関係がない旨主張し、その根拠として、控訴人が本件自宅待機命令を異議なく承諾し、本件自宅待機期間中に就労することを求めなかったことからすれば、本件自宅待機期間中、控訴人には就労意思がなかったというべきである旨主張する。
しかしながら、前提事実(4)アのとおり、控訴人は、平成29年10月31日、被控訴人から翌日又は翌々日を最終出勤日として自宅待機命令を発する旨のメールを受信し、これに対し「承知しました。」と返信したにとどまるのであって、そのことから控訴人が本件自宅待機期間中の就労意思を喪失したなどとは認めるに足りない。
被控訴人は、本件自宅待機命令は控訴人による労務提供の受領を拒絶する意思を明確に表明するものではないとも主張するが、本件自宅待機命令の内容に照らすと、被控訴人において、控訴人の労務提供を受領することはおよそ予定されていないといわざるを得ず、当該労務提供の受領を拒絶する意思を表明したものであることは明らかというべきである。
したがって、これら被控訴人の主張によっても、前記判断は何ら左右されるものでない。
ウ そして、被控訴人のその他の主張をみても、前記判断を左右するに足りるものではない。
3 争点2(控訴人の請求に係る信義則違反の有無)について
被控訴人は、控訴人において本件自宅待機期間中の賃金が労基法26条所定の休業手当のみであることを認識した上で本件自宅待機命令を受け入れ、同期間中の労務からの解放の利益を享受したなどとして、控訴人が労務を提供した場合と同額の賃金請求をすることは、信義則に反するもので許されない旨主張する。
しかしながら、控訴人は、被控訴人の上記主張事実を争うところ、前記控訴人の被控訴人に対する「承知しました。」との返信も、本件自宅待機命令の単なる応諾にすぎず、他に控訴人が休業手当を超える賃金請求権を放棄したことをうかがわせる事情も認められないから、控訴人の本件賃金請求が信義則に反すると認める余地はない。
なお、前提事実(2)イのとおり、本件就業規則84条は、自宅待機期間中の賃金について、「自宅待機等の期間は、労基法第26条の休業手当を支払うものとする。」と定めているが、使用者の帰責事由による履行不能の場合に民法536条2項の適用を排除する旨合意することが一般的であるとはいえないことや、本件就業規則上も民法536条2項の適用を排除する旨明記されていないことに照らすと、上記就業規則の規定が、被控訴人の帰責事由により労働者が自宅待機となった場合に休業手当を超える部分を支給しないという趣旨までを含むものとは解されないから、同就業規則の規定が前判示に影響を及ぼすものではない。
4 未払賃金等の額について
(略)
第4 結論
以上のとおり、控訴人の請求は主文第2項掲記の限度で理由があるからこの限度で認容し、その余は理由がないから棄却すべきところ、これと異なり、控訴人の請求を全部棄却した原判決は不当であり、本件控訴は、一部理由があるから、原判決を上記のとおり変更することとして、主文のとおり判決する。
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