《第638号あらまし》
 有馬高原病院労働組合事件
 過労死認定基準の改正について



有馬高原病院労働組合事件

弁護士 増田 正幸


1 社会医療法人寿栄会(以下、「法人」という)の運営する「ありまこうげんホスピタル」(旧「有馬高原病院」)は神戸市北区にある精神科の病院である。病院は全部で417床、介護老人保健施設を併設している。

病院には医労連に加盟する有馬高原病院労働組合(以下、「組合」という)がある。組合員は約180名である。

法人では、新病棟の建設などの支出増に備え、人件費コストを低減するために、給与規程の改定及び職能資格給規程の運用変更などを強行したが、その際、誠実に団体交渉をしなかったとして、組合が兵庫県労働委員会に不当労働行為(不誠実団交)救済申立てをしたので報告する。


2 不誠実団交の経緯

(1) 2020年(以下、「2020年」を省略する)1月17日、組合に対して就業規則等改定案を提出した。就業規則等改定案には、法改正に伴うハラスメント関連項目の新設、介護休暇・育児休暇規程の改定、契約職員制度の廃止、有休休暇の取得義務化など就業規則の改定や諸規程の改定として、本給表の改定、給与支給に関する運用見直しとして、定期昇給の計算方法の是正(職能給の昇給ピッチの適正化)等多岐にわたるものであった。

(2) 法人は、改定した就業規則等を4月に実施することを予定していたが、3月には一部病棟でコロナ感染の疑いのある患者が出て、その病棟が約1ヶ月間閉鎖となったり、4月初めには他の病棟も約2週間閉鎖になるなど、組合員はコロナ対策に忙殺されたため、就業規則等改定案の検討ができなかった。

そのうえ、本給表の改定や給与支給に関する運用見直しが具体的にどのように行われるのかについての説明がなされず、組合は本給表の改定や運用見直しによって賃金額にどのような増減が生じるのかについて理解ができなかったために、5月14日の団体交渉において、組合3役について新賃金規程にもとづく具体的な給与額とその内訳を明らかにすることを求め、改定前の比較をした上で組合としての意見を述べる旨表明した。

ところが、法人は個人情報を団体交渉の場で開示することはできないとして、これを拒否した。

(3) 5月25日に被申立人は、申立人との春闘交渉が妥結していないにもかかわらず、職員に対して、「職員の皆様へお知らせ」という文書を配布し、4月と5月の給与について、4月からの定期昇給分を6月分給与で支払うこと、夏季賞与は前年と同様に2.1カ月分を支給する旨通知したが、この文書では賃金規程が改定され、昇給額や賞与の金額が新賃金規程にもとづき算定されることは明らかにされなかった。

(4) 5月27日に団体交渉が行われ、その席上、法人は4月10日に賃金規程の改定を含む就業規則の変更を労働基準監督署(以下、「労基署」という)に届出済みであることを明らかにした。

就業規則の変更は、労働者の過半数で組織する労働組合がある場合においてはその労働組合、労働者の過半数で組織する労働組合がない場合においては労働者の過半数を代表する者(以下、「過半数代表者」という)の意見書を添付して、労基署に届け出ることになっているが、過半数代表者の意見書の提出が求められることがなかったため、まさか届出済みであるとは予想だにしなかった。

後に、法人が就業規則の変更届の際に、労基署に対して、組合に再三、意見を求めたのに組合が回答せず意見書の提出を拒んだかのような虚偽の説明をしていたことが判明した。

(5) 法人は、6月8日、職員に対して、給与規程別表(新本給表)を配布し、各人の号俸及び定期昇給額、夏季賞与額を通知し、6月に4月に遡って新賃金規程にもとづく賃金の支払いを強行した。この通知によって職員各人の定期昇給額が減額されたことが判明したが、何よりも各人に支給された基本給の金額と通知された号俸にもとづく新本給表の基本給額とが附合しておらず、いまだに新賃金規程についての理解はできていない。

(6) このように、団体交渉における就業規則の変更内容についての説明が不十分なまま、しかも、労基署に届出済みであることを秘匿して団体交渉を継続したことが不誠実であることは明白であるが、組合は、このような暴挙は二度と許してはならないと考え兵庫県労働委員会への救済申立を行った。

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過労死認定基準の改正について

弁護士 本上 博丈


1 概況

現行のいわゆる過労死認定基準(脳血管疾患及び虚血性心疾患(負傷に起因するものを除く。)の認定基準)は,2001(平成13)年12月12日付けで厚生労働省労働基準局長が発した通達だ。この通知は,厚生労働省から依頼された脳・心臓疾患の認定基準に関する専門検討会(医学者,労働法学者などで構成)による2001(平成13)年11月16日付け「脳・心臓疾患の認定基準に関する専門検討会報告書」に基づいて,1995(平成7)年2月及び1996(平成8)年1月の認定基準を改正したものだった。

それから約20年が経過して脳・心臓疾患についての医学的知見が進展したことから,2020(令和2)年6月から2021(令和3)年7月まで全13回の検討会を経て,2021(令和3)年7月「脳・心臓疾患の労災認定の基準に関する専門検討会報告書」(以下,専門検討会報告書)が公表された。厚生労働省は,この報告書を受け,速やかに脳・心臓疾患の労災認定基準を改正し,業務により脳・心臓疾患を発症された方に対して,適正な労災補償を行っていくとしており,2021(令和3)年9月上旬には認定基準改正通達を発表することが予定されている。


2 専門検討会報告書の主な内容

① 業務の過重性の評価について,現行基準の「長期間にわたる疲労の蓄積」と「発症に近接した時期の急性の負荷」が発症に影響を及ぼすとする考え方は妥当。

②「長期間にわたる疲労の蓄積」(「長期間の過重業務」)について,労働時間は現行基準(発症前1か月間に100時間または2~6か月平均で月80時間を超える時間外労働は,発症との関連性は強い)には至らないがこれに近い時間外労働が認められ,これに加えて一定の労働時間以外の負荷が認められるときには,業務と発症との関連性が強いと評価できることを明示する。ここでの労働時間以外の負荷要因として,「休日のない連続勤務」,「勤務間インターバルが短い勤務」及び「身体的負荷を伴う業務」を新たに規定し,他の負荷要因も整理する。

③「発症に近接した時期の急性の負荷」(「異常な出来事」と「短期間の過重業務」)について,「発症前おおむね1週間に継続して深夜時間帯に及ぶ時間外労働を行うなど過度の長時間労働が認められる場合」など,業務と発症との関連性が強いと判断できる場合を明確化する。

④ 認定基準の対象疾病に,「重篤な心不全」を追加。


3 改正認定基準の問題点

過労死弁護団は,今の労災認定実務について,過労死ラインと呼ばれている「残業時間の1か月平均80時間超」が機械的硬直的に運用されており,わずかに満たないだけで業務外決定とされる場合が少なくない,残業時間は過労死ラインを満たさなくても連続勤務,深夜勤務,交替勤務などの付加的要因をきちんと評価して過重性の判断がなされるべきなのに,それら付加的要因が軽視されている,などと批判している。そして,WHOとILOが2021年5月17日に発表した調査報告では,2000年~2010年に週55時間以上の長時間労働があった人が,長時間労働により2016年に74万5000人が死亡したと推計しており,そうであれば数年以上前の週55時間以上の負荷が問題になるのであるから、ましてや直前に週55時間以上の負荷があれば発病・死亡につながることは十分考えられるとして,過労死ラインを1か月平均65時間に見直すべきだと提言している。

今回の認定基準改正は,専門検討会報告書に沿った内容になることが予定されている。したがって,連続勤務や勤務間インターバルの短い勤務などの付加的要因の一部は過重性評価における位置づけが明確になり,それが認められる場合は残業時間が80時間に満たなくても業務上決定されやすくはなると思われる。しかし,過労死ラインそのものは変わらないので,80時間の残業時間認定をめぐる争いはなお続くことになる。しかも,実際の労災請求の場面では,所定始業時刻前の事実上の早出残業,退勤打刻後の居残り残業や持ち帰り残業,そもそもタイムカードなどの客観的な労働時間記録の残らない長時間労働など,実際には労働している正しい労働時間の認定自体が極めて困難な場合がほとんどであるのに,その点は全く考慮されず,過労死ラインはなお厳しい基準が維持されるというのでは,被災者の完全救済にはなおほど遠いと言わざるを得ない。

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