ゴンチャロフ事件が5年の歳月を経てようやく和解へと至りました。会社がパワハラと長時間労働を認め、社長が仏前で謝罪しました。そこに至るまでの闘いをご紹介いたします。
2 通勤中の自死2016年6月24日、ゴンチャロフ東灘工場に勤務していた前田颯人君が通勤途中に摂津本山駅ホームから快速電車へ飛び込み、自死しました。享年20歳でした。
3 不明の死颯人君は、遺書を残してはおらず、日記もつけてはいませんでした。交際相手もおらず、頻繁にメールやラインで自分の気持ちを打ち明けるほどの友人もいませんでした。また病院への通院歴もなく、カルテなども残されていませんでした。颯人君が何に悩んで自死に至ったのかを推し量るための資料はまったく残されていませんでした。
4 母への相談ただ颯人君は、母親の和美さんと仲が良く、入社当初から上司のパワハラにずっと悩んでいることを相談していました。和美さんは退職することを勧めましたが、颯人君は「辞めるって言ったわ。けど辞められへんねん」と言って、和美さんに苛立ちをぶつけていました。
5 社内調査の要求和美さんは他に自死する理由は思い当たらなかったため、職場でのパワハラが原因ではないかと考え、ゴンチャロフによる社内調査を求めました。
しかしながら、ゴンチャロフは和美さんに「調査したが自死の原因となるような事実はなかった」と口頭で説明しただけでした。
6 弁護士への依頼本上弁護士と私が受任したのはこの段階でした。和美さんからは、資料は何もないが、同じ現場で働いていた方々が多く退職しており、協力してくれるはずだとのことでした。和美さんは葬儀に参列してくれた元同僚たちに声をかけてラインなどで繋がり、関係を作ってくれていたのでした。
7 メールとタイムカードほかにも、和美さんは颯人君が亡くなる約半年前に友達へ送ったメールで「鬱かもしれん」と書いてあるものや颯人君の2年分のタイムカードを会社から入手されていました。
8 聞き取り私たちは、ひとまず職場の元同僚や派遣社員で颯人君と一緒の職場で働いていた人たちの話を聞いていくことにしました。
私たちは、2016年11月から2017年の4月にかけて、同じ職場で働いていた同期社員1名、先輩社員3名、パート社員2名、派遣社員3名及び友人1名の計10名から事情を聞き、聴取書を作成しました。このうち4名は聞き取り時点ではゴンチャロフの現役社員でしたが、実名で協力してくれました。
9 パワハラの実態颯人君が受けていたパワハラがいかに酷いものであったのか、同僚らの話を聞けば聞くほどはっきりしてきました。
入社当初から差別が始まり、颯人君が挨拶しても挨拶を返さないであるとか、颯人君には決して話しかけないなどのほか、同じミスをしても、颯人君だけが厳しく叱責されるという状況にあったことが分かりました。上司が叱責する声はフロア中に響き渡るほどの大声でした。
10 繁忙期のパワハラとくに、颯人君が製造ラインの責任者に就任して以降の2015年10月から数か月間は、とくに激しい叱責が繰り返されていたことがわかりました。ゴンチャロフは、年明けのバレンタイン商戦に向けた11月、12月が繁忙期で、このころに最も厳しい叱責がなされていたのでした。
11 当時の労災基準ただ当時の労災認定基準では、激しい叱責の繰り返しだけでは労災認定にはなりませんでした。「部下に対する上司の言動が、業務指導の範囲を逸脱しており、その中に人格や人間性を否定するような言動が含まれ、かつ、これが執拗に行われた」という場合に労災認定となりました。
12 高いハードルそこで、私たちは颯人君の同僚たちから具体的に上司が颯人君にどんな言葉をぶつけていたのかを繰り返し聞きました。
でも、なかなか具体的な発言内容、言葉までは出てきませんでした。ラインの仕事をこなしながら、他人が怒鳴られているときに、その内容まで記憶にとどめておくことはなかなか容易なことではないようでした。
13 牛の餌発言ただ、その上司は颯人君へ「お前、また牛の餌作っとったんか」と言った発言を繰り返していたとの証言が、複数の元同僚から得られました。商品化されなかったチョコレートは六甲牧場の牛の餌になる運用であったことから(但し、すでにその運用は当時終了していたことが後に判明)、颯人君の仕事をバカにする意味で上司がいつも使うフレーズでした。また、颯人君のことを「ボンボン」と言ってバカにしていた発言なども入手きました。ただ、これで「執拗な人格攻撃」とまで言えるかどうかは微妙でした。
14 早出残業当初私たちは、颯人君が労災認定に届くほどの長時間労働があるとまでは思っていませんでした。が、タイムカードで労働時間を入力してみると、かなりの残業があることがわかりました。朝は8時半が定時でしたが、定時より1時間以上早く出勤することが常態化しており、颯人君が朝8時に出勤しても、その上司から「社長出勤」などと揶揄されていたのでした。
15 具体的残業時間また、厳しいノルマが課せられており、目標個数に到達しなければ居残りでの残業も毎日にようにありました。ロスが出た場合には、休日に出勤して、ロスしたものの穴埋めのためにラインを動かすといったことも行われていました。集計の結果、颯人君は、2015年10月以降の繁忙期は87時間から109時間の残業をこなしていたことがわかりました。
16 うつ病の発症そして、その年の12月20日、友人に「鬱かもしれん」とメールを送っていたのでした。このころには、食欲もなくなり、出かけることもめっきり少なくなっていました。
17 労災請求そこで、私たちは上司からのいじめと長時間労働との二本立てで2015年12月ころ業務によるうつ病エピソード(WHO診断基準の病名)を発症した、その約半年後に自死に至ったとして、2017年9月27日、西宮労基署へ労災請求しました。証拠としてはタイムカードなどのほか、元同僚や友人からの聴取書を計8通及び「鬱かもしれん」と記されたメール記録などを提出しました。
18 マスコミ報道一般的に過労死事件の報道は、労災認定がなされて初めて報道ベースに乗ります。未だ労災請求中の段階であれば、後に労災が認められなかった場合に会社に対する名誉棄損の問題が生じるからです。
19 報道の過熱しかし本件では、労災請求から間もない時期に新聞、テレビなど各社が競って報道してくれました。事案の深刻さをわかってもらえたからだと思います。まず2017年11月6日に、神戸新聞が朝刊で和美さんが颯人君の遺影を抱える写真とともに大きく報道してくれました。ただ最初の神戸新聞の記事では、ゴンチャロフの名前は伏せられ、勤務先はある製菓会社となっていました。ところが各局が同日中にも後追い報道を始めてくれ、夕方のテレビのニュースではゴンチャロフの本社や工場が写し出されていました。
20 VOICEの特集さらにMBS(毎日放送)は和美さんに密着取材をしてくれました。事務所での打ち合わせ、支援集会、街頭での訴え、どこでもテレビカメラを連れてディレクターが来てくれていました。そして夕方のニュース「VOICE」で10分の尺で特集を組んで流してくれました。颯人君の同期の社員が、モザイクをかけたうえで、上司による差別的なパワハラがあったのに自分は何もできなかったと涙ながらに話すといった場面の映像も流してくれました。
21 支援団体の結成支援の会も立ち上がりました。現場となったゴンチャロフ東灘工場の最寄り駅であったJR六甲道駅で、毎週日曜日の午後署名活動を続けてくれました。当時は報道ですでにたくさんの方が和美さんのことを知るところとなっており、たくさんの方が和美さんを発見して立ち止まり、署名をするとともに激励もしてもくれました。いろんな団体からも呼んでいただき、私と和美さんで支援を訴えに行きました。
22 協力者の登場ゴンチャロフで派遣社員として働いていた女性が報道をみて名乗りでてくれました。ゴンチャロフがパワハラの事実を否定していることを知り、それはおかしいと神戸新聞へ連絡してきてくれたのでした。彼女は、当時のパワハラのことをよく覚えていてくれて、問題の上司が、颯人君がロスを出したとき、どれだけの損失を出したのかを電卓で金額を見積もり、それを顔の目の前20センチまで近づけて怒鳴ったという具体的な出来事を供述してくれ、私たちで調書を作成し、労基署に提出しました。
23 客観証拠の発見また、別の派遣社員がビラ配りの際に和美さんに声をかけてくれました。彼女もまた、颯人君のラインで働いていた女性でした。あまりにひどいパワハラで、彼女の手帳に、「一日中〇〇がどなってて、ぐったりでした」と記してくれていました(〇〇には上司の役職名)。日付は2015年11月21日となっていました。初めてのパワハラの客観証拠でした。彼女からの聴取書とともに手帳の写しを労基署へ提出しました。
24 労基署との面談私は、和美さんと月に1回のペースで労基署へ通っていました。集まった署名を届けるというのが理由でしたが、その機会に、現在手続きはどんな段階にあるのか、何が問題になっているのか、会社はどんなことを言っているのかなど、いろいろ担当者と話をしました。認定に至るまでに計7回面会しました。
25 MBSの労基署取材私たちは、この機会にMBSのカメラを労基署へ入れようと考えました。労基署へ申し入れると、予想通り回答はNOでした。が、約束の日時にはカメラと記者に労基署まで来てもらったうえで、「記者が来てしまった。このまま返すわけにはいかない。どうしても取材させてほしい」と粘りました。すると労基署と和美さんとの面談が始まる前だったら良いということでOKが出ました。
労基署へカメラを入れそこだけ取材させてもらいました。そして、カメラを労基署前で待機してもらい、労基署との面談終了後、和美さんにその日どんなやり取りがあったのかをカメラの前でしゃべってもらいました。これを毎回やりました。
26 SNSでの炎上私はSNSをやらないので直接的には知らないのですが、当時パワハラを認めないゴンチャロフを非難する言動でSNS上はあふれていたそうで、パワハラしていた上司もいわゆる炎上していたそうです。たしかに当時Googleで「ゴンチャロフ」と入力したら、「ゴンチャロフパワハラ」と一番目に出るといった状況でした。
27 補充証拠の提出私たちは、労災請求から半年後の3月~4月ごろには結果が出るものと思っていましたが、なかなか結果はでませんでした。颯人君がパワハラを受けて発症したと考えられる時期から亡くなるまでの約半年間の経過がひっかかっているということでした。そこで亡くなる直前に颯人君が話した従弟の奥さんから聞き取りした聴取書なども追加で提出しました。
28 労災認定そうして、2018年6月22日、労災認定がおりました。残業はほぼ私たちが請求した通りの認定となりました。パワハラについては、「いじめ嫌がらせ」とまでは認定されず、「上司とのトラブルがあった」との認定になりました。が、「ミス等により上司から頻繁に強い注意指導を受けていた」とは認定してくれました。トラブルがあった日として、唯一の客観証拠で出た2015年11月21日の日付が入っていました。こうした事実は、通常では心理的負荷は労災認定に至らない「中」の分類なのですが、その1か月前の残業が100時間を超えていたために、あわせて「強」と評価され労災認定となったのでした。
29 記者発表とゴンチャロフのコメント私たちは2018年7月5日、労災認定を発表する記者会見を開きました。これに対しゴンチャロフは同日、「指摘されたような過重労働やパワーハラスメントがあったという認識はない」とコメントしました。
30 示談交渉申し入れゴンチャロフは、すぐに動き、同月12日労災請求段階で委任していた代理人を解任し、あらたな弁護士名で示談交渉の申し入れをしてきました。
31 ゴンチャロフの提案私たちは、会社の対応をみてから交渉を進めるか否かを決めることとし、ゴンチャロフ代理人と面談してみると、代理人は第三者委員会の立ち上げ、事実を調査してもらってはどうかと提案してきました。
32 社内調査資料の開示要求私たちは当初、第三者委員会による調査は、まずメンバーの選定をどうするのかも問題だし、基本的に代理人が手続きに関与できないため、いかなる判断となるか予測がつかず、リスクが大きすぎるとして消極意見でした。それよりも、和美さんが事故直後に会社に求め、実施されたと聞いている社内調査の結果を開示するのが先ではないかと代理人へ資料の開示を求めました。
33 社内調査資料の開示すると代理人は2回にわたって実施された会社調査の記録を開示してきました。
34 1回目の社内調査1回目の調査は、事故直後に行われていました。同じ職場で働いていた同僚、パート社員ら18名を対象として、執行役員や人事課長らが颯人君の自死の理由について思い当たることを聞き取りしたものでした。録音はされていませんでしたが、人事係長のメモが残っていました。メモには、問題の上司の名前が出てきていました。そこには「〇〇くん(問題の上司の苗字)に怒鳴られる」であると言った記載や「牛のえさづくり」と言った記載がありました。しかし最終の報告書では、「上司から頻繁に注意を受けていた」、「集中攻撃的な注意の受け方だった」などと表現に修正が加えられていました。
35 2回目の社内調査また、2回目の調査は、事故から約10カ月後の2017年4月~5月にかけて実施されていました。2回目の行った理由は、和美さんから申し出があったためとなっていました。人事課長が録音許可をとったうえで、あらためて同僚から颯人君の自死の原因について聞き取りをしたものでした。ただ聞き取りは中立なものではありませんでした。質問は、できるだけ問題の上司によるパワハラの話をさせないようにしていました。同僚らがパワハラの話をしかけると、「叱り方の問題は別にあるとして」「上司の𠮟り方の問題をちょっと置いといて」などとして、話題をずらしていました。そして、颯人君が何故にミスが多かったのかを繰り返し質問し、颯人君の至らなかった点を元同僚らにしゃべらせていたのでした。
36 労基署への働きかけ2回目の調査結果は、和美さんへ開示するとゴンチャロフは約束していたのですが、なぜかそれは開示されず、他方1回目、2回目の社内調査結果は労基署へ提出されていました。ゴンチャロフは、颯人君がミスを多発し、それへの指導を繰り返していたことが、叱責の理由であったと労基署へ訴えていたのでした。
37 共通認識の形成私たちは、ゴンチャロフとの代理人交渉を進めることとしました。ただし、第三者弁護士による調査をするとしても、その第三者弁護士に白紙委任するのではなく,労災認定された事実や会社調査の結果に基づいて会社と遺族との間で予め一定の共通認識を持てるか否かが重要だとし、具体的には、問題の上司によるパワハラがあったことを前提として、そのパワハラの内容を確定する目的で実施するならば第三者調査を受け入れるとの方針で臨みました。
38 パワハラを認めるゴンチャロフ代理人は、パワハラがあったことまで調査の前段階では認められないとの立場でしたが、私たちはゴンチャロフへ計9通にわたる元同僚らの聴取書を開示し、会社調査のメモ記載の事実からも、パワハラがあったことは明らかだと迫りました。結局ゴンチャロフは、交渉開始から1年後の2019年7月、ついに上司によるパワハラを認めました。そして私たちとゴンチャロフとの間で共通認識を確定させたうえで、第三者弁護士へ調査を委託することとしました。
39 第三者弁護士による調査委託その後、第三者調査を担当する弁護士の選定、調査弁護士への調査事項の確定などの作業を続け、2020年1月、ゴンチャロフが第三者弁護士(3名)へ調査を委託するという方式で、調査が開始されました。
40 第三者弁護士による調査実施第三者弁護士らは、問題の上司や同僚ら、会社調査にあたった当時の人事課長や係長などを中心に、計10名から聞き取り調査を実施しました。そして、2020年5月14日、報告書が届きました。
41 第三者弁護士による報告当時の私たちの関心事項は(すでにパワハラを会社が認めていたため)何ゆえに上司は颯人君だけをターゲットにして、激しい叱責を繰り返したのかという点と、会社調査において、パワハラの隠蔽が組織ぐるみでなされたのではないかという点でした。
ところが報告書は、上司によるパワハラは認めていたものの、パワハラは上司が職務熱心であったが故のものだったと結論づけていました。繁忙期でノルマも厳しく、ロスが出た際に上司が怒鳴ってしまうということが繰り返されていたという認定となっていました。また、会社調査についても、不十分なもので責められるべき点はあったが、隠蔽の意図までは認定できないというものでした。
42 新たな事実の発覚一方で、第三者弁護士らによる聞き取り調査の記録からは、私たちが知らなかった事実がたくさんみつかりました。もっとも驚いたのは、問題の上司は颯人君の直属の上司ではなかったため、技術指導をする権限はなく、その能力もなかったということでした。にもかかわらず、上司は、颯人君の技術的なミスを繰り返し、繰り返し大声で叱責していたのでした。
また、会社調査の責任者であった執行役員は、第三者弁護士からの聞き取りに対し、はっきりと問題の上司を守ることを目指して調査していたと述べていました。この執行役員は、人事課係長が作成した上司の名前が入ったメモを訂正させてもいました。隠蔽する意図は明らかでした。
43 再検討の申し入れ私たちは、聞き取り調査の結果と、報告書上の認定とに齟齬があるとして、2020年7月16日、第三者弁護士らへ再検討の申し入れをしました。しかし、これ以上の踏み込んだ認定は尋問手続きを経ていないのでできないと言って、再検討そのものが拒否されました。
44 ゴンチャロフとの直接交渉そこで私たちは、あらためてゴンチャロフとの直接交渉に切り替え、上司によるパワハラは職務熱心から出たものではなく、いじめであったことを認めろと迫りました。また、隠蔽の意図があったことも認めるよう要求しました。
45 ゴンチャロフの回答ゴンチャロフは、2020年10月12日付の回答で、上司によるパワハラは、颯人君に対するいじめであったことを認めました。が、隠蔽の意図までは認めず、議論は平行線となりました。会社は、調査責任者は隠蔽の意図はあっても、会社は隠蔽の意図はないとの主張を崩しませんでした。
46 交渉の継続何度か書面でやり取りし、ゴンチャロフの代理人と面談し、議論しました。しかし、隠蔽の意図は固くなに認めない姿勢を崩しませんでした。そこで隠蔽の意図はいったん棚上げにし、あらためてゴンチャロフが賠償金を支払うほかに、社長が記者会見をして謝罪をすること、颯人君の御仏壇の前で社長が謝罪すること、関係者が謝罪文を書くこと、問題の上司や監督者であった工場長を懲戒処分すること、和美さんがゴンチャロフの工員の前で講演会をすることを認めること、これから20年間かけてパワハラと長時間労働をなくすための取り組みを続け、毎年命日ころに和美さんに報告することなどを求めました。
47 和解成立ゴンチャロフは、社長記者会見を除きすべてこちらの要求をのんだことから、この内容で和解することとなり、2021年6月11日に調印し、同月19日には社長が颯人君の御仏前で颯人君へ謝罪しました。
48 まとめ以上が5年をかけたゴンチャロフとの闘いの軌跡です。ちなみに、その後のパワハラを非難する世論の盛り上がりもあり、令和2年9月の労災認定基準の改定では、上司による「必要以上に長時間にわたる厳しい叱責、他の労働者の面前における大声での威圧的な叱責」だけでも、その程度によっては、労災認定される道が開かれました。
本件では、本当に多くの方々からご支援をいただき、お陰様で無事に解決へと至りました。この場をお借りして感謝申し上げます。ありがとうございました。
このページのトップへこの日を境にいままでの平穏な日常は崩れ去り、喜びや笑いが消失し、悲しみと喪失感、怒りと恨みと真っ黒な感情で埋め尽くされました。
愛する息子、颯人の命を奪われた私の心はきっと生涯癒えることはありません。
けれど、颯人を想い、涙し、立ち上がってくださった方々のおかげで、5年もの歳月を要しましたがやっと颯人の尊厳を守る事ができました。
そして今後颯人のように苦しむ人を少しでも減らせるための取り組みや規制もできてきました。
大切な人を失ったものの悲しみはその人達にしかわかりません。
置いていかれる側の人間になった私はその辛さや苦しみが痛いほどわかります。
命は、時間は二度と戻らないから被害者や加害者になることのないように精一杯生きてください。
今生きている人達に心からそう願います。
最後に辛いとき、苦しいとき、共に泣き、怒り、支えてくださった皆さまには心から感謝いたします。本当にありがとうございました。
このページのトップへ・18歳の前田颯人さんが夢と希望を持ってゴンチャロフ製菓株式会社(以下ゴンチャロフ)に入社されたのが2014年春。
・入社後の研修直後からTグループリーダー(GL)によるパワハラが始まって7年。
・パワハラと長時間労働が原因で自死されたのが2016年6月。
・ご遺族前田さんが労災申請をされたのが2017年9月。
・労災認定されたのが2018年6月。
・ゴンチャロフ前田颯人さん 長時間・パワハラ過労自死事件の解決を求める会(以下「解決を求める会」)を結成し運動を開始したのが2018年6月
・2021年6月7日、ついにご遺族前田さん、代理人の本上、八木弁護士がゴンチャロフとの協議で示談条項を詰め切られ、6月11日、双方が示談書に調印され正式に示談が成立しました。
6月7日「ゴンチャロフとの合意に至りました」との一報を八木弁護士から頂いた時、「やった!」という思いより、この7年余り、ピアノ線を引っ張りに引っ張るような緊張感の中で気持ち奮い立たせ、ここまで来られたご遺族前田さんは「これで少しは気が休まる事は出来るのだろうか」と言う思いでした。
私たちが「労災認定署名」運動を通して「解決を求める会」を結成し、運動を進めるにあたって心がけたのは、何よりもご遺族の気持ちに寄り添い支え、ご遺族の願い(要求)を実現していく。そのためには広く世論に訴え、世論の「ゴンチャロフはパワハラや長時間労働の事実も認めご遺族に謝罪すべき」と言う声で包囲し、ご遺族・代理人弁護士が行う協議、交渉の後押しになるような運動を進める。そして解決に向かわせることでした。
そのために、全国に展開しているゴンチャロフに全国からの声が届くよう、「いのちと健康兵庫センター」を通じ全国網で発信を行いさらに拡散を依頼しました。同時に近畿圏の関係組織・団体への発信や各種集会での訴え。県内関係組織・団体への発信や各種集会で訴えて広げていきました。また、ゴンチャロフは何と言ってもチョコレートが主力製品のため、女性に広めて女性の声をゴンチャロフに届けることを重視して、新日本婦人の会や母親連絡会のみなさんなどに大きな力をお借りしました。その広がりを事務所に届く全国や、県内各地から寄せられる署名の住所地で確認し励まされました。
三宮の街頭、JR六甲道駅前での宣伝行動では、さすが老舗のゴンチャロフだと、殆どの方が知っておられ、これがゴンチャロフの強みと弱みでもあると感じました。
最大の取り組みとなった、2019年11月の「過労死等防止月間」にゴンチャロフの本社、工場所在地である神戸市灘区のほぼ全域で行った、のべ50名の参加と23,000戸へのビラ配布と住民対話は、配布しきるまで1か月を要しましたが、しかし毎週どこかで「ゴンチャロフ事件」のビラを配り対話ができたことは、予想以上にゴンチャロフに対して影響を与えたと感じました。それは同時期にゴンチャロフ労組が行った団体交渉時で、ゴンチャロフ側がそれまで「解決を求める会」の行動に言及しなかったのが、このビラ配布と内容には言及したことからも「圧はかかっている」と確信しました。また、ゴンチャロフ労組が地域の団体や労組に支えられながら、独自にJR六甲道駅で持続的に行なわれた宣伝署名行動は、市民に少なからぬ影響を与えたのではないかと考えます。
こうした宣伝と「労災を真摯に受け止め社会的責任を果たせ」(団体署名313、個人署名3978筆)、「社長へ解決への決断要請する」個人・団体要請ハガキ(約1,000通)、本社への要請行動(6回)などの積み重ねが、2020年10月の公の「解決を求める会」とゴンチャロフ光葉社長との面談を実現し、その場でもご遺族前田さんへ謝罪すると同時に要請内容を真摯に受け止める等を表明させました。これが最後の協議への道筋をつける役割にもなったのではないかと思います。
振り返れば、ご遺族前田さんが時間の許す限り動き訴えをして頂けたのは本当に大きな力となりました。ご遺族が実名や顔を前面にし立たれるのは「当事者として当たり前」との意見も一部ではあるかもしれませんが、訴えのひとこと一言にフラッシュバックし、心と体に鞭を打ち傷をつけながらだったと思います。私たちには到底想像もつかない中での行動だったに違いありません。このことをしっかりと心に留めなければならないと心から思いました。
また、「解決を求める会」にゴンチャロフ労組から参加してもらえたことで、実感を持って“相手が見えた”事は大変助かりました。さらに、全県に組織の網を持たれる国民救援会や新日本婦人の会他各組織、団体のみなさんのご協力、ご支援が無ければ「解決を求める会」としての運動もあり得なかったと思います。そして「いのちと健康兵庫センター」事務所に拠点を置くことで機動性を発揮できたのは大きかったと考えています。
一方で、率直に言って、“悪あがきに悪あがき”を重ねて解決を長びかしたゴンチャロフが、この事件の収束を持って単純に「生まれ変わる」とは到底思えません。これからは内部からの変革していく力と運動が求められると考えます。
「解決を求める会」は7月2日行われるご遺族の記者会見後に、運動のまとめ、総括を行い、報告集会と解散総会等々を残しています。最後までご協力をよろしくお願いします。
こうしたことから、この一文は個人の雑感としてご理解ください(2021年6月27日)。
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