神戸女学院の元高校教諭(本年3月末で退職)二名が3年間分の残業代計約1455万円の支払いを求める訴訟を神戸地裁尼崎支部に提訴いたしましたので、ご報告いたします。
いわゆる「給特法」(教職調整給を支給する公立の義務教育諸学校等の教員職員の給与等に関する特別措置法)の正当性にからんで公立学校教諭の長時間残業の議論が喧しいですが、私立学校教諭の仕事量もまた、公立学校教諭のそれと基本的な相違はなく、したがってその残業の扱いが等しく問題となります。
神戸女学院(以下では女学院と略します)では、後述する労基署の是正勧告を受けるまでは、教員については労働時間を記録すらしておらず、したがって残業という観念は存在しませんでした。そして給特法の例にならい、教員調整給として俸給に100分の5を乗じた額を支給しておりました。
興味深いのは、女学院は、雇用する従業員を「教員」と「職員」(学校事務の職員)とに区別し、「職員」についてはきちんと労働時間を管理し、残業代の支払いをしておりました。つまり女学院は、いい加減な労務管理の結果として教員に残業代を払っていなかったわけではなく、教員の仕事には残業など存在せず、定額にて働かせる働き方(いわゆる定額働かせ放題)こそが合理的であると判断し、いわば確信犯として、残業代の支払いをしていませんでした。そしてこの発想の拠り所となったのが、「給特法」でした。
この点、女学院のやり方が特段珍しいわけではありません。名古屋大学の内田良教授による2018年私立高校対象調査によると、法定の残業代を支給しているのは12.1%にとどまり、教職調整額のみ支給が24.2%、定額残業代支給が16.4%、調整額+定額残業代が29.4%と、私立高校の約7割が定額働かせ放題を採用していました(http//new.yahoo.co.jp/byline/ryouchida/20180304^00082328)。
しかしながら、私立学校の教員には給特法は適用されません。したがって、原則どおり労働基準法の対象となり、時間管理が使用者の義務となり、残業をさせるためには、労働組合ないし労働者代表との間での36協定の締結が必須となります。
女学院を管轄する西宮労基署は、上記の違法な働かせ方に対して2014年、2016年の2度にわたって是正勧告を出しました。
女学院は、上記勧告を受けて、パソコンでの客観的な労働時間管理及び教員組合との36協定を締結します。しかしながら、教員に対する定額働かせ方放題の原則は維持しました。そして、①教員会議②登校指導③カウンセリング研修会④人権研修会の例外4業務に限って、上記調整給に加えて残業代を支給するとしました。女学院側の説明では、例外4業務は他の業務と違って管理者が教員の就労状況を把握できるため、という理由でした。
原告となった元教諭2名は、昨年6月より女学院と団体交渉を続け、残業代の支払いを求めてきました。そこでは原告らが業務の一例として平常時の業務内容を記録したものが示されました。午前7時27分の出勤から、午後6時41分の退勤まで、メールチェックなど事務作業、朝礼、授業準備、授業、教育実習生の評価書作成、修学旅行の資料作り、生徒面談、保護者懇談資料作成、学級日誌記入、欠席生徒への電話連絡など多岐にわたる業務でびっしりと埋め尽くされていました。昼休みも生徒対応などでほとんど取れていないのが実情でした。女学院側も、団体交渉の場で、一度は教員にアンケートをとって業務実態の把握を進め、残業代の支払いについての考えを纏めると約束しました。が、結局は女学院は「給特法」の呪縛から抜け出すことはできず、残業代の支払いをしませんでした。そこで、元教諭らは提訴を決断されました。
前記のとおり、女学院は、2017年からは教員についても客観的な出退勤時間の管理を始めております。しかしながら、そこで記録された残業時間のほとんどは、教員の自由裁量で行っているものであって「業務ではない」として、支払いをしていません。女学院は裁判でも、こうした主張をしてくるものと思われます。しかし、団体交渉の場で具体的に示された業務の一つ一つは、どれもが学校の運営、生徒の指導にとって必要不可欠なものばかりでした。しかも教員は基本的にワンオペであり、補助者に任せることもできません。裁判でその実態を詳らかにし、教員業務の特殊性(裁量性、非定型性)から定額働かせ放題へと導く誤った論理を正していきたいと考えております。
このページのトップへ新聞報道などによると、ヤマダ電機などの家電量販店の正社員の年間休日最低日数について、労働協約の地域的拡張適用の実例が出てきている。日本では30年以上前以来のことらしく、珍しいので紹介し、若干の検討をしたい。
1 実例(1) 茨城県内の大型家電量販店の大手3社(ヤマダ電機、ケーズホールディングス、デンコードー)の労使が結んだ労働協約のうち最低年間休日が1日の労働時間が7時間45分を超える労働者は111日以上、7時間~7時間45分の労働者は107日以上を保障することについて、2021年9月厚生労働大臣はノジマなど他社を含めて県内全域に適用することを決定し、2022年4月から2023年5月まで約30年ぶりに地域的拡張適用がされるようになった。さらに、この地域的拡張適用は2025年5月まで延長されることになった。この地域的拡張適用によって、労働組合のないノジマでは、就業規則上の年間休日は106日だが、茨城県内の4店で対象となった社員22人は111日に増加した。
(2) さらに青森、岩手、秋田の3県の店舗について同様の労働協約を締結したヤマダ電機とデンコードーの労組は、2022年7月地域的拡張適用を申し立て、2023年4月厚生労働大臣が決定、同年6月から2025年5月まで適用されている。
これらの申立を主導したUAゼンセンは、家電販売は競争が激しく、店員の休日を減らしてシフトを増やす動きが出たこともあったとし、地域的拡張適用によって過当競争の市場で企業が労働条件を下げて有利になることを防ぐことになり、企業労使の枠をこえて社会的なルールづくりにつながるとしている。なおUAゼンセンの所属する連合も地域的拡張適用の活用を運動方針で掲げているそうである。
(3) 福岡市から水道検針業務を委託された複数の企業の非正規労働者らでつくる労働組合(自治労福岡市水道サービス従業員ユニオン)が2023年2月、そのうち2社と結んだ最低時給についての労働協約を市全域に地域的拡張適用するよう福岡県知事に申し立てた(現在、審査中)。認められれば、協約で定めた最低時給が市全域で適用されることになる。
2 労働協約の拡張適用についての考え方ア 労働協約は協約当事者である労働組合の組合員にのみ適用されるのが原則。労働者は労働組合を結成・加入して団結し、労働組合が団体交渉をすることによって労働条件の維持・向上を獲得していくというのが、憲法及び労働組合法が予定する労使自治の基本だから、当然のことである。ところが、この原則に対する例外として、労働協約の効力を非組合員にも拡張適用する制度(「一般的拘束力」と呼ばれている)を労組法17、18条は定めている。
イ 労組法17条は、事業場単位の一般的拘束力を定めており、一つの事業場の同種労働者の4分の3以上が一つの労働協約の適用を受けるときは、その事業場の他の同種労働者も当該労働協約の適用を受けるとしている。
ただ、労働者が当該労働協約の適用を受けたければ4分の3以上組合に加入すればよく、その加入をしない労働者にいいとこ取りのただ乗りを認めることの合理性は疑問で、かえって団結阻害の要因にもなることから、この立法趣旨は不明確だとして批判も強い。この点、朝日火災海上保険事件・最高裁平成8年3月26日判決は「当該事業場の労働条件を統一し、労働組合の団結権の維持強化と当該事業場における公正妥当な労働条件の実現を図ること」が趣旨であると述べた。この判決は、一般的拘束力による非組合員の労働条件の引下げを認めた事例であったことから、最高裁は労働条件の統一に重点を置いていると理解されているようである。
ウ 地域的な一般的拘束力を定めた労組法18条は、一定の場合に当該労働協約が当該地域において従業する他の同種労働者とその使用者にも適用され最低基準になるとし、その要件は、①一つの地域の同種労働者の大部分が一つの労働協約の適用を受けること、②当該労働協約の当事者の双方または一方が申し立てること、③労働委員会の決議、④厚生労働大臣又は都道府県知事の決定と公告、としている。
18条の制度趣旨は、17条と比べて明確で、安価な労働力を入手しようとして賃金・労働条件を引き下げようとする使用者の意図を封じることによって、労働者一般の地位の向上を図るとともに、協約当事者となった使用者にとっても他の同業者による抜け駆け的な不当な競争を制限できるというメリットがあるとされている。非組合員のただ乗りという面があることに変わりはないが、あくまでも最低基準なので、地域内の同種事業者間の公正な競争の確保(例えば、従業員の賃金を下げてコスト削減し、その分販売価格を下げて競争力を上げることは許さないなど)という面が強いのではないかと思う。
エ これまで地域的な一般的拘束力の制度は、職業別または産業別労働組合が締結する横断的労働協約を前提としていることから、企業別協約が支配的な日本では活用の余地が少ないと考えられてきた。しかし、上記実例のように、ある程度限定された業種において相当程度の組織率がある場合に、地域的拡張適用の対象とすべき協約事項を、家電量販店における休日や非正規検針業務労働者の最低時給のように、労働者にとって切実で、かつ事業者にとっても公正競争の要請が強い事項に絞れば、地域的拡張適用を実施して最低条件の底上げを図っていくという運動の展望があるのかもしれない。
このページのトップへ1 報道によれば、大阪・関西万博を主催する2025年日本国際博覧会協会(万博協会)が、パビリオンの建設が遅れ2025年の開催が間に合わないことを危惧し、政府に、建設業界の時間外労働の上限規制を万博に適用しないよう要望したとのことである。
しかし、2025年の万博開催のためには、労働者の健康や生命が犠牲となってもやむを得ないと言わんばかりの、今回の万博協会の要請は断じて許されない。
2 働き方改革関連法では時間外労働の上限(臨時的な特別な事情がある場合でも年720時間以内、月100時間未満、2~6か月平均で80時間以内)が法定され、2019年4月から適用されてきた。しかし、建設業界は、人材不足等の影響により長時間労働が常態化していたことから、労働時間の上限規制の適用が5年間猶予され、2024年4月から適用される予定となっている。今回の万博協会の要望は、業界全体に求められていた長時間労働抑制の取組みに逆行するものである。
建設業については、災害時の復旧・復興に限り、労働時間の上限規制を適用しないこととされている。この点に対する批判も根強いが、万博を予定通りに実施したいという思惑のために、法が定める上限規制の例外を安易に認めることは絶対にあってはならない。
また、下請け、一人親方、フリーランス等の「雇用によらない働き方」により建設業や資材搬入に関わる者が、しわ寄せによって長時間労働に陥らないような配慮が不可欠である。
3 万博協会は「持続可能性に配慮した調達コード」を定め、「サプライヤー等は、調達物品等の製造・流通等において、違法な長時間労働(労働時間等に関する規定の適用除外となっている労働者については健康・福祉を害する長時間労働)をさせてはならない。」としている。万博協会が自ら定めた長時間労働禁止の調達コードを破り、建設現場の労働者に過酷な 長時間労働を強いることを容認するよう政府に要望したことは、断じて許されない。
万博は「いのち輝く未来社会のデザイン」をテーマに掲げている。しかし、労働者の命と健康を軽視する今回の要望は万博のテーマ、開催理念に反するものである。
4 過去に、東京オリンピック・パラリンピックの主会場である新国立競技場の建設現場で働いていた男性が、「身も心も限界な私はこのような結果しか思い浮かびませんでした」とメモに遺して自死した痛ましい事件があった。建設工事の遅れを取り戻すために作業員が過酷な長時間労働を強いられた結果、工事開始から約3か月後の2017年3月に、当時23歳の男性が精神障害を発症して自死したのである。このほかにも、大会施設工事における労災事故が多発した。
国際建設林業労働組合連盟(BWI)が、建設現場における過酷な労働環境について報告書を公表し、危険な労働環境だと警鐘を鳴らしていたことを想起すべきである。イベント実施のために労働者の健康や生命が犠牲になることは絶対に避けなければならない。
5 民主法律協会は、労働者の健康や生命を軽視する万博協会に対して強く抗議する。政府は、労働者の健康と生命が優先される建設現場・労働環境の実現、長時間労働の撲滅が重要であることを鮮明にし、万博協会からの要請に応じてはならず、むしろ要請の撤回を求めるべきである。
2023年7月28日
民主法律協会
会長 豊川義明
このページのトップへ2023年8月3日
過労死弁護団全国連絡会議
代表幹事 弁護士 川人 博
同 弁護士 松丸 正
2025年日本国際博覧会(以下「大阪・関西万博」という。)を主催・運営する公益社団法人2025年日本国際博覧会協会(以下「博覧会協会」という。)が、2024年4月1日から建設業においても適用される時間外労働に関する罰則付きの上限規制(労基法36条6項2号・3号、附則139条2項)を、大阪・関西万博関連施設の建設については適用しないよう要望していたところ、政府内でも同旨検討がされていることを、本年7月28日、西村経済産業大臣が明らかにした。
報道によれば、大阪・関西万博の準備の遅れが指摘される中で、時間外労働の上限規制が適用されると、「人繰りがさらに厳しくなるとの見方」(共同通信)「深刻な労働力不足が発生」(産経新聞)するためであるという。
しかし、2017年3月には、東京オリンピックのメイン会場となった新国立競技場の建設工事に当たっていた新人の現場監督が、月190時間以上の時間外労働を行い、過労死するという事件も起きている。この事件は、新国立競技場のデザインが変更になる等によって工期がひっ迫し、超長時間労働を行わざるを得なくなることで生じたものであって、現在の大阪・関西万博と全く同様の構造であった。
しかも、大阪・関西万博は、「いのち輝く未来社会のデザイン」をテーマとして掲げ、概要資料中のトピック例として、「Saving Lives(いのちを救う)」のうちに「労働環境の改善」を明示しており、持続可能性に配慮した調達コードとして、「4.7 長時間労働の禁止 サプライヤー等は、調達物品等の製造・流通等において、違法な長時間労働(労働時間等に関する規定の適用除外となっている労働者については健康・福祉を害する長時間労働)をさせてはならない。」としているのである。
そして、現在適用除外となっている労基法36条6項2号・3号は、「一箇月について労働時間を延長して労働させ、及び休日において労働させた時間 百時間未満であること。」(2号)、「対象期間の初日から一箇月ごとに区分した各期間に当該各期間の直前の一箇月、二箇月、三箇月、四箇月及び五箇月の期間を加えたそれぞれの期間における労働時間を延長して労働させ、及び休日において労働させた時間の一箇月当たりの平均時間 八十時間を超えないこと」(3号)であり、脳心臓疾患の労災認定基準である「血管病変等を著しく増悪させる業務による脳血管疾患及び虚血性心疾患等の認定基準について」(基発0914第1号令和3年9月14日)上、身体的負荷を伴う業務等の他の負荷要因を考慮せずとも、労働時間のみで労災認定がされ得る水準や、労安衛法上の面接指導を行うべきこととなるような(労安衛法66条の8第1項、労安衛則52条の2)時間外労働を禁じるものである。「労働力不足」を理由としてこの適用除外の延長を求めるということはすなわち、上限規制を超えたような時間外労働が発生することを許容し、労働者の生命・身体を危険にさらすことを許容することを意味する。
このような時間外労働が許されないことは、大阪・関西万博の目的がどのようなものであろうが当然であり、また、前記の通り、自ら「労働環境の改善」を示すべきテーマとしており、調達コードを定めているものであるから、言語道断である。
国連は、2011年に「ビジネスと人権」指導原則を採択し、その後、2015年にSDGsの17の達成目標が決定し、その中にはゴール8として「ディーセントワーク」(働きがいのある人間らしい仕事)の達成が定められている。今回のような国際的行事において、長時間過重労働を労働者に課すことは、これら国連の原則・目標にも明白に違反するものである。
仮に、博覧会協会が求めるような労働時間規制の適用除外を行わなければ開催できないイベントであるというならば、開催を取りやめるほかはない。
以上の通りであるから、長時間労働等を理由とする悲惨な事件に向き合ってきた当弁護団は、博覧会協会による上限規制の適用除外要望に対して最大限の強さをもって抗議するとともに、即時の撤回を求め、政府に対しても、このような要望に対しては直ちに許容できないことを表明することを求める。
2023年8月3日
息子のような犠牲を再び出さないでください
都内在住 父・母
私どもの息子は、東京五輪のメイン会場となった新国立競技場の建設土木工事を担当しました。デザイン変更などがあり、工期がひっ迫していたために、早朝から深夜におよぶ長時間労働が毎日のように続いた結果、心身の健康を損ない、2017年3月に23歳の若さで死亡しました。
息子の笑顔を二度と見ることができない悲しみは、生涯癒えることはありません。
2025年に開かれる大阪・関西万博の施設づくりを担当する建設労働者には、残業の上限規制が適用されない可能性があるとお聞きしました。とても心配しています。万博が大切な行事であったとしても、建設業で働く労働者がいのちと健康を奪われることがないように、切に願っています。私どもの息子と同じような犠牲が発生しないよう、関係者の方々が適切な措置をとられることを心よりお願いします。
このページのトップへ