本件は、2020年1月夜間の高速道路においてトンネル内の電気配線点検等の作業が行われた際、その作業現場で交通警備業務に従事していた警備員である原告(事故時36歳、男性)が、小用のためトンネルを出て路外の茂みに向かった際、高さ約5mの崖を転落して左膝蓋骨骨折、左脛骨遠位端骨折等の重傷を負い、左足関節の機能障害等の後遺障害(労災11級20号認定)が残った労災事故について、雇用主の警備会社A及びAに交通警備を委託した点検工事会社Bに対し、それぞれ安全配慮義務違反等があったとして、債務不履行責任及び不法行為責任の競合により損害賠償を求めた事案。療養・休業期間は約1年3か月余りに及んだ。
本上が受任したきっかけは、民法協ホームーページ相談。原告の妻が、Aからは、会社が独自に入っていた保険から総額68万円程の支給があったが180日で打切りになり、現在は労災以外何もなく毎月20万程支給される中から毎月5万円近くの社会保険料をAに振り込んでおり、その残りで家賃や光熱費等を支払って家族3人で暮らしている、経済的に大変苦しいので何か方法はないかとメール相談を送ってきた。たまたま順番で回答したのが本上だった。
しばらくして本上が受任後、社会保険料労働者負担分の支払を止めるとともに、休業損害のうち労災休業補償給付で賄われない4割分の一部の支払を受けた。また労災障害補償給付の請求も行い、予定していた11級20号の支給決定を受けた。しかしその後、Aは原告に落ち度があったとして過失相殺を主張するようになったことから交渉不調となり、提訴に至った。また妻によれば、Bは安全基準違反を認め、事故後すぐ原告の入院先に来て2人に謝罪したとのことだったが、本上が事故調査報告書の開示を求めると報告書があることを前提にしつつ拒否したことから、その報告書を出させる必要があると考えて、Bも共同被告にした。
ところで、高速道路上という特殊な場所で仕事中に用を足したくなった労働者はどのように対処していると思いますか?トイレカー(荷台に工事現場にあるような簡易個室トイレを据え付けた小型トラック)が各現場に配備されて、そのトイレカーにある簡易トイレで用を足すというのが本来。ところが実際には、トイレカーが配備されないことが少なくなく、Aでは指導担当の先輩警備員から路外の茂みに隠れて用を足すことを教えられていた。なぜ路外の茂みに隠れてかと言うと、高速道路走行車の目に付くと、脇見による事故の原因になりかねないこと、また警察や高速道路会社に通報されると厄介と考えてのことだった。そのため夜間は、目立ってはいけないので、ピカベストやヘッドライトなどの明かりを消して茂みに入ることになる。郊外の高速道路の夜間路外は真っ暗で、長さ約1600mのトンネル内を少なくとも500m駆け足して外に出てきて一刻も早く用を足したくて焦っていた原告は、ようやくたどり着いた路外の真っ暗な茂みの先が崖になっていることに気づかず、その崖を転落した。これが本件労災事故の原因で、原告は、高速道路上で、かつ走行車両の衆目にさらされているという特殊な場所での夜間の野外作業であったにもかかわらず、被告らのいずれもが必要なトイレ設備を用意していなかった、またAは、従前から高速道路上での交通警備業務の際にトイレ設備の用意がない場合、用を足したいときは高速道路走行車両にそれが見つからないように照明を消し茂みなどに紛れて行うようにと極めて危険な方法を指示していた、Bもそれを知りながら黙認していたと、被告らの安全配慮義務違反を主張した。
訴状の中でBに事故調査報告書の証拠提出を求めたところ、Bはこれに応じ、報告書の中ではトイレカーの配備をしていなかったことが原因と明記されていた。
ところが、Aは原告主張の用の足し方の指示はしていない、むしろ路外や法面は危険だから近づくなと指導していたし、原告が転落したのは危険な場所と分かりながら不注意だったからだと反論した。Bは本件事故当時、原告あるいはAの責任者が本件点検工事全体の責任者だったBの現場責任者に原告が小用のために現場を離脱する旨告げるべきだったのに告げておらず、告げていれば、別会社の隣の作業班にはトイレカーが配備されていたから、そのトイレカーの案内ができた、あるいは最寄りのサービスエリアかインターチェンジのトイレまで行って用を足すことができた、原告主張の用足し方法の黙認はしていないと反論した。
しかし、Bの現場責任者に離脱を告げるべきだったとしてもそれをすべきは原告ではなくAの責任者であるし(原告はAの責任者には告げていた)、別会社の隣の作業班にトイレカーの配備があることは原告らAの労働者には知らされていなかった。別会社の隣の作業班は見える位置にはいなかったうえに高速道路上での作業は各班が移動しながら進めていくから、まさにそのとき隣の作業班がどこにいるかを把握するのは容易ではなく(携帯電話もトンネル内は通じにくい)、尿意が差し迫っていた原告がどこにいるか分からないトイレカーを捜しに行くなど現実的でない。また、一定の移動時間を要するサービスエリア等のトイレ利用も現実的ではない。結局、Bの反論は報告書にも反する現実離れした机上の空論だった。Bの現場責任者は反対尋問で、隣の作業班のトイレカーやサービスエリア等に移動していては間に合わないという差し迫った場合も当然ありうるが、そのときはどうするのかと問うと、「漏らすしかない」と答えた。
Aは原告主張の指示は否定するものの、ではトイレカーの配備がない場合の用の足し方についてどのような指導をしていたのかについては答えず、本件事故当時原告とペアで警備業務をしていたAの責任者は反対尋問で、Aではトイレカーの配備がないときは原告主張の用の足し方をしていたことを自身もそうだったと認め、Aの反論が事実に反することが明らかになった。
結局、尋問で最後まで問題になったのは、Aから原告主張の指導がされていたとしても、危険な場所、方法であることは誰にでも分かることだから、原告が注意深い行動をしていれば同じ場面でも事故は防げたのではないか、やはり原告にも多少の不注意があったと言われても仕方がないのではないかという点だった。しかし、生理現象が切迫した状態というのは誰でも、いつでも、どこでも起こりうることで、本来なら作業現場ごとにトイレカーを配備してそれに備えるべきは当然であるのに、その基本的な義務を怠り危険な排尿を余儀なくさせた被告らが、尿意が一刻も争うほど切迫していたためにその場の危険の程度に応じた慎重な行動をとることができない状態に陥っていた原告に対して、慎重さを欠いていたなどと労働者に責任転嫁することは許されないと判断されるべき場面だった。
当事者双方が最終準備書面を提出して弁論終結後、裁判所の和解案で和解が成立した。和解案は、弁護士費用と遅延損害金は相当削られたものの、それ以外の原告の請求については過失相殺なしと考えて理解できる金額だった。
個人的には、普段、高速道路の工事などで働いている人を見かけることはよくあるが、その労働者にとって、ぱっと見ただけでは気づかない問題場面があり、労災事故を本当に防いでいくためには現場ごとに起こりうるあらゆる危険を想定して対応策がとっておかれなければならないことを痛感した。また労災事故損害賠償請求事件での過失相殺問題の難しさと、それへの対策として事実関係の徹底的な把握など事前準備の重要性を感じた。
このページのトップへ1 2024年1月17日、あすてっぷKOBEにおいて、労働法連続講座の第2回目を行った。参加者は13名であった。
2 労働法連続講座第2回のテーマは定年後再雇用の賃金問題を取り上げた。定年後の就労形態、賃金の水準、定年前との待遇格差について、情勢を説明した後、法的な点について、裁判例の紹介や考え方を説明した。
3 定年に関する法制度および情勢
(1) 従来は60歳定年制とする企業が大多数だったが、2013年施行の高年齢者雇用安定法により、2025年4月からの「65歳までの雇用確保」が義務づけとなった。企業は次の3つのうちいずれかの対応を必ず行わなければならない。※定年延長の義務化ではない。
①65歳まで定年延長
②65歳まで継続雇用制度の導入
③定年制の廃止
さらに、高年齢者雇用安定法は2021年4月に改正、70歳までの就業機会の確保も努力義務とされ、企業は以下の5つのうちいずれかの対策を講じるよう努めなければならないとされている。
①70歳まで定年延長
②定年廃止
③70歳まで継続雇用制度の導入
④70歳まで継続的に業務委託契約を締結する
⑤70歳まで継続的に事業主が行う社会貢献事業に従事してもらう
(2) 厚生労働省『令和4年高年齢者雇用状況等報告』によると、各方法を導入する企業の割合は「定年の引上げ」が25.5%、「定年制の廃止」が3.9%、「継続雇用制度の導入」が70.6%となっており、大多数の企業が継続雇用制度を導入している。
(3) 多くの企業が採用している継続雇用制度は、大きく雇用延長制度と再雇用制度の2つに分かれる。雇用延長制度とは、定年の年齢に達した労働者を引き続き雇用する制度であり、雇用契約の継続なので、雇用形態、役職、賃金などは大きく変更しないことが一般的である。一方、再雇用制度は定年を迎えた労働者を一度退職させ、改めて再雇用する制度で、雇用延長とは異なり、退職前の役職は失い、嘱託社員や契約社員など新たな雇用形態となる。雇用契約を新しく締結するので、従前の契約内容は引き継がれないというのが原則となる。
4 定年後再雇用時の待遇と問題点
(1) 継続雇用制度を採用する多くの企業において、上記再雇用制度を採用していると思われる。ここで問題となっているのが、定年後再雇用時の待遇である。
(2) 日経ビジネス2400人に対する定年後の就労に関する意識調査(2021年1月)によれば、勤務時間や日数については63.5%が、業務量については47.9%が、「定年前と同水準」だと答えている。「定年前より増えた」という回答も合わせるといずれも半数を超える。
一方で、年収については「定年前の6割程度」という回答が20.2%と最多で、「5割程度」が19.6%、「4割程度」が13.6%と続く。定年後の賃金水準は、現職時の4割減から6割減が半数以上との調査結果であった。
(3) 定年後再雇用に関しては、定年前と仕事内容が変わらないのに、定年後に契約社員や嘱託社員などいわゆる非正規社員となったことで、賃金が大幅に減少するという点が、法的には「同一労働同一賃金の原則」との関係で問題となるのである。
5 同一労働同一賃金の原則
日本の法施策の中での「同一労働同一賃金の原則」を巡っては、旧労契法20条、パート有期法9条の解釈を中心に、主な最高裁判例だけで7つの判例がある(ハマキョウレックス、長澤運輸、大阪医科大学、メトロコマース、郵政3件)。詳述はしないが、それぞれ、正規社員と同等の業務をしている非正規社員との待遇格差(基本給・賞与の格差、各種手当の支給格差等)の違法性が争われ、最高裁は、賃金の各種支給の趣旨を個別にみて、それぞれ不合理性を判断するという考え方を取っていると解されている。
6 定年後再雇用者の賃金格差の問題
(1) 定年後再雇用者と正社員との賃金格差が問題となった事案としては、上記長澤運輸事件がある。同事件は、賃金の格差について、定年後という事情(長期就労が予定されていないこと、年金受給があること等)から、結論として格差は不合理ではないとした。なお、本判決では、基本給・賞与の格差は正社員の80%程度である事案であった。
その後、定年後再雇用者の賃金格差を争った下級審裁判例は(定年前の仕事内容の異動も含め)複数存在するところ、下記の名古屋自動車学校事件が、その第1審、第2審において、定年後再雇用者の正規社員との基本給格差が定年前の60%を下回る限度で違法と判断したことから、最高裁の判断が注目されていた。
(2) 名古屋自動車学校事件
同自動車学校では、定年後再雇用の嘱託社員の基本給が定年退職時と比較して45%以下等の低待遇になっていた。原告2名は、教習所の指導員として稼働し、正職員を定年退職し嘱託職員となって以降も、従前と同様に教習指導員として勤務をしていた。再雇用に当たり主任の役職を退任したこと以外、定年退職の前後で仕事内容や責任に相違はなかった。
第1審は、①基本給、賞与に関し、正職員定年退職時の60%の金額を乗じた結果を下回る限度で旧労働契約法20条にいう不合理と認められるものに当たると判断し、第2審も、原審の判断を維持した。
この下級審判断に対し、最高裁は、2023年7月20日、原審は、正職員と嘱託職員に対する基本給及び賞与の性質と目的の異同の判断、労使交渉について結果だけでなく具体的な経緯も勘案する必要があり、原審は労契法20条の解釈適用を誤っているとして、差し戻しを命じた。
(3) この最高裁の差戻し判決は、定年後再雇用者の賃金水準の多くが定年前の40%減から60%減程度という昨今の状況で、基本給等の格差の趣旨を具体的に検討せよというもので、60%以下は不合理という一律的な線引きを避けたものとも思われる。格差の趣旨を個別にみるということで差戻し審の結論が待たれるところではあるが、基本的な考え方は本最判も上記一連の最判と同一であると解される。
7 その他の論点
この他、定年後再雇用については、再雇用拒否の違法性が争われた事例で、「定年後再雇用について雇用主が合理的な労働条件による再雇用契約を申し込んだにもかかわらず、労働者が再雇用契約の締結を拒絶した場合には、定年後再雇用の雇用契約が成立しない」とした裁判例があり、再雇用拒否の事案に参考になると思われる。
このページのトップへ1 兵庫民法協の代表幹事を、1978年(第16回)総会から1992年(第30回)総会まで15年務めて頂きました松岡正章先生が昨年12月21日にお亡くなりになりました(享年90歳)。松岡先生は、私の仲人であり妻とは親戚筋にあたります。代表幹事をされていた頃はもう30年以上も前のことであり、覚えておられない方が多いと思いますので、先生の経歴と私との関係について少し説明させて頂きます。
松岡先生は宮崎県えびの市出身で1961年3月に立命館大学法学部を卒業、同大学院博士課程を経て、1966年4月、新潟大学教養部の講師、1968年4月に助教授となり、1973年4月には甲南大学法学部に移籍、74年に教授となられました。
2 私との関係ですが、先生が新潟大学教養部講師となられた1966年4月は私が同大学に入学した時期と同じでした。教養部の一般法学の先生の授業は学生に大層人気があり、同大学教育学部の200~300名入る大教室は何時も満杯でした。そして先生が司法試験を目指す個人ゼミをしているとの噂を聞きつけ、このゼミに参加したことが切っ掛けになり、無謀にも司法試験受験に挑戦することになる訳です。当時は法学部ではなく、人文学部法律学科で学生は1学年80名、司法試験を目指す学生は殆ど皆無、ましてや合格する学生は5年に1人程度あるかないか。しかも当時の大学は学生運動真っ最中で、新大も人文学部に限らず全学封鎖が続き、法律学科の専門課程ではまともに授業を受けることができず、司法試験を受験するような輩は、日和見主義者と糾弾されるのです。
3 しかし、それからいろいろありまして、私は1972(昭和47)年度の司法試験(27期生)に合格することができました。しかも私を含め、先生に何らかの形でお世話になっていた学生が同年4名も合格、その後、司法試験を目指すことが無謀でも何でもなくなったのです。先生が新潟に来られなければなかったことだと思います。そして先生が甲南大学(神戸)へ移られたのと私が司法修習生として最高裁判所に採用された時期は同じであり、先生から今の私の配偶者を紹介され、その縁もあって中神戸法律事務所に入所して民法協に出会い、民法協の活動に参加することになる訳なので、民法協も先生の世話になっていることになります。
4 先生は刑事法制の研究者であり、専門は刑法と刑事訴訟法ですが、中でも「量刑法」、刑事被告人の量刑法(被告人を懲役何年にするのが相当かを研究する)です。刑事訴訟法も教科書も書かれていますが、「量刑手続法序説」「量刑法の生成と発展」など、わが国では有罪になるのが殆どですから、罪を犯した人の刑罰、罰金にするか、懲役何年にするのが適当か、客観的基準に関する研究は重要です。先生は大学定年後も大阪弁護士会に登録、国選弁護を中心に弁護士としても活躍されていました。又、余談ではありますが甲南大学法学部の松岡ゼミ(刑事法)は法松会と称し、そのゼミ生として先生の薫陶を得て学者となり、あるいは社会に巣立っていかれた多くの学生から敬愛されていました。
5 労働法学者であった長淵先生(先生の次の学者代表幹事)と違い、労働法(者)に関わる話や講演をお聞きする機会はなかったと思いますが、刑事法は憲法と人権に関わる大切な学問・分野であり、その立場から民法協の代表幹事を長く勤めて頂きました。私は勿論ですが民法協も本当にお世話になりました。ここに先生の御遺徳を偲び、哀悼の意を表する次第です。
このページのトップへ初めまして。76期弁護士の谷本将大と申します。私は、大阪での修習を経て、私の地元の姫路市にある姫路総合法律事務所に入所いたしました。そして、この度、兵庫県民主法律協会に入会させていただきました。どうぞよろしくお願いいたします。
正直なところ、民法協を存じませんでしたが、民法協の「50年のあゆみ」を拝読し、民法協が労働者の権利擁護のために闘い、尽力された歴史に心を打たれました。今では当たり前のように考えられている労働者の多くの権利は、これまでのその闘いによって獲得されたものだということを認識しました。世の中には、理不尽な制約を受けている労働者の権利がまだまだ沢山あるのでしょう。まずは、社会に対して広くアンテナを張り、労働者の方々一人ひとりの声に真摯に耳を傾け、擁護すべき労働者の権利の発見に努めていきたいと考えています。
まだ右も左も分かっていない新人弁護士ですが、民法協の一員として、少しでもお役に立てるよう日々研鑽を積んでいく所存でございます。ご指導ご鞭撻のほどよろしくお願いいたします。
はじめまして。この度入会させていただきました、神戸合同法律事務所の岡井勇輝と申します。
出身は大阪で、大学まで大阪で過ごした後、法科大学院時代に神戸に来ました。その後、1年間大阪で研修を受け、今年の1月から縁あって神戸合同法律事務所で執務しております。
趣味は野球で、観るのもやるのも好きです。好きな球団は楽天です。元々は父の影響で近鉄を応援していたところ、球界再編で迷子になり、長い旅路の果て、楽天にたどり着いた次第です。
私は以前、人材紹介の仕事をしていました。仕事として、たくさんの雇用関係に触れている中で、様々な労働問題と遭遇しました。理不尽な労働問題に悩まされる人たちを助けたいとの気持ちは、当時から変わらず持ち続けています。
私は76期で、今年の1月に弁護士登録をしたばかりの完全なる新人です。まだ弁護士として右も左もわからない、未熟者の極みのような存在です。それでも熱意は負けていないと思っております。初心を忘れることなく、本会でたくさん勉強させていただきたく思います。
ご迷惑をおかけすることもあるかと思いますが、今後とも何卒よろしくお願いいたします。
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